秋の夜長と言う程、秋は夜が長く、月明かりに照らされる地平が風情である。だが、今は春である為、そのような期待は出来ない。一方で、散る梅の花びらの美しさは素晴らしい。
池でもあればいつまでも眺められる気がすると頭の片隅で思いながら龍兵衛は両手を広げた。
「さぁさぁ、今宵も無礼講……」
宴の時に使う筈の言葉がここで出てきているのを聞いていると周りの家臣達は慣れているとはいえ、若干の気味の悪さを感じる。
にんまりと笑った笑みと共に龍兵衛は炭を流したような暗闇の中、静けさを崩さないようにそっと指を差す。
その合図で後ろに控えていた数名の兵が一気に扉を開けて一軒の店に入って行く。しかし、場所は誰も来ようとは思わないような城下町の端くれ。
形だけが店のそこには店主と小柄な男の店員がいて、一人は逃がしたが、店主の方は簡単に捕らえることが出来た。
中を改めると床下や天井に金が蝋燭の火よりも眩しく輝いている。
一緒に付いて来た景勝にも中を見せると信じられないと金に目を向けている。何も押し入りにまで来なくても良いと思ったが、頑固な景勝は強権を使って付いて来た。仕方ないと思いながら龍兵衛はいつも通り夜中の油断しきった時間に隠れ家に入った。景勝は手際の良さに驚き、少し悲しげな表情を浮かべていたが、あえて無視した。
「ふーん。呉服屋の主が犯人だったんだ」
代わりにしゃがんでお縄になった商人の顔を龍兵衛は邪気を孕んだ笑みで伺う。何か言いたげに暴れているが、口もしっかりと轡をかけられている為、何も言えない。
「あそこにある金を貯め込んでいくら何でも一向一揆の所に持ってたら駄目だろ?」
その言葉で大人しくなった商人はどうして知っているんだという目で龍兵衛を見る。面白いものを見たという目で龍兵衛は唇の片端を吊り上げる。
「お前は本業で儲けた金だけでなく、ある手段で鉱脈から得られる金を仕入れて船で一向一揆に送っていた。違うか?」
商人は一瞬躊躇ったが、それが良くなかった。顔目掛けて蹴りが飛んできた。
「隠しても無駄だよ~今頃、繋がっていた連中も牢獄の中だからね~」
続けて本当にやったのかともう一度問い詰めると商人は弱々しく頷いた。鼻血が出てきた為、口にはめた白い轡が赤くなる。
「返事は首の上下左右の動かしで良いから。質問に答えてな?」
震動するように店主の首が何度も上下するのを確認すると龍兵衛は真顔で問い始める。
「先ず、このことは家族も知っている?」
店主の首は横に振られるのを見て、龍兵衛は彼が商いを行っている本当の店に控えさせている小隊の方に退去するように伝える為の伝令を出す。
「じゃあ、富樫と連んだのは上杉が東北を完全に統一した前?」
店主は今度は首を横に振った。後ということは晴貞は上杉が関東に向かっている間に織田との戦いを終わらせて謙信不在の間に春日山城を取りたかったのだろう。
しかし、畿内の趨勢を握った信長の勢いと物量は今川を支配するまでに昇り、徳川の援軍によって戦が長引いた。もっとも、上杉も冬の気候と今川のちょっかいがあった為、北条との戦は長引いてしまったのでそこはお互い様だろう。
「鉱脈の密輸は佐渡と安東の土地かな?」
商人は頷いてから首を振った。佐渡からの密輸は当たりで安東が無関係ということだろう。安東と思ったのは未だに一揆が絶えないからだ。南部にも一揆を鎮める協力をしている為、いい加減静かになるだろう。
「じゃあ、富樫と本願寺のことについて聞いたことは?」
商人は首を大きく横に振った。途端に龍兵衛の足が商人の腹に繰り出された。
「下手な嘘を付くな……直江津に沈めるぞ」
のた打ち回る商人の上に足を置き、殺意を込めた声で語りかける。完全に商人の顔からは生気が失われていた。しゃがみ込んでもう一度問い掛けると商人は何度も首を縦に振った。龍兵衛は指示を出すと轡を外させる。咳き込む商人をよそにどれだけのことを知っているのか尋ねる。
しかし、身体を震わせている商人は言えないと口を開かない。配下の一人が前に出ようとしたのを制して龍兵衛は軽い口調で言う。
「そうだ。この前、二つ道を挟んだ所の笠屋があったじゃない? ほら、他にも色々と売っている所。あ、思い出した? あそこの亭主、先月に死んだじゃない?」
ゆっくりと語り掛けるように言う龍兵衛の目は冷徹さが飢えた野犬の如く容赦なく店主を射抜いて離さない。
店主が怯えながら小さく頷くと龍兵衛はにっこり笑ってその肩を叩く。
「表向き、自害ってことになってるけど、明らかに殺されたとしか見えなかったんだよねぇ。何でだろうねぇ?」
縄で縛られた口の中で必死にもがいている町人の表情にはとうとう恐怖しか浮かばなくなった。死への恐怖だろうか。それとも、今目の前で自身を殺そうという雰囲気を隠しもせずにさらけ出している龍兵衛への恐怖だろうか。
「来月……」
「ん?」
「来月、本願寺から使者が来る。その時に富樫様に献上する金を渡してくれと……」
「脅されてた?」
使いの荷物の中を調べるのは国境に設けられた関所を仕切る者でも気が引けることだ。斎藤朝信が細工を見破るように強く指導しているが、脅されてしまえば交流が断たれる可能性もある。責任を取りたいと思える者がはたしてどれほどいるのだろうか。弱々しく頷く商人を横目に龍兵衛は溜め息をこぼす。
「帰って謙信様も含めて他とも話さないと」
「あ、あの……!」
おとがいに手を当てながら立ち上がった龍兵衛を商人はすがるような目で見てくる。そこから次に何を言いたいのか誰でも分かる。
「何? もしかして守ってくれるとでも思った? 悪いけどそんな余裕無いんだよねぇ」
いよいよ町人は顔が真っ青になった。上半身が左右にゆっくり揺れたと思うと後ろに倒れた。主を気遣う者達は立ち上がりかけたが、すぐに止められた。
「お前らには共に不正をしていた罪で来てもらう。良いな?」
恐怖が身体を硬直させているのか反応が無い。待っていても時間の無駄だと龍兵衛は外に連れ出すように指示を出す。
目立つことを憂慮して持ってきた荷車に下手人達を押し込むと覆いを被せて夜の町を進む。誰も話さない小さな列の中で龍兵衛は首を捻っていた。
「妙だな……」
思わず口に出てしまったが、誰も反応することは無い。いつも通りのことだから気にせずに口を噤んで変わらずに歩く。
しかし、不意に視線を落とすと分からないと景勝は小首を曲げていた。しまったと思っても聞かれた以上、答えなければならない。
「あれほどの大金を隠し、隠す場所の大きさも考えると呉服屋だけではあのような隠れ家を作り上げるのは難しいと思いませんか?」
いくら豊かになっている越後でも畿内の盛り上がりには叶わない。だからこそ山上宗二を呼び寄せて春日山から造りなどから変えていこうとしている。周りを気にしながら小声で話しかけると景勝はすぐにひらめいたと深刻そうな表情になる。
「内通者」
「ご名答です」
単純に考えると上杉家の中にいると考えるのが妥当だろう。さらに糸を辿れば大きな商人が出てくるかもしれない。それが越後の中なのか外なのかは分からない。いずれにしても北条を完全に倒せなかったことで周りの反上杉が少しずつ盛り返そうとしているのは確かだ。
少し寒気がするのは夜風が吹いているからではなく、嫌な予感が拭えないからだ。先程捕らえた呉服屋の主は城下町でもかなりの規模を誇っている。上杉との繋がりも深く、女中の間でも評判が良かった。商人や農人対象の品も扱っており、良心的な人柄で人気もあった。
「大物だっただけにかなり厳しく罰しなければなりませんね」
それだけに怒りはかなり大きなものだろう。だからこそ厳罰は効果的である。上杉にも国の為にも。だが、心優しいからこそそれに反対する者もいる。景勝は龍兵衛を強く睨み付けてくる。
「店主、動かされてる」
「脅威に屈したとはいえ、上杉には損害しかありません」
「家族、人質」
「大義の為、秩序の為、主を見逃しては示しが付きません。そもそも、彼の悪事に巻き込まれた者もおります」
「斬る?」
「罪は罪です」
景勝は龍兵衛を強く睨んでくる。だが、龍兵衛は意にも介さず、さっさと主を縛り付け終えた配下達に戻ると指示を出す。
「家族に関しても干渉は致しません」
見上げてくる景勝の視線から何を言いたいのか悟ると龍兵衛は感情の籠もっていない声で吐き捨てる。景勝の怒りが視線から強く感じ取れる。周りの連中も二人から距離を置いているように見える。
「国が大きくなる程難しいのです。敵から誰かを守るというのは」
景勝は考える為に少し間を置いてから龍兵衛を見る。
「人増える。守る人増える。でも、上杉、大名、変わらない」
「そうです。農商工などの人々の方が圧倒的に人は多い。国が大きくなり、人が入ってくる。我々は人ですからね」
以降は龍兵衛も喋らないと景勝から目を離す。無礼と言われても文句を言えないような行いだが、咎められることが無いと分かりきっている為、堂々としていられる。
配下の者達も二人の話が聞こえている者は気にしているのか視線を向けようとしているが、踏み込む領域ではないと知っている為、口を挟もうとしない。
景勝も内心では分かっているのだろう。しかし、個人を保護するのは他の利用されて殺された人達にとって不平等であると言われかねない。
国が大きくなり、富むことで光が増えると同時に影も増える。目を逸らしたくても逸らせない事態だが、物事は平等かつ定めた法令に基づかなければならない。
「不正と内通、死罪は免れないでしょう」
冷淡な物言いに景勝は場を弁えずに頬を膨らませようとしている。しかし、龍兵衛は一瞥しただけで歩く速度を速めた。
そして、明後日頃にはあの呉服屋に転がっているであろう家族の骸をどうするべきか考え始めた。
翌朝、景勝は龍兵衛と共に牢に向かい、尋問を見学した。てっきり拷問のようなことをするのかと身構えていたが、証拠を突き付け怒鳴る程度で特に目を逸らしたくなるようなものではなかった。
昼間は報告書を作り、夕方になってようやく謙信の下へ報告出来る形になった。景勝はもっと早く出来たのではと思ったが、龍兵衛の「密事を朝早くから話すことなどありますか?」と諭され、納得した。
型破りな政策や発想で合理性を重視する龍兵衛だが、この辺りは慎重だ。以前行った法の改革では神仏に頼った決議を本当に正しいのか監督する案を出した際もかなり前から根回しをして反対する者達を見事に説き伏せた。
兼ね合いが上手く行っていなければ腰を上げない為、兼続にあれこれ言われる時もあるが、いざという時の考えは誰もが唸るだろう。それを分からせる為の慎重さもしっかりしている。
景勝はもっと自分を出しても良い気がするが、龍兵衛にその気が無い為、何も言えない。
「謙信様、件の不正に対する疑惑は真だと判明した為、関わった者達を捕らえ、牢に閉じ込めました」
「そうか。ご苦労だった」
「それから直ちに佐渡の本間殿に春日山へ来るように促して頂きたく」
目を細め、どうしてか聞く謙信に子細を説明している龍兵衛を見ると頼もしくも恐ろしく見える。
「報告は以上か?」
「はい。何か?」
謙信は頷くと背後に置いていた書状を龍兵衛に差し出す。恭しく受け取って中を龍兵衛が改める。文明を読んで行くごとに目が徐々に見開かれていく。
「これが、織田から?」
「うむ。我らの動きを知っているようだろう? 間者が動き回っているのだろうが……」
景勝も話に加わりたいと書状の中身を覗こうとするが、読み終えたものを龍兵衛がさっさと謙信に返した為、叶わなかった。分かったのは織田から何やら脅迫めいたことを認められていたということだけだ。
「少し大きく動き過ぎたかもしれませんね……」
悔しそうに下唇を噛む仕草が本当のものなのか分からない。本当なら上杉の水面下の動きを織田に悟られていることになり、嘘ならこれから気を付けるべきだという戒めだろう。
「どうこの書状を受け取るべきだと思う?」
「脅しという訳ではなく、敵対すれば百害あって一利無しと言いたいのでしょう。織田は本願寺、一向一揆に対して必死になっているのです」
謙信は隣に置いた書状を一瞥すると「お前もか」と吐息混じりに言う。他の者にも聞いたのだろう。そして、謙信が織田と手を組むべきかと問うと龍兵衛は首を横に振った。いずれ戦う相手と分かっていて手を差し伸べるのは下策である。そもそも、織田は北条と繋がっている。北条との諍いの原因になってしまい、無駄な時を過ごしてしまいかねない。
「織田を助けるという名目で織田の面目を潰しながら一向一揆と戦うという手もありますが、それを是とする信長ではないでしょう」
「情はいらぬということか」
「当然です」
「一向一揆と繋がっていた者は?」
「……謙信様を裏切ろうとした。と言えば皆も処罰に納得するかと」
きっぱり言い切ると許しをもらって龍兵衛は立ち去ってしまった。もう少しだけ一緒にいたかったと思っていた景勝にとっては残念だが、逆に好都合になった。
「龍兵衛、やり過ぎ。家族守るべき」
何も言わなかった為か謙信は驚いている。それからすぐに表情を緩めると頭の上に手を置いてきた。
「龍兵衛が今までかようなことを幾度行ってきたか、知っているか?」
穏やかな雰囲気とは裏腹に謙信の表情に知らないとは言わせないという凄みが少しある。分からないと言えない景勝だが、本当に知らない以上、何も言えない。
一方で分かることもあった。龍兵衛の影の部分は景勝が知っていると思っていた以上になっている。前々から分かっていたが、共に仕事をしていて理解が深まり、分かってしまった。
「あれは上杉の為に秩序を保とうと必死なのだよ。分からぬ者には無理があるやもしれぬが、理解する者もいる。奴は自らを汚すことで上杉が潔白なままでいられると信じている」
「……」
「大きな影が動いている以上、今は店主に責を負わせるしかない。やむを得ないのだよ。景勝、お前も分かっていた筈だ」
景勝は頷きたくなかった。敬愛する謙信から仕方ないという言葉を貰ったのも一因だが、龍兵衛のことを全く理解せずに喚いたのが大きく響いた。
「苦しいかもしれないが、龍兵衛はそれをどれほど行ってきたと思う?」
かつて民を見守る目は穏やかであり、厳しくもあった。国の秩序を乱す者がいれば厳しく罰することが戦乱の中で国を保つことに繋がる。
景勝はかつて龍兵衛が民は自分の利益を優先させることもあると言っていたことを思い出した。外を見るにつれて言っていたことを理解した筈の景勝だが、正す役目を遂行している現場を見てまだ自分は知らないのだと痛感した。そして、知らなくて良いものを知ってしまったと心に大きな釘を刺された気がした。
龍兵衛は知らない所で血を浴びているのだ。おそらく今夜のようなことは今日だけではないのだろう。間違いなく主は殺される。残忍な富樫は家族も共に道連れにする。つまり龍兵衛は一つの何かを解決すると共に余りある負の感情を背負っている。
景勝は無抵抗な状態の龍兵衛に容赦なく浴びせられる人の血を想像してしまい、頭を大きく左右に振る。龍兵衛に直に浴びせられた訳ではない。しかし、浴びていることは事実だ。いったいどうやって見えない血を洗い流しているのだろう。
そう考えた時、景勝には思い当たる節があった。龍兵衛が関東遠征のあたりから性格が捻くれ始め、変わり者に見られてもおかしくないという言動をし始めた。
皆がどうしたのだろうと龍兵衛の背中を見て囁き合っていたが、景勝はその原因がおそらく自分とのことだろうと直感的に思っていた。
それだけではなかったのだ。公私の苦しみを少しでも紛らわせようと人に当たるしか出来なくなったのだ。怨念と血が身体中を蝕み、水を吸い込む綿のように限度へと迫っている。それを少しでも外へ搾り出そうと必死になっている。上杉が国内の秩序を整え続ける度、龍兵衛は真っ黒になっていく。
景勝は締め付けられるような感覚になった胸を押さえた。
「汲み取ってやれ。皆のことをな」
「……」
返す言葉も無い。謙信の部屋であることも忘れそうになり、立ち去るべきは自分だと気付いて部屋を辞した時、既に日が暮れていた。
疲れた筈の身体が何故だか軽く感じる。もしも誰かとすれ違っていたら地に足が付いていないような状態で歩いていることを心配されていただろう。
存在が遠くなった。景勝は想像したくない龍兵衛の変わり果てた姿を思い浮かべ、はっきりと心に刻んだ。