上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第百六十話 茨道はまだ

 越後に問わず、商人というのは利益があればどこにでも飛んで行く程、金と権力には敏感である。大きな店を構えるようになれば誰にも分からない嗅覚で利益を与えてくれる領主を選び、それまで懇意にしていた領主を見捨てる。

 軍師も大概だが、商人も恐ろしいものだ。そう龍兵衛は思っていた。関東から引っこ抜いてきた山上宗二にしろ目の前にいる荒浜屋宗九朗にしろだ。

 

「河田様、如何なされた?」

「いえ、何でも」

 

 感情の籠もっていない笑みで返すと荒浜屋は特に詮索せずに話を続ける。

 

「此度は流れてしまいましたが、また機会があればよろしくお願い致します」

 

 荒浜屋は柏崎の商人で青苧の取り引きで生計を立て、上杉から関税の撤廃という特許を得て、一大勢力を築いている。

 往年の商人らしからぬ痩せ細った体格で一見頼りなさそうな雰囲気を持っているが、目はぶら下がっている肉に涎を垂らしている狼そのものだ。

 

「いえいえ、上杉様には私めもよくして頂いております故。ましてや今までより更なる厳しき戦いとなることは必定。かようなことになるのは致し方ないことでございます」

 

 偏見のある者なら「商人風情が口を出すな!」と声を荒げるだろう。もちろん荒浜屋も龍兵衛がそのようなことはしないと分かっている上で不謹慎なことを言っている。

 舐められているのではない。信頼しているからこそ少し大胆なことも言えるのだ。そして、商人の言葉、特に利益が絡んでいる時には発言の裏にある真意もよく読み取らなければならない。

 

「やはり、商品が滞っていると?」

 

 荒浜屋は表情を真剣なものに変えて頷く。

 

「河田様の所にも京より書状が届いている筈でございます」

 

「私の所に届いた書状でございます」と懐から出された書状に目を落とすと以前見たものの内容とほぼ変わらない。

 京へと向かうには陸の路と海の路の二つがある。一向一揆の領地を通らなければならない陸では関所でかかる税金が跳ね上がり、なかなか通れない。海だけの交易では利益を得ることは難しく、如何せん危険性が高い。

 

「さらに申さば京の商い仲間より織田が座と関所を撤廃したが為に商人が集っていると」

 

 龍兵衛は天を仰ぎ、両手を頭に置いた。

 

「いよいよか……」

 

 言動を理解出来ていない荒浜屋が呆然としているのを見て何でもないと慌てて手で制すると持っていた手紙に再び目を落とす。

 

「座が撤廃されるとならば我らの庇護下にある商人以外の者が流出してしまいまする」

 

 すがるというよりもこちらを少し威圧するような口調に荒浜屋がなったのは上杉も困るから何とかするだろうという思い込みがあったからだろう。だからここではいそうですと乗る訳にはいかない。

 

「座に入る制限を緩めるようにあれだけ命じておいたではありませんか。つけが回ってきたのです」

 

 品を売る人が少ない程、品は高くなり、買う側の人もその値で買わなければいけない。人が多くなれば自ずと物価は下がり、高い値段では買わなくなる。売る側の人にとって利益が減るのは面白いことではない。

 

「上杉様としても良い報告ではありますまい」

 

 確かに上杉も荒浜屋が取り仕切る座からかなりの税金を納めてもらっている為、収入が減るのは戦続きの現状では良いことではない。

 

「もちろん。しかし、自分達は幾度となく言っておいたにもかかわらず、変えなかったのはそちらです。それに、青苧以外にも商いの方法はある」

 

 龍兵衛は一つ間を置いて荒浜屋に視線を戻す。

 

「此度の謙信様は上洛を妨げる者を討伐するという名目であるが故に、決して上洛しようと思っている訳ではありません。その辺りを履き違えないように」

「承知しております。されど、このところ青苧の動きがあまり良くないので、こちらとしては何としてでも一向一揆の根を絶って頂きたいのです」

 

 すぐに龍兵衛は頷くことが出来なかった。一向一揆の団結力は確かだ。富樫の統率力もなかなかのもの。力の差があるとはいえ地の利は一向一揆にある。利用することで形成が変わるのはよくあることだ。

 荒浜屋も龍兵衛の反応を見て何となく察しただろう。しかし、関税の撤廃の見返りに上杉の庇護下に入っている為、おいそれと裏切れる立場ではない。他に寝返ったとしてもなかなか上杉のような厚遇のされ方は無い。

 

「何卒、我らをお助け下さい」

 

 領地が増え、幅が出来てもまだ飽き足らないようだ。それだけ商人の欲は深い。次に欲しいものは何かと尋ねれば間違いなく金というだろう。

 龍兵衛は一つ息を吐くと仕方無いと肩をすくめる。金と金の繋がりは深く、淡白だ。より高い利益が得られるのであれば商人は簡単に他方へ靡く。

 欲深さこそはいっそ清々しくも思える。だから利益を与えてくれる上杉には素晴らしい程に従順なのだろう。以前なら軽蔑の対象になっていたかもしれないが、今ではそれが面白いとも言える。

 少しは心が広くなったのかなと自嘲気味に笑いながら龍兵衛は口を開いた。

 

「良いでしょう。しかし、すぐにとは言えません」

「いえ、私もそこまで我が儘では御座いません。承諾して頂いただけでも感謝致します」

 

 安心したように荒浜屋は胸を撫で下ろし、緊張気味だった表情を緩める。だが、商売では売ったのであれば対価となるものを必要とする。

 

「座の規制を緩め、交易の分散化」

「えっ?」

「なるべく早く春日山城に来て下さい」

 

 口元だけ笑わせると荒浜屋の表情が引きつった。構わずに龍兵衛は続ける。

 

「此度は流れましたが、折を見て京の商人とお会いしたいものです。こちらも一向一揆が片付けば近衛様をお招きしようと思っていますから」

 

 荒浜屋が目を見開く。近衛と言えば貴族の中でも大家だ。この場で龍兵衛がそのことを言うのは荒浜屋もその会合に参加しても良いと言っているのだ。貴族と関わりを持てば商いの幅も大きく広がり、京の商人ともより昵懇になれる。

 

「真に此度の会見が実現せずに終わったのは無念で御座います。角倉殿には改めてお声をかけておくつもりです」

「頼みます」

 

 利益のこととなると俄然商人は目の色が変わる。先程の条件のことも忘れないように龍兵衛は釘を差すと少し声が詰まるような音がしたが、すぐに荒浜屋は頭を深々と下げた。

 謙信が武田と一向一揆を討伐する号令をかけたのは秋になってからのことだった。時間を調整していた龍兵衛からすれば迷惑なことだが、一応は武人としての枠に入る為、商いよりも戦を優先されなければならない。

 

「いつ頃になるかとは聞かないで下さいね?」

「無論で御座います」

 

 武田と一向一揆は宿敵同士。敵も必死に抗ってくるだろうから激戦になるのは必至である。いつ帰ってくるのか不透明な中で商人が他の者と繋がりを持ってしまう可能性もある。何本か分からないぐらいの釘を刺しておかなければ信用出来ないのだ。

 直接言わないが、荒浜屋は龍兵衛の言いたいことを悟ったのか苦笑いを浮かべる。刺し過ぎて人の動きを押さえつけようとしてもそれから逃れようとしてしまいかねない。

 これ以上の話し合いはいらないだろうと龍兵衛は終了を告げる代わりに頭を下げて立ち上がる。だが、荒浜屋が止めてきた。

 

「河田様、折り入ってご相談が……」

「ん?」

「実は河田様がご考案された農具を他国の商人に……」

「見せたのか?」

「いえいえ、その、売ろうかと……」

 

 思わず身を乗り出した龍兵衛に驚いたのか荒浜屋は歯切れが悪くなる。しかし、商人の視点になると分からなくもない。あまりにも実用的な農具は高く売れることは必定。密偵などで流れている可能性もあるが、公にはしたくない。一方で荒浜屋のことも考えると無碍には出来ない。

 

「さすがに無理だが、他のものを売るのはどうだ?」

「他のもの?」

「例えば……堆肥」

 

 荒浜屋の目が点になる。呆れているのも分かる。堆肥などどこにもあるからだ。仮に売ったところで高い売り上げを得ることは出来ない。返ってくる金も往復でかかった費用を差し引いても儲けなどほとんど無い。

 

「もちろん、堆肥を持って行けとは言いません。鰯など肥料へとなるやつを売って頂きたいのです」

「……なるほど。代わりに何を仕入れると良いでしょうか?」

「侘びたものを」

 

 答えを予測していたのか荒浜屋は笑みを浮かべて「かしこまりました」と頭を下げる。

 鰯はどこでも捕れ、越後の特産でもない。むしろ他の国の方が良く捕れている為、京で売ったとしても赤字になる可能性が高い。安く売れるものに代わるものは結局安い品。

 それを侘びた品にすることで利益を上げる。

 理由として未だに織田が京と堺を牛耳っていることと山上宗二の存在が大きい。織田は相変わらず華々しさを求めているのは言うまでもない。

 一方、越後では宗二の指導の下、越後や上杉の領内では数寄の文化が広がり始めている。

 宗二の師匠である千利休の侘びを継承しつつも創意工夫を施したものだが、侘びた品を持ち込むことで宗二の評価を得た上で価格を上げ、更なる宗二好みの品を作ってもらう。

 不正であることは百も承知だが、それが上杉の為になれば良い。以前のように敵を喜ばせ、私腹を肥やす輩とは違う。

 どこが違うと景勝や兼続には指摘されるかもしれないが、国の為になる悪であれば良いと龍兵衛は思っている。

 

「宗二殿には自分から目利きの依頼を頼んでおきまする。彼女好みのものをきちっと調べておいて下さい」

「かしこまりました」

 

 

 

 

「承知致しました。私の目を信じて下さるのであればお役に立ちとうございます」

 

 龍兵衛が会談中に抱えていた不安はこの言葉で解消された。

 未だに出会ってからの日数は短いが、宗二がひたむきな性格であることを知っている龍兵衛にとってあまりよろしくない願いだったからだ。

 今の京を治めている織田から逃れてきたと言っていた為、この上ない機会と思ったのか、はたまた師匠である千利休に成長したところを見せようとしているのか。

 

「私はけして他の方に何かと思っておりません。全ては上杉と私の数寄を完成させる為です」

 

 持っていた茶碗の動きを止め、宗二を見る。構わずにどうぞと言われ、点てられた茶を飲み干す。相変わらず上手い。

 

「確かに此度の河田様と荒浜屋様の企みは感心出来ることではございません。しかし、上杉の為に金が動くのであれば我ら商人はこれを利用しない手など無いのです」

「商人として金を稼ぎ、自らの数寄を広める為の器や道具を作り出す為の費用を。ですか?」

「左様です。越後に来て以来、良くさせて頂いておりますが、そろそろ自ら動かなくてはと思いまして」

 

 無垢な笑みを浮かべる宗二に龍兵衛は苦笑いで応える。平然と汚い金を稼ごうとする目的の先にあるのは上杉の全てを自分好みのものにすること。

 目の前に人参をぶら下げられた馬ではないが、人は自分の欲に抗えないということだろう。特に金を稼ぐのが生きる道の商人にとっては。客側に立って商売をする平成の世に対して商売の為に商売をしているようだ。そもそも、宗二ら豪商の場合、相手がそれだけの金を持っているのも要因ではあるが。

 

「心ここにあらず、と顔に書いております」

 

 龍兵衛は眉を吊り上げた。普段、表情を変えない為、宗二の言い方に少し苛立ったのである。

 

「商人の欲は深いと痛感していたので」

 

 以前、宗二は茶の湯では正直さこそが良いものとされると言っていた。その通りに答えると少し目を見開き、口元を緩ませた。

 

「ええ、ですから私も河田様の企みに協力し、おこぼれを頂こうと躍起になっているのです」

 

 穏やかな口調が胡散臭さを醸し出している。龍兵衛は相手の感情を完全に読み取る程、洞察力が鋭い訳ではない。だが、宗二に確認するまでも無かったことは分かった。

 

「河田様。あらかじめ申し上げておきますと私はただ良き物が手に入ればそれだけで満足でございます」

「それでは金は二の次と?」

「どうせ金は無くなるのです。欲しいものがあればある程」

 

 寒気がした。今までの記憶に残っているものと同等ぐらいのものだ。これも記憶の中に止まり続けるのだろう。嫌なものだが、自分に欠けている何かを得る為に必要なものなのだろう。

 龍兵衛がそう思うようになったのは思っていないとやっていけないからだ。

 欲しいものの為にやっていることで面白いとも思える。単なる虐められ好きのように聞かれるかもしれない。しかし、受け入れていかなければ悩みに心が押し潰されてしまいそうだ。

 

「宗二殿、一つお尋ねしても?」

「何でしょうか?」

「悩みは受け入れるべきか、それとも、はねのけるべきか」

 

 颯馬や官兵衛にも口に出来なかったことを聞いた途端、期待が胸の内を支配した。宗二はおとがいに手を当てる。しばらくの沈黙の後、顔を上げて微笑みながら言った。

 

「分かりません」

 

 沈黙が再び訪れる。龍兵衛は黙ったまま宗二の目を見続けている。真意が分からないのだ。単純に宗二の言葉を受け取る程、馬鹿ではない。

 宗二は笑みを引っ込め、視線を自ら考案したという富士型の天命釜へと移す。笑顔ではなくなったとはいえ表情から穏やかさは無くなっていない。しかし、目は真剣そのものだ。

 宗二の意を悟った龍兵衛は目を見開いた。驚愕からではなく、愕然としたからだ。欲するものは自分で作り得なければならない。求めている解決方法は自分のちからで見つけなければならない。分かっていたことだ。受け入れたくなかった。せめて助言が欲しかっただけなのだ。一人になるような振る舞いもあえてそうすることで何か手掛かりを得ることが出来るのではと思ったからだ。

 

「……結構なお点前でした」

 

 蚊の鳴くような声で言うと龍兵衛は茶室から出た。

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