「雨は嫌だな」
「(こくこく)」
「口に出てるぞ」
兼続に指摘され、龍兵衛は肩をすくめる。自覚があって言ったのだから良いだろうと思ったが、戦前に気を緩めるなとさらに厳しく言われてしまった。張り詰め過ぎは良くないと思ってやったことだが、逆効果だったようだ。
雨になれば道はぬかるみ、足が汚れ、着ている物も濡れる。また、兵糧の食材にも限りが出てくる為、軍にとって良いところがまったくない。
「事実だ」
「口にするな。兵が聞いていたらどうする」
「誰もいないから言ったんだけどなぁ」
「ああ言えば……」
牙を向けてくるが、龍兵衛は全く気にしない。魚津城に入った上杉軍は兵を休ませ、これから始まる激戦に備えていた。奥の間で総大将の景勝や共に参戦している兼続、龍兵衛。そして、城主の斎藤朝信が戦略の確認を行っていた。
一段落付いた為、龍兵衛の言ったことは決して咎められるものではない。現に朝信は口元を緩ませて三人のやり取りを見守っている。
救いがないと悟った兼続は咳払いをすると話を戻す。
「さて……景勝様の通訳だが……」
「兼続よろしく」
「何で私が!?」
「だって面倒くさいから」
「め……!?」
素直に言ってのけたのが兼続の癇に障ったらしく、顔が赤くなってきている。逃げたいが、目的地が一緒である以上、逃げられる訳がない。
「景勝様も兼続の方が良いでしょう?」
「こくこく」
「そ、そんな……」
「お、まさか俺にやらせる腹か?」
「いえ、滅相もない!」
朝信に睨まれ、兼続は慌てて首を振る。助けを求めようとそちらを向いただけだが、からかう材料にされてしまった。
「ま、話は俺が進めるから」
笑いたくなるのを我慢して言った為か、龍兵衛は少し上擦った声になってしまった。龍兵衛の影で景勝は肩を震わせている。
「当たり前だ」
今にも噛み付いてきそうな狂犬から逃げるように景勝と龍兵衛はせかせかと軍議場へと向かう。さすがに廊下では四人も真面目な表情になる。
「此度は斎藤殿にもご尽力頂き、恐縮です」
「なに、憎い富樫を滅ぼせるなら安いこと。謙信様の為だしな。何より……俺も荷が降りて楽になる」
斎藤は一向一揆に対する備えとして魚津城でずっと動向を見守っていた。吉江や景資らの手伝いもあったが、最も苦労したのは間違いなく斎藤だ。しばらく見ない間に白髪も若干増えた気がする。
つくづく頭の下がる思いだ。関東に長くいることが出来たのも斎藤の功績が大きい。今回の戦に勝利すれば間違いなく軍功第一だ。
四人が軍議を行う部屋に入ると待っていたのは南部、最上、伊達等の面々。伊達は政宗や景綱、留守、支倉達が武田討伐に従軍している。
話としては兼続と龍兵衛で話し合った一向一揆に対する戦略についてだ。
「端的に言えば、一向一揆勢は死を恐れずに城から打って出るでしょう」
「ならば、正面からぶつかるのか?」
「いや。それはさすがに……」
鼻息を荒くしている景家を龍兵衛が諫める。説明を請け負っている為、当然のように視線が集まっているが、今のでさらに注目される。一度咳払いをすると平然を上手く装い、全員に向かって口を開く。
「一向一揆勢に正面からぶつかるのは死兵を相対すると同じ。気勢を削いで行くことが必要です」
「伏兵による奇襲か?」
弥太郎の問いに龍兵衛は頷く。今後の為には効率的な勝ち方をしなければならない。
「小島殿、伊達軍と共に先鋒として前線の指揮をお願い致します」
「分かった」
「最上殿は松倉城へ。斎藤殿を大将として向かわせますので。睨みをきかせるだけで良いです。落とせるならば落としても構いません」
「相分かった」
陣の中に緩みはない。どれだけ痛い目に遭ってきたのか十分によく分かっている。恐れていることがある。それに関しては皆が重々承知している為、言うまでもない。
富山城には主力を、松倉城にはそれに次ぐ戦力を置いている筈だから援軍さえ押さえ込めば良い。相手が死を恐れないのであれば序戦で勝つか負けるかはかなり大きい。なるべく犠牲を少なくしてという条件付きでだが。
「直ちに準備に入ってくれ、と景勝様は言っておられる。諸将よろしくお願い致す」
去って行く将の背中を見届け、上杉の面々も各々腰を上げる。
「はたして富樫はこちらの思惑通り動くかな?」
「どうでしょう……」
「随分弱気だな」
斎藤は少し目を見開いて龍兵衛を見る。実際、龍兵衛に富樫の動きが分かる筈がない。攻める機会はいつでもあった。しかし、全く気配を見せずに静観していた。
全くの失策である。特に関東攻めの際は上杉の主力がほぼ出払っていた。西の織田も浅井、朝倉を滅ぼしたばかりですぐには北上しないにもかかわらずだ。まともにぶつかり合って勝ったとしても被害が大きくなるのは明らかだ。
あえてそうした訳はどこにあるのだろうか。もし、上杉と正々堂々とした決着を望んでいるのではないか。
馬鹿馬鹿しい。自分の利益の為なら手段を選ばないあの富樫がそのような考えを持つ筈がない。
「どうした?」
景勝に声をかけられたおかげで龍兵衛は自分だけが取り残されそうになっていたことを知る。
「兼続。後で少し良いか?」
「ああ、構わない」
兼続も神妙な顔付きに隠された心情を悟ったようだ。おそらく同じことを頭の片隅に置いてあるだろう。真意など分からないが、それを探ってみることでそれなりに有利になるかもしれない。
景勝を斎藤に任せると兼続を一室に呼び、悩んでいたことを包み隠さずに話す。少し考え込むように目を瞑り、開くとはっきりと言った。
「富樫については分からん」
「そうきたか……」
「事実、お前が富樫を見るべきだろう?」
富樫に対する戦略や情報収集については龍兵衛が行っている。兼続の言うことは正論だが、あえて違うところからの意見も聞きたかったのだ。
「まぁ、お前の言いたいことも分かるがな。私とて富樫の立場なら関東に出張っている間に攻め入っている」
「だよな……だから分からん」
「分かりたくないがな」
「そうは言ってられんよ」
吐き捨てる兼続の物言いは上杉の、富樫に恨みを持つ者の気持ちを代弁している。娘の長住を奪われた神保長職、紛いなりにも養父を殺された寺島盛徳。他にも上杉が富樫の支配から逃れた者を厚遇していると知った者達が流れてきている。
この戦はいい加減、流民を抱え込むことが難しくなった為、彼等を故郷へと返す目的もあった。
「富樫の統治はどうなのだ?」
「相も変わらず、圧政圧政で、国は疲弊している。搾れるだけ搾り取って駄目と分かればさよならだ」
「それでも国としてやっていけるのは流石だな」
兼続の皮肉は部屋の重苦しさを若干和らげた。
「無駄に国は豊かだからな」
富樫の本国である加賀はもちろん、能登や越中は越後よりも豊かだ。正直なところ一向一揆の本拠地でなければすぐにでも欲しかった。東北は取ったところで農業は出来る範囲でしか拡張出来ないし、場所も限られる。商業的な価値の方が大きい。
農業による経済的基盤が欲しい。越後も改革によってだいぶ変わったが、さらなる盤石な農業地が欲しい。
「餓えているな」
「土地にな」
「……なぁ、一つ聞いていいか? どうしてそこまで農地にこだわる? 商いでも十分やっていけているだろう」
「鉱山のおかげでな」
水を差す返答に兼続の眉間の皺が深くなる。越後は全領域を豊穣な農地にしようとする龍兵衛の施策によって徐々に重農主義が強くなっている。当然のようにこれに反発する保守と商人がいる。
「反発する連中は米によってもたらせる商いを知らないだけだ」
「説明したのか?」
「根拠も無い推論で反発だよ」
龍兵衛は侮蔑するように鼻で笑ってみせる。だが、次に放った言葉で部屋の空気が一気に変わった。
「鉱山のことだが。はっきり言えば、いつか枯れる」
兼続の目つきが一層険しくなった。保守的な派閥からは距離を取っているとはいえ、形式的なことに関しては伝統を重んじる為、長らく越後と佐渡の支えとなっていた金山をはっきり駄目と言われて、面白くないのだろう。
佐渡金山が枯れたのは二十世紀のことだから正直心配しなくても全然良い。知っていてもあえてそう言ったのは龍兵衛なりに重商主義よりも重農主義の方が良いと考えを持っているからだ。
「もちろん、金銀銅、取れる山はまだまだある。だが、あれらを金に変えても代わりとなるものがなければ意味がない」
「だからこそ、農業か……」
商人とは金を扱い、利益を得ようとする為、差別の対象となる。兼続も例に漏れずだが、彼らの重要性はよくよく分かっている。龍兵衛の考えには賛同するところもあるだろう。しかし、全面的にとなれば違うはずだ。
「ま、今までこんなことしてこなかったからな。反発が出るのも分かる」
「だが、お前は越後の中での反発はなるべく避けようとしている」
「お見通しか」
「だからこそ、越中、加賀、能登を欲すると」
兼続とてこの三国の豊かさを知っている。未だに重商主義の根強い越後で完全な改革の完成を目指すよりも他国であろうと重農主義が可能な国で行う方が効率的だ。いずれ、上杉の直轄地となるならば、そこで商業と農業の中和を図った方が良い。
それで経済と市場が拡大するなら、なお良いことだ。龍兵衛は口元を歪ませながら大きく二度頷く。
「はたして此度で万事終わるだろうか……」
「終わらせないと」
「やはりな」
織田が西国の本願寺との決着を付けそうになっている。ここで一向一揆を弱体させただけでは横取りされてしまいかねない。だから、本願寺の降伏前に上杉は動いたのだ。
兼続は長く息を吐く。しかし、龍兵衛にそれを見ている余裕はなかった。富国強兵は経済が富み、人々の暮らしが豊かになってこそ成り立つ。
農業と商業の安定こそが軍事に繋がるのだ。上杉の場合、それを行っている暇などなかった。武田が軍を編成している間に勢力を拡大しなければならなかった為、国内のことと外征を同時に行わなければならない状況下であった。
必然的に国の経済を逼迫させているが、破産せずに済んでいるのは商いによる莫大な財産があるからに他ならない。目の上のたんこぶを取り除き、万全を期して西国に向かいたい。
その為、大義名分上、有利に動きたいが、一向一揆は本願寺に属している為、上杉は将軍家に刃を向けていると捉えられかねない。織田を倒す為とはいえその先のことを考えているような者など少ない。
「幕府からの弾劾状は織田のせいで消えたから俺達でどうにかしないとな」
「義昭様は、我らを頼らずに毛利を頼ったようだな」
「こちらに来るには織田の領内を通らなければならない。吉江殿が救出を願ったが、殺されることはないからな」
「たしかにそうだが……」
将軍を保護することで、どれほど優位に立つのか。分かりきっているからこそ得るべきものは得ておきたかった。兼続からその気持ちがよく伝わる。
「万一に備え、密書を送るようにはした。ま、どうにかなるさ……いずれにせよ、この戦で一向一揆を完全に滅ぼさないと駄目だ」
集中すべきはそこだ。将軍が毛利を頼ったことで織田の西国への集中は増したと言って良い。何だかんだで力無き将軍も名前だけは一丁前だからだ。
「そうだな。ところで、富樫の動向はどれほど掴んでいる?」
「晴貞自身はまだ尾山にいるらしい。越中は椎名が守ってるみたいだな」
「城の普請を大分行っているようだが?」
「籠城された時はその時だ。内側から崩しても良いし、周りの城を徹底的に落として丸裸にしてやれば良い」
言葉を随分選んだ方だ。冷酷に言えば如何なる犠牲を払ってでも一向一揆に引導を渡さなければならない。
兼続にもその思いが伝わったのか、厳しい視線を向けられる。やむを得ないのだから我慢して欲しい。そう言うと龍兵衛は兼続の言葉を待たずに立ち上がり、部屋を出た。
魚津城を出た上杉軍は斎藤率いる別働隊と別れ、海沿いの道を通り、富山城へと向かった。途中、小出と鶯野を落としたが、一向一揆の反抗はさほど激しいものではなかった。
途中、雨が徐々に強まってきた為、行軍は予定よりも遅れてしまったが、ほぼ予想通りといったところだった。もちろん、一向一揆も黙っているはずがない。そろそろ本腰を入れてくるだろう。そう思っていた矢先、伝令が飛び込んできた。
「敵軍、新庄城の東にて我らを待ち構えている由」
「きたか……」
新庄城辺りでの迎撃は龍兵衛、兼続共に一致していた。籠城はおそらくここで負けてからの次善の戦略。
「数は?」
「三万かと」
「随分、多いな。寄せ集めか?」
「そりゃあ、国内の精鋭を使いたくないんだろ」
大事なものは全部自分の懐へと閉まい込んで、後のことは使える外様に丸投げ。上杉も似たようなことをしているが、明確な目的がある為、外様は分かっていても付いて来る。一向一揆の場合、上のことを崇拝している連中ばかりの為、似たようなものだ。
「気分が悪いな」
「向こうはこっちと違って何考えてるか分からないからな」
考えていることがはっきりしているからこそ、皆は付いて来るのだ。あくまでも普通の人がだが。
「どうする?」
「とにかく、景勝様と相談だ。お前が皆に伝える役だからな」
盛大な舌打ちと後で覚えておけという兼続の顔に龍兵衛は笑いを堪えられなかった。
残念ながら雨のせいで凍るような手の体温は全く上がらなかった。代わりに陣屋で何故か猿に頬を叩かれたので微妙に暖かくなったが。