上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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屍の意味

 綱元は声で制された。驚いて振り返るとおぼつかない足取りで弥太郎が前に出てくる。

 

「その必要は、無い……」

「されど、その怪我では……」

 

 近付こうとした綱元に弥太郎は殺気立った目で睨む。まさか味方からそのような目をされるとは思っていなかった綱元は一瞬、足を止める。だが、足を引きずって前に出ようとする弥太郎を見て、慌てて駆け寄った。

 

「小島殿、このままでは……!」

「良い……どうせ、助からん……ならば、最期に死に花を、咲かせに……」

「ですが……」

 

 綱元はこちらに向かってくる一向一揆を見る。あの中に弥太郎が入れば命はもちろん、死体を無事に回収出来るかも分からない。滅多刺しにされ、見るも無惨な形になっているだろう。仕える家は違えども、仲間である。

 せめて、綺麗な亡骸であってほしい。

 それが武人として思う、精一杯の誠意だ。しかし、弥太郎は痛みに耐えるように歯を食いしばって、綱元を見る。

 

「一度、受けた大恩を返さずに何が武人だ!」

 

 一喝は綱元よりも長く武人を務めた弥太郎の正しくその姿だった。弥太郎が裸一貫から武勇を以てのし上がったのは知っている。

 一向一揆の兵の一団が声に気付いて将がいると群がってくる。防ぐように綱元が命じたが、勢いでは完全に押されている。突破されるのも時間の問題だ。

 

「助からないのは私がよく分かっている……」

 

 上手く笑ってみせたつもりだろうが、綱元には弥太郎が外道な鬼の笑みにしか見えなかった。血肉に飢えた笑みは正に鬼小島の異名のそれだった。

 弥太郎は全身で深く息を吸うと伊達の兵をかき分け、飛び越え、敵の前に立ちはだかった。

 

「お戻り下さ……」

「我こそは上杉が鬼! 小島弥太郎貞興! 地獄への道連れとなりたい者から前に出ろ!!」

 

 誰かが声をかけようとしたが、弥太郎の声にかき消された。

 

『おぉぉおおぉ!!』

 

 元から作法など微塵にもない一向一揆に名乗りなどただ行方を知らせる情報にしか過ぎない。将がいると分かるや、雄叫びを上げてがむしゃらに弥太郎へと突っ込んでくる。

 弥太郎が槍を振るえば、大量の血が舞った。綱元にはっきりと見えなかったが、おそらく弥太郎自身の血もそこには含まれているのだろう。

 そう思いながら弥太郎の戦ぶりを見ていると右肩が急に重くなった。左月が手を置いているのだ。 

 

「気が、変わった……」

「父上……」

「綱元。武人ならば分かるだろう……如何なる戦も、勝たねば……気が済まん……」

 

 分かりたくない。しかし、この状況では左月の申し出を引き受けるのが最適解だということを理性が嫌でも教えてくる。だから、必死に綱元は説得を試みる。

 

「されど、この戦は……」

「緒戦に過ぎぬ……最後に勝てばそれで良い」

「なら……」

「普通の敵であれば、な……」

 

 武人なら死を恐れない者の勢いの怖さをよく知っている。彼らはここで勝ち、さらに勢いをつけるだろう。それを挫く為に挑んだ戦だが、結果的に、もう敗戦をひっくり返すことは出来なさそうだ。

 

「それでも、鬼庭の人間か!」

 

 悔しそうに唇を噛む綱元を見て、左月は小さく、強い口調で激を飛ばす。はっと綱元は顔を引き締める。自分は誇りを高い家に生まれ、それに恥じないよう生きてきた。考えればたかだか一人、一族が死ぬというだけだ。

 

「けりを付けるのはお前だ。頼むぞ……」

 

 綱元の肩を二度叩くと左月は道を塞ぐ兵達を振り払い、駆け出して行った。弥太郎とは違い、名乗りを上げずに次々と敵を斬って行く。弥太郎と合流しようとしているのだろう。

 

「綱元様、このままでは左月様が……!」

「分かってる! 仕方ない……援護射撃をして」

 

 退かせろと言わなかったのに綱元は後世、自分で自分を褒めてやりたいと言った。感情を押し殺せたことだけではなく、将として勝つことに重きを置けたからだ。しかし、気が気でないことに変わりない。

 

「どうすれば……」

 

 左月も弥太郎に続いて得物を音が鳴る程強く握り、前へと駆け出す。血の量は弥太郎よりも少ないが、放っておけるような傷ではない。

 

「良いのか?」

 

 二人は自ずと背中を合わせた。一向一揆はじりじりと距離を縮めてくる。弥太郎の言葉に愚問だと左月は鼻で笑った。

 

「武人たる者、戦場に華を咲かさずに何とする?」

「そうだな……」

 

 互いに口元を歪ませると一向一揆勢へ突撃をかける。何事かと構える敵の前で一度足を止め、弥太郎は息を深く吸う。

 

「来い! 地獄への道連れだ!」

 

 二人はそれを合図に一気に敵の群れの中へと斬り込む。いかに命知らずとはいえ、二人の歴戦の将の動きに付いていける筈もなかった。最前線にいた兵は次々と餌食となり、慌てて迎え撃とうとした者達も相手にならない。

 だが、二人共に手負い。時間は有限である。にもかかわらず、上杉は全く撤退する気配がない。このままでは本当に壊滅してしまう。左月が苛ついている間にも敵はさらに押し迫ってくる。

 

「綱元ー!」

 

 遅い。未だに揺らいでいるとは何事か。やはりまだ若いのだろう。ならば背中を押してやるのが年長者として、父としてすべきことだ。

 心に強く伝わる。綱元は腹をくくった。すべては伊達の為、鬼庭の為。深く息を吸うと大きく口を開いた。

 

「鉄砲隊、構えー!」

「さえちゃん……」

 

 普段、一番槍を務める成実は今回だけ、輝宗の命で伊達本陣の警護を行っていた。

 すがるような声に綱元は一瞬だけ奥歯を強く噛み締めたが、すぐに目を見開いて刀を敵へと向けて振り下ろす。

 

「放てー!!」

 

 弥太郎と左月の合間を縫うように鉛弾が次々と一向一揆勢の身体を収まっていく。もちろん、一兵卒に二人を避けて狙う程の技量を持っている者などいない。

 誰もが当てようなど思っていない為、直撃することはないが、かすめていくのが分かる。元から傷を負っている二人にとって普段なら気にならないかすり傷も死への階段を確実に近付ける。

 

「っ……」

 

 目を逸らしたい。しかし、将としての役目を全うしなければならない。怒りと虚しさと後悔で滅茶苦茶になる心に無理やり火を付け、叫ぶ。

 

「続けて弾込めの出来た者、直ちに構え! 一斉に放て!」

 

 綱元の口の中から血の味がしだした。噛み締めた唇に傷が付き、千切れそうなぐらいだ。

 

「騎馬は前へ! 一度蹴散らしたら撤退する!」

「綱元様、されどこのまま左月様達を……」

「今はもう撤退しないと、皆死ぬよ」

 

 綱元は顔を上げ、声を上げる。黙っていれば成実も加わってますますやりにくくなっただろう。

 

「騎馬隊、一気に蹴散らせ!」

 

 指示通り、騎馬が一向一揆の歩兵達に突っ込んでいく。敵は躊躇わずに騎馬へ攻撃を仕掛けてくるが、馬の脚に人が適う筈もなく、蹴飛ばされていく。馬に攻撃が当たっても、馬が暴れ出し、乗っていた兵だけでなく自軍にも被害を及ぼしている。

 このままなら形成を逆転できそうだが、そろそろ圓光寺の援軍がそろそろ完全に合流し、包囲されそうだ。そして、あの二人も限界を向かえようとしている。

 

「……全軍! 撤退だ! ただ、疾く駆けよ!」

 

 その声を合図に伊達の兵達は一斉に退き始めた。中には弥太郎と左月を案じて足を止めて、振り返ろうとした者もいたが、敵から放たれた矢の餌食になるか、味方に踏み潰されるかのどちらだった。

 綱元もまたここまで撤退で混乱状態になると思っていなかったので、危うく愛馬の手綱を握り損なうところだった。

 

「輝宗様は!?」

「既に上杉軍と合流した模様!」

 

 一つ安心した。万が一何かあれば後で政宗から何を言われるか分からない。胴を蹴ろうと力を込めた瞬間、轡を持たれた。

 

「さえちゃん、本当に良いの!?」

「……」

 

 何がとは聞かない。あの二人は無数の兵相手にいつまでも立ち向かっている。成実は心からあの二人を助けたいと思っている。それは綱元も同じだ。

 

「……撤退するよ」 

 

 成実の顔が引きつっている。綱元自身、背中が凍ったぐらいに冷淡に言えた気がする。ただ、将として悲しんでいられないという思いから感情を押し殺しただけだ。

 成実や他の者からもしかすると避難されるかもしれない。しかし、今この状況下で他にどのような態度をすれば良いのか分かない。

 後で敬愛する父に謝らなければならないだろう。鬼庭が真の鬼のような所業をしたと。しかし、どうやって伝えるべきか。

 否、父はきっと撤退する綱元の背中を見て笑っている。振り返らなくても分かる。声にしていないか聞こえないだけか分からないが、流石は鬼庭の人間よと言っているに違いない。

 

「上杉様より伝令! 仏生寺城まで撤退するとのこと!」

「分かった! 白岩川沿いに兵を集めてまとまって退くぞ!」

 

 今ここで悲嘆にくれる暇などない。泣くのは全て終わってからだ。

 

 

 重苦しい空気だ。輝宗は報告をしている綱元の隣で周りの様子を見ている。兼続は戦略を立てた責任故か、唇を噛んでいる。隣にいる龍兵衛は変わらず表情が読めない。憤っているのか、冷静に今後のことを考えているのか。

 

「申し訳ございませぬ。私が不甲斐ないばかりに、父の左月ばかりでなく、小島殿まで」

「……」

 

 景勝は黙ってしまった。父の死を目の当たりにしても淡々と報告する綱元を哀れに思ったのだろう。しかし、それではますます綱元の心に悲しみを与えてしまう。

 

「輝宗殿、伊達の損害は?」

 

 龍兵衛が口を挟んでくれた。安堵しつつ、表情には出さずに輝宗は答える。

 

「全軍で五百から八百だと。負傷した者を加えるとさらに増えるが」

「……ありがとうございます」

 

 礼を言うと龍兵衛は景勝の方を向く。

 

「景勝様、此度の戦、各隊の連携が上手く取れていなかったと思われます。伊達殿には先鋒より第二陣に下がって頂き……」

「えっ、ちょっと!」

「何ですか? 伊達成実殿?」

「いや、だって……」

「承知致した」

 

 輝宗が間に入るように口を開く。景勝も兼続も驚いていないところを見るとおそらく決まっていたことだ。龍兵衛の一存ならともかく、上杉軍の意ならそれに逆らうことは出来ない。

 成実は悔しそうに龍兵衛を睨みつけているが、当の本人はどこ吹く風と無視している。輝宗も悔しいが、ここで伊達の面目をさらに潰すような真似は若い者達の今後に繋がる。左月とてそのようなことは望んでいない。

 

「代わりに、最上殿に先鋒を務めて頂きます」

「うむ。承知した」

 

 東北のもう一つの大勢力である最上に功を与える機会をみすみす譲ってしまった。伊達の者からはそのような悪い空気が流れてきたが、輝宗は最上という起用に意外だと思った。てっきり安東が先の戦で伊達を救援しなかったことで、その挽回の機を与えると思っていたからだ。現に、安東愛季は兼続を通じて景勝から叱責を受けていた。

 安東を見ると下を俯き、心底反省していると態度で示している。彼女は撤退したことを自らの判断と言っていたが、そのような性格だろうか。家臣が独断を行うような生ぬるい集団でもない。おそらく、誰かの差し金があったのだろう。

 

「……」

「次こそ、新庄を取り、越中の民を救う! と景勝は言っておられる」

『御意』

 

 話は以上と景勝が立ち上がると各々行動に移る。

 

「綱元、成実。お前達は兵を見て回ってくれ。綱元、すまぬが、今は左月を弔っている時ではない」

「分かっています。戦が終わるまでそのつもりでした」

 

 よく出来た娘を左月は持ったものだ。これなら安心してあの世へ行けるだろう。亡くなったばかりでそれは不謹慎だったかもしれない。今の状況を考えるとそうは言っていられないが。成実は今にも泣きそうなのを必死に堪えている。

 

「輝宗様は?」

「俺はちょっと会いに行かねばならん者がいる。すぐに戻る故、頼むぞ」

 

 輝宗は二人と別れ、あちらこちらを探し、ようやく兵糧を置いてある場所に目的の人物を見つけた。

 

「河田殿」

「これは、輝宗殿」

 

 礼儀正しく龍兵衛は腰を折る。

 

「此度は、無念であったな」

「ええ、悔しいですね」

 

 口調が変わらない。公然ではないこの場でも感情が外に出ないのだろうか。以前、景綱が一度、公の場を離れれば龍兵衛は表情豊かになると言っていたのは間違いなのか。

 否、あの景綱が偽りの報告をするようなことはないし、不覚を取るとは思えない。ならば、見ない間に変わったということだろうか。伊達の人間だから隙を見せないようにしているのかもしれない。

 

「小島殿の亡骸は」

「見つかりません。恐らく探しても無駄でしょう。もう仕方ありませんので」

 

 まるで死んだことが当たり前と言っているようだ。だが、輝宗も自然と納得してしまう。人間はいずれ死ぬのだ。それが戦場であっただけのこと。龍兵衛はそう思っている。

 

「達観しているな。若いのに」

「単に死ぬことを見ていると遠い人でも近い人でも変わらないと思って……ただ、それだけです」

「人の死とは受け入れ難いものだ。それを河田殿はすぐに受け入れた。俺にもなかなか出来んことだ」

「買い被りというものです。これでも、かなり残念だとおもっているのですよ」

「残念とな……まるで駒を失ったような物言いだな」

 

 少し考えたが、輝宗は単刀直入な言葉を選んだ。龍兵衛を試そうと、これでどのような反応を見せるかという老獪な好奇心と共に。

 だが、龍兵衛は肩をすくめて何も言わない。さすがに輝宗も予想外だった。どこか体に反応を見せると思っていたが、眉一つ動かさない。

 

「少し言葉を選ぶべきでした。左月殿のこともあるにもかかわらず、申し訳ありません」

「いや、気にすることはない。だが、俺以外の者に言うなよ」

「もちろんです」

 

 さすがにその辺りはわきまえているようだ。思い返せば龍兵衛とこうして長く話したのは初めてかもしれない。

 無愛想で、勘違いされやすいだろう。おそらく、先入観からなかなか信用されることがない部類の人物だ。

 

「何か……?」

「いや、何でもない。ところで、聞きにくいことを一つ尋ねても良いか?」

「自分でよろしければ」 

「我らは上杉に警戒されているのか?」

 

 龍兵衛の目が一瞬だけ細くなった。輝宗は先の戦いにて上杉の救援に違和感を覚えていた。弥太郎の部隊以外の上杉の将兵が全く来なかったのだ。普段の上杉の動きの速さを考えれば弥太郎の救援は当たり前。しかし、他の部隊が付いて来ないのはおかしい。

 そうなると考えられるのはただ一つしかない。誰かが意図的に救援を遅らせた。

 

「急に言われても、困るというか、驚くというか……」

「まぁ、そうだよな。しかし、聞いておきたい」

「そうですね……」

 

 龍兵衛は少し考えるような素振りを見せ、すぐにそうだと頷いた。

 

「やはりか……」

「察していらっしゃるのはこのようなことを聞いてきた時点で分かっております」

「だろうな。いや、すまない。変なことを聞いて」

 

 とんでもないと龍兵衛は頭を下げ、振り返る。しかし、輝宗が聞きたかったのはそれだけではない。これからが本題だ。

 

「もう一つ、良いか?」

「何でしょう?」

 

 龍兵衛は足を止め、こちらの目をしっかり見てくる。性格がどうであれ、人が出来ている。

 

「小島殿と左月。二人が討たれたことは如何に思う?」

「え?」

「いや、先程のとは意味が違う」

 

 そうだなと迷いながら、輝宗は龍兵衛に近付き、耳打ちをする。

 

「戦略的になどは抜きにして、人として小島殿が討たれたことは如何に思う?」

「先程も申した通りです」

 

 はっきりとした物言いが輝宗に確信を抱かせた。龍兵衛は裏に何かを隠している。決して弥太郎が死んで嬉しいという邪悪なものではない、道徳的な思いを抱いている。

 

「死ぬことに意味があるような気がするだけです。かな?」

「はい……?」

 

 輝宗は温和な笑みを浮かべ、何でもないと肩を叩くとその場を去った。

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