「終わったか?」
「ああ、大体のところは」
新庄城の一室で兼続が龍兵衛を迎え入れてくれた。やっとだと息を一つ吐くと彼は持っていた書状を兼続に渡す。
「上手くいったか?」
「どうにかな。後はあちらの勇気の問題だ」
「しかし、本当に必要なものなのか?」
「無くても良いけど、確実に行うべきだろ」
書状を読みながら確かにと兼続は頷く。
「越中で戸惑う訳にはいかないからな」
先の戦で弥太郎を失ったのは上杉にとってかなりの痛手だった。単調な攻めも原因があると考えた龍兵衛は圓光寺に奇襲をかけ、機能出来なくした。その間に兼続が新庄城城外の兵を先鋒の最上に引き付けさせ、安東に迂回させて新庄城を襲わせた。
平城である為、かなり危険な賭けだったが、一向一揆は簡単に崩れた。先の見事な戦振りが嘘のように。
「結論からすれば一向一揆の団結力は正攻法に強く、奇に弱いということだな」
「おそらくな」
「何だ? まだ分からないところでもあるのか?」
兼続には龍兵衛の口調が少し弱気になっているように聞こえたようだ。
「いや、そうじゃなくて……何か違和感があるというか……」
「確かにそれについては否定しない。だが、越中で足をいつまでも止めておく訳にもいかないだろう」
「そうだが、少し兵の疲弊も考えなければ」
最上はあちこちを動き回り、かなり疲弊しているはずだ。さすがに次の戦でも先鋒を務めさせる訳にはいかない。
「安東には美味しいところを頼んだし、これでまた伊達に任じることになるだろうな」
「こうなることを見通していたのか……」
「呆れるなよ。正直、最初に負けたのは予想外だったんだからな」
「ま、そういうことにしてやろう」
「ひどい……」
泣き崩れる素振りを見せても兼続は白い目をむけてくるだけ。結局、伊達は新庄城を攻め落とした戦では最上の城攻めを支援しただけで、目立った功を立てることは出来なかった。
城主も安東が自ら討ち取り、囮に乗った者も最上が討った。伊達だけがおこぼれの雑魚を倒しただけで、めぼしいものは無かった。
先の戦のことがあるとはいえ、功を立てる場を奪われた不満と上杉に対する不信感があるのは間違いない。次の戦を挽回の機会に与えれば全てよしとまではいかないが、それなりには得心してくれるはずだ。
「それで、要所の富山城はどうするのだ?」
「力攻めは効かない。失敗すれば肝心の加賀入りの時に苦労するからな」
「ならば、内から崩すか……その辺りのことはお前の役目だからな」
「面倒で嫌なこと、今回お前は触れないな」
「私は景勝様のお側にいなければならん。それは諸将
に伝達すべきことを回したり、戦略を練ることにもなる。つまり、お前が悪い」
わざわざ表情だけでなく、口にも出して言うところに兼続の意地の悪さを感じる。押しつけたのは龍兵衛に違いないので、自業自得といえばそうだが、ちょっとは手伝えというのが本心である。
「あーそうですよ。自分が悪う御座いました」
両手を挙げて参ったと示す。兼続もさすがに切羽詰まっているのを見れば手伝ってくれる。そうしないのはまだ龍兵衛だけで十分だからだ。
簡単に敗北宣言をすると空気を変えるべく、龍兵衛は一つ咳払いをする。
「それにしても、大元の将が逃げてしまうとはな」
新庄城を落とした際、伊達もそうだが、上杉も大将を討とうと躍起になって城中を探した。
隠れそうな所を隅々まで探し、駄目元で敵兵を捕らえ、吐かせようとした。結局彼らは「殺せ」としか言わなかった。
「跡形も無く消えたところを見ると早々に諦めたということか」
上杉も最後に乗り込んだが、総大将がいるであろう城の奥には雑兵しかいなかった。将らしき屍も各地に散らかっていたが、どう見ても貧弱そうでよく人を指示する立場が務まっていたなと思える風貌の者ばかりだった。
「ああ、あれらを盾にしてな」
人は見かけによらないと言うが、倒れ方が皆、背中を向けて倒れていた。結局、負けると分かれば生存本能というのが働くのだろうか。哀れだが、兵として立ち向かってきた以上、倒すのが必然だ。
「生きるべくして生きたのか。死ぬのが逃げ帰ったのか。どっちだろうな」
「私はそいつが生きる価値があるからこそ逃げたのだと思うがな」
「……なぁ、一ついいか?」
手を挙げ、兼続を制する。
「何だ?」
「お前、どうして富樫と今回の新庄で采配していた奴が違うって知ってるんだ?」
「えっ?」
「俺は一言も富樫がいないとは言っていない。お前は確かに俺同様、越後より西のことを任されている。だがな、専ら京のことのはずだ」
「さぁ、お前のところに情報が集まらなかっただけではないか?」
鼻で笑われたが、龍兵衛にふざけるつもりはない。机を一つ叩くと兼続に近付く。何だと睨んでくるが、構わずに片手を置いて顔を近付ける。
「何を隠している?」
「隠している?」
「お前のことだから内通を誘われてもそれを利用する。しかし、一人でやるのは難しいと分かっている」
何を言っているのだと訝しげな目を向けてくる。だが、少しだけ兼続の口元が歪んだ。笑っているのではない。横目で兼続の表情の動きを見逃さず、悟った。
一度離れ、周りを確認する。気配はない。いれば既に兼続の方が気付いている。意を決したように目を見開くともう一度耳打ちをする。先程よりも切迫した口調で。
「誰が俺を貶めようとしている?」
情報をわざと龍兵衛へと届かないようにして、責任を取らせるつもりだろう。まだ自分のことを快く思っていない者がいるのだ。心当たりとすれば鮎川がまた反骨心を抱いたのだろうか。だが、それで兼続が関与する理由が無い。
つまり、兼続が関与せざるを得ないほどに大きな動きが起きているということだ。
知らなければ、龍兵衛はこのまま失脚する。それは許されない。上杉で居場所を失えば次はどこに向かえば良い。一度は大きな内乱の要因を作った張本人として罵られた。
わざわざ火種を抱え込む面白い大名がいるとは思えない。それこそ上杉が東国の大半を席巻している以上、西国まで向かわなければならない。
「頼む。教えてくれないか?」
すがるように兼続に迫る。だが、彼女の目は冷たかった。
「無理だ」
茫然自失。とまではいかないものの、龍兵衛はその場で固まった。
「……表情ぐらい今は変えても良いだろう」
いつもと違う、冗談めかしではない嫌味を言って、陣幕を出て行く兼続を止める気にもなれない。しかし、兼続が出ようとした時、一瞬だけ立ち止まったのを見逃さなかった。
こちらを振り返ろうとして止めると拳を強く握り締めた。が、すぐに自然体に戻り、静かに陣幕から出て行った。
「そういうことか……」
兼続が与えてくれたものは龍兵衛には十分過ぎるほどよく伝わった。
元から分かっていたのは謙信と景勝は絶対に関係していないことぐらいだった。兼続ほど心を許した人に対して嘘をつかない者が口にしないということはそれほどの影が動いている証。
彼女を脅せるほどの力と地位がある人物など自ずと限られてくる。龍兵衛は脳裏で複数の人を思い浮かべ、すぐに誰なのか確信した。しかし、その人物を敵に回すのは龍兵衛も非常に面倒なことになる。
「確証も無いし、下手に向こうから手を出すこともなければ、こっちから動くのも難しい……か」
書状をしまうと龍兵衛は外へ出る。これはこの戦でも言えることだ。
東越中から一向一揆は撤退した。上杉も被害は出したが、このまま進めると判断した景勝は越後に援軍を要請しつつも一気に敵の本国である加賀へと足を踏み入れることになる。
いよいよ一向一揆は精鋭中の精鋭をそろえてくる。しかも、兼続の見立てだと富樫とは別の戦での切れ者がいる。
もちろん、能登の勢力も数だけでは馬鹿にならない。
「ま、その前に富山城だが」
軽く龍兵衛は頬を打つ。富山は街道を北陸街道と飛騨街道が交わる越中の要所、西を押さえるには絶対に必要な城である。
とはいえ、かの城を築いたのはこちらにいる神保長職で、彼のおかげで落とす目処は既に立っている。
だが、神保をしてもどうしても攻略出来ないことが一つあった。勝興寺と瑞泉寺である。富樫の後押しもあって越中で最大勢力とうたわれるまでになった二つの寺が富山城を防衛するため、動くのは必至。
「さーてと、内にも外にも脅威が迫ってるな」
他人事のように呟くが、決して余裕があるのではない。苦し紛れだ。
切実に味方が欲しい。だが、上杉の中にある派閥は決して表立つことはない。
今までは上田長尾や新発田、鮎川がいたおかげで上杉の心から仕えている直臣の間では彼らをどうにかしなければという思いが一致していた。しかし、皮肉にも彼らの弱体化が内部の動きを平穏にさせると共に狂わせた。
外様の颯馬や龍兵衛に対する嫉妬を抱いている者も少なくない。颯馬は謙信との仲がある為、おいそれと失脚を目論むことは出来ない。
だからこそ龍兵衛なのだ。頭角を現している中で外様かつ若く、過去に黒いものがある。格好材料がここまで揃っているのだから仕方ない。
しかし、と内心で首を捻る。上杉の上層部とも言える人はそういったことを望まないはず。
そして、兼続はどこでそれを知ったのか。自ら首を突っ込むようなことは絶対にない。
(いつ知ったんだ……)
一切、龍兵衛のことについて知らない素振りを見せつつ、ここまで兼続が今まで通り付き合ってきたのはさすがとしか言えない。
とにかく龍兵衛には確認しなければならないことが多くある。
「段蔵」
「なに?」
「呑気だな」
「今は暇だから」
段蔵はいきなり気配を現したと思えば緊張感が全く無い。
「俺のところに情報が入ってこないのは何故だ?」
「知らないよ。あたしは書状を書いて送ってるだけなんだから」
「何か変わったところとかは?」
「別に……無い」
普段と変わらない素っ気ない返事だ。
「本当にか?」
「そんな風に睨まないでよ。あたしが隠したところで何になるのさ」
段蔵の直接的な上司は龍兵衛である。忍びは忠実であることが求められ、主には決して嘘偽りを言ってはならない。
思いっきり伸びをすると段蔵は龍兵衛の前に出る。
「何があったのか知らないけど、もっとしゃんとしなって」
「元気だね」
「うん。そりゃあ、やり甲斐があるもの」
加賀の情報はなかなか集まらない。それだけ警戒されている。食い破って得た情報は忍びにとっての誇りとなる。楽しそうな段蔵には呆れてしまう。
「じゃ、頑張って加賀のこと頼むぞ」
「あいよ」
すぐに気配が消えた。どうやら段蔵は本当に知らないらしい。そうなると次に聞くべき相手は一人しかいない。
どうやって切り出すべきか。今ここにはいない以上、時間は全然ある。
「今は目の前の戦に目を向けるべきじゃ」
「景資殿、どうして……」
「心ここにあらず、とすぐに分かった」
表情に出ていたかと強く頬を叩く。だが、景資の驚いた様子を見ると、どうやら違うようだ。
「お主の心持ちが伝わってきたのじゃ」
さすがとしか言いようがない。どうやら自分の鉄仮面は崩れていないようだ。
「何か用がある訳ではないのですね?」
「うむ。たまたま通りかかっただけじゃ。ま、そろそろ妾も先陣の誉れを欲する時ではあるがの」
「ま、加賀に入ったら善処しときます」
「ならば、越中を早う平定せねばな」
景資は口の片端を吊り上げる。激戦がこれからも続くであろうというのにそれを楽しんでいる。
到底分かりたくない。やはり何事も単純かつ手短に終えるのが一番だ。激戦は兵の損傷しか招かない。
「期待しておりますよ」
「うむ。お主も良き戦略を立てるようにな。すぐに戦を終わらせるように」
肩をすくめつつも、さすがに引きつった笑みを浮かべずにはいられない。透視能力でもあるのだろうか。さすがに怖くなる。しかし、だからこそ頼りになる。聞きたいことも遠慮無く尋ねたくなる。
「一つ良いでしょうか?」
「なんじゃ?」
去ろうとした景資の背が振り返る。金色の髪が風に揺れ、鋭い眼光も相まって絵になるような美しさを出し、同時に畏怖の念をも相手に覚えさせる。一度話をしようとしたら言わなければならない気持ちになる。
「貴方は……三好が、織田が憎いですか? 妬ましいですか?」
景資は一瞬驚き、龍兵衛の目を見る。彼もまた真剣な話だと景資の目をしっかりと見る。
「何かあったのじゃな?」
さすがに問いが単純過ぎたか。目を逸らしたくなるが、堪えなければ余計に深掘りされかねない。
「まぁよい。聞くのは野暮というもの」
咄嗟に心が身構えそうになったが、景資はそれだけで、表情に穏やかさが戻った。
「そうじゃな。恨んでおらぬと言えば嘘となる。じゃが、もはや過去のこと。諸行無常。盛者必衰じゃ」
「敗者多くを語らず、という言葉があります。しかし、排される前に何か動きがある気配も無かったのですか?」
「無かった」
景資の性格からしてやられるのをそのままにしておくようなことはない。せめてきっかけだけでも欲しかったが、それについては期待外れだったようだ。景資のような切り替えの出来る性格なら自分の立場から開き直れるのかもしれない。しかし、龍兵衛は執着心が強い。
「そうですか。足を止めてしまい、申し訳ありません」
「良い。悩みとは誰にでもある。最後に解決するのは己じゃが、手助けは必ず必要じゃ」
そうは言われても、龍兵衛の気は晴れない。逆に言えば、自分が結局最後の砦となる。しかし今、龍兵衛は自分に全く自信を持てていなかった。
「そう言って頂けるとありがたいです」
景資は親しげな笑みを浮かべ、颯爽と去って行った。あれだけ追い詰められた経験があるのに、自分に自信が持てている。何と羨ましいことか。
幸いにも、最後に思った不安は悟られていないようで、安堵した。だが、吐いた息はすぐに不安を招いた。
自信を掴むきっかけはいつ来るのだろうか。否、まずは戦を終わらせ、立場をもう一度しっかりとしたものにしなければならない。
「外様って難しいなぁ……」