上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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失態の二乗

 富山城は神通川を北に見る、四方向を水濠と河川とで二重に囲まれた北陸随一の要害である。

 

(雑誌でもよく見たなぁ)

 

 間近で見ると平城なのに平山城のような威容と堅牢さが肌で感じられる。富山城は江戸幕府に移っても何度も大改修をしている。しかし、目の前のそれはどこにも改修の余地が無いほど立派だ。

 情報から分かっていたから何となく察していたが、一番堅牢な富山城を落とさなければならない。

 水を飲みながら富山城の城壁を見る。どこの城も同じようなものだが、後世にも名高い城を見るのは良い。ましてや現物をままにしているのだから。

 

「河田様、神保様がお見えです」

「すぐに行くよ」

 

 今、龍兵衛は一人で陣中に立っている。この時間が一番の楽しみだ。誰かと一緒にいる方が嫌になってしまった。安心感が生まれ、何をやっても責められない一人の空間。これに安堵を覚えるのはいつぶりのことだろう。

 集団である軍で、本当は良くないが、これぐらいのわがままは許されるはずだ。龍兵衛の生来の気分屋な性格を分かっていればだが。

 もっと一人でぼんやりしていたい。風に当たっているだけで少しは心が癒やされる。だが、今は公私を混同させてはいけない。

 

(面倒だが……やっぱり面倒だ……)

 

 今は戦をしているのだから仕方ない。諦めて龍兵衛は振り返って歩き始めた。梅雨ではないが、湿った空気が何となく龍兵衛のことを嘲笑っているように感じる。そろそろ冬になり、空気の質も変わってこなければならない。

 日照時間の低いこの地域は冬になれば当然のように厳しい気候が待っている。せめて越中を突破し、比較的過ごしやすくなる能登や加賀の平野部に早く進軍したい。しかし、それを阻む富山城はあまりにも大きい。

 小さく溜め息をついて顔を上げる。ずっと下を向いていると周りから不安がられると何度も叱られた。あの時が懐かしい。

 また溜め息が出そうになった。郷愁の念がこの若さで来るとは思わなかった。

 

「こちらでお待ちです」

「ありがとう」

 

 簡易的に建てられた陣屋の中に入る。本当に人がいるのかと思うぐらい静かだ。不気味な雰囲気が漂い、脇から何か出てきてもいると思い、驚かないかもしれない。

 

「お待たせ致しました神保殿」

 

 一番奥の小さな部屋に神保はいた。白髪だらけの頭を見ると、とても四十過ぎには思えない。白髪混じりならまだ分かるが、黒髪が全く見当たらない。頬もこけ、まさに死へと望む老人そのものだ。

 

「河田殿……娘は無事でしょうか……?」

 

 声が弱々しい。出陣直後はいざ憎き一向一揆を滅びさんという気概をそのままに戦に挑んでいたが、先の新庄城攻めあたりから元気がなくなってきている。

 

「分かりません。しかし、信じなければ人は救えません」

「生憎、今の私には左様なことも出来ませぬ」

「(だろうね)」

 

 愛娘が攫われ、何をされているのか分からない。無事を信じようにも富樫に淡い希望など、抱く方が阿呆だ。

 たとえ周りが大丈夫だと言い聞かせても、無意味なことだ。それは隣国同士で、富樫の一面をよく知っている神保だからこそよく分かる。

 龍兵衛が励まそうにも今の神保に聞く耳など無いだろう。話を切ってさっさと本題に入った方が良い。

 

「さて、富山城のことでございますが、如何に攻めるべきでしょう」

「攻めるも何も、かの城は我が家臣、水越が手塩にかけて築いた城。力で落とすことは叶いませぬ」

 

 一応はまだ戦況や戦略を考える頭はまだ残っているようだ。

 十分だ。戦になった時に娘の長住のことをまた話題にすればすぐに戦意を戻すだろう。

 

「左様。故に貴殿のお力を借りたいのです」

「私に?」

「当然でしょう。かつてこの地は神保殿が治めていた。それを取り返すことが頼られた我らの義理というもの」

「……」

 

 表情が変わると思ったが、若干目が開いただけで、眉一つ動かない。旧領が元に戻るかもしれないというのにどうしてそこまで無頓着でいられるのだろう。外にいた神保の家臣達はいよいよと息巻いていたのに、一番上にいるはずの彼がこれでは先が思いやられる。

 呆れて溜め息を吐きたいのを堪えつつ、龍兵衛は胸元に入れていた書状を取り出す。

 

「先程、颯馬から書状が届きました。更級を落としたそうです」

 

 神保の様子は相変わらずだ。味方の戦況にも反応しないとは余程の重症だ。

 

「我らも遅れを取る訳にはいきません」

「私は娘が無事ならそれで良いのです。その為の協力なら惜しむことはないでしょう」

「ならば、よろしくお願いします」

「されど、富山城を落とすことで、どう娘を助けることが?」

「……は?」

 

 理解出来なかった。だが、神保の言葉の意図を悟った瞬間、思いっきり顔を殴ってやりたくなった。どうやら、そのようなことまで思考が回らなくなってしまったらしい。

 怒鳴りつけるなりなんなりしてやりたいが、今の龍兵衛も心持ちは似たようなものだ。兼続達が思っていなくても自分では孤立していると龍兵衛は思っている。神保のことを否定するのは自分のことも否定しているのと同じ。

 支えとなる人もいなくなり、精神的苦痛を常日頃味わっているのはお互い様だ。だからといって龍兵衛は同情すれど、譲歩するつもりはない。

 

「富山城を落とす。つまりは一向一揆を越中から追い出すことになります。それは敵の本国である加賀に向かう道が出来る」

「娘のいる加賀へと向かうことが出来る。と?」

「左様」

 

 神保の顔がようやく上がった。ようやく話を進めることが出来ると思うと疲れが出てしまう。だが、ここから本題だ。

 

「神保殿には富山城を攻めるべく、是非とも第一陣をお願い致します」

「え?」

 

 驚く神保の目に相変わらず生気が見られない。本当に娘を奪還すると息巻いていた時とは別人だ。もはや、断言しても良い。

 返事を待っていても是なのか否なのか分からない。待っても良いが、そんなことをしていると日が暮れてしまう。

 龍兵衛は勢いよく手を床に打ち付ける。大きな音に驚いた神保が身体を震わせてこちらを見てくるが、構わずに立ち上がり、部屋を出ようと背を向ける。

 

「否と申したければ別に結構。されど、尾山まで攻める時。貴殿の軍は、はたしてその包囲網の前線にいるでしょうか?」

「……どういうことだ?」

 

 それぐらい分かってほしい。かなり含みのある、言葉にも悟らせる要素をかなり入れ込んだはずなのに全く響いていない。

 龍兵衛は中指でこめかみをかく。困った時に猫を見ていて真似していたら自然と付いてしまった癖だ。

 

「あなたに娘の無事を直接見せません。越中に留まり、我々の背後を守って頂きます」

「それだけは勘弁を! 是非とも我が手で娘を……」

「なら、さっさと支度をしなさい」

 

 待ってほしいなどとは言わせない冷たい目を向けるとさすがの神保も飛び出していった。

 新庄の時といい、神保の軍勢は全くと言って良いほど機能していない。根幹たる当主がこうなのだから仕方ない。だが、それだけで収められるほど、生ぬるいことは出来ない。

 そろそろ他の大名や国人衆からも不満が出てきているし、いい加減戦功の一つ二つ立ててもらわないと困る。ただでさえ信州の方は順調に南下を続けているというのに。

 

「富山……じゃなくて……越中を向こうが松本城を落とすより前には掌握しないと」

 

 謙信がとかげの尻尾切りのようなことをするとは思えないが、責任は一番自分に大きく課せられるだろう。まだ龍兵衛も自分が可愛い。誰かに失策を押し付けることも考えたが、かえって心象も悪くなるし、兼続達も黙っていないだろう。

 

(神保の活躍を願う他ないとはね)

 

 あまり好ましいとは言えないが、待つべきでもない。今はただひたすらに富山城を落とすより他に龍兵衛の立場を保つ術はないのだ。

 

「お手並み拝見とも言えないしな」

 

 今までのように外様の力を削ぐ為、極力傍観する立場でいられない。自らの為に外様と手を組むようなことになるとは皮肉なものだ。

 龍兵衛は誰もいないことを良いことに苦笑いを浮かべてしまう。とはいえ、上杉での立場を失えば、元から良い印象を抱かれていない龍兵衛に次に行く宛など無い。

 とにかく一時的にでも立場が確保出来ている状態にしておきたい。

 

「あいつら、外に出るのか籠もるのか。どっちなんだろ」

 

 富山城を攻めるのは明日からだが、ここまで敵は一切動いていない。陣所を設計している間に攻め込んで来ると思ったが、城から外に出てくる気配も無い。

 軒猿からの報告では周りに伏兵を配置している様子もなく、兵は確かに城内にいるとのことだ。越後にもっと軒猿を派遣して欲しいと使者を飛ばしておいたおかげでだいぶ情報が入りやすくなった。

 本庄から国内の監視がしにくくなると愚痴めいた書状が一緒に来たのは余談である。

 

「普通なら、籠もるよな……」

 

 上杉の兵は被害を被っているとはいえ、越中に残っている一向一揆の兵は半分ほどだ。何故か富樫は兵の多くを加賀へと戻した。本国内に上杉が入った時に備えてのことだろうか。もしそうだとしたら阿呆だ。

 国内で戦うことだけで、戦の後のことが大変になる。勝者でも敗者でも言えるが、本国内で勝って侵入者を追い返したとしても後の処理が大変なことになる。城の修復、城下町や屋敷の復興、荒らされた農村から作物が得られない間、賄っていく為に他国から食料を買う金。

 全てにまとわりつく金の量は尋常なものではない。いくら豊かな加賀であったとしてもすぐに元に戻すことは不可能だ。

 それぐらい富樫だって分かっているはず。勝とうとしているなら越中に全兵力を導入して、決戦を行うべきだ。わざわざ本国を荒らしてまで防戦に徹しても、後のことを考えるとほぼ負けているようなものだ。それを知らない者が一国の主などしていられない。

 

「えっ……?」

 

 暗闇で騒ぎ立てていた脳内が一瞬で周辺の壁を打ち破り、光を見たように静まり返った。

 

(まさか、わざとやっている……?)

 

 有り得ないと龍兵衛は頭を振る。だが、負けるつもりでやっていると考えれば全ての疑問が一本の線となって繋がるのだ。兵を撤退させたのは加賀での戦をより激戦にする為、富山城を攻めさせる余裕をこちらに与えたのは攻城で兵をさらに消耗させる為。

 そう考えれば辻褄が合う。しかし、それはあくまで戦の中での話、戦国時代の戦う者はそれと同時に政治を行う者でもある。

 本国とは領国に対して主の政策などを伝える大切な拠点であり、最も栄えていなければならない。それを他国の軍が蹂躙し、荒れたものにしてしまうことなど愚の骨頂だと龍兵衛は考えている。

 ましてや今回の戦は桶狭間のように小国と大国の争いなどではない。大国同士のぶつかり合いだ。もし、向こうの狙いが越中や能登で敵を迎撃しつつ決戦に備えるのではなく、加賀での直接の対決を望んでいるとしたらそれは上杉にとってこれまでの労力は時間の無駄であり、この戦略を立てた龍兵衛の失態でもある。

 

「最悪……」

 

 舌打ちをしたところで何か変わる訳ではないが、せずにはいられない。

 またふつふつと龍兵衛に嫉妬している者が物申すことになるだろう。しかも今回は弥太郎と左月を失ったというおまけ付きでだ。無駄な戦を招き、将兵を失わせた罪は重い。

 このまま絶望のままに天を仰ぎたいが、まだ名誉挽回の機会はある。取り返すぐらいの戦果を上げる。加賀までの土地を全て平定してみせることだ。

 

(お望み通りなら、やってやろうじゃねえか)

 

 幸い敵が仕掛けていない以上、勝利を持って相殺してしまえばそれで良い。一人の将を失うより一戦に勝利することこそが軍師の役目だ。今、自分の保身の考えればさらに傷口は広がりかねない。

 

「景勝様の所に行かないと……」

 

 行きたくない。一気に攻める攻略法に変えるには理由がいる。それが龍兵衛が一番口にしたくない。しかし、自身の身分を顧みずに代わりに言ってくれるような者などいるはずもない。

 ましてや軍の戦略を司る軍師が他の者より相手の目論見に気付けなかったとなれば弾劾は避けられない。

 陣の外にある越中の山々を見ていると上杉の中で龍兵衛のことを不満に持っている者たちの嘲笑の顔も浮かんでくる。

 批判されるのが目に見えているため行きたくないが、行かなければさらなる被害を上杉が被り、責任が誰になるかの議論になる。

 盛大な溜め息を合図に立ち上がる。景勝にどのような顔付きと言動でこのことを言うべきか考えながら。しかし、それには距離が足りなすぎる。なぜなら龍兵衛は景勝がいる陣幕のほぼ目の前にいるからだ。


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