兼続は腿に肘をつきながら隣に座っている龍兵衛を横目で見る。ここのところ溜め息が止まらないようだ。
「無理も無いな……」
「なんか言ったか?」
「いや」
互いの目が横から真っ直ぐ、戦場へと向けられる。戦というより力による圧倒的な弾圧と言っても良い。
いつから勘違いをしていたのだろう。一向一揆は最後の一兵まで戦い、死んでいく。胃が空になり、飢え死をしても最期は仏の救いを待っている。
実際にはただの力の無い民衆である。竹槍と粗末な刀や槍を使って立ち向かってきているが、殺すには忍びないほどに憔悴しきっている。攻撃はあっさりと上杉の兵にかわされて躓いたところを討ち取られる。
これでは鍛錬よりも緊張感が無くなりそうだ。
何故こんな者たちのために何年もかける必要があったのだろう。
戦友の思いを感じるのは容易い。
だが、それは兼続自身、また上杉の誰もが思っている。
畿内での本願寺の権勢を振るう様や加賀を乗っ取る恐ろしさを聞けばいくら武人とはいえ恐れを抱くのは必然である。盛者必衰の理を忘れるほどに民衆の国は手を出せない存在だった。
それが蓋を開ければ総攻撃を仕掛けた途端に形勢は崩れ、簡単に勝ててしまう弱者の集まりになってしまった。このようなこと、上杉だけでなく織田や毛利など一向一揆と敵対、友好的な関係の者も思っていなかったはずだ。龍兵衛だけが警戒していたわけではない。彼のせいで西への足がかりが遅れたわけではない。
「(それでも、か……)」
隣で貧乏揺すりをしている龍兵衛に同情の視線を送る。これで彼はまた譜代の家臣から冷ややかな目を向けられる。
譜代の中でも古参である直江家の主が故、他の家臣たちの龍兵衛に対する視線を知っている。
国内で揉めていただけに功績だけで嫉妬する者がいるほど上杉の家臣は腐っていない。そのようなことをしていればとっくに越後は他の大名に占領されている。
龍兵衛の場合、いつも聞いているのか分からない評定での態度、めったに話さず、宴でも楽しまない接し方。かと思えば普段仲の良い者には饒舌になり、祭りの時は打って変わって目立つ。金にはうるさく、よく分からないところで一気に使う。
だから彼は嫌われる。嫉妬の前に怪しまれるところから始まる。それが無ければ面白い奴と思われていただろう。しかし、人はなかなか上手くいかない。
以前注意した時、嫌われるのには慣れていると言っていた。たしかに龍兵衛のような者に嫌悪が集まれば謙信や景勝に不満はいかない。憂うのは謙信や景勝が龍兵衛を重用していることだ。
それだけの働きをしているのは知っている。評価できるのは僅かな者だけであり、評価できる者も上杉の理想とは違うと首を傾げる。悪循環が続いていても彼は一切悪びれなければ慎ましくなろうともしない。
合わせようとせずに合わさせる姿勢に譜代家臣は生意気だと陰で言っている。
兼続も龍兵衛に幾度となく忠告した。それでも変わる気配が一切無い。本人は真面目にやっていると主張している。たしかにその通りだ。龍兵衛が朝早くから夜遅くまで色々と動いているのは知っている。人に見られるのが嫌いなのか知る者は少ない。変わっている様を見ろと他の者に言おうにも聞くはずがない。
「(ここまで恵まれないのは、もはや運だな)」
だから美濃からほうほうの体で逃げてきたのかもしれない。謀反を起こしたのは確かだが、単に恵まれない自分を変えようとした結果なのかもしれない。
「戦況はこちらに有利だな」
「ああ、驚くほどにな」
いつ声をかけてくるか分からない彼の習性にも慣れてきた。龍兵衛のことを考えていただけではない。戦にはきちんと目を向けている。ただ余裕があり過ぎるだけだ。
各部隊が快進撃を続けており、本陣の守りも十分に対応出来るだけの数にある。一向一揆の死んだら極楽浄土へ行けるという教えははたして何だったのだろう。
「そろそろ終わりにしても良いと思うが」
「いや……いや、動こう。これだけ待っても来ないしな」
「まだ動こうとしてなかったのか……」
溜め息を吐きながら兼続は立ち上がる。そこまでかと思うほどに慎重な性格には毎度呆れさせる。
「そこまで人との間も慎重になればな……」
「あ?」
「何でもない」
皮肉を言い合う時ではない。刀を抜いて真っ直ぐ先に見える尾山御坊を指す。
「今こそ尾山御坊を落とす時! 全軍進め!」
鬨の声はかの巨大な城にも響いただろう。先鋒の部隊が城門近くまで来たと同時にけたたましい音が聞こえてきた。
「やはり火縄を隠していたか」
「案の定だがな。どうする」
座っていた龍兵衛がゆっくりと立ち上がる。被っていた頭巾がその拍子にとれて顔が露わになる。
「突っ込むのは下策だと思うか?」
「ああ。ここまで楽な戦だ。ここからわざわざ無駄な犠牲を払うこともあるまい」
「なら、まずは各個撃破からだな」
「尾山自体、それほど固い訳じゃない。正面が駄目なら別から攻めれば落ちる」
「お前ならどうする?」
「橋爪門だ。あの門を突破すると兵糧や武器が蓄えられている所に出るらしい」
「分かった。伝令隊!」
伝令兵が一斉に集まり、兼続を前に跪く。
「前線の部隊に鉄砲が当たらぬ所まで下がり敵を挑発しろと伝えろ。それから……」
「伊達軍に橋爪門に向かうよう。それから蘆名殿と最上殿に妙立寺を攻略して尾山へ向かうよう伝えろ。正面は我ら上杉軍が抑えるから心配することはない」
行けと龍兵衛が扇子を前に払う。伝令兵たちはすぐさま立ち上がって離散していってしまった。呼び出した兼続の言葉を最後まで聞かず。
「これも政だ」
なぜそこで自分の指示を止めた。そう詰め寄るより前に龍兵衛の口が動いた。
「橋爪門にはさっきも言ったように敵の要所がある。守りも固めているに違いない」
「伊達に手柄を譲るように見せかけておいて犠牲を払わせ、力を弱めさせるか」
「左月殿を失った伊達の怒りは強い。敵を討てる好機と知れば遮二無二攻めかかるだろ」
前屈みだった龍兵衛の姿勢が後ろへと倒れる。足を組んでぼんやりしている目は戦の転機を迎えたと昂る兼続の心に水を打った。
「確かに伊達の力は強い。だが、最上や蘆名に手柄を譲る訳にはいかないだろう。ここはやはり吉江殿らに」
「最上や蘆名が城を落としたら非常に困る」
「じゃあ、やはり決着は正面から付けると」
「……ああ、富樫を殺すのは上杉でなければ」
目つきが鋭くなった。相変わらず話を逸らすのは上手い。だが、それで真意を聞かないほど兼続の好奇心も廃れてない。
「なぜ最上や蘆名に妙立寺を攻めさせる?」
「あの寺は尾山を守る中で最大の砦だ。中には仕掛けでいっぱいらしい」
「なるほど、だから最上と蘆名か」
いくら上杉の支配下にあるとはいえ伊達ばかりが勢力を伸ばしている状況を同じ東北を統べる大名として両家も面白くないと思っている。
一番乗りの功名は多少の犠牲を払ってでも欲しいと動く。実際には上杉の中での力を削ぐための布石だとも知らずに。
そこまで考えていた兼続はあることに気付き、顔を上げて龍兵衛を見る。こちらを見ながらあくどい笑みを浮かべている。
「さすがに兼続だな」
「貴様……」
褒められたのに全く嬉しくない。上杉は東北の大名を打ち倒し、支配下に置いている。しかし、彼らの勢力図は降伏させた頃とあまり変わっていない。
鉱脈のある所や流通の要所のみで残る土地はほぼ元通り。万が一彼らが結託して上杉に刃向かうようなことがあれば面倒事では済まされない。さして何かを企んでいる様子は無いと報告は受けているが、不安はある。
龍兵衛は解決するための一つとして実行に移した。最上や蘆名が持っているであろう伊達に対する思いを利用して。
「噂だとあの寺には尾山に通じる抜け道があるらしい。もしそれを見つければ良し。さっさとこの茶番を終わらせる」
「見つけられずにそのまま犠牲を払わせれば?」
「……そのようなこと知らなかった、申し訳なかったと頭を下げれば良いさ」
愚かな行いだ。兼続は心中で龍兵衛を叱りつけた。大切な兵の犠牲を伴えば最上も蘆名も上杉に対する不信感を抱く。それを軍師一人の謝罪で済ませることなど出来るはずがない。両家の主は温厚だが、芯は強い。知らぬ存ぜぬで終わらせることが出来るはずがない。
「どうなっても知らぬぞ」
「大丈夫だよ」
確証があるとは思えない、その場しのぎの言葉だろう。しかしこれ以上追及したところで龍兵衛の口が開くとは思えない。だから兼続は肩を少し上下させ、彼の背中に言った。
「無理はするな……」
「え?」
「……何でもない」
後ろから上杉軍が疾風のように駆けてくる。一向一揆に長年苦しめられてきた恨みにも似た怒りをぶつけんと片っ端から畠山の軍勢を斬り捨てる。
畠山の兵達には降伏するという選択肢は無い。ただ逃げ惑い、逃げ遅れたらその身を屍へと変えるのみで念仏を唱える暇もない。
勇んで前に出て戦う者もおらず、背中を刺されるか生き延びるために抵抗して死んでいく。
それは兵卒だけでなく武将も同じである。上杉の怒濤の勢いに逃げ惑う。馬をも無くした以上走って逃げるしかない。ただ死にたくないの一心で走り続ける。それ故か足下に転がっていた物体に気付かず、転倒した。
それでもすぐ立ち上がって逃げれば良かった。将は自分の足を取った物が何なのか反射的見てしまった。そして怯えて腰を抜かしてしまった。首だけになった味方の無惨な姿。泥だらけで誰かも分からない。
立ち上がれないと気付くまでさほど時間はかからなかった。誰かに助けを求めようとも恐怖で声が出ない。そのみっともない姿を視界に認めた畠山の兵がいたが、無視して去って行った。
声を上げようにも恐怖で口が回らない。既に味方は遠くに行ってしまった。やはり守るべき者などこの世にはいなかったのだ。かれらも所詮は自分が可愛いただの人。
足が動けば他人など捨てて逃げる。それがたとえ目上の者であっても。後ろでこれまで共に戦ってきた味方が上杉軍によって無残に殺されているのも見ずに。
彼もまたその一人である。どうにか逃げようと腰を上げようと試みる。なぜこのような状態になったのか。そもそもどうして一向一揆と共に上杉に立ち向かおうとしたのか。心の支えを守るためだったが、それも出来ずに何が乱世を生き残るだ。
矢継ぎ早に頭を巡る思いを怒りに変えたところでもはや何も変わることなど無いというのに。震える拳を叩きつけるとどうにか立ち上がることが出来た。とにかく逃げようと足を踏み出す。しかし、それは背後からの声によって制された。
「その方が畠山義慶か?」
「っ! いや、私はその……違う!」
義慶は突如背中から掛けられた声に咄嗟の嘘で誤魔化そうとした。声をかけてきた相手は武勇に疎い義慶でさえ危険だと思わせる威圧感を持っている。
「見苦しいのう」
侮蔑の感情を込めた相手の声が義慶に恐怖を与え、動けなくした。また腰が抜けそうになるのをどうにか堪えるもそれ以上のことは出来ない。
「お主が身に纏うその具足に見覚えがある。妾を誤魔化すことは出来ぬ」
怒りの声が義慶の身体を言われてもいなくのにただそこにいろと命令する。逃げなければ殺されると分かっている。しかし、逃げたら相手が持っている刀の一閃で首が無くなるのも分かっている。
「お主は傀儡であることを受け入れ、晴貞の暴挙を止めることが出来なかった。たとえ何があろうと息苦しさを受け入れ、逃れようと抗う心を持たなかった」
静かに怒りを込めた言葉が彼の心に深く刺さる。たしかにその通りだ。しかし、あの場で従わなければ自分は殺されていた。それでは大切な妹を守る者がいなくなる。従うしかなかった。結果として妹が富樫のものになったとしても彼自身の心を支えた大切な存在を形だけでも失う訳にはいかなかった。
必死に弁護しようとするが、口が動かない。目の前にいる将の存在感が圧倒的過ぎる。伝えたいことだけでも伝えたい。それで死ぬなら本望だ。
「嫌だ……」
「む……?」
「死にたくない……嫌だ!」
「愚か者が……!」
抜けていたはずの腰が立ち上がり、足を踏み出そうとする。だが、その一喝は足に刺さる矛先よりも強い衝撃を与えた。振り返り、近付いてくる敵将はかつての彫り師が作った仁王像もかくやと言わんばかりの迫力である。
「謙信なら許したかもしれぬが、妾は許さぬ。あの世で悔い改めよ」
「ひっ……」
敵将が刀を振り上げた途端、畠山の体は尾山へと向いた。妹の方を反射的に向いてしまったと言うのが正しいのかもしれない。せめて彼女がいる城だけは拝み死のう。
「なっ……」
絶句した口が大きく開いた。邪魔な影が二つ入ってきた。互いに肥えきった体。畠山はそれらの顔をよく知っている。そもそも何故このような前線にいるのだろうか。前線に向かうべきだと富樫に進言して自らを死地に追いやったというのに。
そう思うと同時に畠山の視界はぐらりと揺れ、首に嫌な感触を得た。
「どうして……」そう口にする前に喋れなくなり、一瞬の痛みを覚えた後に体が痺れてきた。尾山の方を見ようにも二人の顔が邪魔をする。うっすらと嘲笑う彼らの表情は彼が望んだ死の光景とは全く違った。何故ここまで天は自らを許さないのだろう。この素晴らしいほどに腐っている世の中に救済は無かったということか。はたして自分はどのような死に顔を浮かべているのか。そんなことを考えた瞬間に畠山の意識は途絶えた。
屍を挟んで一対二の対談がなされようとしている。景資の前に立っている二人は蠅が集るのでは、と思うぐらいの不潔感を持っている。顔は言わなくても酒と女と贅沢に溺れていると分かるぐらい腫れ物が吹き出ている。鼻息も荒く、発情した動物の方がまだ可愛げがある。
周りにいた兵たちは既に先へと進んでいて、後続の者たちが物珍しそうに三人を見ている。だが、皆干渉しようとはしない。景資の並々ならぬ迫力が区域を作り、阻んでいる。それを気にせずに並んでいる二人は恭しく膝を着いた。
「某、畠山が家臣、遊佐続光と申す」
「同じく、温井景隆にございます」
「これは如何なることじゃ?」
景資は名を言わず、跪く二人を見下ろす。二人の名前は聞いたことがある。共に畠山に仕える重臣であり、一向一揆に加勢することを強く主張していたと聞いている。だが、今はそれよりも問い質すことがある。畠山の屍を一瞥したのを見たのか遊佐が口を開く。
「我らは降伏致す。故に此度の無益な戦の一端を担いし我らが主の首を差し出し証にと」
片目が動く。耳を塞ぎたくなった。聞くだけで卑しくなり、頭が腐ってしまいそうになる。
「お主らはこの畠山が一向一揆に付くために動いたと申すか」
「御意。我らがどれだけ諌めても聞き入れられず……脅されやむなく一向一揆に……」
必死の表情で弁明している遊佐も図々しい。それ以上に温井の視線が景資には耐え難い。
景資の肉体は女性さえも羨むものである。視線を感じることはこれまで何度もあったが、ここまで見え透いていていやらしいものは初めてだ。
「あい分かった」
景資が無表情で刀を抜く。虫けらを斬ることに何の躊躇いがあるだろう。遊佐の首下に刀を向けると二人の表情が一気に青くなった。本当に降伏しようとしていたのだろう。何とも愚かだ。
「武人たる者、恩義ある主ならば忠節を尽くすのが義理。貴様らなど、その風上にも置けぬわ」
「景資殿、止められよ」
振り下ろそうとした腕が少し吊った。これから不埒な者を倒すというのに何をしてくれる。恨みがましく振り返ると全身黒い衣服に身を包んだ龍兵衛がいた。
よもや許すなどとは言わないだろう。いくら同じように主を裏切り上杉に仕えた者だといえ、卑しき彼らの目を見れば一目瞭然である。だが、景資の思いも空しく龍兵衛は頭を横に振って刀を下ろすように促してきた。
「膝を付き、降伏せんとする者に何をしているのです」
「この期に及んで上杉に靡かんとしている者がおる故、いかにすべきか考えていたところじゃ」
「ほう。まだそんな人がいるとは……まぁ、良いでしょう」
「さすがは音に聞こえた河田様。良心の蒼鷹の名は伊達ではありませぬな」
「まだそう呼ばれるのか……まぁ良いでしょう。ご両名、城内へ案内していただけますかな。景資殿の隊は共に進んで下さい」
嬉しそうに二人は頭を下げている。嫌悪感で表情を歪めたくなる。どうにか堪えたが、はたして城に着くまで耐えきれるかどうか。
「景資殿、大丈夫です」
龍兵衛は強く頷く。その様には怒りを通り越して呆れてしまう。いくら慈悲深い謙信でさえも彼らは許すまい。つまるところ彼のしていることは甘い。あのような者と轡を並べることなど誰が喜ぶだろう。
そもそも龍兵衛も分かっているはずだ。そうでなければ上杉の重きを担う軍師ではない。
心の訴えも空しく彼は二人に向かって穏やかな口調で問いかける。
「ご両人、今従えている兵の数は」
「三百にございます」
「ならばそれを従えて城を攻めて道を開いてください。景資殿が後に続きます」
「承知。では……」
素早く立ち上がると二人は部下を引き連れて尾山へと向かっていった。遠くから「我らに続け!」と味方を鼓舞する声が聞こえる。
そのまま先鋒の蘆名たちに敵と勘違いされて死んでくれないか。もしくはこの後で行う論功行賞の場で景勝が斬り捨ててくれないか。そう思っていると龍兵衛がこちらを咎めるような目つきで睨んでいた。
「景資殿、早く進軍を。好機を逸します」
「お主……真にあやつらを許すのか」
「ええ」
「おかしいぞ」
「何がです?」
「あのような奴らを我らの陣営に加えれば風紀に関わる。お主、分かるであろう」
「ええ。分かっています」
「ならば……」
さらに問い詰めようとしたところで龍兵衛に手で制された。
「だから言ったでしょう。今だけと」
口の形が三日月型になっている。一瞬、目を丸くした後意図を悟った。彼を睨む。
「お主……」
「死人に口なし。後で言い訳は何とでもなります。懐に何か仕込んでいただのね」
「お主、最初からそのつもりだったのか」
「いえ、まさか彼らが寝返るなど思ってはいませんでした。しかし、彼らは良い捨て駒です。城内のことをよく知っていますからね」
「配下の者は如何にする」
「全員殺して結構。彼らも色々と狼藉を働いていたようですから。一人も逃さずにお願いします」
その場で斬る方がよほど甘かった。理に適っていると言えば良い。簡単に残酷な戦術を思い付き、躊躇いもなく実行する。しかし、それはどこの軍師や策略家もしている。何故か龍兵衛が立てると冷や汗が出る。
かつていた所ではそれがずっと当たり前だったというのに。
「して、配下をどう屠るのじゃ?」
「彼らは我らがすぐに来ると思って最前線に突っ込むでしょう。合図を送るので少しずつ孤立させていくのです。頃合を見て救援に向かい、城内で斬り捨てていただきたい……さぁ、そろそろ向かわないと何を言われるか分かりませんよ」
龍兵衛は馬に手を向けて景資を促す。言いたいことはまだいくつもあるが、私情を持ち込むような状況でもない。小さく頷き、馬に跨がる。
「自分は合図を送った後に向かうので前線は任せます」
「うむ。しかと、な」
「本当に彼らだけを殺すのか」そう聞こうとしたが、止めた。ここで味方割れをしたところで上杉に利があるわけではない。
胴を蹴り、声を上げる。自らが相手をして鍛え上げた精鋭たちが後に続く。一心に付いてきてくれていることの何と嬉しいことか。上杉に来てから抱ける充足感が今ここでさらに高揚しているような気がする。
その理由は、敵がその対局にいるからだとすぐに分かった。一つの布石で簡単に崩れる彼らとどのような状況下でも団結する自軍。実に愉快だ。
しかしそれが今、徐々に崩れようとしている。長い浸食で割れていく岩のように。はたして完全に切れてしまうのか、気付かないうちに修復されるのか。
考え事が深まる前に景資は気を現実へと戻す。今ここは戦場であり、邪心など不要の場。前方を見ると逃げ惑う敵が左右分かれて道を作る。
「かの者らは如何致しましょう」
「捨て置け。刃向かう者、邪魔となる者だけを斬れば良い」
「御意」
さらに馬を早くさせ、敵陣へ突っ込む。予測通りほとんどの者が逃げ惑い、遅れた者が哀れにも命を落とした。
景資も二、三の敵を斬ったが、恐ろしいほどに感覚が無い。人ではなく、藁を斬っているような違和感を抱きつつ景資は真っ直ぐ城へと進む。
大手門西にある小さな門から先に向かっていた遊佐らが城に入ろうとしている。おそらく商人らの通り道で戦では使われないのだろう。敵からの抵抗もさほど無く、門を破壊しようとしている。
兵が三人程度しか通れない細い道だと認識した途端、僅かな邪心がよぎった。ここで彼らを斬っても誰も害は無い。後は城に雪崩れ込み、一気に決着を付ければそれで終わるのだ。だが、城内で斬るようにと龍兵衛には言われている。
理由は分かっている。敵として殺すことが出来るからだ。昨日まで敵だった者であり、突然今日味方になったためにまだ彼らのことを分かっていない味方もいる。
だが、龍兵衛には城内まで手出しをするなと言われている。中の構図を理解して上杉だけでも攻められるようにしたいのだろう。
士気高く門の破壊を指示している二人を見ると実に哀れに感じてきた。許せないことに変わりない。しかし、せめてもの慈悲を死の前に与えることも良いのではないか。
そこまで考えて景資は頭を振った。そのような甘さが身を滅ぼす。かつての自分のように。あの殺伐とした場所で日々を生きていたというのに、何故ここで甘くなってしまうのか。
「(妾も上杉に毒された。ということかのう)」
景資は自嘲気味に笑うのを堪えようと眉間のしわを深くする。
龍兵衛のやっていることは正しい。遠回りではなく、近道を導く軍師としてあるべき姿を成している。それはかつて自身と同様に裏切りと怨念の中にいたからにすぎない。
しかし、上杉は現当主の謙信と跡継ぎの景勝に対する信奉に近い忠誠心によって成り立っているところがある。つまるところ異端は弾かれるのだ。決して排他的というわけではない。入って上杉に合わなければ疎外されていく。
今の龍兵衛がそうであるように。
「おお、吉江殿。もうじき門が開きます」
景資に気付いた遊佐が声を上げて門を指差す。
「あれは普段、戦には使えぬ門。少ない兵を通すことしか適いませぬが、敵の士気を見れば時の問題かと」
「そうじゃな」
ぶっきらぼうに答える景資の目は走ってきた戦場に向けられていた。視線の先では突破された敵の残党が孤立して右往左往している。
それを龍兵衛の兵がことごとく斬り捨てている。戦ではなく虐殺だ。
「むごいのう」
「あのような者たちはああなるべきでございます」
景資は刀に行きかけた右手を左手で掴み、必死に止めた。これまで戦ってきた兵をそのように呼ぶ輩など上杉にはいらない。耳を疑いたくなった。そして僅かに残っていたわだかまりも消えた。
「吉江殿、門が開きました! さぁ、向かいましょう。某たちで案内致す」
「分かった。皆、続け! これで一向一揆の悪しき縁を切るぞ!」
声が上がり、遊佐と温井を先頭に城内に雪崩れ込む。さすがに城内では立ち向かってくる敵が多い。まだ敵の目に光がある。
「さて、いかにするかのう……」
骨のある者を先に討つか、それともまとめてか。無意識に景資の口元がつり上がっていた。
秋が深まると夕陽に照らされた紅葉がさらに赤く染まり、風情を漂わせる。涼しげな風を浴びてのんびりとするのは実に楽しい。
だが、戦の中で見ることが出来る赤と言えば血と火。命を落とす代償を得て初めて見ることが出来る。
「……」
景勝は火を見ていた。遠くに見える紅葉に重なり合うように揺らめくそれは綺麗ではあるが、心に響ものではない。
燃やすなと兼続が言っていたが、唯一火の手が上がった箇所があった。長続連である。彼の屋敷を取り囲んだと同時に火がついたと兵たちは言っていた。
民をも巻き込んでまで上杉に抗おうとした気概は敵ながら天晴れというべきか、それとも罪無き民を巻き込んだが故に非難されるべきかは分からない。
正義感が強い兼続はおそらく後者の立場を取るだろう。
景勝もまたその立場であることに変わりはない。武人として立派に散っていった続連は後世にどう解されるだろう。
悪評高き富樫の中で上杉に対して一歩も退かず、己が信念を貫いた武人の鏡と評される日が来るかもしれない。
だが、それは今を生きて目の前で見ている上杉の者達には分からないことだ。
故に景勝は民をも巻き込んだこの戦を振り返り、つらつらと燃える屋敷を見上げてぽつりと呟いた。
「疲れた」
戦が嫌になった訳ではない。もちろん戦をすることは好きではないが、それ以上にこの戦には気を使った。
正規兵も元は農民であるが、武器を持って装備を整えているからこそ完全な敵愾心を見ることが出来る。しかし、装備もままならない民兵は本来、ここにいるべき存在ではない。
そこまで自分が一向一揆勢や北陸の豪族達から嫌われていたとは思ってなかった。全ては本願寺や富樫晴貞が謳った上杉に対する偏見とはいえ、徹底した嫌われぶりには参った。
民達が一番大人しそうな外見をしている景勝を見るや否や「殺される!」と喚いて逃げる程であった。
景勝も人である。心に来ないわけがない。思い出すと胸に手を当てて強く握り締めたくなった。だが、一軍の長として弱いところを見せてはならない。
尾山はさほどの損害もなく手に入り、城の中は今龍兵衛と景資が清掃をしている。城内での争いが一番激しかったのかかなり手間取っているらしい。城に攻め込んだのは昼を過ぎた頃だと伝令から聞いている。
「景勝様」
横から兼続がやってきた。頷くと彼女は膝を付く。
「城内の清掃が終わったとのこと。もう入城して良いそうです」
「ん。長かった」
「龍兵衛が申すには城内には兵だけでなく戦わない女子供もいたと」
「まさか……」
「いえ、我らが城内に入った時には既に皆死んでいたと」
「殉死?」
「おそらく」
城内に女子供を残すのも考えものだが、どうもおかしい。逃げ惑う一向一揆の兵を手放しにしておいて戦において扱いに困る戦わない者たちを殺すのは有り得ない。普通逆である。
「景勝様?」
何でもないと首を横に振る。兼続は覗き込むように曲げていた首を戻して城内へと促してくる。様々な疑問が尽きない中、景勝は素直に城内へと足を向けた。
日が山に消えていく。夜になるのが早くなっているのは日に日に感じていたが、今日は一番早く感じられた。
緊張感の無い時ほど時間が早く感じると龍兵衛がよく言っていた。決戦だったにもかかわらず何故か気が抜けていた。あくびを噛み締めながら戦場を眺めていた。
咎める者もおらず、他の者もやはり気を引き締めようとしていたように見受けられた。このような場所に長居しても意味が無い。
「すぐ、帰ろう」
口から出てしまったが、兼続には聞こえなかったようだ。おそらく兼続もこのような戦をして逆に疲れてしまったのだろう。それは景勝もまた同じ。早く残党狩りを済ませて代官を置き、春日山へと戻るのが吉だ。
「ふぅ……」
景勝の溜め息は月の見えてきた空に消えていく。誰にも知られることの無いこの戦の真の顛末のように。