上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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愉快な決戦前夜

「報告。景勝様、一向一揆を討ち果たした由」

「……ようやく終わったか」

 

 謙信は燃えている岩殿城に背を向け、陣へと戻る。紅蓮の炎を背後にした謙信は美しく、誰もが見惚れただろう。

 

「こちらも早く決着を付けなければなりませんね」

「ああ。正直なことを言うとこちらの方が早く終わると思っていたからな」

 

 背後から聞こえる颯馬の声に一切振り向かずに答える。周りでは兵たちが戦後の処理に回っており、様々なものを片付けている。

 

「霜は軍営に満ちて秋気清し数行の過雁月三更、越山併せ得たり能州の景、遮莫あれ家郷の遠征を憶う」

 

 目を瞑り、空を見上げて誰に捧げるでもなく唄を詠む。ゆっくりと目を開くと火の粉が少し目に入ってきた。少し痛かったが、これぐらい前線で戦っている兵の恐怖に比べればどうということはない。夕闇迫る時とはいえ火を焚くには少々早かったかもしれないと指示した自分に後悔する。

 

「これから甲斐に入るというのに何故」

「苦しい思いがあっただろうと思ってな」

 

 分かるだろう、と目を向けると颯馬は苦笑いで返してくる。あの恐ろしさはなかなか常人が耐えきれるものではない。よく完全に討ち果たしてくれたと皆の手を取ってやりたいぐらいだ。

 

「とはいえ、こちらも決して楽な動きではないかと思いますが」

「確かにな」

 

 浮かべた苦笑いは颯馬の的を射ている言とぎこちない敬語の両方から来ている。武田との戦に謙信は上杉の軍のみを率いることにした。伊達や蘆名に撤退を命じた時、全員が耳を疑い、反論したが、謙信は聞かなかった。

 結果として兵の数では拮抗したが、士気や足並みは明らかに上杉が有利だった。虎綱の守る海津城を兵を誘き出して落城させると信州の国人衆の大半は上杉になびいた。

 最初は武田に付くと明言した真田もあっさり寝返り、武田と縁戚の穴山もこちらに降伏をしたいと申し入れてきた。だが、武田にも忠義の士がいないわけではない。

 

「ここまで抵抗が激しいとはな」

「だから私たちは蘆名から兵を借りるように言ったんです」

「反対したがな」

「とても納得いきません」

 

 謙信は足を止めて颯馬を見る。彼の眉間のしわが語る思いはよく伝わった。未だに伊達や蘆名を撤退させたことに根に持っている。だからこそ謙信は諭すような穏やかな声を発した。

 

「……せめてもの手向けだ」

 

 分からないと颯馬は首を横に振る。さすがにかと肩をすくめ、再び歩き出す。詮無きことを言っている自分を戒めるように一つ溜め息を付くとそれを合図のように風が舞う。謙信の後ろ髪を揺れ、前にやってきたが、無視したまま足を止めない。

 

「謙信様。分からないことついでにもう一つお尋ねしても」

「何だ?」

「何故に岩殿城を焼いたのでございますか?」

 

 謙信は足を止めないまま歩みを速める。歩を止めると思っていたのか颯馬が慌てて後ろから歩き出すのが音で分かる。

 

「岩殿は交通の要所。戦においても攻めるに厳しく守りに易い。残さずにおくのが定石」

「それは私が戦の前に申し上げたことです」

「岩殿城は再び作り直す。武田の本拠を叩くまで時を稼ぎたくない」

「されど岩殿城を燃やせば要所が……」

「北条は佐竹がいる故動けない。それに焼いたのは本丸のみ。砦は残っている」

「小さい砦では兵が収まりません。これより躑躅ヶ崎を攻める拠点は」

「私がいる所が本陣であり、拠点だ」

「なっ……」

 

 颯馬の目が大きく見開かれているのが背中越しでも分かる。謙信も自分で考えて悩んでいたことがすんなりと口から出てきて驚いている。それを表情に出さず、ここまできたら言うしかないと意を決して誰にも言わなかったことを声にする。

 

「これより要害山を取る。そして一気に包囲し、信玄との決着を付ける」

「確かに要害山を取る必要はあります。しかし、それまではいかにして……」

「この地の砦はまだ残っている。足りなければ寺を使えば良い」

「甲斐の僧兵が我らに味方してくれるとは思えません」

 

 武田の上杉に対する恨みが武人だけでなく、有力な者たちにも渡っていることを知らない謙信ではない。現に岩殿城を落とした時も残党から執拗に奇襲を仕掛けられた。今も慶次や官兵衛たちが残党狩りをしている。

 

「どこかにあるだろう」

「甲斐に入るよりも前からあれほどの抵抗があったにもかかわらずでございますか」

 

 信州で松本や諏訪でも敵は殲滅するまで抵抗を見せ、開城してくれるような城は真田など国人衆の息がかかった者らだけだった。寺では僧侶が上杉滞在に断りを示し、僧兵の軍団を作って抵抗する有様で、静観してくれるのは武器を携えるほど裕福でない民ぐらいしかいなかった。

 とはいえ信州が落ち、甲斐の半分が上杉の手にある以上、各々身の振り方を考えなければいけない時がきただろう。武人と違い、生きて家を守りたい者たちなら。

 

「誰が敵で誰が味方なのか。見極めるべきだな」

「各寺に使者は送っておりますが、返事はまだ……」

「迷っているのだろう。信玄を慕うが、民の声を聞かなければならないからな」

 

 謙信は他人事のように言っているが、颯馬にとってもう一押し出来ない状態であることを示している。実に歯痒く、不甲斐ないと奥歯を噛み締めているのが後ろに目が無くても分かる。

 信玄の人望は直臣が死しても殉じる思いを抱いているほどだ。だが、元々豊かではない甲斐の土地と長きに渡る上杉や織田との戦いが仇となった。重税を課して泣くのは民であり、それはどの領土でも同じ。だが、甲斐は他の国よりも土地が貧しく、重い税をかけなければ武人の生活さえもままならない。

 そこにさらなる重税を課された農民は耐えるか、逃げるか、抗うかの三つの選択を迫られる。甲斐では上杉憎しの感情が下々まで行き渡っているが、今では話が違う。

 農民たちにとって今こそが全てであり、生きる目的である。次代のことなどを見据えるなど無理に近い。だからいくらこれまで良くしてくれた大名でも駄目になればすぐに手のひらを返す。

 その声に真っ先に応えなければいけないのが武人ではなく神社仏閣だ。彼らは民が一番に頼る逃げ場であり、受け入れる所。そして武人とは違い、逃げることが難しい。もし武田への忠誠を誓うなら民から反感を買い、今後にも禍根が残る。しかし、民の味方をすれば武田からのこれまでの恩を忘れたと糾弾され、残った武田残党からどのような仕打ちを受けるかも分からない日々を送ることになる。

 既に書状は送っているため、それぞれの主立った者が互いの動きを見極めているだろう。確かに天秤にかけると難しい。しかし、決断を下さなければならない。もし最後までどっちつかずなら上杉の主としてそれなりの処罰を考える必要がある。

 現に景勝が一向一揆を鎮めた以上、こちらものんびりしてはいられない。

 正直なところ武田攻めがここまで長引くとは思っていなかった。信州で真田ら有力な国人衆がこちらに付いたとはいえ残る者たちが武田に忠義を尽くさんと頑強に抵抗を示した。結果的にはこちらが圧倒的物量差で勝ったものの、一時期兵を休ませ、越後から援軍を呼ぶ事態になった。

 一糸乱れぬ精強な軍勢の抵抗にはさすがの謙信も参った。どうにか甲斐まで攻め寄せたが、まさか先に凱旋するのが景勝とは思っていなかった。

 

「(せっかく、景勝を労ってやろうと思ったのにな……)」

「早くこちらを対処してからに」

「うぐ……まぁ、そうだな……」

 

 颯馬に心を読まれるようになってから良いことも増えたが、悪いことも増えた。謙信は深呼吸を繰り返して気を取り直す。

 

「今の戦況を見なければな」

「はい」

「武田は信州を完全に落としてから抵抗らしいことをしなくなった。戦意の喪失か、あるいは何かを企んでいるか……」

「おそらくは後者かと」

「私もそう思う。颯馬、武田の動きを逐一調べろ」

「御意」

 

 往来を続ける兵たちの様子を見ると皆疲れの色が激しい。どうにかして被害を最小限に抑える戦いで終わらせたい。しかし、武田は最後に必ず抵抗をしてくる。

 謙信は諦めるべきかと息を吐く。最大の努力はする。それでも叶わないなら腹をくくるしかない。

 

「謙信様、あれを」

 

 不意にかけられた颯馬の声で顔を上げる。ちょうど視線の先から親憲が少し慌てた様子でやってきた。

 

「よほどのことだな。吉報だと良いが」

 

 親憲は謙信の前で膝を着く。走ってきたからか、息は荒い。 

 

「謙信様、木曽より書状が」

 

 差し出された書状は親憲が急いだためか、所々にしわがある。謙信は静かに受け取り、中を改める。一文字ずつ読み進めていくと自身でも表情が驚きに変わっているのが分かる。その様を見て颯馬が後ろから恐る恐る声をかけてきた。

 

「木曽はなんと」

「降伏する故、領地を安堵してほしいと」 

 

 颯馬と親憲の表情が少し明るくなる。確かに木曽ほどの勢力が寝返れば武田の息の根を止めたも同然。挟撃の構えを取ることも出来る。一息に攻めればもはや要害山を無視しても良いぐらいだ。

 

「直ちに返書を書こう」

「謙信様、お待ちを」

「如何した」

「木曽は武田の中でも大きく、また縁戚関係にあります。はたして容易に受け入れてよろしいのか」

「計略か……なるほど、確かに無くはない」

「故にここは、木曽に先に兵を出させて躑躅ヶ崎を囲むよう指示を与えるのです」

「試すのか?」

「謙信様、某も颯馬殿に賛成です」

「ふむ……」

 

 颯馬の言うことは確かに理に適っている。おとがいに手を当てて考える。もし木曽が偽りの降伏なら上杉が勢いで武田の屋敷を囲めば挟撃されて殲滅される可能性さえある。それを防ぐために木曽を中に押し込めば今の戦力差なら上杉が確実に勝てる。

 降伏なら命が惜しいとはいえ歓迎するべきだが、ここで諸手を挙げるほど謙信もお人好しではない。意を決して颯馬の方を向く。

 

「颯馬、返書を書く。もし何かと渋るなら警戒しろ」

「はっ」

「親憲は手筈通り要害山を落とす支度を続けろ」

「かしこまりました」

 

 指示を与え終えると謙信は一つ良いことを思い付いた。颯馬も親憲も指示された通りに動き出したため口元が緩んでいることに気付いていない。

 悪巧みまでとはいかないが、味方も出し抜ける面白さは相変わらず心が踊る。別に誰かに相談しなければならないわけでもない。

 敵を騙すにはまず味方からとも言うし、ここは一つ黙っておこう。

 笑みを浮かべるのを必死に堪える。そのために眉間に寄ったしわのせいでより厳しい表情となって周囲の兵に畏怖を与えているのも知らずに。

 

 

 上杉の残党狩りは苛烈を極めた。疑わしき者は容赦なく罰せという官兵衛の指揮の下、怪しげな者は徹底的に殺害、捕虜に取った。また反乱を防ぐため、甲斐の領民のほとんどが武器を没収され、拒めば脅してでも奪った。

 評判が悪くなることを憂う声もあったが、国を取る前から体面を気にするような相手ではないと颯馬や官兵衛がはねのけた。

 そして木曽が降伏すると言ってから五日後、上杉はすでに躑躅ケ崎を囲んでいた。

 謙信の眼前には山々に囲まれた躑躅ケ崎の館が見える。一見、ただの屋敷の集まりのように見える。しかし道幅は狭く、決して大軍で攻められても落とされないようになっている。実に様々な策略をもって領地を広げた信玄らしい。

 

「ここまでくると呆気ないな」

「真に木曽が寝返っていたためでしょう」

 

 隣に控えている親憲が館を見渡しながら答える。木曽は手土産として自らの子供を人質として送り、甲斐の地図や深志城を差し出してきた。

 これには颯馬や官兵衛も納得し、本当に恭順したのだと認めた。元々、調略は行っていたが、まさか本当にこちらに付くとは思っていなかった。おかげで要害山を攻略する手間も省け、全力で信玄に注力することが出来る。

 

「包囲は今日にも完成するが、いつ攻めるべきか」

「軍師ではない某が申すのも如何なものかと思いますが、すぐに攻めるべきかと」

「ふむ……」

「景勝様が一向一揆を鎮め、越後に帰還致します。謙信様も遅れてはなりませぬ」

「確かに、国を空けすぎたな。実乃からも蔵の心配をする書状も届いている」

「戦の大将は謙信様。全ては謙信様の差配通りに戦うのみです」

 

 親憲は馬上で頭を下げる。才能がありながらも相変わらず自ら一歩引く姿勢は旗揚げした時から変わらない。嫌味に聞こえないのも彼らしい。

 彼のように変わらない者もあれば変わっていくこともある。今の上杉と武田の勢力のように。初めて武田と戦をした時、互いに越後一国と甲斐、信州の二国を支配する日ノ本にどこにでもいるような大名だった。

 それが川中島での勝利と武田の織田との戦で敗戦したことをきっかけに形勢が一気に変わった。上杉は南の脅威が無くなり、侵攻を進めた。武田は体勢を立て直すための時間を多く費やされ、他の大名から遅れを取るようになった。

 あまりにも時間がかかるため、疑問を感じることも思ったが、思う余地が無いくらいに自分が忙しくなった。家臣に任せても良いのではと思うことも自分の目で見てみないと気が済まない。その性格が多忙を極め、颯馬や兼続から説教をくらい、龍兵衛や親憲から直談判で生活を整えるように懇願された。

 そのような日々を送りながら気付けば上杉は日ノ本の東を席巻する大大名になった。対して武田は信州を失い、明日をも知れぬ身となった。終わるとなると悲しいかもしれない。しかし、上杉の主として長引いた戦をすることは出来ない。せめて最期ぐらいは華々しい道を作ってあげようではないか。

 

「親憲。皆に明日の夜明けと共に……いや、包囲が終わり次第すぐに総攻めにかかると伝えろ」

「いきなりですな。兵たちを休ませなくてよろしいので」

「今は耐えてほしい。武田との戦を一刻も早く終わらせるためにな」 

「かしこまりました」

 

 何故とは聞かずに親憲は去って行く。察しの良い彼のことだ、言わずとも悟っているのだろう。

 

「互いに良い仲間に恵まれたな」

 

 武田四天王は確かに強かった。風林火山の一文字をそれぞれが賜り、名に劣らない才を発揮した。彼らがいたからこそ信玄は大名として名を上げ、信玄だからこそ彼らは存分に動けた。

 羨む思いもあったが、上杉も負けていないと思っている。身内贔屓かもしれない。だが、それがどうしたと謙信は胸を張る。

 四天王はいないが、古参から外様までが才を遺憾なく発揮し、働いてくれている。武田ほど自ら動ける者はいないが。

 これから先、さらに多くの者と戦う。その時に彼らが指揮を執れるかが不安ではあるが、さすがにまたいなくなることは出来ない。勢力を広げて連携が取りにくくなった今、反乱が起きたら鎮めるのが難しくなる。

 

「……あ」

 

 辺りを見回すが、今の間抜けな声を聞いたのは愛馬だけのようだ。何やっているんだと鳴いている。首を撫でてやりながら謙信はもう一つの面白いことを思い付いた。だが、これは戦が終わってからのこと。今は武田を倒す方に注力すべきだ。そう言い聞かせて謙信は数十人の配下と共に本陣へと引き返した。

 

「さぁ、信玄。この戦においてお前との因縁を絶つとしよう」

 

 そして、華のある最期を見届けてやろう。どんなに時が進み、周りが変わっても宿敵であることに変わりない。

 

「感謝しているよ。お前が最期まで武田として生きてくれたことがな」

 

 謙信の中で恐れていたことがあったのは武田が織田に降ることだった。戦略的な信玄がなりふり構わずいけばそうしただろう。許さなかったのは自尊心であり、武田としての誇りに違いない。それは正しい。

 謙信とてそうしただろう。乱世に生きる武人が誇りを失って生きるほど哀れなことはない。

 思わず口元が緩む。宿敵が誇りを失わずに逝くことへの嬉しさがそうさせた。

 

「辞世の句ぐらい見たいがな」

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