謙信率いる上杉軍は武田討伐が完遂すると長かった戦後処理を終えて越後へと帰還すべく行軍していた。長かった武田との戦に決着が付いたからか、兵たちの表情は老若男女問わず明るい。越後に帰ったら何をしようと皆が話しながら隊列を乱さずに座っている。
今は信濃の葛尾まで戻ってきた。明日からは山越えとなるだろう。冬を越す前にここまで戻って来れたとはいえ、越後と信濃を跨がる山々の頂上に雪は確かに積もっている。
体力勝負となると考えて謙信は兵たちに休息を取らせた。皆があと少しで越後に帰れると思い、笑顔になっている中、密かに葛尾城の本丸まで上った。山に囲まれた葛尾城は城下町が非常に遠くへと見えるように感じる。
「取り戻したが、求めていたそなたはここにはいない」
日が沈み、月も見えてきた頃合いに謙信は持ってきた杯に酒を注ぐ。揺らめく酒に映る月は力強く夜を照らす満月だった。謙信はいつものように一気に飲み干すのではなく、杯を目の前に置き、天を見上げる。月以外にも満点の星空が謙信を見下ろしている。
「最期まで故郷を思い、上杉を信頼して付いてきてくれた。これほど我らにとって嬉しいことはない」
謙信は合掌を解き、目を開く。
ぼんやりと外を眺めている小柄な白髪の女性に近付き、隣に良いかと尋ねる。こちらの姿を認めて快諾してくれたため、遠慮無く腰を下ろす。
「こちらには慣れましたか?」
「ええ。皆さんが温かい方達で助かっています」
謙信は信玄の妹である信廉を捕らえた。甲斐の小寺の奥にいるのを軒猿が見つけ、颯馬と官兵衛が自ら出向いいたらしい。
最後の最後まで信玄の身代わりとして死ぬことで姉を生かしたいと思っていたらしい。しかし、信玄の説得と虎綱の妨害で生き延びた。最後には脅しも含めた説得をしたが、信玄に一喝されて諦めた。
「私は、私の誇りにかけて最期まで長尾に屈しません。しかし、貴方と景虎には何の禍根も無い。ならば、もう貴方は信廉として生きなさい」
そう諭された信廉は多くの未練と罪悪感を抱えながら虎綱と共に館を出た。いつ捕らえられるか分からない状況下で虎綱を苦しませてはならないと密かに命を絶とうと何度か試みたが、死にきれないまま上杉に囲まれた。
最後まで抗おうとしたが、謙信自ら乗り込み「生きてくれ」という声でこれまでの緊張感が地に溶けて土に還るように力が抜けたらしい。それからは上杉の為すがままに様々な尋問を受けた後にそのまま謹慎を命じられた。
とはいえ、牢や小さな部屋に入れて四六時中監視されるのではなく、屋敷を一つ与えられてそこに虎綱や武田に降った女武将達と悠々自適に過ごしている。また、城内に入ることも許されていて、こうして龍兵衛も会うことが出来る。
「虎綱殿は如何お過ごしで?」
「上杉の方に受け入れていただき、目を回しています。まぁ、彼女らしいですけど」
「真面目そうな御方ですからね。慶次達には度肝を抜かれたでしょう」
「ええ、それだけでなく、水原殿にもね」
親憲の宴の女装を思い出しているのか信廉は笑みを浮かべる。虎綱は信玄の遺命を愚直に守り抜き、信廉の監視を怠らず、役目を果たした。そう龍兵衛が颯馬から聞いた時、虎綱のことを心から賞賛したくなった。
生きることが一番の良きこととしている龍兵衛にとって主の命を守って主の妹を守り抜き、自らも生きたことは実に素晴らしいと思っている。
だからこそ彼は虎綱が謹慎中にもかかわらず、真っ先に挨拶に伺った。しかし、ことごとく機会が得られずに無為な時間が過ぎた。
「残念ながらまだ会えていないですからね。顔も見たくないようで……」
「そうですか……」
信廉の表情が沈む。龍兵衛もここまで都合が合わないのはおかしいと門を守っている兵に金を掴ませて探りを入れてもらった。分かったのは虎綱は自分には会いたくないと徹底的に面会を拒んでいたことだ。
結論として、虎綱に完全に嫌われている。理由は全く分からない。虎綱に対して何か謀略を仕掛けることなどしてこなかった。また、基本的に武田討伐には川中島の戦い以降全く関わっていない。気になるが、今は解決しないことなので放置する。そして、それよりも気になる疑問を信廉に尋ねた。
「それにしても、信廉殿は何故に城まで?」
「実は、貴方に相談したいことがありました」
「なんと。実に都合の良いことで」
本当にと信廉は歯を見せる。だが、龍兵衛が少し間を置いて本題へと切り出すとすぐに表情が暗くなった。そして、少し近付いて欲しいと頼むと小声で話してきた。
「小幡が、暇を出したのです」
龍兵衛の眉間のしわが一気に寄った。小幡晶盛は信廉が捕らえられたと知ると上杉に降り、彼女の身辺の警護をよく行っていた。虎に例えられるほどの猛将で彼の存在は上杉でもよく伝わっている。
まさかと思いつつも事実を確認するために龍兵衛は思ったことを口にする。
「甲斐のある地にて必ず発する奇病。では?」
「え……」
信廉の目と口が大きく開かれる。冷静沈着と聞いていた信玄とは違い、本来の彼女はかなり素直なようだ。表情を読み取られたことを悟ったのか彼女は小さく頷き、弱々しい口調になる。
「ええ。腹が膨れ、苦しそうな顔を必死に隠しておりました」
「しかし、それを何故に自分に?」
龍兵衛は疑問をはっきり聞く。自分は医者ではない。一介の上杉家の家臣である。すると信廉は引き締まった表情で龍兵衛の目をしっかり見てきた。
「この病を奇病と言って先祖からの悪行が祟ったと忌む者もいます。しかし、私はこれがそのような天罰で起こるものとは思えません。必ず病には原因がありますが、病が祟りで起こるのなら加持祈祷はどうして廃れたのでしょう」
「それで、自分を病と結び付ける理由は何でしょう?」
「河田殿は越後の悪しき伝習や儀式、はてには民の作業を止めさせて多くの者が命を救ったと聞きます。可能ならばその力で甲斐の民を救っていただきたいのです」
信廉が頭を下げてくる。さすが、信玄が影に使っていただけのことはある。甲斐や信濃は神仏を祀る伝聞が多いと聞いているが、彼女は惑わされずに現実を直視している。だが、自身の活躍ぶりを口にされると何ともむず痒い。
「……分かりました。出来る限りのことはしましょう」
「ありがとうございます!」
越後や東北の改革の推進と甲斐への視察とかかる費用と時間を計算して龍兵衛はまた眠くなる日々が続くことを心で泣いた。とはいえ、まだまだ信頼の薄い甲斐の民達の心を掴む好機でもある。
せっかくだから官兵衛にもっと働いてもらうとしようと内心ほくそ笑みながら口を開く。
「小幡殿は、今」
「与えていただいた屋敷で誰も通さずに伏せっているそうです。奇病であり、人に害を与えてはならないと」
「……見てみましょう」
「え?」
「医術の心得は僅かにあります。しかし、小幡殿を治すことは約束できません。あくまでも病の根源を知ることぐらいかと」
「そう、ですか……」
不安げな表情を見ると信廉もまだ伝染病ではないかという思いを拭えないのだろう。
「案ずることはありません。自分の推測が正しければ流行病ではないかと」
龍兵衛は努めて明るい口調をすることで、信廉を励まそうとするが、あまり意味を成さなかったようだ。確かに彼自身も直接目の当たりにしたことはない。聞いたことだけがあるような病を見せても本当に解決出来るのか不安に思っている。信廉の思いは手に取るように分かるが、龍兵衛も不安を拭えているわけではない。
小幡の病ももちろんだが、他にも弊害がありそうな予感がしてならないのだ。
「では、案内して頂けますか」
「はい。こちらです」
城を出た二人は急ぎ足で武田家のために与えられた屋敷へと向かう。上杉や他家より往来している者達のために与えられているものより狭く、少しみすぼらしい。屋敷の屋根や壁は整えられているが、塀の壁や中の襖には所々穴が空いている。
謙信さえ武田の者達が降ると思っていなかったためにこのような最近まで使われていなかった屋敷になった。だが、信廉以下、武田の者達はそれでも仕方ないと受け入れてくれた。それがはたしてこちらの事情を悟ってか、仇敵への報いへと受け取ったのか、龍兵衛はあえて聞いていない。
「お入りください」
床も嫌な音が所々する。よく見ると柱も腐敗しそうな箇所もあって、臭いが飛んでくる時もあった。男の者達が入っている屋敷だが、隣にあった普段信廉達がいる方もそうなのだろう。
気付かれないように溜め息をつく。越後に来てまで因縁を付けられたらたまったものじゃない。
考えながら進んでいると信廉が静かに立ち止まった。あまりに唐突だったため、龍兵衛は彼女の足首を踏みそうになって堪える。
「晶盛、信廉です」
信廉が声をかけると中から男の声が聞こえてきた。慌てているようだが、当然だろうと龍兵衛は気長に待つ。
少しして中から「お入り下され」と声がかかり、信廉を先頭に部屋に入る。中は整頓されていて慌てて片付けた形跡も無い。
「わざわざ来られずとも……おや、河田殿……でありましたかな? 某、小幡晶盛と申す」
「如何にも、河田長親にございます。お初にかかり、光栄にございます」
「こちらこそ……」
頭を下げる晶盛の姿はいかにも死期を悟った者の姿である。頬や首には筋が立ち、代わりに腹がはち切れんばかりに膨れている。
「信廉様、幾度も申し上げた通り、某は流行病にかかった身。この部屋には入られぬ方がよろしいかと」
「流行病か、そうでないか。それは今から河田殿が決めることです」
「なんと。河田殿は軍師とお聞きしていたが……」
「ほんのかじった程度です。本格的に何かを治すことは、申し訳ありませんが……」
「よいのでござる。某一人で流行病かそうでないか分かるのならば、甲斐の民は喜びましょう」
口元を緩めて嘘をつく余裕はまだあるようだ。戦場に華を咲かせて散らすことが至上である武士にとって病で死ぬのは屈辱的と感じる者も多い。龍兵衛にはその思いが晶盛の体の底から強く感じられてきた。
「では、小幡殿にいくつかお聞きしたいことがございます。もし、答えにくければ応じずに結構です。が、なるべく答えていただければ幸いです」
「分かり申した」
「では……」
龍兵衛は一つ咳払いをすると真っ直ぐ晶盛の目を見る。まだ死んではいない。
「今の体の具合は?」
「全く駄目だ。腹が膨れ、自ら歩くことも出来ぬ」
「このような状態になったのはいつ頃から?」
「一年……いや、六月程前か」
「どのような変化が起きました?」
「腹が痛くなり、はばかりに出るのが止まらなくなった」
「それから熱が出たり、皮膚が黄色くなったりしました?」
「え、ええ……まさしく」
「正直なことを言えば話すのも辛いですか?」
「はい……真を申せば……」
「では、最後に一つ。痛みとなって体に異変が出る前に体にかぶれが出来て痒くなったりしたことは?」
「あ、あります。確か……甲斐の低地にて視察を行っていた際に水の深さを知ろうとしてからしばらくして」
目を見開いてどうしてと訴える小幡をよそに龍兵衛はありがとうございますと頭を下げて立ち上がる。
「小幡殿、貴殿のおかげで甲斐の民が救われます。自分の推測が確信に至りました」
「さ、左様か。されど、真にあれだけのことで全てが?」
「はい。必ずや民を助け、彼らを豊かにすると約束しましょう」
「ありがたきこと……某の心も幾分か晴れ申した。安心して冥土に向かえます」
龍兵衛は哀れむことも、黙り込むこともせずに頭を下げて素早く部屋を辞した。
「ちょっと、本当に大丈夫ですか?」
「ええ。これだけで自分は役目を果たせました」
「晶盛はどうなんです?」
「申し訳ありませんが、あと一月持てば良いでしょう」
「そんな……」
「伝えることは悪と思い、言いませんでした。病は気からとも言います」
「なるほど……」
上手く誤魔化せたようだと龍兵衛は密かに胸を撫で下ろす。気分が良くなれば小幡も少しは活気が出てくるだろう。現に最後の方では彼の表情もだいぶ明るくなっているのを信廉は自身で見ていた。
「さて、病の根幹は分かりました。後は支度を整えて自分の方で甲斐に直接赴くとしましょう」
「やはり、甲斐の水に何かあるのですね?」
「ええ。先程の話で察したかと思いますが、厳密に言えば水ではありません……ある動物が原因です」
「動物……」
「蛍に触れれば腹が膨れる……」
「え……?」
「いえ。何でもありませんよ」
龍兵衛は信廉と屋敷で別れると城へと戻り、謙信や兼続に掛け合い、甲斐へ出向くことを許してもらった。元々、行く予定だったのをその時期を早めてもらうことを願っただけなので、すんなり二人は許可をして、ちゃんと引き継ぎをしてからにしろと釘を刺された。
それから文句を言われながら官兵衛に仕事を押し付けると逃げるように自分の屋敷に戻り、出立の支度をする。
甲斐は上杉の領土になったとはいえ内では未だに敵対心を抱えている者もいる。
「誰か」
「はっ」
「段蔵を呼んで下さい」
相変わらず抜けない敬語を躊躇わずに使う。自室に入ると必要そうな装備と資料を漁る。だが、それも数秒で終わった。
「呼んだ?」
「早いな」
「そりゃあ、訪ねようとしてたし」
「あっそ」
「呼んだくせにご挨拶だね」
「じゃあ本題。甲斐に行くことになったけど、信州と甲斐の者達の動きを探ってほしい。友好的か、敵となるか」
色々と無視されて口を尖らせていた段蔵だが、依頼を聞くと表情が一変して厳しいものになった。
「お安い御用……と言いたいけど、かなり難しいよ。向こうは契約以上に武田への忠義を誓う人もいるし」
「とはいえ、これは軒猿の方の世界だ。俺達の入る余地があるのか?」
「まぁ、無いよね。信州で鍛えられた忍びは伊賀や甲賀に劣らず誇り高いと聞くし」
「だからこそ、お前の役目だろう? 忍びの誇りは忍びが一番良く分かっている」
懇願するように言うと段蔵は諦めたように「はいはい」と頷く。部屋を出て行くのを見届けると龍兵衛は兼続の下へ向かう。
屋敷に着くと本人が直接出てきた。こちらの姿を見ると彼女は物珍しそうに目を開く。
「お前から来るとはな」
「それだけのことだ」
お互いの性格故か、仕事の内容もそうだが、龍兵衛は基本的に兼続と共に何かをすることはない。そのため、どちらかが屋敷を自ら訪ねることはかなり珍しいことだ。
「ならば、入れ」
中に通されると兼続の自室に通される。華々しい物は一切無い質素な部屋だ。外には柿の木が生えているが、渋柿か食用か分からない。
「あれは食えるやつだ」
そう言いながらも障子は閉められた。
「直江家がそこまで食うに困っているとは思えないがな」
「民のありがたみを皆に知ってもらうためだ。他にも柚子の木もある」
「家の者達にも質素であるように求めているのか」
「我らの財は決して豊かではないからな」
「何とかしているんだが。やはり金脈や越後の産物だけじゃあな」
「大名より得ているだろう」
確かに上杉傘下の大名からは取れた年貢の一部や産物を買い取り、高く売ることはしている。しかし、それだけで上杉の財政は簡単には潤わない。
龍兵衛は首を横に振り、「足りないよ」と言うと兼続も分かってくれたのか溜め息をつく。
「まぁ、だからこそ新たに得た上杉の領地の治安を良くしないといけないんだがな」
「……越前や加賀のことは任せると?」
「うん。少し甲斐に野暮用が出来た」
「表沙汰での治安を見ることは出来るが」
「ぜひとも全部やってくれないか? 多少荒くても良い」
「せっかく富樫の恐怖から解放されたのだぞ。秦から解放した劉邦のようにすべきでは」
「そうはいかん。あれは当分、あの地で戦が起きないと思っていたからこそ出来たこと。これから織田との戦が始まるという時にあまりに急激な変化は民を堕落させる。それに、他の国の民がどう思うかも分からん」
「変わらず統制を続けると?」
「信仰する対象が主家に変わるだけだ」
「ならば、我らの法令を遵守させると?」
「ああ、斎藤殿も既に了承している。残党だろうと上杉の兵だとしても狼藉を働く者がいれば容赦するなよ」
そう締めると互いに無言になる。兼続は迷っているのだろう。慈悲を持って民を救うことは正しい。だが、龍兵衛の考える統制を持って人を律して治安を維持するのも必要なこと。
「別に統制ばかりするわけじゃない。ちゃんと施しを与えるさ。管仲のような」
「衣食住を豊かにするだけでは駄目ということか……分かった。お前のことを信じよう」
「済まない」
「しかし、施しを与えるほどの余裕はない」
「だからこそ金が必要だ。食料はまだ少しかかるがな」
「加賀は豊かな国。それで補うか」
「それは当然のことだ」
「他にあてがあると?」
「もちろん」
龍兵衛は口元を吊り上げた。胸元から紙を取り出して兼続が読める方向に差し出す。
「ぼちぼち、直江津はもちろん東北の湊を復興させて交易にも力を入れようかと思っていてな。これを見せて謙信様にも概要だけは話してある」
「西国の毛利や大友と誼を結ぶ好機と見ているのか……博多は分かるが、堺の商人は無視出来んだろ」
「今あそこは織田が牛耳っている。下手な動きをして反感を買うのは良くない」
「だが、畿内に無関心は良くないだろ」
「だから本願寺残党と雑賀と伊賀に金を送っておいた。当分は持つ……はずだ」
「何だその自信の無さは」
「織田信長という武将は決断したらすぐ動く人間だ。それに付いていけるか……」
「それは……」
言葉を濁すが、兼続も無理だと悟っているらしい。織田の意思伝達の早さは大名の中でも群を抜いている。それだけ信長の中央集権が進んでいる証だが、それ故の反感を買っているのも事実である。
「彼らに渡したのはせめてもの手向けだ。どうせやられるならせめてもの時間を稼いでもらった方がいいだろ」
「お前……」
「まぁ、堺には謙信様御用達の商人も何人かいるし、織田とも明らかな敵対関係でもない。情報を得て動くのが良い」
「話を逸らすな」
正義感の強い兼続は利害関係の一致で動いている畿内の勢力を同盟関係と見ている。共に戦う仲間を死なせたくない気持ちが強く、たとえ負けても迎え入れるつもりなのだろう。
「お前の気持ちは分かるが、まだ俺たちは畿内に首を突っ込むわけにはいかない」
目を吊り上げて睨んでくる彼女を嗜めるように龍兵衛は努めて穏やかな口調で話す。しかし、逆効果だったのか、さらに目つきが鋭くなった。
「お前の考えでは、上杉の義に背くことになる。助けているならば、救うべきだ」
「保護しろと?」
「ああ。本願寺も雑賀も伊賀も」
「顕如はもう降伏しようとしているから無理だ」
「だったら雑賀と伊賀を何とかしろ!」
「これから俺は甲斐に行くのに?」
「一緒にやれ!」
「えぇ……」
無言の圧力で追い出されるように部屋を出る。兼続に手伝ってもらおうとしていたことが色々と崩れていってしまう。そもそも龍兵衛は織田と敵対している雑賀や伊賀を保護するつもりなど毛頭なかった。受け入れが発覚すれば、織田と対立するという態度が明白になる。
北条がまだ健在な中で挟撃される形になるのは避けたい。
織田に気付かれずに畿内の反織田勢力を支援する困難な仕事は軍師にしか頼めない。兼続はあの様子では駄目だろうし、官兵衛も他の仕事を押し付けたため、これ以上は頼めない。
消去法でいえば颯馬だが、謙信と一緒にいる機会が多い彼に話す時に一緒にいられるとかなり面倒なことになりそうだ。
後回しに出来れば良いが、今にも織田による反織田の掃討戦が始まろうとしている時に悠長なことはしていられない。
「花見なんか出来そうにもねぇな……」
溜め息をつきながら龍兵衛は颯馬を探す。
願いも虚しく颯馬は謙信といた。後で二人で話したいと言ったが、謙信の要望で三人いる中で話をすることになり、結局、畿内のことは助けられる者は全員助けるということになってしまった。
颯馬は力を貸してくれると言っていたが、やはり自分でやらなければ不安になることも多くある。
(結局、自分でやった方が楽かな……)
盛大な溜め息を吐きたいのを堪え、龍兵衛は颯馬にやってもらいたいことを夕方になるまで徹底的に教え込んだ。