上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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咎人の末路

「おお~……官兵衛ちゃん見てください」

「うん。言われなくても見てるよ」

 

 京の東山にある寺から二人の小柄な女性が二人、本能寺と二条城を見比べている。どちらからも激しい炎が上がっていて、京の街どこからでも見えているだろう。

 そして、炎が同時に見せてくれているのは謀反人の旗印。桔梗の紋は紛れもなく明智光秀のものである。全ては半兵衛が毛利攻めに出ている秀吉のためにと触れて借用したもの。病で床に伏せっていても出来ることがあると言うと光秀は感銘を受けたような表情で快諾してくれた。

 その見返りがまさか今、光秀自身に返ってきているとは思っていないだろう。

 

「松永様より報告。明智を捕らえ、例の所に送ったとのこと」

「了解。龍兵衛にも伝えておいて。彼にそれからのことは任せるともね」

「はっ」

「……あれが軒猿ですか。確かに良い草ですね」

「まぁ、あれだけ使い回されればね」

「ふふふ。情報は宝、龍兵衛ちゃんの口癖でしたね」

 

 鼻で笑いながら官兵衛は視線を本能寺へと戻す。美濃にいた頃はよく言っていた。たしかに情報が多く、正確であれば何事も有利に進む。しかし、上杉に来て彼の口からその台詞を聞いたことは無い。

 言うまでもないと思うようになったのか、それとも持論を言う暇も無いほど、追い込まれているのか。

 

「そういえば家康さんが京にいると聞いたので一緒に倒したいのですが、生憎、見失ってしまいまして」

「ああ、それなら大丈夫。生きていようが死んでいようが変わりないって」

「そうなのですけど。美濃を取られちゃうかもしれないのでーなるべく手を打っておきたいのです」

「んー道中どこを通るか分からないし……何ともねー」

「とりあえず、半兵衛さんも義龍さんの下に行きます。あの方が避難してくれないと困るので」

「大丈夫なの? 播磨で療養していることになっているのに」

「はいー道三さんが取り持ってくれているので」

 

 ならば大丈夫と官兵衛は頷く。三人で誓った斎藤の復興。天下がいかに変わろうとも美濃斎藤を守る。その上で最も邪魔である織田の排除は秘めたる宿願であった。だが、織田包囲網は全く機能せず、上杉と武田との和解も上手くいかずに滅ぼさなければならなくなったため、破産してしまった。結果として織田は畿内を平定し、紀州の雑賀を除いて中央のほとんどを制圧した。

 しかし、諦めるわけにはいかないと官兵衛と半兵衛が上杉と毛利による挟撃策を講じ、丁度、龍兵衛が織田への工作を命じられた。官兵衛は彼から命令の内容を聞くとすぐに半兵衛に手紙を送り、毛利に向かう前に京に立ち寄ることにした。その後、龍兵衛を含めた三人で密かにやり取りを行い、影の協力者を集めて無事実行に移せた。

 官兵衛と龍兵衛だけでは不完全なものになっていただろう。しかし、半兵衛が仮病で毛利との戦線から戻ってきたことで、確実な京の情報が入手出来た。

 

「ほんとにありがとね」

「いえいえ~御礼されるほどではありませんよ」

「でも、井上を倒すために頑張っていた後なのに無理させちゃったから……」

 

「大丈夫ですよー」と笑顔で首を振る半兵衛を見ると胸が痛む。生来、病弱である彼女は戦場でも気を失うほど危ない時もある。

 だからこそ、斎藤の宿願である井上道勝の排除ではかなり力を入れたのは想像に難くない。立て続けに信長の暗殺という負担の重い任務のために内側で暗躍してきた。その代償は着実に彼女の体を蝕んでいる。

 

「また会えなくなるけど、元気でね」

「ええ。龍兵衛ちゃんにも無理はしないでご自愛を。と伝えて下さい」

 

 穏やかな笑みを浮かべる半兵衛に官兵衛もまた無邪気な笑顔で応える。半兵衛と接しているとこの時が一番辛い。

 明日、突然彼女が死んでいるかもしれない。

 一緒にいる時から時折来る不安から眠れなくなる時があった。離れ離れになればその不安は常に付きまとうようになる。いつ敵味方になるか分からない時に他家に仕えている者同士で手紙のやり取りはいらぬ疑いを持たれる。ならばいっそ、と思った時、背後から声をかけられた。

 

「半兵衛さんのことは大丈夫です」

「え?」

「道三さんも義龍さんも稲葉さんも生きてます。秀吉さんも良くしてくれています。だから……」

 

 半兵衛は官兵衛の目を真っ直ぐ見る。

 

「三人で会える日が来るまで死にません」

「……ずるいなぁ」

 

 聞こえないよう呟く。普段の穏やかな雰囲気とはかけ離れた毅然とした表情。いずれ刃を交えるかもしれない間柄なのに、信じていられる固い信念。半ば諦めていたはずなのに、ふつふつと実現したいと思わされてしまう。官兵衛は嬉しさで綻ぶ顔を見せないように本能寺へと目を向ける。

 

「そろそろ行かないと……」

 

 信長が死に、畿内は再び荒れる。それに乗じるため、毛利の下に向かい、戦をけしかける。

 

「上手くいくと良いですね」

「大丈夫だよ。成功させるから」

「楽しみにしています」

「ん。じゃあね」

「お元気で」

 

 官兵衛は半兵衛を置いて一足先に山を下りた。最後に向けられた言葉に返事をするべきか、悩んだが、すればまた会話が続き、ずっと一緒にいたいと思ってしまっていただろう。

 再び真っ当な環境の中で三人が揃い、暮らせる日を祈るしか出来ない。それを叶えるために官兵衛は西へと歩を進める。

 

 

 外から聞こえてきた足音で光秀は目が覚めた。不意を突かれて気を失い、ここに運ばれたのだろう。頭だけ動かすと窓一つも無い殺風景な部屋に一本の蝋燭が辛うじて灯りを灯している。案の定、腕は後ろ手に縛られ、下手に動くことが出来ない。

 しかし、このままではまずいことも事実。信長が死に、村井もあの様子では長くはもたない。自ずと容疑が自身に向けられる。かの者が信長を討っただけで自身の復活を遂げたと宣言はしないだろう。その先に何を求めているのだろうか。

 廊下からこちらに近付く気配。近付く足音は重く、女性のものとは思えない。扉が開かれ、相手の顔を認めると光秀は怒りよりも先に納得してしまった。

 

「おはようございます。光秀殿」

「……河田殿。やはりそうでしたか」

「あの者だけではあれだけのことは出来ない。ならば黒幕がいる。それで、でしょうか?」

 

 無言で頷く。千以上の兵力を死んだ人間が持てることなどあり得ない話だ。現に光秀は裏にある存在を感じた時、真っ先に龍兵衛を疑った。

 

「まぁ、時の都合が良すぎましたからね」

「ですが、真の黒幕は別にいるのでは?」

「随分と飛躍しましたね。残念ですが、それはありません。首謀者は自分です」

「河田殿が首謀者ではありません」

「何故? 他に首謀者がいるとでも?」

「何故に、貴方は今ここにいるのですか? それが一番物語っているでしょう」

 

 薄ら笑みを浮かべる龍兵衛を睨みつつ、嘘だと悟る。謀略の首謀者は自ら手を下すことはない。おそらく龍兵衛の企みは織田の調略であり、信長を殺すことまでではないだろう。それは先日会っていた時から分かっていたことであり、目を瞑っていた。

 信長を脅かす存在を炙り出すことで、より織田の盤石を築ける。それぐらいの余裕が織田にはあり、重臣達の結束も信長の下で固くなっている。

 

「……これ以上の追及は貴方のためになりませんよ」

「なら、問いを変えましょう。信長様を討伐した後、再び義昭様を天下に呼び戻すのが上杉の考えですか?」

「生憎、謙信様がそのつもりでも、そのようなことは自分がさせません」

「なっ……まさか……」

「決めたのです。上杉が作る新たな世を目指し、日ノ本を統べる。そこに足利など関係ない」

 

 僅かながらび抱いていた希望を裏切られ、心から怒りの炎があがる。

 

「義昭様を殺すと?」

「あの炎はその合図。正に新しきを進みすぎた織田が滅び、そして古き足利幕府の終焉を迎える。その布石です」

 

 縛られた手首を力任せに動かす。しかし、玄人のものはそうやすやすとほどけるものではない。無駄な抵抗だと龍兵衛は光秀の手首を静かに押さえる。

 

「光秀殿、貴方は本当に偉いお方です」

 

 龍兵衛は唐突に光秀を褒めた。彼女も目を見開く。何故、龍兵衛が称えたのかという疑問よりも言い出したのか分からないという疑問の方が強く、訳を聞かせて欲しいと目で訴えると彼は頷き、口を開いた。

 

「しかし、貴方は潔白で偉過ぎるのです。だから、何か裏があるのではと疑う者が多い」

 

 立て続けに龍兵衛が駄目出しを言うと光秀は眉間に皺を寄せ、唇を噛み締めて苦悶の表情を浮かべた。

 龍兵衛の答えは他にあったのだ。しかし、光秀は受け入れることの出来ないことを言われてただ黙るしかない。確かに足利幕府再興の為に他のことには目が疎かになることもあっただろう。光秀にとってそれは拾ってくれた恩義に報いようと滅私奉公をしてきたがためであった。

 

「ただ、主のために尽くしていた結果がこれですか……」

「少しぐらい己の欲を見せた方が良かったかもしれませんね。信長殿の下でも同じようにしていたのでは?」

「故に、怪しまれていると……なるほど、貴方はあえて先日は本当のことを言わずにいたことで、今宵のことを実行しやすくしたのですね」

「貴方が義昭様のことをまだ想っているとも感じたので」

 

 光秀は否定したいが、口を噤む。義昭が追放されたとはいえ将軍の彼女を慕い、着いて行った者もいる。光秀も付いて行こうと考えた時もあったが、共にいた細川親子が織田に降った以上、付き従うしかなかった。

 未練はあったが、それを忘れるように信長に尽くした。もしかしたら信長もそれを見抜いていたのかもしれない。

 龍兵衛は疲れたのか座り込むと眉間にしわを寄せて口を開く。

 

「貴方の前ですが……この世に人がいる限り、いずれまた戦が起きます」

「そんなことはありません! きっと未来永劫に続く太平の世は必ず創ることが出来ます!」

 

 光秀は普段の冷静さを無くし、声を上げる。考えを真っ向から否定されて平然としていられるほど、図太い者などいない。鬼気迫る怒気は多少の者なら怯んでそれ以上は言えずに言われるがままになっただろう。だが、龍兵衛は真っ直ぐに光秀を見る。哀れむような目を向けないでほしい。しかし、彼女が口にする前に彼の言葉が先になった。

 

「否、歴史で今まで未来永劫に続いた平和など、日ノ本にしろ朝鮮や明にも南蛮にさえどこにもないのです」

 

 南蛮については分からないが、確かにその通りかもしれない。だからこそ、これまで出来なかったことを光秀は見てみたかった。身分にとらわれず、生きとし生けるものが手を取り合い、平穏に生きる世を。

 たとえ今にように惨めになっても夢を見続けたい。光秀は体を許す限り乗り出す。

 

「ならば、貴方は何故そのような世を創ろうとしないのです?」

「人が国を創るのです。人は神や仏と違い、邪な欲を多く持つ。だからこそ、一度世を治めても必ずどこかで滅ぶのです」

「ええ。故に今、私は足利、織田と可能性を探っているのです」

「未来永劫に続く平和な世を? 冗談じゃないです。不可能ですよ。人がこの世に生きている限りは、必ず醜い争いがたとえ戦で無かろうと続きます。だからこそ、自分はどのような手を使ってでも一時の平和を望んでこうしているのです」

「されど、諦めていては何も始まらないのではありませぬか?」

「光秀殿、貴方は人と時を見誤ったんです。何故にそこまで物事に固執するんですか?」

「平穏な世を作るには我々、人が清廉であり、等しくなければ。そのために、上に立つ我々が示していかなければならないのです」

 

 龍兵衛は溜め息をつき「あと四百年遅ければ……」と意味深なことを呟く。

 

「光秀殿の理想はとてもではないですが、空論に過ぎません。残念ですが……今のままでは手を取り合えないでしょうね」

「ならば、貴方は私を情勢に乗って他家に寝返った者としての汚名を着させるつもりですか?」

「そうです」

「卑劣な。いつから貴方はそのようになったのですか?」

「美濃を追われた時からですよ」

 

 光秀は唇を噛む。龍兵衛はかつて汚名を負い、追放されることになった。

 

「汚名……まさか」

「光秀殿を殺すならせめて寝ている間にしていましたよ」

「……結局、乱世では信義など無いということでしょうね」

 

 ゆっくり近付く龍兵衛に非難の目をぶつける。しかし、それで彼の足が止まるはずもない。むしろ嬉々としているようにすら感じる笑みを浮かべている。

 

「ええ。人の本質は悪なのですから」

「ならば、それに習い、貴方は私に謀反人としての誹りを受けさせようと?」

「……」

「その無言は肯定ですか?」

「どう捉えられても結構。しかし、貴方が謀反人ではないことを叫んだところで、誰も信じないでしょう」

「そうでしょうね。それ故に私は自ら死なないようにこうして捕らえられている。汚名を被るために」

「それでこそ、貴方は明智光秀殿として生きた証となるのです」

 

 龍兵衛がそう言い終えた同時に背後に人の気配を感じた。正面にしか気を配っていなかった光秀は背後から突然襲って来た忍に気付かず、手刀をまともにくらってしまい、視界が一気に狭まった。

 

「隙を見て、死のうとしているのは分かっていましたが、貴方にはまだ生きてもらわなければなりません。最期はまたこの後、大舞台でお願いします」

 

 大舞台では自身が惨めに裏切り者として誅殺される。分かっていてそう言うとは龍兵衛も口が達者になった。その詫びの代わりだろうか、彼は光秀を抱えて丁寧に横にする。

 思うように言葉が出ない。怒りと恨みを込めた言葉をせめてぶつけたい。外道、鬼畜。それらの言葉を並べても龍兵衛に届かないだろう。しかし、考えとは裏腹に彼の口調は非常に穏やかであった。

 

「さらば、光秀殿……」

 

 龍兵衛は待機していた配下に監視を命じ、深々と頭を下げて外に出る。

 何故、頭を下げる必要があるのだろう。光秀は疑問を口にすることも出来ず、意識を手放した。

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