高館城にある一室に龍兵衛は段蔵を呼び、敵に書状を送るように頼んだ。
内容は戦の際に上杉軍に寝返るようにして欲しいというもので軍師達と段蔵、軒猿の精鋭が行う汚れ仕事の一つである。
「これを針生に届けるのでいいの?」
宛先は針生盛信となっている。
蘆名盛隆と上手くいっていない者に寝返りを促す。段蔵はそう思ったが、颯馬は首を横に振った。
「これを届けるのはな……」
「……え!? 正気?」
普段、心底驚くことは少ない段蔵も目を丸くしている。
「ああ、あれは生きていても俺達の利益にはならない。降伏させてもいずれ裏切るだろう。謙信様にも言うな」
一存でやるということになる。だが、口を出す程、段蔵も自分の立場をわきまえない人ではない。
「……わかった」
すぐに段蔵は行動した。
気配が消えたのを感じて、龍兵衛は大きく息を吐く。
全ては敬愛する主君の為、上杉家の為、汚れるのは軍師も忍も同じである。
上杉軍は翌日から会津新宮城を攻略を開始した。
半数以上が被害にあったとはいえ蘆名の重臣、佐瀬種常は城をよく守り、初日から三日間、落城出来ずにいた。
「さて、いい加減城を落とさねばな」
謙信の声に均衡状況を打開するために集められた軍師は次々と口を開く。
「やはり包囲して落ちるのを待つのでは無く、強攻に移るべきかと」
「ただ強攻をするより朝駆けや夜襲を行い、こちらに被害をなるべく出さないようにするべきです」
「颯馬の言うことは道理にあっていますが、佐瀬は知略に長けています。先の戦いで戦力が減ったとはいえ十分な警戒態勢を敷いているでしょう。やはり強引に攻めるのではなく囲んで交代で攻めるのがよいと思います」
「私は、攻めるにしても、攻める場所を変えて行くのがいいと思うの」
兼続、颯馬、龍兵衛、定満の順番でそれぞれの意見を言う。敵の援軍が来る前に落としておきたいのは上杉軍全員の考えだ。
水源を絶ってはいるが、敵はしっかりと貯水しているようである。
毒を入れるのも龍兵衛は腹案していたが、謙信は絶対に許さないだろう。仮に秘密裏に行っても城に異変が起きればすぐに悟られる。
議論の末に定満と颯馬の意見を組み合わせて二の丸北と東に夜襲を行うことにした。
だがその夜、上杉軍に謎の吉報がやってきた。
「軒猿からの報告で、蘆名の重臣である針生が金上に殺されたらしい」
謙信からの報告に集められた将達にどよめきが走る。
針生盛信は元々、蘆名一族であり、先代の主、蘆名盛氏の時から主に外交で活躍していた。最近、力を付けてきた金上盛備とは対立関係であったが、侵攻を受けている際にこのようなことが起きるとは予想外だった。
親憲が真偽の程を聞くが、報告した者は城門に晒された首を見たため、間違いないらしい。
「原因は我らに内通を疑われたそうだが、何か知っているか?」
「自分がこちらになびくように工作をしていました。しかし、まさか露わになるとは」
龍兵衛は全員の厳しい視線を受ける。
「どこかまずいことでもあったか?」
詰問するように謙信が問いてくる。
「いえ、万事つつがなくと返事も得ておりました。おそらく、あちらが何かしでかしたのでしょう」
「そうか……」と謙信は腕を組む。
元々、龍兵衛は家臣の個々の忠誠心が高いと判断して蘆名へ工作などしていなかったが、工作は敵が損をすれば問題ない。
そのためにわざわざ偽の手紙を金上の元に届けて、けしかけたのだから。
「ですが、これで援軍はしばらくは来ないと見ていいでしょう。このことは敵に知られているでしょうし、さらに兵士達にも伝えることが出来れば敵の士気は完全に落ちます」
颯馬の言葉にはこの好機を逃してならないという気迫が滲み出ている。
謙信も如何なることがあろうと時が来れば攻めるつもりでいたため、すぐに攻撃命令を出した。
また、龍兵衛が城内にもこの情報を流して動揺を誘った。
結果、士気が落ちた城兵に上杉の猛攻を凌ぐことはできずにその日のうちに会津新宮城は落城し、佐瀬は命からがら脱出していった。
落城と共に颯馬と龍兵衛は段蔵との集合場所に向かった。
「段蔵、戻ったか?」
二人は新宮城の隅で段蔵が居るのを確認する。
ここだと言う声のする方向に向かうと彼女がいた。
黒川城の情報を聞くと針生の一件に連座して、猪苗代盛国が謀反を疑われて黒川城に呼ばれたらしいが、謀殺されるのを恐れ、猪苗代城ごと伊達に寝返ったらしい。
「(歴史通りだけど……何か引っ掛かるな)」
猪苗代の独立意識が強いのはわかっていたが、時期が早過ぎる。
あの者が寝返るのはもっと後の摺上原の戦いであった筈だった。
「(まさか……)」
一つの警戒感を覚えた龍兵衛は段蔵に伊達のことをこの戦が終わり次第、直ちに調べるように頼んだ。
三日後から上杉軍は黒川城に進軍し、攻略を始めた。
しかし、蘆名の本拠である黒川城は東西に伸びる連郭式の縄張で東西北に出丸があり、特に南の本丸に近い北の大手丸は後世にその堅牢さから鏖丸《みなごろしまる》と呼ばれた出丸を持つ東北屈指の城である。
鏖丸については後に伊達、蒲生が城の改修を行ったことで出来た物で現状、あまり拡張していない。
「それでも今も昔も堅牢ということに変わりないか」
独り言が聞こえてしまったようで、訝しげに颯馬と兼続が振り返ったが、龍兵衛はなんでも無いと首を振る。
「でも、確かに堅牢な城ではあるな」
颯馬が言うと兼続も同感だと頷く。
攻略を進めて数日、手掛かりが全く掴めないまま時間だけが過ぎていく。
東は三の丸、二の丸があり。西と北の出丸は場所によっては本丸から攻撃される可能性がある。南は沼があって攻めるに攻められない。
「よくもまぁ、こんな城を建てたなあ」
龍兵衛はぼやくが、目が笑ってない。どこから攻めるかを頭の中では考えていた。
「ですが、今後を考えるとあまり戦力を消耗するべきではありませんな」
隣にいた親憲も厳しい目をして堅牢な城を眺める。
「確かに、兵士達も夏の暑さに参っていますからね。龍兵衛のように暑さに慣れている方が珍しい」
「おいおい颯馬、俺だって我慢しているんだ。今年は暑いよ」
今、上杉軍がいる会津盆地は名前の通り盆地の為、昼は暑いのは当然のことである。どこか涼しい場所を求めて高い山にでも登りたい。
龍兵衛は「山……」と脳裏に思い浮かんだ言葉を呟く。
おとがいに手を当て、考え事を始め、考えをまとめるとすぐに顔を上げた。
「水原さん、ありがとうございます」
親憲に礼を言うと龍兵衛は戸惑っている親憲をよそに謙信の下へ、同様に頭の整理が追い付いていない颯馬と兼続を連れて向かった。
「どうしたんだ? 急に」
謙信と景勝がやって来て、訝しく龍兵衛を見る。
「我々は黒川城に目をやり過ぎました……」
彼の言葉に五人はさらに眉をしかめた。
「向羽黒山城を攻めましょう」
謙信と軍師たちの表情が納得したものになり、景勝と親憲はさらに首を傾げる。
向羽黒山城は白鳳三山の最高峰である岩崎山に建てられており、先代の盛氏が隠居後にそこに移り、政務を監督するなどしてきた、蘆名にとって重要な拠点である。
「かの城を落とせば、敵は退路を失う。こちらの守りはいかがする?」
「蘆名が好機と見て、動く可能性もありますが、そこはいかようにも対応できるかと。上手くいけば黒川城を落とせるかもしれません」
そこまで言うと龍兵衛は颯馬と兼続を見る。二人も言いたいことを理解したのか、自信を持った頷きを謙信に示す。
「よし、隠密に動く必要があるだろう……景勝」
「?」
「お前が三千の兵を率いて向羽黒山城を落とせ」
全員が驚いて謙信の方へと向けられる。至って真剣な表情で言っているため、これが決定事項なのだと皆が察する。
「良いか。我らにとって初めての越後以外の領地を得る戦だ。そこで景勝が勝利に導く戦功を立てることで正式な世継ぎとして周囲の大名も認められる」
「天下に知らしめるお気持ちは分かります。しかし、仰るとおりこの戦は我らの緒戦であります。ここは、兼続か水原さんに任せてはいかがですか?」
颯馬の意見に謙信は即座に首を横に振る。
「いや、だからこそだ。この戦で重要な戦である以上、景勝に任せたい。無論、勝つために盤石の体制は整える。龍兵衛、慶次。お前たちが景勝を補佐しろ」
「はぁい。任されました」
「……御意」
龍兵衛は熟慮したかったが、慶次の即答によって便乗しなければならなかった。
提案したのは自分だが、前提として上杉軍の勇猛な将を兼続か親憲の下に集結させて一気呵成に叩くことを想定していた。その前提条件が崩れた以上、戦略を見直さなければならない。
その思案をよそに謙信は軍議を終わらせる。
慌てて龍兵衛も立ち上がり、段蔵を呼んで大至急向羽黒山城を調べるように伝えると慶次の後を追う。
「おい。何であんなにすんなりと承諾した?」
「え? だって、かっつんが手柄を立てる良い機会じゃない」
「もう少し将が欲しかったんだよ」
「夜襲だし、人も少ない方が良いでしょ?」
「少な過ぎる。お前が前線を全部指揮することになるぞ」
「あら……もちろん、そのつもりよ」
慶次の口調と目付きが一気に真面目になる。本気で景勝を支える覚悟があるようだ。そして、龍兵衛に同じ覚悟が無いのかと問いているようにも感じられる。
「分かった。じゃあ、それなりに動いてもらうからな」
「もちろん、任せなさい」
慶次は含みのある笑みを浮かべ、去って行く。
龍兵衛も息を吐くと来た道を戻る。
「おい。段蔵、まだいるか?」
「何? 追加の仕事?」
「嫌そうにするな。悪いが、城に向かう時、噂を三つ流してほしい」
「良いよ。内容は?」
「金上によって針生が討たれたこと。金上が松本も疑っていること。それから二階堂の援軍は上杉が撃退したこと」
向羽黒山城を守るのは松本氏輔、行輔親子である。
かの一族は元々、蘆名に謀反を起こしては粛清されることを繰り返してており、流言を真に受けることが出来るうってつけの人物である。
「嘘も混じってるけど」
「良いんだよ。どうせ、情報なんて言ったもの勝ちだから」
段蔵を急かして行かせると一旦休憩すべく、あてがわれた部屋に戻る。
水を飲みながらぼんやりしていると人が近付く足音が聞こえ、姿勢を正す。
外から見える影から景勝だと悟り、襖を開けて出迎える。
「いかがしました?」
「景勝、不安」
すぐに向羽黒山城を攻略することだと分かった。
「大丈夫です。自分と慶次が全力で支えます」
「負けたら、怖い」
握っている拳が膝の上で震えている。
「負けたことを考えるのは自分の仕事です。そうならないようにすることが一番であり、それに向けて色々と考えておりますから」
「大丈夫?」
「大丈夫です。決して景勝様が危惧するような事態にさせません」
「ん。分かった。景勝、頑張る」
入ってきた時の不安そうな表情と雰囲気はかき消え、鼻を鳴らして息巻いている。あまり強気になりすぎても困るが、先程よりはまだ良いかと指摘せずに置いておく。
「ごめん。時間、取った」
「ああ、大丈夫です。今は休憩していたので」
「じゃあ、景勝、まだここ、いて良い?」
断る理由も無いため、良いと頷く。
嬉しそうに距離を詰め、肩を左右に揺らしている。
次期当主として大変な時期である。時にはゆとりも必要だろうと戒めることなく、特に話題も無いが、互いに無言のまま時間を過ごす。
龍兵衛は改めて無駄な時間のある大切さを知ったような気がした。
まだ蘆名を討つことは終わっていないが、こうしたのんびりとした時間を獲得するために軍師として早くこの戦を終わらせることが自身の仕事である。
「やりますか……」
「……?」
独り言が聞こえてしまったようで、小首を曲げる景勝に何でもないと首を横に振る。
再び無言の時間が始まる。だが、龍兵衛の頭は先程とは違い、完全に回転していた。
その日の夜、向羽黒山城は夜襲と内部の混乱によって収拾が付かないまま落城し、松本行輔、氏輔親子も討死した。
こうして、上杉軍は黒川城の退路を断ち、完全な包囲を完成させた。