上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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薄紅の華が散る空に

 本能寺のみならず、上京にも燃え移った火は住んでいた人々に悪魔が火と化して襲って来たように思えただろう。

 逃げ遅れた者は火の海に飲まれ、逃げ切れたとしても着の身着のままで逃れた人々は生活の糧を一夜にして失い、目の前で金が全て海の底に沈められたような衝撃を受け、膝から崩れた。 

 そして激怒し、このような事態に陥らせた者を憎んだ。

 世間で魔王と騒がれていたとしても自分たち商人の発展のために様々な政策を立て、治安維持に努め、生活を豊かにしてきた信長は大恩ある御仁である。彼女がいたかこそ成し得たものは死ぬまで続く。そう信じていただけに京の商人は突然のことに大きな衝撃を受けた。

 それ故に明智光秀が反乱を起こしたと知ったことで、商人たちはこぞって丹羽、羽柴、柴田といった有力家臣を頼った。信長の下で団結していたはずの商人が割れたことは支援を受ける家臣達も思惑が変わり、そこから徐々に対立が起こる。その隙に機会を逃さずに謙信を急いで京から脱出させ、関東平定へと動き、背後を万全にして京に上る。

 

「……如何でしょう?」

「うちは悪くはないと思います」

 

 特有の訛りのある口調で千宗易は答える。彼女の屋敷から少し離れた山林の中にある三畳半の茶室はその狭さ故に身を引き締められる思いがある。

 宗易が一段落付いた龍兵衛に対してまだこれからだと思わせるために招待したのだろうか。否、と龍兵衛は志で首を横に振る。ある時まではここは無限の広さを感じるほどに錯覚を起こし、寝転がりたくなるような落ち着きがあった。だが、今の茶室は異様に狭く、居心地が悪い。その中で動かずに入れるのは茶室が暗く、まるで恐怖で体を動かせないような状況にしているからだろう。

 

「悪くはないとは?」

「関東の北条は佐竹と里見で手一杯。一気呵成に京に来られれば良いものを」

「あいにく、佐竹や里見もまだ完全に服従した訳ではないので」

「武威を示してから、と……ほんにお武家さんは難しく考えることで」

 

 宗易は溜め息を吐きながら手際良く湯を茶碗へ入れる。

 

「北条はいつ頃倒せるとお考えで?」

「一年で必ず」

「ほんまに?」

「さる御方に依頼して調略をしております」

「道二はんは息災で?」

「ええ」

 

 自然と宗易の表情が緩む。愛弟子の無事を心から安堵していると悟った。

 茶を立てる音が消え、龍兵衛の前に碗が置かれる。すぐには飲まず、彼は鉄扇を上に乗せ、しばらくして何も変化が無いことを確認するとゆっくりと茶を一口飲む。そして、少し間を置いて息を吐くと一気に飲み干した。

 

「そんなに気にせんと河田殿に毒など盛るはずがありません」

「隣にいる御仁を見て、安心出来るはずがないでしょう」

「まぁ、それは否定しません」

 

 微笑む宗易を見て、龍兵衛は背筋が冷えた。彼女もまた、そういう人なのだと確信し、利用するかされるかの争いを繰り広げていかなければならないと思い、内心の疲労が一気に溜まった。

 碗を宗易の方に置き、彼女が拾うのを見計らうと龍兵衛は口を開く。

 

「唯一の目撃者である村井貞勝も死に、松永殿が実行したと言っても信じてくれる者はいないでしょう」

「それでも、この御方は好みが強さ故、ひびが入れば元には戻りません」

 

 隣で倒れている松永久秀その人を一瞥しながら、宗易は終い支度を始める。

 

「それは自分も否定はしませんが、力を抑えておけばなかなかに働いてくれたのでは?」

「心にも無いことを……河田殿とて、いずれは松永殿を殺すつもりだったのでしょう?」

「否定は出来ません。しかし、まだまだ京に上るのが先である以上、彼女にはもう少し手駒として動いてもらいたかったのですがね」

「信長殿が死んで、畿内は混乱の中、そこで松永殿が一気に領土を回復するかもしれませんよ? まさか、それも踏まえても構わないと思うておるのです?」

「ええ。松永殿がそこまで大きくなるとも思えないですし。もし見当違いでもそれはそれで……」

「ふふ……面白い人どすなぁ。まるで謀を楽しんでいるかのよう……」

 

 龍兵衛は苦笑いをして頭を振る。謀を駆使しているのは上杉を天下統一の立役者にするため。それを邪魔する者を消すために行っているのだ。

 

「宗易殿とて、よほどの策士かと」

「松永殿は元々死んでいた方。いなくて当然でしょう」

「しかし、謀略に生きた極悪人の末路がこれとは、いささか残念です」

「世ではすでに火の中で無くなった方。今の内に死んだ方が幸せでしょう」

「貴方は恐ろしい」

「いえいえ、河田殿には叶いませんえ。信長殿を殺める提案は貴方はんからもろたことですし」

「されど、その提案を受け入れ、実行まで動きやすくしてくれたのは宗易殿です。この恩は感謝しきれないものです。しかし……上京まで焼き払うのは自分も想定外でした」

「ええ。あれはうちがやったことです」

「あなたは堺の出ですが、ここまですることはないでしょう」

「勘違いをせんと……あれはうちが京を好みに変えるためにやったことです」

 

 表情は変えないが、龍兵衛の宗易への危険視がさらに強まった。上京が燃え、再興には多大な資金がいる。そこに宗易が手を差し伸べ、介入しやすくして宗易好みの街を作ろうとする。しかし、そのために関係の無い者を殺めることを平然と行う。

 

「案ずることはありまへん。謙信殿はご無事だったでしょう?」

「今頃は近衛殿との会見をしているかと」

「あの関白様も随分と剛胆なことで」

 

 宗易は呆れたと肩をすくめる。謙信が延期を申し出たにもかかわらず、関白近衛は向こうからこういう時だからこそ隠密行動が出来るということで予定通り実行されることになった。

 

「後、河田殿に一つ勘違いをしないで欲しいことが」

「何でしょう?」

「上京への放火。うちはうちだけで決めた訳ではありまへん」

「まさか、松永殿が……?」

「いえ。この方にも知らせてはいまへん」

「……まさか」

「はい。お墨付きをもろてます」

 

 前のめりになっていた姿勢を戻す。宗易に湧いていた殺意に近いものが一気に冷めた。宗易の独断でなければ何か考えがあってのことだろう。もちろん、京復興の資金を上杉が出すことで民の評判を高めることは当然である。しかし、さらに深い考えがあるからこそ、あえて上京を焼き払うというかなり危険なことを許可した。

 

「理由は?」

「うちは何も」

「やはり、か」

「気になるのであれば、直接会いに行けばよろしいのでは?」

「あまりこそこそと動いていては謙信様が疑われます」

「確かに、今あの地に出向くのは少々不自然どすなぁ」

「書状にてやり取りは続けております。それ故に、教えてもらえるのは時の問題かと」

「あの方に教える気があれば、の話やろ?」

「ええ。しかし、今回のことは説明無ければ得心がいきません。宗易殿とは違い、明確な利益がない」

「うちのためだけに動く人でもないでしょうし」

 

 宗易も本当に見当が付かないらしく、目を伏せてしまった。

 

「時に、宗易殿はこれからどうするおつもりで?」

「当分は羽柴殿に付こうかと」

「柴田殿や丹羽殿は?」

「柴田殿も丹羽殿も上に立とうという器量がありまへん。堺や京を守るにはやはりそれなりには導く方がおらんと」

「なるほど。やはり信長殿の力は強力だったと」

「ええ。察しのええことで」

 

 宗易は穏やかに微笑む。上杉に助力したとはいえ、身近に頼るところは、やはりこの辺りは商人といったところだろう。そして、龍兵衛がここで彼女を殺さないと分かっているから、平然と誰に付くのかも言える。

 恐ろしい人だと思いつつ、彼はこれで話を終わりにしておく。

 

「時に、お願いしていた金や銀の交易はいかがです?」

「堺は信長殿が倒れ、動きやすくなったので大丈夫かと」

「対となる品の支度は?」

「万事つつがなく。南蛮の物から茶器、様々な品を見繕っております」

「感謝致します。それから……」

 

 龍兵衛は袖の下に隠していた袋を取り出し、宗易の前に置く。

 

「これは?」

「密かに南蛮より得た価値の高い石。宝石と呼ばれるものです」

 

 宗易は重みを確かめるように何度か袋を上下させてから紐をほどいて中をあらためる。色は茶色く、輝きは緑色や透明なものとは程遠い。

 

「ふむ……」

「黒はなかなか難しく、これから腕を磨くことが必要かと」

「そもそも、日ノ本で売れるもの違います?」

「確かに、日ノ本ではまだまだ価値など無いでしょう。しかし、外つ国人にはいかがです? ひけらかさず、隠さずに……闇商人なら腐るほどいるでしょう?」

「……ふふふ。河田殿、貴方も随分と人が悪い。惹かれてしまいそう」

「悪い冗談は脇に置いて。では、これはお譲りします」

「まぁ。それほどうちのことを信頼してよろしいので?」

「死線にわざわざ飛び込んでくれたのです。それだけの見返りは必要でしょう」

「手付けだけでもあれほどやったのに……ほな、貰っておきます」

「では、これに判を」

「お待ちを」

 

 宗易が龍兵衛を鋭い口調で止める。何故だか喉元に刀を突き立てられている感覚に襲われ、背筋が凍る。

 

「何か」

「金の価値を下げるような真似をしてよろしいので?」

「我々が売ることで金の価値はむしろ上がります」

「出し惜しみはするな、と?」

「左様。価値のあると思わせるのは外つ国人にのみ。彼らの銀を自分は欲しているのです」

 

 宗易は目を丸くする。龍兵衛の思惑を全て理解し、驚き、最後には笑ってしまった。

 

「これほど面白い人に会ったのは久しぶりや」

 

 龍兵衛の出した書状を宗易は受け取り、一読すると迷い無く署名をした。書き終えた書状を確認し、龍兵衛はそれをしまう。

 

「銀山の価値が落ちてしまうのやろか……」

「銀はあくまでも中継ですよ」

「はて?」

「琉球や蝦夷、朝鮮にはまだ見ぬ代物があるのでしょうね。そして、それを元手に侘びの美が見出されることも……」

 

 宗易は龍兵衛の大きな独り言を聞いた途端、滑るように彼に近付き、耳元に口を寄せる。

 

「その商いの才、本気で惚れてしまいそう」

「冗談には乗らないほどには」

「うちは別に本気にされてもええんやけどなぁ」

「今は現を抜かす時でもないでしょう。それに長々とここに留まっていると自分が怪しまれます」

「致し方ないですね」

「そもそも、亡骸の隣でなど、その気にもなれません」

「あら、うちは一興やと思うとります」

 

 宗易が自らの欲望に忠実であることを忘れていた。彼女は自ら望むものなら、天下人や修羅の道を歩んだ同胞さえも石ころのように蹴落としてしまう人間だ。もし、謙信も自ら望む世と違うと悟れば再び動くだろう。そのような危険人物はさっさと亡き者にするのが一番だが、彼女の名声は轟いており、下手に動いてこちらの首を絞めるようなことになるのは下策。

 龍兵衛は宗易の目を上目で見る。一見穏やかで、虫さえも受け入れるような表情をしているが、眼の中は静かかつ確かに己の望む世の創造に向けて燃えている。何となく史実で秀吉が宗易を徐々に疎むようになった理由が分かるような気がした。

 

「では、もうこの場はこれにて……結構なお点前にございました」

「お招きに応じていただき、感謝申し上げます。また、今後とも末永きお付き合いを」

「ええ。いつしか、上杉が京に上る時に」

「あ、そういえば、あの方がそろそろ目的も果たせそうだから、と仰っていましたけど……何のことです?」

「……なるほど」

「分かるのです?」

「ええ。宗易殿、改めて此度はありがとうございます」

 

 宗易は静かに頭を下げる。京とのつながりは今まで越後から派遣していた者に任せていたが、直接、影響のある者と誼を結べたことは上杉にとって大きな収穫となる。たとえ宗易が腹の内では上杉を裏切るつもりでも情報が集まるのは大きい。

 龍兵衛も今後の成果を期待しつつ頭を下げる。信長の死んだ後、儲けのために繰り広げられる競争に上杉が立つ、次の一手を考えながら。

 

「それで、この遺体は?」

「うちで片付けますさかい。ご安心を」

 

 茶器の片付けに手を動かして遺体に見向きもせず、宗易は返してきた。龍兵衛もそれに習い、振り返らずに茶席を立った。

 松永久秀という悪党の最期の場所が戦場ではなく茶席というのは数寄者である彼女にとってはある種良かったのかもしれない。居城で死ぬよりも生き恥を選んだのは紛れもなく彼女自身である。

 だが、信長の暗殺を手伝う代わりに大和の所有を保証するという嘘を信じるほどに執念に燃えていた割には随分と呆気なく感じるのも事実である。

 松永久秀という梟雄とも呼ばれる人物ならこれを足がかりにさらなる飛躍を遂げようと画策できたはずだ。以前会った時に見た彼女の目は野心と欲望に満ちていたが、結局表舞台には全く立てずにただ三悪を成した生涯にあの世で彼女は何を思うのだろう。

 

「まぁ、考えても仕方ないか」

 

 尋ねようにも死人に口は無く、久秀の野望の終着点はとてもではないが見えない。おそらく理解しろと言われても分からないだろう。だからこそ、人が彼女を避けて完全な独立をして大名の舞台に立てなかったのかもしれない。

 彼女がどのような態度で人に接してきたのかは推測の域を出ないが、同じ謀の人間でも道三のように人間味を家臣に見せていればもう少し変わっていたかもしれない。

 結果、宗易殿も信用しない人間になったのだから人の猜疑心はいとも簡単に揺れ動くものだと龍兵衛は肩をすくめる。

 人は少しぐらい本性を垣間見せることが必要なのかもしれない。それが誰であろうと一人ぐらいには。

 

(まさか……)

 

 龍兵衛はあることに気付いて足を止める。

 宗易が久秀をわざわざ龍兵衛の前で殺したのは彼に対する警告でもあるのではないか。

 誰か御家の中に真の自分をさらけ出し、欲を素直に出せる者を置くことが身を守ることであり、そうでなければ、久秀の二の舞になる。

 

「とはいえなぁ……」

 

 龍兵衛は首をかきながら再び歩き出す。官兵衛にさえ本当の自分として接していないと悟られていたと思われていたのは予想外だ。実際、そうなのかもしれない。

 本当の自分を知っている人など上杉にはいないのだから。

 何度目か分からないほどの溜め息を吐き、龍兵衛は顔を上げる。

 まだ京の街は焦げ臭く、肉の焼ける匂いがしていた。

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