上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

198 / 207
儚き者

「自分勝手……」

 

 景勝の一言は龍兵衛や亡くなった政景に向けられた言葉であるとすぐに理解した。だが、龍兵衛が欲するのは自身に対する景勝の意志である。それを待ち、黙って彼女の口をじっと見続ける。

 しばらく沈黙が落ち、蝋燭がそろそろ途切れそうになっていることに互いに気が付かないまま、時間が過ぎていく。

 そして、意を決したように景勝は無理矢理作った笑顔を向けた。

 

「だ龍兵衛、仕方ない。お父さん、きっと龍兵衛いなくても、一人で、そうした」

 

 何かを堪えるような震えた声だが、龍兵衛にはこれまでの言葉より倍以上の効果があった。

 これまで何人もの人間を陥れてきた。その時、皆が表情を歪ませ、顔の皮をむしり取るように爪を立てて指を引っ掻く。もしくは頭を抱え、壊れた音声機のように同じことを呟き続ける。

 今まで彼らを見て、何の感情を持たずに生き地獄へと突き落としてきた。それをまさか自分自身で味わうことになることになるとは思わなかった。

 距離を取り続けていたから分からなかったが、景勝が気付かず、調べずにいたからこそ何事も無く生きていられた。しかし、龍兵衛自身が政景殺害の実施していたと告白した今、彼女ははたしてどうするか。

 

「……許す」

 

 呟いた言葉に龍兵衛は思考回路を完全に中断し、少ししてすぐに我に返り、下唇を噛み切った。滲む血が口の中を鉄の匂いで覆うが、不快な味覚に構わず、景勝を睨む。

 

「今、言ったこと。証無い」

 

 意図を悟った景勝は感情の無い声で告げる。

 彼女の言う通り、龍兵衛の告白は上杉家中に伝えられている政景の死に関する情報を根底から覆すものである。

 万が一、それを景勝が龍兵衛から聞いたと言っても何を今さらと思われるのが目に見えている。たとえ景勝が地位を利用した強権を行使したとしても政景の名誉が回復するわけでもない。

 定満の死もすでに命をかけた反乱分子の排除という誇り高いものと差れている。

 それを龍兵衛という外様で曰く付きで有名な者が実は、となったところで定満の名誉を踏み潰し、上杉の歴史に泥を塗ったと言われるだけである。

 つまり、龍兵衛は景勝の心を抉っただけで、何も誰かのためになったことをしていない。

 悟った途端、遂に景勝の顔を見れなくなり、髪が乱れるのも構わず頭を押さえ、うずくまる。

 

「景勝の目、見て」

 

 顎を持ち上げられ、無理やり景勝の顔を見せられる。

 

「龍兵衛、現実から目、背けない。見て、景勝、龍兵衛を許している」

「なら、その目は何ですか? 人を蔑むような怒りに満ちたその目は」

 

 政景を殺めたことでまた、自身を信じてくれていた者を裏切る。目を背けたいが、出来るはずも無い。彼女は信じていたがために傷付き、自身を罰したりしない。

 だが、景勝には恨みという感情を抱いたはずである。言葉で憎むことができないと言えど、政景が信じると言えど、肉親を失った悲しみは全ての理性を消し去る威力を持っている。

 

「龍兵衛、逃げるから。景勝から逃げて、自分から逃げて、自分が特別でいようとする」

「それは、先程も申した通り……」

「甘えていたのは龍兵衛だけじゃない」

 

 どういうことかと目を細める。

 

「龍兵衛、全部危ないことやってくれた。景勝、やらなきゃいけないことも全部。だから景勝、皆から褒められてた」

 

 震える声で発せられた景勝の懺悔。しかし、龍兵衛にとって中和される甘美なものではなく、傷口に塩を塗られているようなものである。

 

「止めて下さい。それ以上言われると自分がますます甘えていた自覚が……上杉のためと、格好良くしていただけなのに……」

「辛かった。頑張った……お父さん、分かってた。これまでも、これからも」

 

 景勝以上に龍兵衛もまた狂ってしまいそうになっている。父の仇を討つとしてそのまま突き放してしまってくれた方がまだ良かったかもしれない。

 彼女から受ける甘美な対応が心に狂気を妊む毒となって心に染み渡る。その甘い感情にほだされていたことを、今までずっと見えないところで庇ってくれていたことを自覚させられる。

 

「許してあげる……」

 

 自分にも言い聞かせるような景勝のその言葉が龍兵衛の濁っていた脳内を鮮明にした。

 

「では……景勝様が公に許しても私的に許さない事実を告げましょう」

「え?」

「証が無いため、これは独り言になります」

 

 景勝が頷く。全てを受け入れる残酷なまでに甘美な毒が無意識なまでに体内へ入ってくる。

 

「景勝様、自分は京である者を殺めました。ですが、それは信長ではありません」

「……?」

「今も昔も自分の最愛で唯一の理解者だったものです」

 

 龍兵衛の顔を押さえていた景勝の手が震え、目を見開き、無言で訴えてくる。

 嘘でしょ、と。

 その目を穏やかに龍兵衛は見返し、本当だと一つ頷く。

 死してもなお愛すべき者だと定めた者がいる。他者にはその間に入り込む余地は古今東西無い。

 景勝は龍兵衛のことを最も好いている。しかし、想い人は何度もの葛藤の末に過去を知る幼馴染を選んだ。

 

「どうです? 景勝様、それでも自分を許しますか?」

 

 歯ぎしりが聞こえ始める。生涯、彼女は想い人から選ばれない事実を知り、許そうと思っていたはずの心が再び怒りと悲壮を覚え、揺らぎ始めているのが手に取るように分かる。

 その様を見て、龍兵衛の背筋に何かが走った。

 同時に自己嫌悪に陥る。

 怖気付いたわけではなく、景勝の姿を見続けた結果、面白い、さらに見ていたいと思ってしまった。

 これまで誰がそうなっても何も思わず、蹴落としてきた。それが景勝を見て快感を覚えてしまった。今までくすぶっていたのか、彼女故の現象か、分からない。

 だが、景勝を見て喜びを感じた事実は確かである。それに対して微温い、ぬめり付くような水に沈んだような不快感が襲う。

 その感覚を抱いたままいつまでも互いにそのままにしておくのも如何なものかと思ったが、おそらく景勝も今、声をかけても届くことは無い。

 代わりと言うにはおかしいが、景勝の表情を観察する。

 憤怒、憎悪、慈悲、悲哀、嫉妬。

 すべての感情が入り乱れ、交じり合う表情が愉悦を引き立て、体を震わせる。

 何ということだろう。先程、抱いたはずの嫌悪感を簡単に踏みにじるほどに彼女の所作が素晴らしいと思ってしまう。

 生き甲斐に感じても良いかもしれない。

 そう思った時、不意に過去の記憶が呼び覚まされる。 

 

『己を知れ』

 

 面と向かって謙信に言われてからずっと気にしていた。

 悩み続けていたのは龍兵衛自身だけではない。もちろん、景勝が様々な悩みを持っていたことはよく知っている。自分勝手と言われるのは大いに結構。だが、許されざるものをただ甘んじられて許されることや景勝への抱いた感情に乖離を自覚し、気付いた。

 彼女は、ただ人として軍師として悪役となり続ける自身を認めてくれる。

 

「良いんだ。もう、自分が何者だろうと……」

 

 呟くと景勝の目を鋭く見つめる。あいも変わらず、歪んだ表情を浮かべ、悩んでいる。

 

「景勝様……」

「むにゅ!? ん、ぬー!?」

 

 景勝を抱き締め、龍兵衛は唇を奪った。突然のことでじたばた動く彼女を離さないと腕に力を込める。

 ぱっと身体を離すとまだ足りないと再び引き寄せる。

 今度は抵抗が無い。先程の唇を合わせるだけとは違う濃厚な舌の絡め合う。

 少しだけ瞼を開くと彼女は顔をほんのりと赤くしている。そして、一筋の涙が頬を伝っていた。それを見て、龍兵衛は自分が行った突発的な行為に気付いてしまった。

 

「申し訳ありません」

「急……」

 

 謝りつつも景勝を離しはしない。彼女も嫌だと言わず、口元を押さえながら龍兵衛を睨んでくる。

 

「最愛たる者はいなくなりました。自分が迷いを抱いたがために招いた種です。しかし、彼女を殺した時に気付いたのは孤高でいられたのは一人でいたからではなかったということです」

 

 景勝は今の状態を咎めず、独白を聞いてくれている。

 

「景勝様、自分は最悪な人間です。迷いを抱き続け、そのために最愛と気付くのに遅れ、その者を殺し、ようやく気付いた後、貴方様に最愛でないことを伝えながらも許されざる罪を許してほしいと甘えようとしている」

「もういい……」

 

 言葉をつなぐ唇が指で押さえられる。

 龍兵衛が俯いていた顔を上げると頬を少し赤らめた景勝がこちらを見ている。

 

「景勝、龍兵衛がどう思っても良い。景勝にとって一番じゃないか、大事」

「では、あのようなことをした後でも景勝様にとって自分は最愛であることに揺るぎないと?」

「うん。不思議、龍兵衛にちゅーされて、嬉しいって思ってる」

 

 恥ずかしさなど捨て去ったと言わんばかりに背中をかきたくなるような台詞を言われ、表情を変えないように眉を下に落とす。

 

「自分が景勝様を最も想わなくても良いのですね?」

「それが龍兵衛の道。景勝の道。でも、景勝、全部無くなっても、一緒に地獄行く覚悟」

 

 自分から唇を重ねてきて何を言っているのか、と景勝が睨んでくる。確かにその通りだと自身で自嘲気味に笑いたくなるが、堪えてその覚悟に対して応えなければならない。

 

「……分かりました」

 

 景勝の覚悟が本物であるのは知っている。どれだけ龍兵衛に恨みを植え付けられようと踏み潰し続ける優しさと彼からの行動させる天然の恐ろしさを持って、離れかけていた崖の間を繋ぎ止める橋を強引に作り、駆け寄らせた。

 呟くような回答であったが、彼女の目が嬉しそうに開かれる。室内の空気も一気に重苦しさを払拭されたように彼女の明るさが戻り、視界も少しだけ広がった。

 外の静けさからもう城には見回りの兵だけしか起きていない。いたとしても仕事が溜まっている者達だが、すでに疲れから眠っている刻限になっている。

 さすがにこれ以上、時間をかけるのは互いに良くないと考え、結論を付けるため、息を深く吸い、景勝の目を射抜くように見る。

 

「景勝様は自分のことを嫌いにならないのならば自分はそのつもりでいたい。そう思っただけです。ですが、これだけは覚えていてください」

 

 何度目か分からないが、景勝が強く頷く。

 

「自分は、景勝様と共にいることを拒否しません。ですが、あくまでも惟信がいなくなったがためであり、肉親を失った悲しみと狂気を共有し合えるためです」

「うん。お互い、心埋める。甘える者同士」 

「景勝様、受け入れられるのですか?」

「そうしないと景勝、駄目になる。約束でもいないといけない」

「空しくないですか?」

「景勝、いたいから。それだけで良い」

 

 朗らかに笑う景勝を見て、先程までの苦悶の表情はどこにいったのかと呆れたくなる。

 そして、龍兵衛には嘘を付いていることも容易に分かっていた。本当なら二人が互いに心から愛し合う関係を望んでいるはずだ。それをある種、交わることの無い陰陽の調整をする生贄のような難しい間柄を強いられることで、唯一、甘えられる者同士でいることにさせられている。

 持ちつ持たれつと言えばまだ聞こえは良いかもしれないが、互いに自覚をしているこの関係性に名前を付けるとしたらどのようなものだろう。

 

(悪魔の取引かな)

 

 景勝が首を傾げて覗き込んできたため、何でもないと首を横に振る。

 

「しつこいようですが、自分の最愛の女性は心と記憶に残します。ですが、これからは景勝様の思いを踏みにじって、一方的に別れたことを贖罪させてもらいます」

「なら、もう離れない?」

「ええ。景勝様が自分を許してくれるなら」

 

 行き過ぎた緊張は熱くなった心を冷ます。しかし、慎重にならなければ不安を拭うことは出来ない。

 ここまで来ても人が行動しない限り信頼することが出来ない性格に嫌気が差す。しかし、それが自身の持ち味と今は開き直り、景勝の答えを待つ。

 

「許す」

 

 寸分違わず、景勝は答えてくれた。

 肉親の恨みは物語でも現実でも決して拭われることの無い怨念となって末代まで続く。その怨念を簡単に踏み潰した景勝を龍兵衛は呆れながらも恐ろしく思った。

 景勝は飛びつくように首に手を回してくる。龍兵衛の喉仏に直撃したが、堪えてあげる。

 

「龍兵衛、お父さん殺した。でも、お父さん、龍兵衛、分かってた。きっと……ううん。絶対、喜んでる」

「深い傷を負わせた罪、それを自分も償うつもりです」

「傷の共有」

 

 龍兵衛は先程の疑問を容易く解決してくれたことに少し眉を吊り上げる。

 一方で、全く気付かずに懐いた猫のように頭を頬に押し付けてくる景勝に呆れ、表情筋を緩ませてしまう。

 

「さて……」

 

 しばらくして、いい加減眠気に誘われてきた。明日も溜まっている仕事を片付けなければならないと思うと早く屋敷に戻って休みたい。

 

「景勝様、今宵はこれぐらいで……」

「や」

「しかし、明日もやるべきことが……」

「ん。分かってる。けど、遅い。一緒に泊まる」

「えっと。つまり、この部屋でですか?」

 

 景勝はこくこくと頷き、手慣れた動きで布団を敷く。もちろん布団は一式だけだが、枕を二つ置いている。

 

「景勝、眠い。龍兵衛、疲れた」

 

 布団の上に座ると龍兵衛が来るのを待つ。礼儀正しい犬のようだと思いつつ、添い寝なら構わないかと肩をすくめ、了承したと頭を下げる。

 布団に入り込むと景勝も体を密着させ、足を絡ませてくる。少し冷たさが足裏から下半身を通して全身に渡り、心地良さを生む。それがさらに睡魔の味方をしてまぶたを重くする。

 景勝を見るとすでに寝息を立てている。無防備と思いつつ、たった数刻でここまで信頼を取り戻せるのは予想外だった。

 だが、これで精神的に悩まされる日は無くなる。互いに傷を容赦なく付け合い、散々なまでに塩を塗り合い、治らない跡を埋め合うことで、心の平穏を保つことが出来るようになった。

 純粋な恋とは異なる必ず最期まで続く関係性を築き上げたことがはたしてどのような顛末を迎えるのか。それは龍兵衛自身、景勝さえも分からない。

 考えても意味が無いと思考を停止させ、蝋燭の火を消し、もう一度景勝を強く抱き寄せる。

 限界がきていたまぶたはすぐに閉じられた。

 

 

 池の船着場、政景の殺めた後、龍兵衛は舟を付けて呆然として水面を眺め続けている。

 本当に正しいことをしたのだろうか。

 本当に上杉のためになったのだろうか。

 本当に政景は死を望んでいたのか。

 上げてしまえばきりがない。

 しかし、事実として政景がここにいない。

 思考を巡らせていると草陰から物音が聞こえ、首だけ振り返る。

 明らかに腹に一物抱えているような満面の笑顔を浮かべる定満が近付いてくる。耳飾りは隠密のために外されている。

 

「お疲れ様」

「定満殿、これで良かったのですか?」

「うん。龍兵衛君なら来てくれると思ってたの」

「しかし、政景殿のこれまでの武功が全て潰されます」

「大丈夫。全部、景勝様のため、なの」

「そう言われると……分かりました。定満殿を信じましょう」

「うんうん。じゃあ、これで私は失礼するの」

「定満殿、貴方はどうするのですか?」

「んー。とりあえず、京で色々と頑張ってみるの。そして、謙信様や景勝様のために、頑張るの」

「しかし、そのためには定満殿は越後からいなくなることになり、それを謙信様がお許しになる……まさか……」

「後のことは、よろしくなの。このことは秘密にね」

「全て罪を、負っていただくことになります」

「大丈夫。それは私がもう手を回したの」

「政景殿が死んだ後、謀反人であり、定満殿は政景殿を弑して共に亡くなった英雄となる。そういう筋書きですか?」

「ここでそうしないとどうなるか。分かるよね?」

「……分かりました。謙信様には上手く伝えます」

「ん。良い子」

 

 定満が近付いてくるのを見て、頭を撫でるつもりだろうと頭を少し下げる。しかし、置かれると思った手は肩に落ちてきた。

 その手を拍子抜けした目で見ていると逆側の耳に呟かれた言葉に龍兵衛は心身が一瞬凍った。

 

「ようこそ。こちら側へ」 

 

 意識が覚醒する。

 外はすでに日差しが差し込みはじめており、慌ただしい足音が遠くから聞こえる。太陽の角度からして寝坊はしていないが、いつまで寝ていても仕事が増えるばかり。

 不意に隣を見やるとまだ景勝は寝息を立てている。起き上がろうとしたが、腕を掴まれてしまっている。

 そっと指を解こうとするが、かなり力が入っており、取りにくい。

 鼻で笑い、丁寧に一本一本指を伸ばしていく。それが終わると起こさないように立ち上がり、景勝に頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

 龍兵衛は部屋を静かに辞すと素早く屋敷へと戻った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。