上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

20 / 207
第十七話改 上杉のやり方 

 向羽黒山が落ちる前日に上杉軍は軍議を開いて来たるべき蘆名軍の襲来に備えている。次々と役目が決まっていく中で太田資正は軍議の中で最後まで呼ばれることは無かった。

 

「(今回は新宮城の守りですか……)」

 

 資正に関しては訓練している犬の方に大概、目がいきがちになるが、彼女とて武人である。皆と前線で戦い武功を上げたい。

 だが、城の守りも欠かすことの出来ない重要な役目、仕方無いと思っていると別の者が城の守りを命ぜられた。

 一瞬、自分は用なしなのか愕然とした彼女だが、その次に呼ばれた。

 

「さて太田。そなたには大切な任務についてもらう。動き次第では我らはいらぬ犠牲を払うことになる。そなたの動き次第では我らは苦境に立たされる。やってくれるな?」

 

 驚いている資正に構わず、机上に兼続が地図を出した。それを謙信が指をさしながらつらつらと説明していく。

 

「もし、二階堂が来たら我らの手勢では防げない。そこでその時は新宮城に退く。これは先ほどまでで確認した。だが、簡単に負ける訳にはいかない。そなたはここに伏せておき、頃合いを見計らって追撃してくるであろろう蘆名を襲ってもらいたい。よいな?」

 

 資正は考えてもいなかったことを任されることになり、目を見開くしかない。

 彼女は元々、山内上杉憲正の配下であり、主君共々、越後に逃亡し、謙信が関東管領に就任したため、正式に上杉に仕え始めた、いわゆる新参者である。

 このような重要な役目は定満や親憲などといった上杉古参の将に任せるのが普通であり、自分が選ばれることは無いはずなのに謙信の顔には迷いが無い。

 

「……わかりました」

 

 だが、功を立てる機会を逃したくないという思いが勝り、承諾した。

 上杉を裏切る気は毛頭無い。むしろ拾ってもらった恩がある。

 軍議は終わり将達は準備に出て行く。だが、どうも資正は立てる気がしなかった。

 

「謙信様……」

 

 意を決して謙信に声を掛ける。ここには彼女と定満しかいない。先程、思ったことをそのまま口に出した。

 それを聞くと二人は笑いだした。笑えるようなことでは無いはずだが、と思っていると謙信はこう言った。

 

「有能で信頼が置ける者なら、その能力を最大限に活かしてやるのが私のやり方だ。そこに古参だのというのは関係無い。案ずるな、ここにいる定満も親憲達も皆理解している」

 

 つまり、自分の力が認められているということだ。

 謙信が能力も見てくれる人物であることは知っていたが、まさか自身がそこまで評価されているとは思わなかった。従来、家に仕えている長さで見るが、謙信は囚われない。

 重圧もあるがそれ以上に嬉しく、その期待に応えようという気持ちが強かった。

 やはり上杉謙信を頼って良かった。資正は心からそう思った。

 

「それとも……そなたは私を裏切るのか?」

「そのようなことはありません!」

 

 資正が全力で否定すると謙信はその姿が面白かったらしく、笑いながら冗談だと手をひらひらと横に振った。定満もにこにこと笑っている。

 これも自分を信頼しているからこそだと彼女は奮い立つ。

 三日後にその信頼に応える時は来た。

 蘆名軍は我先にと謙信の首を求めてやってくる。

 彼らにとってこの戦で謙信を討つ討たないで今後が大きく変わるのは資正もわかっていた。自分も立場が同じならこうしていただろう。自身もわかっているからこそだ。

 

「放て!!」

 

 資正の合図で反撃の矢の雨が降り注いだ瞬間、謙信は馬首を返した。

 

「今です! 蘆名盛隆を捕らえて下さい!」

 

 その号令に続いて蘆名軍の悲鳴が聞こえて来た。

 謙信は再び反転して自らが先陣を切っているが、これは退いている時に敢えて自身が後ろに居ることで自分の姿を見せてさらに蘆名軍の目を追撃に集中させる。

 無論細心の注意を払っての事だが、後でこのことを知った軍師一同から説教や小言を言われるのは余談である。

 伏兵で混乱したところに先の戦で暴れまわった義藤と秀綱の剣聖二人。そこに軍神が加わり負けることがあろうか。

 数では上だが、蘆名軍は統制が取れないまま壊走を始めた。それは後ろから来た二階堂勢にも波及していった。

 二階堂勢を率いる須田盛秀という人物がいる。

 彼女は盛隆の父である二階堂盛義からの信頼が厚い重臣である。

 二階堂も一枚岩では無い。この戦いには不干渉であるべきだという保土原行藤らの派閥もあった中での援軍だ。

 故にこの戦に勝って行藤達に目にもの見せてやるつもりだったのだろう。

 だが、上杉軍が作り上げた展開に何が何やらわからないまま蘆名軍に釣られて撤退を始めた。

 ここで盛秀が冷静になれば蘆名も少しは体勢を整えることが出来たが、頼みの二階堂が撤退する様を見た蘆名軍兵士は降伏する者も現れる有様だった。

 

「降伏した者は殺すな! 追撃を強めろ!」

 

 謙信の声に応えて将兵も勢いを更に増す。

 もはや大勢は決した。蘆名軍は軍神とその配下にに追われる弱い祟り神となった。

 そして、更に蘆名軍に追い討ちをかけるように、凶報が来た。

 

「向羽黒山城から上杉軍が帰還。こちらを迎え撃つ布陣で待ち構えている模様!」

 

 そこからは勝利が確定した上杉の快進撃であった。

 前後から攻められた以上、蘆名、二階堂軍はただやられるしかばかった。

 黒川城に兵を残していてもこの攻勢では意味はなかっただろう。

 二階堂軍大将、須田盛秀はどうにか逃げ延びたが、蘆名盛隆はこれ以上味方が倒れて行くのを見るに耐えぬと降伏した。

 思い切ったことをする。

 殺されても文句は言えないのに自ら捕らわれるなんて自分は出来るだろうか。

 謙信に言われればそうするだろう。だが、自らの意思で命を投げ捨てるような真似は難しい。

 

「さて……」

 

 謙信は盛隆を見る。捕らわれた彼女も見返している。

 どちらも視線は合ったまま逸らすことはしない。ここには新宮城の守りをしている実及以外のこの戦いで出陣した上杉軍の将全員が揃っているが、それに怯える事も無い。

 盛隆は堂々としている。

 

「降伏したのは何故か?」

 

 謙信がまず口を開く。

 

「兵士の皆さんがこれ以上死ぬのを見ていられませんでした」

「私の命令一つで兵士も城も無くなることは考えなかったのか?」

「それは……ならば、ここで私を解放して城と共に果てさせては頂けますか? ですが、私はそのようなことはしたくありません。殺すなら私だけにして下さい。皆さんは助けてくれませんか?」

 

 兵士を殺されることだけは避けようとして自分を殺して欲しいと頭を下げる盛隆に謙信はふっと笑いながらそばに寄り全員に伝わるように声を上げた。

 

「よかろう! だが、そなたも私に仕えるのが条件だ。わかったな?」

「……良いのですか?」

 

 謙信が頷くと盛隆は何度も頭を下げた。謙信は盛隆の命を投げ打つ覚悟と兵士を自ら鼓舞するところを高く評価しての事だった。

 その日のうちに黒川城は開城し、盛隆自らが説得を買って出た二日後に二階堂家も降伏した。

 黒川城が開城するとすぐに颯馬と龍兵衛は黒川城の盛備の部屋に向かった。棚という棚を探していると目当てのものを見つけた。

 

「あったぞ」

 

 颯馬がこの前の針生盛信宛ての書状を探し当てた。

 

「これは燃やさないとな。謙信様に知られたらまずい。俺がやっておくから颯馬は休んでいいぞ」

 

「悪いな」と言うと颯馬は去って行った。

 龍兵衛は辺りを気にしつつ暗い廊下を歩き、どうにか自分にあてがわれた黒川城の一室に入った。

 そ蝋燭の火で針生盛信宛ての偽手紙を丁寧に燃やした。

 完全に燃えると龍兵衛はようやく一息付いて部屋に横たわった。彼はこれで戦が終わった気がした。

 いつまで汚れることになるだろうか。上杉の為の泥をかぶり終わるのはいつになるだろうか。

 軍師である自分がこのくらいで折れてはやってはいけない。

 それは颯馬も同じ思いの筈だ。仲間が居る。めげてはいけない。

 首を大きく振って頬を叩く。

 龍兵衛は次の仕事に頭を切り替え、考え事を始めた。

 今回は彼が立てた島津の釣りの伏せを真似た戦法で勝てた。だが、これ以上苦しい戦をするわけにはいかない。

 これからが始まりの時である。上杉家は遂に力と信義という矛盾を掲げながら天下取りに名乗りを上げ始める出発点に立った。

 

 戦後処理を終え自ら人質となって、上杉に叛意は無いと示すと言って一緒に来た盛隆を連れて上杉軍は春日山に帰って来た。

 皆が驚いたが、彼女の顔は晴れ晴れとしていた。公務をどうするのか、謙信が聞くとしばらくは金上に任せて越後を見てみたいということで話は半ば強引に決まった。

 そして、春日山に帰還すると守備を任されていた政景が慌てて書状を持って来て謙信に渡す。

 彼女はそれを読むと目を丸くしながら書状を全員に回した。

 内容は二つ。

 一つは北陸のことだ。

 加賀でまた良からぬことが起きているようで、越後に再三の挑発的態度を取って来ているそうだ。

 魚津城の斎藤朝信は冷静で謙信への忠義が厚い人物のため無断侵攻などしないが、最近、一向宗がらみの騒動が多いらしい。

 北陸に居を構えている以上、一向宗との衝突は避けられないが、あまり変ないざこざは起こしたくない。このことについての対策は謙信と軍師が話し合うことになった。

 二つ目は桶狭間で今川義元が負けたこと。

 義元は討たれたらしいが、太原雪斎はまだ生きているため、簡単にはやられることは無いだろう。しかし、義元という大黒柱が折れた以上は弱体化は必至となる。

 同盟関係の武田と北条はどう動くかはまだ不明だが、動きを変える可能性もある。気をつけて情勢を見る必要が出てきた。

 

「義元殿もやってしまったな。織田が小国とはいえあそこは将達の質は高いというのに……」

「ほんとよねぇ。番狂わせとはまさしくこのことだわぁ。これで畿内は織田の時代になるわねぇ」

 

 織田をよく知る龍兵衛と慶次は他人事のように言っているが、軽いものではないと二人ともわかっている。

 今川の敗北は東日本の情勢に大きく影響する。それほど、義元の存在はとてつもなく大きかった。

 さらに二人は織田が勢いに乗った時の恐ろしさを実際に見ているので内心はここにいる誰よりも警戒心を強めていた。

 

「まぁ……まだこちらには大きな影響はこないだろう。今は北陸の事だな」

 

 報告を全て聞いた謙信は動じることなく、まだ畿内に目を向けずに確実に東を統べることを優先するべきだという姿勢を改めて示した。

 城に入ると評定の間にて戦後の論功行賞が行われ、それが終わり次第、重臣のみが残って、今後の方針を確認する話し合いが始まった。

 

「今川義元殿が簡単に負けるとは思えん。なんか臭いな」

「龍兵衛、今は北陸のことと次の攻撃目標のことだ」

 

 まだ頭に今川敗北のことが気にかかっている龍兵衛に颯馬の指摘が飛ぶ。

 詫びながらも頭の中では切り替えが出来なかった。

 かつて畿内に居たため、龍兵衛は義元をよく知っている。

 歴史上、義元は軟弱に思われがちだが、彼のことは評価していた。

 彼は公家文化に興味はあったが、傾倒までは行っていない。寺の坊主から家督争いに勝ち、家をあそこまで大きくした強かな男であると考えていた。ましてや、彼の師匠である太原雪斎がまだこの世界では生きているのだ。負ける可能性など無に等しい。

 

「おい。聞いていたか?」

 

 小声で颯馬が注意してくる。

 

「すまん。ちょっと無駄な方に頭がいっていた」

 

 またしても別の方向に行ってしまった頭に方向を直すように二、三度頭を振る。

 今は上杉軍の軍師。しかも東北征伐は自分が主張したものだ。龍兵衛は切り替えて、話し合いに集中する。

 

「加賀のことはですが、いかに対処すべきか斎藤殿に今一度、伝え、刺激しないようにかわしていくのが良いかと」

 

 兼続が意見を述べているのを聞いて、今は一向一揆のことを議題としていると把握する。

 加賀の一向宗が越後を欲するのは北陸に覇を唱え、強力な宗教国家を築くという野心があるからだろう。

 だが、彼らのほとんどが酒と肉に飢えた生臭坊主のようだ。彼らの裏に居るのは本願寺である。

 そっちの方はまだ良い方らしいが、加賀の方はただの物欲の亡者の集まりにしか過ぎないと見て良い。

 

「しかし、ここまで執念深いと裏で何か動いていると考えられますね」

「うんうん、私もそう思うの」

 

 龍兵衛と定満は互いに頷き合う。一向一揆の目的が何なのかはわからないが、用心に越したことはない。軍師全員の意見で間者を放っておくことになった。

 

「次にどこを攻めるかだが」

「最上ですね」

 

 謙信の問いに兼続が即答し、皆が頷く。

 

「私の情報だと最上はようやく内乱が終わったとか。早めに攻めるべきかと」

「颯馬の意見はもっともです。ですが、こちらもまだ戦を終えたばかり。慣れない夏の暑さの中での戦で兵士達もかなり疲れています。休息は多く取らせるべきです」

 

 兵士の状態を考えると龍兵衛の言い分はもっともである。蘆名に比べると最上の方が油断出来ない大国であり、優秀な将も多い。

 

「龍兵衛君はどれくらいいると思う?」

「少なくとも収穫を待たねば」

「冬になりかねないぞ。大丈夫か?」

 

 兼続は不安があると眉間のしわを寄せるが、彼も分かっている。

 冬の行軍は雪があるため、厳しいことは周知である。

 だが、それ以降となると最上は備えを万全にしてくる。つまるところ、冬も我慢しなくてはならない。

 

「兵には我慢してもらわないといけません。確かに冬になる前に決着を着ける必要はあります。雪がありますからね、撤退しなくてはならなくなります」

 

 龍兵衛の提言に軍師全員が苦虫を潰したような顔になる。

 それだけ、彼の意見は的を得ていつつも難しいことである。

 本来なら、春まで待ってから攻めるべきなのだが、今は我慢の時だ。

 最上を取れば、国の経営は楽になるだろう。軍師全員の見解で推測の域を出ないが、かの家が領する南羽州を取れば、国人衆の溜まり場である北羽州も取ったも当然である。

 

「分かった。龍兵衛の考えでいこう。各々は冬に向けて資材の確保にかかってくれ」

 

 謙信が承諾し、話し合いは終わった。外に出るとすぐに兼続が声をかけてくる。

 

「冬に備えろと言っていたが、大丈夫か?」

「大丈夫だ。それなりの支度もする。それに、冬に向けて良い物も出来るはずだ」

「良い物?」

 

 龍兵衛は無表情のまま強く頷いてみせる。兼続も納得したのか、何も言わなかったが、一足先に去っていった。

 それから城内の部屋に戻ると着替えを始める。

 上半身裸のまま、手拭いに冷えた水を浸して肩と腰に当てる。かなり熱くなっていた箇所が段々と冷えていくのがわかる。

 特に腰がひどく熱くなっている。馬術は得意ではないため、腰に負担がかなりかかっていたようだ。

 十分程度経ったところでようやく落ち着いて来たのを見て、着替えを再開しようとした時のことであった。

 

「龍兵衛、いる?」

 

 襖が開き、景勝が顔を覗かせてきた。

 

「か、景勝様! 着替え中です!」

「ふぇ!? ごめん!」

 

 慌てて襖を閉められる。龍兵衛は急いで着替えを終えると襖を開く。端に顔を真っ赤にしてしゃがむ彼女を見つけた。

 

「申し訳ありません。見苦しい姿をお見せして」

 

 動揺しているところを見せまいと無表情、無感情で声をかける。

 

「……」

 

 全く声が届いていない。顔は端から見れば完全に茹で上がった蛸みたいだ。

 

「あのー景勝様ー」

 

 龍兵衛が景勝の顔の前で手を上下に振ると正気に戻った。顔は相変わらず真っ赤である。

 

「はっ……! き、気にしない。か、景勝。だ、だい、大丈夫!」

 

 景勝は落ち着いている様子が全くない。

 落ち着かせるため、部屋に招き入れて水を一杯飲ませる。それから何度か深呼吸を続けさせると、徐々に顔の色も元通りになり、きちんと話を聞けるような状態になった。

 

「笛、聴きたい」

 

 いつもの縁側へ、いつもの時間に行くということで一致したところで景勝は部屋を出た。

 足音が聞こえなくなったのを確認すると湯呑みを片付けている。自分の部屋にもかかわらず、机の柱に足の指をぶつけた。

 景勝のような目上に意図せずとも裸体を見せたのは完全に不覚だった。

 

「明日から大丈夫か?」

 

 自問自答しても答えが出るわけでもない。

 気持ちを落ち着かせるために龍兵衛は自作の物語の続編を書き始めた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。