「うーん……少し肌寒い……」
慶次は小田原城近くで見つけた草原で一人、左右の腕を摩擦しながらぼやく。
越後よりは幾分ましだが、やはり深秋は冬に近付いていることをよく分からせてくれる。
北条を降して既に一週間が経ち、小田原城を中心に関東の仕置がほぼ完了しかけている。残党狩りもほぼ終わったため、武働きが中心の慶次は仕事がほとんど無くなってしまった。
今頃は颯馬たちが城内について調べているだろう。
「さて……と」
慶次は勢いよく立ち上がり、両腕を上げて伸びをする。
ほとんど無くなっているとはいえ、これからまた謙信に頼まれたことをしなければならない。
早く越後に帰って戦で疲れた体を癒やしたかったが「頼りにしているからだ」と言われればやる気が出ないはずもなく、勢いのままに首を縦に振った。
具体的にはまだ聞いていないが、関東に残ってこれからやってくる龍兵衛の手伝いをしてほしいということだけは聞いている。
以前から関東のことを変えていくとか言っていたのは何となく覚えていたが、はたして成功するのかは分からない。
昔からこの地は軍事拠点として多くの反乱や砦を建てられてきていたが、豊かな暮らしを提供することが出来ていたという記録は無かったはずだ。
彼は民の暮らしにも手を伸ばすつもりらしいが、それが功を奏するかどうかは彼自身の努力ではなく、いかに民の心を掴むかにかかっている。
残党狩りの中で民が北条の者たちを匿っているのを何度も見てきた。打算的な民たちがあれだけのことをしてきたのだから、本心から彼らが新たな支配者を迎え入れてくれるか微妙なところである。
「ま、どうなるか。お手並拝見ね」
頭の後ろで左右の腕を伸ばしながら体も左右に揺らす。
細かいことを考えるのは主たる役目を担う龍兵衛がやれば良い。何かあればそれに対応すれば十分役目を果たしたと言えるだろう。
気楽な気持ちで慶次は小田原城へと帰る。
「ただいま〜って……来てたのね」
「おう。探したぞ」
城に戻ると既に龍兵衛が到着して色々と支度をしていた。
いつもの濃い灰色を基調にした服ではなく、農民が着ているようなみずぼらしい格好をしている。
もっとも、彼が越後でも同じ格好で農民たちの手伝いをしているため、そこまで目に止まることはない。
「どこか行くの?」
「明日から周辺の民の視察をするための準備だ」
「あたしも?」
「もちろん付いて来い」
「はぁーい」
溜め息と承諾を半々にしたような応答をして、城内を見て回ろうと背を向けるが「待て」と呼び止められた。
「水原さん見てないか?」
「いやぁ、見てないわ……って、水原さんも来るの?」
「そりゃあ、一緒に関東に残ってくれるんだからな」
「あっ……そっか……」
謙信に頼まれた際はあまり細かく気にしていなかったが、自分のような居候が龍兵衛と二人で関東を任されるとは思っていなかった。
「あと、誰かいるの?」
「後は、信綱殿、業正殿と……上野殿がこっちに来るって謙信様が仰っていたな」
なかなかの大所帯になるな、と慶次は肩を落とす。
信綱、業正は元々、北条に追い出された上杉に身を寄せていたから分かる。
龍兵衛が関東の改革を行った後、越後に戻ることは聞いているため、親憲と上野家成が関東を治めるのだろう。業正も関東に戻りたがっていたのは知っていたので、旧領を保持しつつ上杉の支配を固めていくのが目的と慶次は悟った。
「あれ、わんちゃんは?」
「資正殿はまだ病が癒えていないらしくてな」
太田資正は関東への出陣前に熱を出していた。旧領奪還のため、体を押して戦に望もうとしていたが、無理やり謙信に止められていた。
戦で疲れていたため、少し犬で癒やされようと思っていたが、帰るまでおあずけのようだ。残念だと口を尖らせつつ、仕方ないとすぐに切り替える。
これ以上ここにいても龍兵衛は作業に集中していて、ちょっかいを出せば烈火の如く怒りをあらわにすると考え、よく分からないものたちを色々と整理している背中に「じゃあね〜」と言って振り返る。
応答が無いところを見ると佳境に入っているのだろう。
何やかんやで付き合いも長くなったためか、龍兵衛の行動は大体予測することが出来るようになってきた。
今の彼は完全に集中しており、謙信や景勝のような主や高い地位にいる重臣に声をかけられる以外の声はほとんど入ってこない。無理やりにでも興味をもたせようとすれば、滅多に聞けない怒鳴り声を上げ、周囲が一気に凍り付いた雰囲気になっただろう。
悪戯好きとはいえ、自分の寿命を縮めるほど体を張ったことはしたくない。
城内を歩いていると今度は兵たちがあちこちに資材を運んでいるのを監視している謙信と親憲を見かけた。
やはり、本拠地を落としたこともあって戦後処理が一朝一夕で終わるはずもない。
誰かと暇を潰すのは無理そうだし、草原で寝ていた方がまだ良かったかな、と後悔し始めた。
とはいえ、宛もなく歩いていたので少しでも時間が潰せるならと二人の方へ歩みを進める。
「やっほ。一緒にやらないの?」
「兵たちから止められてな。仕方ない」
「某としては、その方がありがたいのですが」
見張りの緊張感がより必要になり、戦後だというのにより神経をすり減らすようなことはしたくないからだろう。
「私が向こうにいると、見張るのが大変だからだろう?」
「いえ。そのようなことは……」
珍しく親憲が回答に詰まっているが、明らかに謙信が悪戯心を持って聞いているのが悪い。だが、退屈していた慶次も止める理由が無いため、笑みを浮かべながらそのやり取りを眺める。
不意に彼と目が合った。途端にいつもの落ち着いた笑みを浮かべ、こちらを見てくる。
「しかし、前田殿がいるのであれば……」
「ああ。なるほど、一人では確かに大変だがな」
「げっ……」
慶次はやぶ蛇だったと口元を引きつらせる。
見張りは一人ひとりがきちんと動いているかを監察し、動くことも一切無い。退屈凌ぎとはいえ、体は動かしてなんぼの彼女にとってある意味苦痛な仕事である。
「あ、あ〜そういえば頼まれてたことがあるんだったぁ……じゃ、待たね〜」
そそくさと痛い視線をかわしながら逃げる。
曲がり角を利用して二人が視界から見えなくなる所まで来たが、また暇になってしまった。
盛大な溜め息を吐いても返してくれるような人もいない。
「今日はとことんついてないわねぇ……」
日の高さからして夜になるまで後、二刻はかかる。もう一回、草原に戻ることも考えたが、無駄に体力を消費するだけではと思い止まる。
仕方ないと宛てがわれている部屋で新しい悪戯でも考えるかと再度、歩みを再開する。
堅牢な城と言われるだけあり、規模もかなり広大であり、改修した春日山とも劣らない。
「ん?」
不意に前方から人の気配を感じた。この先は特に何も無いため、こんな時間にここに来るような者など慶次ぐらいしかいない。
腰を落として足音を出さないよう、すり足で廊下を進む。少し進むと染法の曲がり角から微かに物音が聞こえてくる。
いつもの得物は既に片付けてしまっているが、護身用に持ち歩いている小刀を手に取り、顔を覗かせる。
女中の格好をした者が一人、一心不乱に何か書いている。
「何をしているの?」
様子を見ていても埒が明かないと判断し、正攻法に出る。女中は驚いたように振り返り、慶次の姿を認めると奥へと逃げる。
「逃がさないわ」
素早く回り込むと女中は反転する。
「無駄よ。そっちには謙信がいるわ」
その言葉で女中は観念したのか、慶次へ小刀を差し向けてくる。だが、慶次は簡単にかわすと無防備な膝の裏を蹴落とすと体勢を崩した女中に一気に近付き、腹に重い拳をぶつける。気絶し、もんどり打つのを見届けると一仕事終えたと息を吐く。
「……喋らないわよねぇ」
手応えは無かったが、間者である以上、敵の城内に忍び込むということはそれ相応の覚悟を持っている。
女中の懐をまさぐり、先程書いていた文面を検める。慶次は内容を見て押し黙る。宛先は北条氏康となっており、小田原城を上杉がどう扱っているか、さほど重要そうではないことばかり書かれている。
「やっぱり下っ端か」
気配を隠すことや一連の戦闘での動きから判断してあまり手練ではない。だが、北条氏康が敵地となった小田原にこのような者ばかりを向かわせるとは思えない。
まさかと思って立ち上がる。外が見える所まで出ると近くに立っていた木の枝が傷付いているのが見えた。
あの女中が囮だとすれば、既に本命の間者はここから去って行ったということだ。
どのような情報を得たのかは知らないが、おそらく他にも間者はいると思った方が良いだろう。だが、相手は北条を影で支え続けてきた風魔である。自身のような表で生きる者が携わるのはおそらく余計な面倒事になりかねない。
「段ちゃん来てたし、会いに行きますか……あ、この子どうしよ」
未だに気絶している女中を見て、おとがいに手を当てる。引きずって行っても良いが、周囲から不安がられる可能性もある。ここに放置して後で戻ってきていませんでした、となるのも面倒くさい。
「仕方ない……よっと」
慶次は軽々と女中を抱え、段蔵の下へ向かう。謙信たちとは会わないように別の道を使っていき、彼女たちが詰めている場所ヘ着く。
当の本人はいなかったが、事情を説明すると配下の者が不備を詫びて、適切に対応すると言ってくれた。
一仕事したと慶次は肩を揉む。寒い秋風が肌を襲い、思わず身震いしてしまう。きっと一日分働いたし、もう十分だろうと知らせてくれたのだろう。
良い方向に考え、部屋へと戻っていった。
朝日が外から零れてくる。慶次はその眩しさに目をこすりながら体を起こした。
大きなあくびをすると体を左右に揺らす。昨日はあれから何もすることが無かったので、早々に自分で布団を敷くとそのまま朝まで眠ってしまったようだ。
気付かない内に疲れが溜まっていたのかもしれない。もう少し寝ていたいが、そうも言ってられない用事がある。
布団をたたむと身支度を整え、厨で簡単な朝餉用の握り飯を貰うと食べながら約束の集合場所へと向かう。
外は雲一つも無い晴天で、昨日より風も無く、比較的過ごしやすい。
約束の城門に着くとすでに同行予定の者たちは皆、全員揃っていた。
「おはよ〜」
「おや、前田殿。おはようございます」
丁寧に信綱が返してくれる。他には親憲や業正といった面々が談笑している。その後ろには兵が十数人ほど集まって周囲を見張っている。
「あれ。肝心の人は?」
「河田殿はまだですね」
「珍しいわねぇ。寝坊かしら?」
「あの方に限ってそれは無いでしょう」
刻限がまだだが、皆が余裕を持って来ているのには理由がある。
龍兵衛は時間には人一倍厳しく動いている。慶次も何回か遅刻した際に長々と説教をさせられ、さすがに懲りた。そのため、彼絡みだとこうして寝坊せずに刻限通りきちんとやって来るようにしている。
他の者も時間通りかそれよりも早く動く彼に申し訳無さを感じて普段以上に真面目になってしまうのだろう。
龍兵衛が最後になるのはおそらく慶次は初めてかもしれない。
「待たせて申し訳ない」
龍兵衛が背後から息を切らし気味でやってきた。
「おはようございます。珍しいですね」
信綱が落ち着かせるような口調で声をかける。
「最後の準備に手間取ってまして……いや、本当に申し訳ない」
「準備……ずっと作業していらしたのですか?」
親憲が少し目を開く。龍兵衛はその問いに大きく深呼吸をして「はい」と答える。
慶次は他人の心を読むことは出来ないが、おそらくここにいる者たち全員が呆気にとられただろう。
「まぁ、そんなことはどうでも良いので……では、行きましょうか」
龍兵衛は良くない空気を感じたのか、場を切り替えるように馬に乗り、先頭に出る。
皆もそれ以上、追及する意味も無かったため、黙って付いて行く。
慶次は沈黙が続くのは苦手だが、面子が面子のため、この真面目な雰囲気の中で話題を振っても反応してくれるのが龍兵衛と親憲だけでは面白みが無い。そもそも、先程からここにいる者たちとは異なる気配も少々ある。他の者たちも気付いているだろうが、特に気にしている様子も無く、向こうから襲ってくる気も無さそうだ。
「着きました」
小田原城から一里強離れたのどかな農村が目の前に見えてくる。
住居の数から見て、おそらく住んでいるのは五十ほどだろうか。大きいとも小さいとも言えない所で龍兵衛が一体何をしてくれるのだろうか。
到着すると年老いた村長が出迎えてくれた。だが、その後ろに控えている男たちは敵意むき出しの目つきで睨んでくる。北条は善政を敷いていたが、本当だったのだろう。追い詰められた際にはやむを得ず、税を上げたと聞いたが、それでも移ろいやすい心を新たな支配者へと受け入れることの出来ないほどに北条は慕われていたという意味だろう。
龍兵衛は心を刺す視線を持った者をいったいどうやって思い通りにするのか。彼と民を見比べ、ますます不安が大きくなる。
こちら側が全員馬から降りるのを確認した龍兵衛が民たちに向かって前へ出る。民の視線が全て彼へと向けられたので少しだけ気持ちが楽になった。彼は民の顔を一人ひとり見ていき、一つ頷くと腰に付けていた人の頭ぐらいある大きな袋から一口で食べられる大きさの握り飯を入れる竹の葉で作られた入れ物を取り出す。
「これを召し上がってください」
民たちが互いに顔を見合わせ、慶次たちもそれぞれ目を丸くしたり、眉間にしわを寄せたりする。
「安心してください。毒など入っていません」
表情も口調も全く感情がこもっていない。見慣れ、聞き慣れているため、慶次たちは龍兵衛の言っていることが容易に本当だと分かる。しかし、民たちからすれば、その言葉は本当に必要だったのかと不安にさせるには十分な味付けだった。
龍兵衛は彼らが全く動かないのを見て、呆れたように溜め息を吐く。そして握り飯を一つ掴み、口の中へと放り込んだ。よく噛んで食べ終えると再度、包みを民たちの前に出す。無言で突き出されたそれを見て、さすがに文句を言えなくなったと悟った村長を一番に次々と握り飯を手にする。
民たちは特に何も言わずに全員が完食した。
龍兵衛は全員が食べ終わったのを確認すると馬に下げていたもう一つの袋を持ってきた。中身はおそらく同じものだろう。
「続いてこちらを食べてください」
民たちは訝しそうに握り飯に手を取る。龍兵衛は民たちに一通り渡ったのを見て、振り返ると先程の袋と共に慶次たちの前に出す。
「食べ比べてみてください」
全員が交互に隣にいた者と龍兵衛の持つ二つの袋を見比べる。どういう意図でこのようなことをしているのか、誰も分からないからただ握り飯を食べるだけでも毒味をするような気分になってしまい、手が動かない。
ましてや村長以下、民がが視線の先で一口食べた後、体を固めたまま微動だにしないのを見るとなおさらである。
だが、全く譲る気のない龍兵衛を見て観念した親憲が肩をすくめつつ、双方の握り飯を交互に口に運ぶ。そして咀嚼した後、納得したように何度も頷き、溜め息を吐いた。
「いやはや、お人が悪い」
「実際に知ってもらうのが一番ですから」
会話をしている二人を訝りながら他の者も双方の握り飯を手にして見比べる。どう見てもただの握り飯にしか見えず、何か種や仕掛けがあるようには思えない。
全員が後から取った握り飯を口に運ぶ。
普通にいつも食べる美味しい握り飯だ。
「今食べてもらったのが越後で取れる米で、こっちがこの辺りで取れた米です」
そう言われ、全員が困惑の表情を浮かべる中、慶次が続いて一口食べる。だが、一度咀嚼した途端に思わず噴き出したくなった。
筆舌に尽くしがたい味の差に体を震わせ、周囲から好奇な目で見られないようにするのに必死だった。正面から表情の変化を見られた龍兵衛は唇を引きつらせているが、仕方ない。
まだ食べていなかった他の者たちも一斉に食したが、皆が眉間にしわを寄せている。
その反応に満足したのか、龍兵衛は再び民の方へと体を向ける。
「食して分かったでしょう。貴方たちが作っているものは所詮、この程度なのです。ああ、細工などしていませんよ。何でしたらまた作ってみましょうか? 今ここで」
皆、沈黙している。絶対的な自信を前に民の数人が言い返そうとしていたが、それら全てを押し潰す龍兵衛の言葉に口を縫い付けられたようになる。
「貴方がたは今、我らは作って終わり。武人になど味は分かるまいと思ったでしょう」
ほとんどの民が表情に何かしらの反応を見せる。どうやら図星だったらしい。
「武人とはいえ、分かる人には分かるのです。このような米では貴方がたは生きていけるとお思いですか? いずれ貴方がたはこの村を貧者の集いにさせるのは目に見えています。そのまま飢えに苦しむ人生を歩みたいならそれで結構」
「しかし、税は……」
「いずれ米ではなく、金や産物に変えると言った時、貴方がたはどうやって対処するつもりですか?」
民たちだけでなく、慶次たちも目を見開く。そのような話は聞いていない。
「選ばれない米を作る村を守って何の意味がありますか?」
絶望したように民たちは俯く。上の者たちにとって民など代わりはいくらでもいると思われている現状、北条の施政時には言われたことが無かったであろう冷徹な言葉。
「しかし、必要とされるように変えることはできます。そして、それを知っているのは自分です。なに、悪いようにはしません。貴方がたを含む関東の皆様が豊かになる手助けをするために手間は惜しまないように謙信様も仰っております」
驚愕と希望の表情を龍兵衛に向ける。北条を慕っていた民が簡単に心変わりするとは思えなかった。しかし、手にしている握り飯を食せば誰もが関東を変えることに賛同しただろう。さらに発展させるための術を持っていると言われれば宗教にすがるように頭を下げるのは必至である。
「では、まず田畑の様子から見せてください。自分の推測が正しければここでは米は作り方を変え、梅やみかんを栽培する方が……」
専門的な話に切り替わったので慶次は馬耳東風状態になり、意識を別の方へと向ける。付いてきていたはずの気配はすでに無くなり、ただ肌寒い風が吹いているだけ。どうやら上杉の面々がこぞって村に行くのを追っていったらしい。そして、目的を知ったため、深追い無用と帰った。
(風魔かしらね……)
北条が風魔という忍衆を雇っているのは聞いている。おそらく軟禁されている北条氏康からの指示で上杉がどのように扱うのか観察しているのだろう。
今頃、結果を氏康に伝えに向かっているのだろうか。いずれにしても氏康たちの監視はもっと強めなければならない。
「おい慶次、そろそろ行くぞ」
「え……あ、了解」
龍兵衛が訝しそうにこちらを見てくる。思った以上に長考してしまったらしい。今日はここの村だけでなく、いくつか回ることになっている。
村長に挨拶を済ませると次の村へと行く。これを各国の主だった村に続けて行い、心から関東の再興を行うというのだから随分と熱が入っている。
「しかし、実際に見て聞かせて行うとは、驚きました」
移動中に親憲が龍兵衛に声をかける。
「ああしないと分かりませんから」
対する龍兵衛の返答は素っ気ない。だが、的を得ている。農民は武士と違ってどこか遠くにに出かけることなどない。そのため、自分たちが絶対であると信じて疑わず、口で言ったところで信用しないだろう。
「そういえば、河田殿は米はいずれ選ばれるようになると言っていたが、それについては?」
業正の疑問はもっともであると全員が龍兵衛ヘ視線を向ける。農民の税は米で納められている。先程の言い方ではまるで農民も金で税を納めるのような口振りだった。
「いずれ税を米ではなく、金で納める時が来ます。その時、民は商人に選ばれる米を作らなければ生きていけなくなるでしょう」
「……近々、ではないのか?」
「我々が生きている内にそこまでの動きをすることは出来ないでしょう。いずれ、誰かが気付いた時にそれが来ます」
龍兵衛は時折、先々の話をする。それが嘘か真か分からない。確証が無く、有り得ない話でもないからだ。
「分かった。それが龍兵衛殿にとって御家のためになると思っているのであれば」
業正は諦めたと口を閉じる。
「そういえば、さっきからの気配は消えたわね」
順番的にそろそろかと慶次は口を開く。
「風魔でしょうか?」
「多分ねぇ」
信綱の問いに答えるが、慶次の意識は龍兵衛に向けられていた。
「龍ちんは気付いてた?」
「もちろん」
即答され、少し安堵する。気付いていない中で色々と話していたのであれば今後のことを考えなければならなくなった。これでまたさぼる時間が増えるというものである。
「ならば、あの者は放置してよい、と?」
「大丈夫でしょう。これで北条も上杉は関東を悪くしないと分かったでしょうし」
最後まで不安そうにしていた親憲もそこまで断言するならと引き下がる。
「利用して氏康を黙らせる。随分と悪どいわねぇ」
「慶次、そんなくだらないことを言っている暇があるなら、もう少し城内の警護を厳しくしてくれ」
「あら、苛々してる。かねやんにこってり絞られたかしら?」
「……今度余計なことを言うと口を縫い合わすぞ」
「いやん」
図星だったらしい。本来なら龍兵衛ではなく、兼続がやる予定だったことを無理やり代わって行うように根回しをした。不機嫌な兼続が龍兵衛を引きずってどこかに向かったのを見た時は思わず、合掌したほどだ。
「でもぉ。何でそこまでしてこだわるわけぇ?」
「いずれ関東は越後に次ぐ豊かな土地になる。そして、直轄地として動かすことが出来れば必ず天下のためになる」
「……我らの地もですか?」
「業正殿や信綱殿たちの旧領はお返しします。ですが、土地を変えることに協力いただくことはお忘れなきように」
「それは、構いませんよね?」
「ああ、民と国がより豊かになるのであれば」
龍兵衛は二人の返事を聞き、静かに礼をする。
どうやら、彼の計画はかなり壮大らしい。はたしてそれが上杉とその未来にどのような影響を与えるのか。
慶次には分からないが、凄まじい勢いで関東を変える計画を決行するために奔走し続けて彼を見てきたため、きっと成功に導くのだろう。そして、そうであってほしいと思う自分もまたいる。
戦友としての願い。
今はそう思って龍兵衛の支えを自身なりにしていく。たとえ血生臭い真似事をしてもだ。
らしくないと思わず苦笑いを浮かべてしまうが、心からそう思っているのだから仕方ない。
あくまでも今は友として支える。
それだけで良いのだ。