上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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儚き名の為に

 朝倉景健は朝倉、織田、一向宗、織田、一向宗と何度も主を変えて生きてきた。

 他者を捨ててまで死にたくないというわけではない。彼自身、朝倉義景の代理で幾度も総大将を務めるなど、常に死と隣合わせの日々を送ってきた。

 子を持たない景健は正統な朝倉の名を持つ最後の者でもある。名を残すため、天命尽きるまで生き抜き、由緒ある名柄を後世に正しく伝える役目がある。

 それ故に、いかなる屈辱にも耐えてみせる。

 そう自負している彼でも今の環境にはかなり精神を擦り減らしていた。

 名も知らぬ将が数名下段に控え、左前には二人がこちらに見向きもせ豊原寺城を攻める段取りを進めていた。

 右側に年故に皺が目立つ坊主頭に似合わぬ左右に広がる白い口髭と長い顎髭を蓄えた七里頼周。左側に青年らしい日焼けした顔に頭巾を被った濃い眉毛と細い目をした下間頼純。

 両大将は本願寺より代官として一向宗が越前で領地を得るや否や派遣されてきた。

 時折、上杉軍など大したことがないと言って嘲笑を浮かべては越後制圧後の話などしている。

 本来なら慢心しないように諌めるべきだが、景健は発言さえも許されない立場に置かれている。何度も主を変え、一向宗の信徒でもない彼は坊主たちにとって異教徒同然であり、戦が出来るために生かされている駒でしかない。今も次席に座っているのは朝倉という名を持ち、戦国時代を渡り歩いてきたからである。

 今の扱いに堂々と不満を言える、誇れるような生き方をしているとは思ってない。だが人である以上、それなりの尊厳は持っている。踏みにじられる怒りは袋に溜め込んだ空気のように膨らみ続けている。

 二人は意見がまとまったのか、将たちに指示を出し始めている。中央や西の孤立している敵を叩き次第、上杉の本隊を総攻撃するという形で動く。すでに援軍が来ている情報も得ており、総大将には謙信の娘である上杉景勝が指揮を取っている。付き従う将は斎藤、直江、河田と重臣が続いているため、油断出来ない。しかし、下間と七里は仏を敬わず、遠ざける者どもに先などないとたかをくくっている。

 確かに上杉は政治と宗教を切り離し、神仏に携わる者たちを絡ませることをしなくなった。それが本願寺など宗教を司る者たちにとって面白くないのだ。今まで室町幕府には強訴や武力衝突を辞さない構えで要求を通すようにしてきたが、上杉の領内では神社仏閣にある武器は理由を付けてほとんどが回収されているらしい。武器に頼らず、言葉で訴えろと言っているようなものだ。

 滞りない政治を行う上では正しいだろう。だが、曲解すれば上杉が寺院の権威を落とそうとしている罰当たりな行為をしている。

 本願寺の過激派はそう捉えて越前の混乱に乗じて一向宗の国を再興しようとしていた。結果、緒戦の攻勢は見事に成功し、織田残党と上杉を越前のほとんどから追い払った。

 その混乱の中、織田家臣である柴田の配下にいた景健は逃げることが出来ないと判断し、一向宗に降ったのである。

 全く歓待されないこの状況を予想はしていたが、発言さえも許されないのはさすがに参るものがある。

 しかし、現状で最も一向宗が優勢に立っている以上、ここに留まる他ない。机の下に怒りの拳を握りながら早く軍議が終わることを祈る。 

 

「申し上げます! 敵軍が金ヶ崎城を攻撃しております!」

「何!?」

 

 突然、舞い込んできた報告に総大将の一人である下間が勢いよく立ち上がり、周囲もざわつき始める。続いて景健と共に冷静さを保っていた七里が口を開く。

 

「誤った報告ではないか?」

「し、しかし、見た者は間違いなく上杉の旗印が掲げられており、鬨の声が上がっていたと」

 

 下間と七里は首を捻りながら互いを顔を見合わせる。

 

「いかに思う?」

 

 下間が低い声で尋ねると問われた七里は白髭をさする。そして、老人とは思えぬ冷淡な眼光を下間に向けた。

 

「敵は上杉。奴らは正義を重んじている故、背後より奇襲などせぬ。そも、いかにして我らの網を潜った?」

「分からぬな。越前の寺にはすでに念書を書かせておる。やはり、虚報であろう」

「左様じゃな。おい、無闇に味方を惑わす報告をした物見は何処にいる?」

「はっ。呼んで参ります」

 

 青ざめた表情で兵が飛び出ていく。味方さえも怯んでしまう七里の眼光にはやはり昔の悪癖は変わっていないと呆れるしかない。

 しばらくすると物見が左右を挟まれるような形で中に入ってきた。捕らえられているわけでもないが、どこか罪人を裁くような雰囲気が出ている。それを感じ取ったのか、徐々に物見の顔つきが引きつり始めた。

 

「おい。先の金ヶ崎城の報告をしたのはお主じゃな? お主はそれを金ヶ崎城の様を見たのか?」

「はっ、間違いございませぬ」

「……にわかには信じ難い。お主、臆病風にでも吹かれたのであろう」

「い、いえ、左様なことは……」

「お主のような者がいる故、士気が乱れる。誰か。この臆病者を斬り捨てい」

「お待ち下され! 拙者だけではござらぬ。他の者もその様子を……!?」

「問答無用。斬れ」

 

 物見は両脇を掴まれ、外に連れ出されていく。両足を暴れさせて聞き取れない言葉を喚いていたが、無駄な抵抗だった。

 出ていくのを見届けると景健は周囲の様子を伺う。誰かが止めるべきだが、皆が下を俯いて口を開く素振りも見せない。仏の道は慈悲の心があるべきとあったはずだが、それを無視した行為を止められる勇気など誰にも無いようだ。

 外から断末魔が聞こえ、すぐに先程、物見を連れ出した兵の一人が入ってきた。

 

「処刑致しました」

「首をはねて晒しておけ。見せしめじゃ」

 

 興味が失せたと七里は再び下間との談笑に戻る。かつて、彼は越前の一向宗をまとめていたが、その際に敵対していた勢力の大将を見事討ち取った者を命令していないからと処刑したことがある。他にも自分勝手な行為や徹底した圧政に耐えかねた領民から本願寺に訴えられるという問題を起こし、国を去った。

 今回、復帰したのは本願寺の頭である顕如が信長によって大坂から退去したことで人手不足になったための人選であり、改心したと認められたわけではない。そのため、内心では彼の復帰を快く思っていない者も多くいるだろう。監督者として派遣されているはずの下間頼純も若さ故か、血気盛んで七里と波長が合う性格らしい。

 彼の同族たちなら七里を諌める冷静さと権力を持っているのだが、彼らは織田の衰退を見越して本願寺復権による中央での動きにかかりきりのため、出てくることはないだろう。

 

「さて、敵は兵を一点に集中させておる。故に我らはこの機を逃さず上杉軍の補給路を断ち、撤退するところを叩く。聞けば上杉の跡継ぎや直江、斎藤といった重臣もいるらしい。必ずや討ち取り、越前のみならず、越後までを一向宗に旗で覆い尽くそうではないか」

 

 全員が無言で頭を下げる。配置を決める段階に移り、景健は城攻めの最前線を指揮することとなった。

 攻城が成功すれば手柄を奪い、失敗しても降ったばかりの将故にと逃げるつもりが見え見えである。そして、景健が兵を退くような真似をすれば後ろから刀を突き立てられるだろう。

 

「三日後までに補給路を見つけ、遮断する。後に攻城を開始する。最前線の指揮を朝倉殿、頼むぞ」

 

 死地に向かう将への言葉が七里からの感情のこもっていない一言で済むのであれば苦労しない。朝倉が健在の頃から総大将を何度も経験している景健だからこそ分かる。

 前しか見ていない二人に鼻で笑ってやりたい。

 陸にしか目が無いのか、と。

 金ヶ崎城が本当に攻撃されているとなれば味方の兵の数を考えれば必ず落ちる。どうやって背後を取られたかも分からない一向宗の連中では上杉の歴戦の猛者たちが率いる軍勢に勝てるとは思えない。

 越前は東と西の間に目立った要所は無く、山が続いている。西最後の要所である金ヶ崎城が落ちれば一向宗は補給路と退却路を同時に失い、挟撃に遭う。陣の配置も城攻めしか考えられていないため、このままでは一向宗の全滅は必至である。

 景健は自陣に戻り、配下から紙と筆を貰う。誰もいなくなったことを確認すると筆を走らせ、書き上げると素早く懐にしまい、外に出る。

 

「御大将、何処に」

 

 配下とは名ばかりの一向宗の監視役が声をかけてくる。

 

「我らは最前線を担う故、城周辺の様子を見てくる」

「左様なことは物見に任せれば良いのでは?」

「戦に出る大将たる者、自ら地理を知らずに何とする。護衛は無用故、出立の支度を整えよ」

 

 急かすような物言いになってしまったが、監視役は素直に頭を下げてくれた。

 そのまま馬に跨り、陣の外に出る。視線が痛々しく、陰口を叩かれているのがよく分かる。気付いていないように真っ直ぐ前だけを見ながら外に出る。後ろから門番たちが背中を刺すような視線で見ているのが分かる。振り返ったりすれば疑われるだろう。そして、死角に入ったと思ったところで馬の腹を強く蹴った。

 

 

 豊原寺城は織田によって再建され、越前に侵攻した上杉によってここから東にある丸岡城共々、拠点としてより拡大されている。また、至る所に砦と櫓を築いており、これを攻めるとなれば兵法通り守備兵の三倍から五倍の兵力が必要となるだろう。

 金ヶ崎城攻略に兵を割いたと考えれば現状ならすぐに兵を使って強襲すれば落ちるかもしれない。しかし、三日も猶予を与えれば上杉の思う壺である。今さら意見をしてもあのような戯言を真に信じるのかと言われ、冷徹な眼光を浴びせられるだけだ。

 旗の数を見ると一向宗がここを包囲した時からさほど変わっていない。下手に数を増やしても不審に思われると考えているのだろう。

 さすがに上杉の重臣たちが集っているだけはある。どれだけ劣勢だろうと策をもって対応し、守備兵が誰も脱走していないところから統率が行き届いていると見て良い。

 一人納得したように頷くと景健はさらに城に近付くため、馬を降りて手綱を木に巻く。

 

「誰かな?」

 

 進もうとした獣道から声と共に人影がゆっくりと現れる。

 濃い灰色の羽織を着た六尺(180センチ)はあろう大柄な男。無表情故に相手の感情は読み取れない。しかし、いつでも臨戦態勢に移れる腰の落とし方を見ると上杉の武将だと認識する。

 

「貴殿は上杉の御方がであらせるか?」

「……」

 

 相手は黙ったままこちらの様子を伺っている。よくよく見ると内側に着込みを仕込んでおり、背後にも護衛らしき気配が感じられる。音に聞く斎藤や直江の容姿は聞いたことがあるが、それらには当てはまらない。それでも名の通った将であるのは間違いないだろう。

 

「失礼。某、朝倉孫三郎と申す」

「朝倉……一向宗に付いたと聞いていますが?」

 

 表情を変えずに尋ねてくるのを見るとかなり冷静な切れ者だろうと悟った。

 

「上杉様に内応致したく、ここに参上した次第」

 

 驚く素振りも返事もせずにこちらを観察してくる。

 上杉軍は武断派の将が多いと聞いていたが、どうやら認識を改めなければいけないようだ。記憶が正しければ上杉軍の中に直江同様に軍師をしている河田という者がいたが、まさか景健の頭一つ以上は超えている恵まれた体格を持った眼前の者がその人とは思えない。だが、今はそのようなことを考えても仕方ないと相手の回答を待つ。

 しばらくすると男は納得したのか何度か頷き、景健の目を真っ直ぐ見てくる。

 

「……分かりました。しかし、すぐに中に通すわけにもいきません。何かお持ちですか?」

「これを」

 

 懐から書状を取り出す。男は受け取ると中をあらためる。相変わらず表情は全く変わらないため、少々面白みに欠けるが、受け入れてくれるのであればそれで構わないと前向きに捉える。

 

「……なるほど、随分と詳しく書かれていますね」

 

 景健は彼の発言が受け入れてくれる合図と悟り、頭を軽く下げる。中には一向宗の陣形や配置されている将、兵糧の在り処などが事細かに書かれている。

 金ヶ崎城の別働隊に加え、本隊が一向宗の致命的な場所を叩けばこちらの瓦解は必然だろう。

 

「これより主に伺い立てをするので、こちらでお待ちいただけますか?」

「承知致した。ここにて待っておりまする」

 

 男は丁寧に頭を下げると獣道を軽々と登って行った。その背中を目で追っていくが、一介の兵が通るには難しいだろう。刺々しい枝が道端から出ており、一歩でも踏み出せば膝をついてしまいそうになる急な斜面。やはり名のある武将だろう。

 

(さて、上杉の跡継ぎが頷いてくれるだろうか)

 

 先程の将も気になるが、やはり上杉軍の総大将である景勝が首を縦に振らなければ意味がない。

 四半刻(三十分)ほど待つと突然、眼前に人影が現れた。

 

「お待たせ致した」

「そなたは?」

「上杉の使い」

 

 若い女の忍が膝をついている。将から裏で工作や諜報を行う草に相手の地位が落ちた。一気に対応が冷たくなった気がするが、偶然将と鉢合わせた方の運が良かっただけだ。景健は努めてくの一を見下すような視線をしないように耳を傾ける。

 

「我が御大将は貴殿の言を受け入れると」

「ならば、上杉様も我が降伏を受け入れると言ってたか」

「は。条件として最後まで一向宗の中におり、情報を流すようにと」

 

 監視下に置かれている中で難しい条件だが、景健にとっては次が出来ただけでも十分である。

 

「承知した。ならば、今申すべきことがある故、言伝を頼む」

「何なりと」

「下間頼廉率いる援軍が密かにこちらへ向かっておる。急がなければならぬ。それから三日後に一向宗はこの城を攻める」

「はっ」

 

 忍は将と同じ道を通って戻って行った。

 

「よし」

 

 景健は自然と拳を握った。上杉は北陸から東北を席巻する大大名である。これでようやく安住の地を得て朝倉の名を後世につなげることが出来る。景健は年だが、子を作れないほど衰えているわけではない。誰でも良いから美人を娶ってしまえば後はゆっくり隠棲する。

 馬に跨り、腹を蹴る。豊原寺城の守りの堅さはよく分かったため、一向宗たちに何か聞かれれば攻める支度をきちっと整えてから動くべきと進言すれば良い。

 金ヶ崎から戻ってくる上杉の別働隊のために時間を稼げば先程の条件以上の働きをしたということで地位も保証してくれるはずだ。

 景健は先のことを考えて口元が緩むのを押さえるのに必死になりながら帰路についた。

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