上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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夢見

 景勝は動けずに目を瞑るしかなかった。

 復讐の狂気に囚われた目で景健が自身に向けて突っ込んでくる。

 供回りも突然のことに足を動かせずにいる。

 頼みの景資も距離から間に合わない。彼女自身も完全に気を抜いていたため、刀を取るはずの腕も上手く動かずに接近を許している。

 徐々に周りの時間の流れが遅くなるのを感じ、これが走馬灯というものなのかと思い耽る。

 謙信の娘として立派になろうと努力してきたが、幕引きがここまで呆気ないとは思わなかった。

 刺さる音は聞こえない。だが、何となく未だに立っていられる力が残っていることは感じられる。

 しかし、いつまでも立っていられる自身の状況にいい加減違和感を感じ、恐る恐る目を開く。

 

「え……?」

 

 心臓を見ると刺さっているはずの小刀が無い。代わりに目の前に龍兵衛の巨体が立っていた。まさかと思い、彼の正面に回り込む。そして、信じ難い光景に手で口を覆った。

 

「残念だったな……」

 

 ほくそ笑む龍兵衛の右脇腹に刺さる小刀から血が流れ出ている。驚いて顔を上げる景健を見ると刺す際に目を瞑っていたのだろう。引き抜こうとする手は龍兵衛によって強く固められている。

 

「おのれ!」

 

 景資が怒りの声を上げて景健を問答無用で斬り捨てる。

 倒れてもなお、歯を剥き出し、目を見開いた表情から景勝を殺せなかった後悔を全面に出しているのが分かる。

 

「龍兵衛、大丈夫か!?」

 

 死んだのを確認すると景資は龍兵衛に駆け寄り、刺さったままの小刀を抜こうとする。

 

「抜かずにいてください」

「何を言うておる! 傷が深くなるぞ!」

「血を流してしまいます……絶対に手当をするまでは……」

 

 弱々しい声だが、鋭さを増した強い目つきが景資を止めさせる。

 

「分かった。ええい、何をしておる! 急ぎ薬師を呼べ!」

 

 突然のことに呆然としている供回りに景資の怒声が響く。

 

「あ、あの……言うまでもないでしょうが、下手に動かしたり、きちんとした治療を……」

「お主も喋るな!」

「……そう、ですね。そうさせて……」

 

 そこで龍兵衛は目を瞑り、口が動かなくなった。

 

「おい、気を確かにしろ!」

 

 いつの間にか近付いていた兼続の声が響く。

 周囲では将兵が右往左往して、突然の出来事に対処している。その中で、景勝は全く何も出来ずにただ彼を見ているしか出来なかった。

 正しいとされる治療法や対処法、身を守る術を龍兵衛から習ってきた。そして、彼が抱える黒い部分とひた隠してきた内面を吐露出来る安息の地を自身の中に与えた。

 それら全てが何を意味していたのだろう。

 こうして目の前で守りたかった人を守れず、周囲に流されたまま、ただ時間だけがゆっくりと過ぎていく。今、この辛くても何も出来ない状況を味わえと言わんばかりに。

 わずかに目を見開く。

 これが互いに距離を置いていたことに対する罰ではないのか。理解する時間を得て、再び歩み寄ったにもかかわらず、これを許さないという天からの判決ではないのか。

 喧騒が響く中で、景勝はただ呆然と龍兵衛を見ることしか出来ない。

 それからの越後に戻るまで、景勝は現実と思考の狭間でぼんやりとし続けた。

 龍兵衛は薬師によって治療を受け、意識不明のまま屋敷で眠ったままになった。彼女としてはずっと見舞いをしたかったが、仲を秘匿にして、次期当主という立場からそうもいかなかい状況が続いた。

 彼が請け負っていた仕事は兼続と颯馬が引き継いだが、かなり独自に動いていたため、分からないところも多々あり、遅滞するものも珍しくなかった。だが、その手法自体が合理的かつ冷酷なものもあり、それが原因で兼続が顔を赤くしていたが、景勝と颯馬が宥めることで何とか収まってくれた。

 そのような日々が続いて早五日。

 景勝は一日の仕事を終えて龍兵衛の屋敷へと向かう。

 ようやく、合戦後の処理に落ち着きが見え、後事を家臣たちに任せられるほどになった。

 見舞いに来たことを伝えると家人がすぐに彼のいる寝所に案内してくれた。

 

「まだ、寝てる……」

「目覚める素振りを見せず、いつになるかも分からぬと申しておりました」

 

 独り言に応えた家人が外に出て行くのを見計らい、景勝は眠っている龍兵衛の真横に座る。

 一命は取り留めたはずだが、何故だか目を覚まさない状況が続いている。

 そっと頬を撫でるが、微動だにしない。普段なら互いに頬や頭を撫で合い、今日起きたことを脈絡もなく話し合う。もしくは互いに背中を寄せ合って各々が読みたい書物を読む。

 無意味な時の流れを感じることが非常に楽しかった。しかし、今はまるで景勝だけがこの時間を過ごしているかのようである。

 

 龍兵衛が飼っている三毛猫が入ってくる。今では猿とも仲良くなっており、空気を察しのか一緒に外へと出て行った。

 再び彼に視線を向ける。相変わらず起きる気配がない。深く溜め息を吐く。自身が来ればもしかしたらと思ったが、奇跡などはそう簡単に起こるものではないらしい。それでも、同じ空間にいて生きている内は時間を共有していたいという思いが部屋を立たずにいる理由である。

 目を瞑り、物思いにふける。再び向き合うきっかけを作ったのは何だったのだろうか。やはり、最愛と言っていた由布惟信を殺し、心の拠り所を求めたが故だろうか。

 たとえ、二番手でも景勝を愛してくれるのであればそれで良いのである。彼女にとって、彼が傍にいてくれることが最も幸せなことだ。

 このまま一緒にいれる時間が嬉しい。残念なことに愛する者は起きていないが。

 

「……?」

 

 不意に顔を上げると景勝は目を見開き、周囲を見渡す。先程と全く異なる光景が眼前に広がっている。

 いつの間にか外に立っており、辺りは彼岸花が広がっている。また、遠くを見れば川が見え、舟がいくつか停泊している。

 夢を見ているのだ。

 景勝はすぐに察した。そのつもりは無かったが、目を瞑ったため、無意識に眠ってしまったのだろう。

 しかし、ここまで縁起の悪い夢は初めて見た。怖い夢に違いないと早く覚醒してくれと心で願うが、なかなか上手くいかない。

 溜め息を吐き、再度遠くを見る。すると、初めて他人を見つけ、その人物に目を丸くし、顔を青くした。

 龍兵衛らしき男が謎の人物に腕を引っ張られている。舟に乗せられようとしているのを拒んでいるようだ。

 彼の現実での状況とこの場所。全てを察した景勝は一目散に走り出す

 

「悪いですが、ここより先へはいかせません」

 

 突然、横から現れた人影と正面衝突する。体で受け止められ、特有の柔らかい感触から相手が女性だと分かる。相手の腕が込める力に耳に入ってきた言葉が幻聴でないと理解する。

 しかし、時間が無いと抗議するべく、顔を上げる。

 景勝が知っている相手だった。

 長い黒髪と引き締まった顔立ちをした女性。一度だけ遠くから見たことがある。しかし、それだけで十分に覚えていられるほどの美貌。改めて近くで見ると同性でも見惚れてしまい、息を呑んでしまう。

 

「お初にお目にかかります。上杉景勝殿」

 

 腕から解放し、頭を下げてくる。何故、会ったこともないのに知っているのか。そのような疑問さえも簡単に消し飛ばしてしまうほどに落ち着いた対応。景勝はとぼけることもできずに口を開いた。

 

「由布、惟信さん」

「ええ。あれから聞いていましたか?」

 

 小さく頷く。

 抵抗を続けている龍兵衛の下に駆け寄りたいが、惟信は全く通してくれる素振りを見せない。

 さらに自身の体を思うように動かすことが出来ない。

 

「お察しかと思いますが、ここは夢の中。夢を見ている者が自由に動けては困るのですよ」

「……」

「ああ、そんなに睨まないでください。私はもうこの世にいない身。それ故に自由なのです」

 

 疑問に抱いたことをいとも簡単に応えてくれた。死者であり、自由である身を誇るかのように口を三日月に吊り上げている。

 腹立たしいが、ここで彼女に敵うものが無いのはよく分かっているため、黙って彼女の言うがままにさせておく。

 そのような心境の景勝をよそに惟信は龍兵衛のいる方へ視線を向ける。

 

「まだ、あれはこの世に未練があるみたいでしてね。まったく、どこまでも生きることには執着が強いんだから」

 

「まぁ」と言いながらこちらに呆れた表情を向けてくる。

 

「信長を殺すように明智を利用し、それを悟った私を殺した。信用できないという理由でね」

 

 景勝は目を見開き、龍兵衛を見る。

 かいくぐって彼に真偽を問い質したいが、相変わらず惟信が道を塞ぐ。

 

「お気持ちは分かります。しかし、彼の黒さは分かったでしょう?」

 

 彼が惟信を殺したことは知っている。一方で、信長を殺したことは最後まで否定し続けていた。あくまでも明智の一存であり、自身は疑いをかけられ、それを大友の領内で広めようとした彼女を殺したと。

 だが、事実は本当に信長を殺した黒幕として暗躍していたのだ。そして、疑った惟信を殺したのは事実を広められるのを恐れたからであり、全てを完全に闇に葬り去るつもりだった。

 理由が不純であるが故に黙っていたのだろう。

 保身を大切にする彼らしい。そのような彼でも愛しいと思っている景勝の答えは決まっている。

 苦笑するのを堪え、惟信の目を見る。

 

「知ってる」

「ならば、彼には然るべき罰を受けさせるべきでは?」

「嫌」

「え?」

「嫌!」

 

 聞こえないと耳に手を当てていた惟信が大声に驚いて、のけ反る。

 景勝自身も人生で一番大きな声だと感じた。

 だが、惟信はそれ以上に答えに驚いているようで、怪訝そうな表情を向ける。

 

「しかし、彼の作る壁は高く、とても越えることは出来ません。お分かりでしょう? 私と景勝殿なら」

「越えない。壁、壊す」

 

 自身でもとんでもない暴論を言っていると思う。

 だが、そうしたいほどに彼が愛おしくてならない。どれほどのことをしていようと自身の手を汚してでも欲しくてたまらない。

 

「本気ですか?」

 

 惟信の問いに頷くと二人の間に緊張感が走る。

 だが、彼女の表情には迷いが見えている。すかさず景勝は一気に畳み掛けるべく、口を開いた。

 

「由布さんも同じ」

「はい?」

「龍兵衛、好き。なら、頑固なこと、分かる」

 

 惟信はそれを聞いて笑みを浮かべ、うつむく。

 何となくだが、彼女が次に発する言葉が分かった。

 

「どうして我々はあのような馬鹿に惚れたのでしょうね」

 

 揃って龍兵衛を見る。

 未だに舟には乗らないと抵抗を続け、死神たちもいい加減に往生際が悪いと苛立っている。

 

「良いでしょう。彼のことは貴方に託します」

 

 惟信はそう言って、ため息を吐きながら道を譲る。

 景勝は感謝の意として頭を下げ、仰々しく彼女の前を通る。数歩歩くと振り返り、頭を下げたままの彼女に向けて口を開く。

 

「やっと勝てた」

「え?」

 

 惟信が顔を上げる。その眼に向けて満面の勝ち誇った笑みを見せる。

 

「龍兵衛への愛」

 

 惟信が彼を連れて行こうとしたのは、死んだ後に景勝が彼を再び振り向かせたことへの嫉妬。

 そう考え、最初から龍兵衛への愛が惟信よりどれだけ上か、訴えることに注力した。だからこそ、彼女に勝ち、取り戻すことができた。

 

「はぁ~どうやら私は簡単にあの世には行けないようですね」

 

 惟信も悟ったのかわざとらしく額に手を当てて、悔しそうに首を横に振る。だが、唇が若干震えているところからむしろ清々しさを感じているのだろう。

 景勝は相手の心を覚ることはできないが、今なら彼女の心が容易く見える。

 

「たとえ死んでも必ず私は貴方たちの心で生き続けてみせますよ」

「……?」

「人の死には二つ。一つは肉体的な死。そして、もう一つは忘れ去られる死です」

「大丈夫。景勝も龍兵衛も忘れない。大友も」

「そうでしたね。宗麟様たちもきっと私を生かしてくれるでしょう」

 

 惟信は遠くを見ている。大友には彼女の死がまだ伝わっていない。彼女の死を信じられない者も出てくるだろう。それでも、それは彼女が大友の中で生きていることだ。

 

「あ、最後に1つだけ。気を悪くしたら申し訳ないですが、彼が刺された場所、覚えていますか?」

 

 景勝は何故そのようなことを聞くのかと首を傾げたが、惟信が知りたいと目で訴えてくる。

 

「右、脇腹」

「そうですか」

 

 惟信はため息を吐くと「私って何でこうなんだろ」と天を仰いでいる。しかし、すぐに切り替えると晴れやかな表情で景勝を見てくる。

 

「彼のこと、頼みます」

「うん」

「さぁ、お急ぎを」

「うん!」

 

 二人は再度、礼をする。長いようで短い、互いに心からの感謝と謝罪を込められている。

 景勝は顔を上げると迷わず龍兵衛に向かって走り出した。

 振り返らず、ただひたすらに真っ直ぐ。

 

「龍兵衛!」

 

 驚いて振り返る龍兵衛の腕に触れた途端、彼女の視界は光に包まれた。

 

「景勝様?」

 

 声をかけられ、勢いよく体を起こす。

 顔を上げると龍兵衛が上体を起こして不思議そうにこちらを見ていた。

 

「あれ、川?」

「え? 何の話ですか?」

 

 眉間にしわを寄せる龍兵衛を見て、どうやら自身だけの夢だったと理解する。

 寝ぼけ眼をこすり、改めて彼を見る。

 傷が痛むのか体を揺らすと眉をしかめるが、顔色に生気が戻り、完全に取り戻したのが分かる。

 死んだはずだったのか、景勝がここにいることが不思議なのか分からないが、何よりも彼が目を覚ました。それが彼女にとって嬉しいことだった。

 

「おはよう」

 

 景勝は震える口調で言う。色々と込み上げるものがあったが、思考が一周回って出てきたのはそれだけだった。

 

「おはようございます」

 

 龍兵衛は律儀に返事をしてくれた。

 ようやく自身が生きているという実感が持てるようになってきたのか、目覚めたことに安堵したと何度も辺りを見回して頷いている。

 

「かなり眠っていたようですね」

「ん。七日ぐらい」

「あの後、何かありましたか?」

「大丈夫」

 

 龍兵衛はようやくその回答で心の底から安堵したと体を脱力させる。

 実際、あの後に一向宗の討ち漏らしがいないか確認があったが、ほとんどが岩の下敷きや海に流されており、辛うじて生き残っていた者も後続部隊によって全員を斬り捨てた。

 景勝も彼の落ち着いた表情を見て、ようやく自身の戦いが終わったと大きく息を吐く。

 

「あの、それで川とは?」

「ううん、何でもない」

 

 首を傾げる龍兵衛に首を横に振る。

 おそらく彼は罪の意識から自身を再び突き放すかもしれない。それどころか、上杉から出奔する手段を取る可能性もある。

 普段なら追及してくる彼だが、まだ寝起きで思考が安定していないのか「そうですか」と言って引き下がった。

 安堵すると同時に何かが背筋を走る

 何となく彼が嘘を隠す理由も分かったかもしれない。

 幻滅されないようにされるために必死になる気持ちを知り、彼のことをより愛おしくなってしまった。

 互いに嘘を共有しておく方がさらに惹かれる。そして、隠すという行為に伴う背徳感が面白く思ってしまった。

 これはあまり味を占めてはいけないと心中で深呼吸をし、改めて口を開く。

 

「傷、大丈夫?」

「ええ、痛みますが、起きたということはこれから快方に向かうでしょう」

 

 普通に話せているため、これから良くなるだろう。

 飛びつきたいが、まだ傷が痛むのであれば無理をさせたくない。無意識に動いていた指をそれとなく両手を被せることでごまかす。

 

「ゆっくりでしたらどうぞ」

 

 見られていたらしく、龍兵衛は動かせる左腕を広げる。

 

「良いの?」

「ええ。たまには我慢してみせます」

 

 珍しく目元も緩ませている。起きたばかりで自覚するまで判断が及んでいないのか、今は心を許せる状態なのか分からない。

 久々に見ることができたため、それだけでもお腹いっぱいだが、戦続きだった自身の体にも直に温もりを感じたい。

 そっと景勝は龍兵衛に寄り添い、左腕にしがみつく。彼は体と相談するように徐々に背中に手を回してくる。

 体が密着し、互いの体温が伝わり、心音が聞こえる。

 

「おかえりなさい」

「ただいま戻りました」

 

 今の二人にはそれで満足であり、それ以上の言葉はいらなかった。

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