石山本願寺の軍事拠点の一つである加賀の尾山御坊では本願寺から遣わされた一人の僧侶が一人の人物と会っていた。
部屋は豪華なものでかなりの財産を投じたものであると一目で分かる。
だが、加賀は一揆が起きたことは無い。民から取ったことに変わりない。
全て本願寺への寄付と銘打っておけば、民は簡単に貢いでくれる。
それで建てたこの城内はどこの部屋も同じような造りになっている。
「晴貞殿、お身体の具合はいかかです?」
端正のとれた顔と高い背丈の青年、端から見れば女性から勝手に寄ってくるような雰囲気を持つ富樫晴貞。
彼は一族が一向宗に敗れて彼は傀儡の当主ということで担ぎ上げられた。
「うむ、大事にない。そなたも相も変わらず壮健そうだな」
雑談が始まりお互いに和やかに笑い合う。
冗談が少しだけ僅かに交わされただけですぐに終わる。
「さて」と晴貞が言うとお互いに真剣な表情に変わり、短すぎる雑談は終わる。
そこには晴貞が傀儡のような雰囲気は全く無い。
「越後への工作は上手くいってない」
「まだですか? あなたにはなんとしても北陸の覇者となってもらわないといけないと言うのに」
僧侶が責めるような強い口調で言う。
声を潜め晴貞は僧侶にもっと近くによるように言うと疑問を抱いた自身でも分からないという声で語り出す。
「どうも謙信は最近になって人が変わったようなんだ」
晴貞の発言に一瞬僧侶は呆気に取られた。
人はそんなに簡単に変わるものかという疑問が僧侶の頭に湧く。
理由を聞くと晴貞は以前は人を雇って春日山にて暴動を起こさせて民に怪我をさせたらしいが、逃げる際に雇った一人が捕まった。
間違いなく謙信には誰の仕業か耳に入る筈なのに弾劾状どころか何もしてこなかったそうだ。
今度は謙信達上杉軍の主力が東北に向かっている間に同じようなことを行った。
今度は魚津と春日山両方で騒ぎを起こして民を傷付け、加賀の指図でやったという証拠をしっかりと残した。
しかし、留守を任されている斎藤朝信と長尾政景は何もしてこなかった。
謙信が春日山に戻ってからも同様だ。
「正義を掲げる謙信ならば、民がこのようになっているのを見過ごしておく筈が無いのに何かがおかしい」
晴貞の言っていることは僧侶も頷ける。
そもそも本願寺がこのことを晴貞にやるように命じた以上は本願寺もこれは黙って見ている訳にはいかない。計画の第一歩が全く踏み出せない状態である。
「だいたいのことはわかりました。しばらくは様子を見ましょう。いずれ謙信に上洛命令が出る筈です。将軍様は外に目を向け始めております。上洛したときに・・・・・・」
「後はおわかりでしょう?」と言わんばかりに僧侶はニヤリと笑う。そして、晴貞も同様に口を釣り上げる。
先程までの人を惹き付けるような雰囲気は全くなくなり、残忍な雰囲気を醸し出している。
「兄を殺してもらってようやくここまで来たんだ。そなた達には感謝しているよ。その恩に応えないと・・・・・・仏罰が当たりそうだ」
晴貞の心には兄に対する後悔も何も無い。あるのは自分の栄達の為にある歪んだ独占欲のみ。
口では言っているものの義理というものも何も感じていないのだ。
それを見た僧侶もその歪みに少々呆れながらも恭しく頭を下げると僧侶は部屋を出て行った。
春日山では夏も終盤になって来て最後の踏ん張りだと言わんばかりに気温は増している。
「あつ~い。こっちがこんなに暑いなんて聞いて無いわよ~」
「知るか! さっさと動け!」
慶次はぐでーっとしているのを兼続に引きずられている。歩く気配は一向にない。
城下町の視察に行くというのにまったく来ない慶次を兼続が見に行ったところ、あろうことか何も着ていない言葉通りの素っ裸で部屋にいたのだ。
兼続は暑くてイライラしていたところをさらに慶次のこの態度を見て危うく琴線が切れかけた。
別に自分の身体と比べたのでそこに黒い感情が出たとかでは無い。
早く着替えさせてそれでもブーブー文句を言って来る慶次を説教しながら引きずっているのが今の状態である。
「だいたい~なんであたしなの~? 他にいるでしょ~」
「仕方無いだろ、他にいないんだから」
基本的に見回りは二人以上と決まっているが、兼続は普段回っている弥太郎が休日でどこかに行ってしまった。
他に人を探したが、颯馬は別の仕事で忙しく龍兵衛も弥太郎同様に休日で城下に出掛けている。
他の武将も鍛練だのなんだので忙しく。結局、慶次しかいないので仕方無く彼女になったのだ。
春日山は平穏になっている。少し前に騒動があったが、特にこれといったことも起きる様子は無い。
暇潰しにはいい機会だと慶次はきょろきょろと店の中を覗いたり、店主と話したりしている。
兼続はその慶次の行動をはしたないと咎めたりしたが、人の言葉を聞いておくことが民の生活向上に繋がるので、慶次の行動を折檻することはないし、城下が平和に動いているのを見て特に悪い気分になることはなかった。
今日はこれぐらいでいいかと思った時、慶次が声を掛けて来た。
慶次が指した方向を見ると龍兵衛がいた。なにかソワソワと落ち着かない様子で一つの店の裏を見ている。そして周りを見て意を決したように路地裏に入って行った。
なにか様子が変だ。二人は彼に付いて行って路地裏に入ると二人は見た。
「にゃ~♪」
「よしよし、はい、餌だぞ」
猫と戯れる龍兵衛の全く普段からは想像付かない姿を。
彼は懐に隠し持っていた餌を食べる猫たちを自分の子供のように見ている。
餌を食べている猫たちを順番に撫でて普段の彼は雑談の時ぐらいしか見せないような幸せそうな顔をしている。
「似合わないわぁ~」
兼続も慶次の言葉に大賛成だ。
龍兵衛は身体が大きくて顔は別に不細工ではなく整っている方だが、強面という印象が強く、威圧感を感じさせる。
そんな龍兵衛が猫好きとはまるで合わない趣味だ。猫の方も龍兵衛に懐いているが、よく懐かせているなと感心してしまう。その時兼続はある人を思い出した。
「小島殿が不憫に思え・・・・・・」
「呼んだ・・・・・・っ!!!???」
いきなり後ろから話題の主が現れたと思いきや弥太郎は龍兵衛と猫を見ると声になっていない声を出して直ぐに路地裏に入って行くと。
「フーッ!」
猫の威嚇にあった。
龍兵衛がその逆毛だった猫の視線を辿ると、何とも言えない顔をしている弥太郎を確認してからかうように笑って頷いた。
「ああ、弥太郎殿か、道理で・・・・・・あっ」
龍兵衛を見て少々引いている慶次と兼続も目に入った。
すとんと龍兵衛の顔から表情が抜け落ちて気まずい沈黙が広がる。
「で、条件は?」
「私は今度買おうと思った書物を買ってもらおうか」
「あたしは勿論お酒でよろしくぅ」
今、龍兵衛の猫好きを黙っておく代わりの二人の条件(脅し)を聞いている最中である。
土下座までして黙ってくれと言われればさすがの二人もこれぐらいでまけといてやろうと思ったのだ。
ちなみに弥太郎は猫に逃げられそうになったところを尻尾を掴んで引っかかれた。
その痛みよりも猫に嫌われた傷心が強かったらしくそのまま凹んでどっかに行ってしまった。
とりあえず、後で慰めの酒でも買っておいておくことになった。もちろん、龍兵衛の金からの出費である。
「いいじゃん猫が好きならそうしておけば? 悪くない趣味だとあたしは思うわよ」
「だって俺には似合わんだろ。こんなでかい図体した野郎が」
自覚があるようなので自分で言うことは避けているのはしょうがない。
言っているように別に悪いことでは無いので慶次はそのくらいなら別に言えないことでは無いだろうと思ってしまう。
「もう少し龍ちんも自分出してもいいんじゃない? 例えば、この前の夜だってぇ・・・・・・」
いきなり慶次が顔を赤くして変な雰囲気を作りながらあの時のことを言おうとする。
その瞬間、龍兵衛は表情をさっと変えた。口元はにんまり笑っているが、目はギロリと慶次をに睨んでいる。
「何のことだ・・・・・・」
低くドスを利かせて龍兵衛が言ったのでそれ以上は慶次が言うことは出来なくなった。そこで兼続が咳払いをして口を挟む。
「まぁ、何があったのか知らんが・・・・・・龍兵衛、前田殿の言っていることは正しいぞ。今後を考えるともっと己を出さないと人が不信感を抱くようになる」
「いや、わかってんだけどさぁ・・・・・・」
どうも龍兵衛は出生の事などとなると彼は口を閉ざす。
とりあえずは農家の出だということに彼自身はしているが、それ以上のことは一切喋ろうとしない。
彼は上杉のフレンドリーな雰囲気を気に入っているが、逆にフレンドリーすぎて困ることもあるようだ。
その例がこの私生活の趣味だの、人にバレても構わないところが簡単に人に知られるところだ。
知られては困ることが多い龍兵衛にとっては苦痛に等しい。それに彼はあまり私生活を人に見せることがあまり好きでは無い。
その事を察して彼ももう少し皆と趣味を共通しても良いと思っているが、彼の過去の縛りのようなものが邪魔をしてどうも上手くいっていないと上杉家の面々は見ていた。
兼続の言う通り、上杉の面々は彼を理解している為、何とも思って無いがこれから国が大きくなると理解を出来ない人が現れてもおかしくない。
「とりあえず善処しておくよ」
龍兵衛はそれだけ言うと二人の希望の品物を買いながら二人と一緒に城に戻ることにした。
三人思ったよりも早く城に帰ってみると兵士たちがなにやら楽しそうに騒いでいた。
兼続が何をやっているのか聞くとどうやら石礫を投げて的に当てる遊びをしているらしい。これは考えた物で楽しいし、石礫を投げる時の正確性も上がる。
三人がしばらくそれを眺めることにしていると、謙信と颯馬、景勝もやって来て六人で眺めていたが、龍兵衛はそれにあるものを思い出してしまった為に血が騒いでしまったらしく、ふるふると手が震えて終いには、飛び出した。
「ちょっと行ってきます」
景勝と慶次は龍兵衛の事情を知っている為、止めようとしたが謙信達は龍兵衛を煽っているし、龍兵衛自身も気合いが入っているようで止めように止められなくなってしまった。
また、無理をするのかと景勝と慶次はそう思ったが、現実は違った。
彼が怪我をして抑えていたのは右肩だが今、彼は左肩を回して肩を暖めている。
「ほう、龍兵衛は左利きなのか・・・・・・知ってたか?」
全員が知らなかった。
彼は普段から字を書く時の筆を持つ時は右を使うように矯正しているので仕事を一緒にすることもある颯馬も兼続も知らないことである。
そして龍兵衛は一つ息を吐くと的を一心に見つめて龍兵衛はもう一度肩を回して投げた。
すると、龍兵衛の投げた石礫は的の真ん中より少し左に当たったが、ここまでで一番的の真ん中の近くに投げたようで兵士たちからどよめきと歓声が上がった。
謙信達から見ても彼の投げ方は若干横からだが、無駄なところが無く。投げた石礫も兵士達と比べても一番速かった。
「やるではないか、龍兵衛」
「あれ戦で使ったらいいじゃない」
「前田殿の言うことに賛成だな」
「お前の投石術があんなに上手いなんてな」
「龍兵衛何であんなに速い?」
帰って来た龍兵衛を待っていたのは順番に謙信・慶次・兼続・颯馬・景勝の質問と賞賛(からかい)の嵐だった。
とりあえず逃げることで解決を図ろうとしたが、慶次と兼続に例のことをバラすと言われたので黙ってしばらく五人に捕まっていた。
もう一度やって欲しいと景勝に言われたが、龍兵衛はもうやらないと断った。
「これ以上やったら、兵達が自信無くしますよ」
その後はその通りの結果になり、兵は誰も龍兵衛より的の中央に当てる者は居なかったという。
龍兵衛は仕事を終えるといつも通り笛をこっそりと練習する。
景勝は上手い上手いと言っているが、彼自身は未だにお世辞としか受け取れないままなので聞き苦しいと思わせないようにひっそりと練習しているのだ。
音が外になるべく漏れないように部屋の隅の隅で練習するのはもはや日常となってきている。
耳にも神経を集中させ誰が自分の部屋に入って来るのか確認出来るようにしている。もし人が入ってくれば「(なにやってんだお前?)」と思われても仕方がないような状態である。
「龍兵衛、いる?」
景勝の声がした。この前の事があった為、景勝の声は今までよりもかなり大きくなっていた。
とりあえず部屋の真ん中に移動して笛を閉まってどうぞと声を掛ける。入って来ると景勝は本を持って来ていた。
どうやら兵法書である。これの解説を頼みたいと言って来たので快く龍兵衛は承諾した。この時、彼は久し振りに光を浴びたのでかなり眩しく感じた。
「これぐらいですかね・・・・・・あくまでも自分の解釈なので他の人にも聞いてみた方がよいと思います」
頷くと景勝は何か礼がしたいと言って来た。
龍兵衛は別にいいと言ったのだが、景勝はお礼はしっかりとするべきだと聞かないので仕方ないと頭を振りながら、少し考えてすぐに答えを出した。
「では・・・・・・自分の笛の新しく覚えた曲を一つ聞いてもらえないでしょうか?」
何とも不可思議な礼の仕方だが、景勝としては龍兵衛が自ら笛を吹きたいと言ったのはじめてなので、ようやく自分から自分を出そうと動こうとしていると嬉しく思った。
もちろん、景勝は快諾して心待ちにしていると言って出て行った。
そう言われては下手なものは見せれないと龍兵衛はまた部屋の片隅で静かに笛を吹き始めた。
この日の夜、景勝が絶賛したのは言うまでもない。
翌日、三人の軍師が廊下を歩いているとふと兼続が切り出した。
「なぁ、最近景勝様の機嫌がかなり良いんだが・・・・・・颯馬、なにか知らないか?」
「さぁな、龍兵衛は知ってるか?」
「俺に聞かれてもなぁ・・・・・・」
三人はその後は他愛も無い話をして自分の部屋に向かう。
近くでそれを聞いてしょぼーんとしている人がいるのを知らずに。