上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第十八話改 秋の憂鬱

 夏が終わり、秋の涼しい風が心地良く吹いている頃になった。

 田んぼに行けば稲穂がたわわに実り、人からすれば心地良い季節で城下では更に繁盛している店が多く見られる。

 過ごしやすい時期だと思う日々である。だが、龍兵衛は見事に体調を崩していた。

 

「はぁ~……だるい~」

 

 恵まれた体格だが、季節の変わり目に人一倍弱い彼にとってこの時期はつらい。

 体調を崩して二日間。昨日も夕餉だけ食べ、ずっと布団の中にいたが、いつまでも寝込んでいる訳にもいかない。

 脱皮した動物したのように立ち上がり、軍議の間に向かった。

 廊下に出ると朝の日差しの強さが夏よりも弱くなっていることがよくわかる。

 涼しい風が吹き、女中達は龍兵衛と違って活き活きとしている。

 評定の間に入るとまだ人はあまりいなかった。どうやら少し早かったらしい。席に座ると先に到着していた兼続と話し始めた。

 

「今年の米は結構いけるらしいな」

「ほう、それは楽しみだな。お前の開発した肥料は結構、農民達には評判らしいぞ」

「そりゃ良かった」

 

 兼続の称賛に素っ気なく返す。龍兵衛は上杉に来てから農家の生産力の増加に力を入れて、彼らを保護する政策を次々と出している。

 例えば先程の肥料。

 龍兵衛が平成の知識を活かしたものが成功を納め、肥料の開発に協力してくれた人に開発した肥料を無償提供した。

 実験的な意味も兼ねていたが、思った以上に生産を助け、収穫量が五割近くまで増えた。

 この成果を以て他の農民達にも不公平がないように今年の内に肥料を増産して、来年には多くの農民に無償提供をすることも約束した。

 そのおかげで越後には多くの商人が良質な米を集まってきている為、商業も活発になっている。

 龍兵衛は更なる農業生産力の向上が図れると見て、治水開墾や新たな野菜の生産に力を注いでいる。

 

「米は簡単には作れるもんじゃ無い。それに俺達はかれらが居ないとやっていけないからね」

 

 龍兵衛の言葉に兼続は頷く。その後は一切関係無い他愛も無い雑談を続ける。しばらくするとそこに颯馬も加わった。

 最初の内は和気藹々としていたが、颯馬が兼続に茶々を入れて二人で口喧嘩が始まった。

 既に来ている親憲が割って入ろうとするが、頭に血が上った二人は止まらない。

 龍兵衛は初めから面白そうに眺めている。

 基本的には二人と違い、あまり入らない。理由は見ていて面白いからだ。

 

「ほう、また仲良くやっとるのう」

「楽しそうで何よりです」

「喧嘩するほどなんとやらと言いますしね」

 

 入って来たのは剣聖の名を欲しいままにしている義藤とその姉弟子である信綱。

 そして、二人に勝ると劣らない腕を持ち、軍の統率にも長けている業正。

 

「親憲もいいじゃろう。謙信が来れば終わる」

 

 「それもそうですね」と親憲はまだいがみ合っている二人を放置する選択肢を選び、龍兵衛達の方に入って来た。

 直臣では無い楊北衆ながらも彼はその人柄から長尾時代から仕える古参、美濃から来た龍兵衛や憲正に付いて来た業正達新参の将の間を取り持っている。

 慶次から唯一あだ名で呼ばれていないので目立って無いのを気にしているがそんなこと無い。宴会ではいつも十分に目立っている。

 

「おっはよー……ってそんなにいなかったわねぇ」

 

 慶次と弥太郎、盛隆が入って来た。

 慶次は相変わらず城をうろうろして悪戯に興じているが、城下町の人からの評判は良く、彼女になら話せるという貴重な情報を持ち込んでくることもあるので、軍師達も悪戯以外では信用出来るようになっている。

 弥太郎は景家、義清と共に騎馬隊の強化を図っているが、こちらは始めたばかりで、山が多い北陸や東北は機能しにくいこともあり、畿内や南に侵攻するまでのお楽しみになっている。

 盛隆は薬草にも知識があるため、龍兵衛はその薬の実用化を図って資金提供をして利益を得ようとしている。悪いことではない。

 

「いや、結構いるぞ慶次。俺が見た限り……あといないのは資正殿ぐらいだな」

 

 既に定満と景家は一番乗りで来ている。龍兵衛が見た限りでは結構遅い方だ。

 

「龍兵衛殿、いつもぎりぎりに来る前田殿にして早いと某は思います」

「確かにそうですね、水原さんの言う通りです」

 

 面倒くさいことにならないように親憲につられておく。その後も雑談に興じていると資正が申し訳無さそうに頭を下げながら入って来た。

 彼女は相変わらず犬の訓練に余念が無い。当初は不満げな将兵もいたが、謙信が上から押さえ込んだ為、今は表面的に不満を言う者はいない。

 実際に役に立っているので謙信は犬小屋と餌代を軍事費から出している。

 その恩に応えようと資正はますます気合いが入っている。

 遅れた理由も犬の訓練をしていた為である。そうこうしている内に謙信と景勝がやって来た。

 それを合図に颯馬と兼続の口喧嘩は終わりを告げた。

 

「最上討伐の戦略を練る」

 

 謙信が宣言すると部屋の雰囲気が一転した。

 

「龍兵衛、兵糧は?」

「今年の収穫量は例年遥かに上回ると各地の農家達は言っていました。それを入れれば問題ありません」

 

 昨年、開発した千歯扱きと唐箕のおかげで早く収穫終わることになるだろう。

 

「弥太郎、兵士の状態はどうだ?」

「先の戦の疲れは無いと兵士たちは言っています。動きにも無理をしているところはありません」

 

 頷くと謙信は全員を見る。

 

「どこから攻めるか決めるぞ」

 

 謙信の言葉と同時に兼続が地図を出して口を開く。

 

「まず、左沢城を取り、道を作ります。そこから一気に長谷道、山形城を落として最上を討ちます。時間との勝負にもなりますから迅速な行軍が必要となってきます」

 

 左沢城は五百川渓谷を経て米沢と小国という重要地域がある置賜と稲作が盛んな村上を結ぶ重要な戦略的拠点で、ここから東に出れば、寒河江の平野を一望することも出来る要地だ。

 続けて颯馬は敵の情報を詳しく説明する。

 

「私が思いますに、まだ最上は完全に家臣を掌握出来ているとは思えません。揺さぶりを掛けつつ動くのがよいかと」

 

 最上は当主の義守に不満を持つ白鳥長久を謀殺して以降、内部に亀裂が走っている。

 二人の説明を聞いて謙信は頷き、龍兵衛を見る。

 何を言おうとしているのか察し、口を開く。

 

「大宝寺や清水は傍観までには持っていけますが、鮭延城の鮭延秀綱や野辺沢城の延沢満延はまず最上義守に付くでしょう」

 

 龍兵衛は表面的には政治を専らにして軍事は有事の際のみという思われているが、実際は調略や寝返り工作を行うなども行っている。

 さらに謙信は伊達や佐竹の状況を聞いてきた。

 佐竹は北関東の制圧に動くという情報を巫女から得ており、結城に目を向けるだろうと考えている。

 伊達は当主、輝宗の奥方が最上一族の為に介入して来る可能性が高いと見ていいと言った。

 

「定満、武田はどう動くと思う?」

 

 川中島での大敗後、国内の分裂の鎮圧に力を注いでいた信玄もそろそろ外に目を向けてくる頃だということは全員が案じている。

 その危険性があっても上杉家が南下せずに東北に向かいたいのは、武田を南の防波堤にする思惑があるからだが、虎視眈々と先の屈辱を晴らそうとしていることは間違いない。

 その危惧を安堵させるように定満は首を横に振る。

 

「武田は今川が弱くなっていると考えているの。駿河に行くと思うの」

 

 今川は先の戦で義元を失い、大きな損害を受けた。同盟を破棄してまで、動く価値があるのは間違いない。

 

「しかし、いくら松平……いや、徳川が織田と手を組んだとはいえ、あの太原雪斎殿がいる以上は簡単にはいかないでしょう」

 

 龍兵衛の意見に納得する者が多い。

 太原雪斎の名は越後にも知られている。この世界では未だに生きているらしいことに疑問を抱きつつも色々と仕方ないことだと一人で片付けた。

 だが、定満は首を横に振って続ける。

 

「武田は海が欲しい筈なの」

 

 上杉領への侵攻はただ私怨だけでなく海の塩を欲してのこともある。

 内陸部に領地がある以上、塩は輸入に頼らざるを得ない。かつての上杉と今川。どちらが強力かというとどう見ても今川であった。

 しかし、義元が死んだ為、急遽後を継いだ娘の氏真では役不足と考える大名が東日本全土の大名がそう考えるだろう。

 信玄とて馬鹿では無い。

 謙信と氏真を能力の天秤に掛け、どちらが有利に進めやすいか考えるとやはり氏真になるのは仕方ないことだ。

 

「だから、今度の戦は義清殿は出陣してもいいと思うの。お留守番は別の人に任せればいいの」

 

 先の戦では万が一に備えて義清を飯山に、政景を春日山に残しておいた。

 だが、今回は前回よりも武田がこちらに来る可能性は低いと考える。もちろん確率の問題なのでちゃんとした将を残す必要があるのに変わりない。

 

「やはり信玄とはいずれ雌雄を決しなければな………だが、今はその時では無い。実及、繁長。此度はそなたらが飯山に向かえ」

「「はっ」」

 

 知略では軍師達に勝るとも劣らない実及が適任であるのは間違い無い。来たら柔良く剛を制すという算段だ。

 繁長の武勇は武田四天王にも太刀打ち出来るだろう。この二人なら武田が来ても大丈夫だと謙信は考え、軍師達も異論は出さなかった。

 他に守りは魚津、春日山に前回同様に斎藤ご政景が入ることになり、北条と佐竹に備えて新発田城と安田城に新発田重家、安田顕元が守備することになった。

 そして、軍の編成に議題は移る。

 先の戦では上杉、蘆名双方が収穫前の戦のため、あまり兵士を集めることが出来なかったが今回は収穫後となり、越後と蘆名領の軍、総勢二万の軍となる。

 蘆名はかなりの被害を受けたが、盛隆の代わりに領地経営を任されている金上盛備の手腕によって早い復興を遂げている。

 その結果として期待以上の兵数を編成することが出来た。出陣の日はこれから収穫後に決めることになり、軍議は散会した。

 

「かなり無理をさせることになるな……」

 

 龍兵衛は一人で誰にも聞こえないように呟く。

 戦とは最終手段だと兵法もある。様々なところに停滞を招き、国を発展することに妨げになる。

 先ほど弥太郎は大丈夫だと言っていたが、疲労を押して無理をしている兵士もいることに変わりない。

 先の戦が終わってわずか二ヶ月程度。まだ先とはいえ、簡単に疲れが取れる訳が無い。

 体力面の疲れが取れても、すぐに戦となると精神的に参っている兵士もいるはずだ。

 戦は生と死の隣り合わせの場。

 生きて帰りたいと考える者が殆どである以上は自分の事にかなりの神経を使っている。

 聞こえてしまったのか、颯馬が近付いて小さい声で話し掛けて来る。

 

「仕方無いさ、今は我慢だって以前も言っただろ」

「ああ……わかってる。やるしかないな、颯馬」

 

 複雑な心境は二人も同じ。お互い頷いて部屋に戻る。

 龍兵衛にはまだ人の死を直視することに抵抗を感じることがあった。

 戦乱の世に生きるなら割り切るべきものなのか、それともこの戦乱の世だからこそ未だに大切に持っておくべきなのか。

 兵の命を盾にする軍師が何を考えているのだろうかと自己嫌悪になっていく。

 死んでいく兵を見ることに慣れてはいたはずだが、未だにこの心はくすぶっているかが自分でよく分からない。

 彼が一番精神的に参っているのかもしれない。

 それを嘲笑うかのように涼しい秋風が吹いている。

 そのまま部屋に戻ると急に龍兵衛の身体には先程まで何も感じなかっただるさが出て来た。

 だが、まだ昼を過ぎているかいないかの時間に寝るなど言語道断である。

 気合いを入れ直して、仕事に取り組む。米の収穫後の俵詰めを手伝うと言っている以上、それまでには終わらせないといけない。

 机に向かうこと約三時間。昼飯を食べずにいたので腹が空っぽなのを思い出し、買ったおいた茶菓子で一服する。

 どうにか今日中の仕事は終わり、俵詰めの間の仕事の埋め合わせをする。

 このまま邪魔がなければ早めに切り上げられる。

 

「龍兵衛、入る」

 

 目上に向かって邪魔とは言えない。

 すぐに許可すると思った通り、景勝が入って来た。

 彼が食べていた茶菓子に景勝の目が移っている。内心であまり食べないことを祈りつつ、無言で差し出すと喜んで食べ始めた。

 

「……♪」

 

 無邪気に笑う景勝に憂鬱だった心もいくらか晴れた。

 昔の自分もこのような顔で笑っていたのだろう。

 それは軍師だからでもなく、乱世の理不尽さでも無い。

 もっと彼の心に刺さる衝撃的な出来事。

 思い出すだけで龍兵衛は胸が痛くなる。

 

「どうした? 痛い?」

「い、いえ、何でもないです」

 

 気付けば胸を押さえていた。

 景勝は心配そうに近付いて顔を覗き込んでくる。

 

「龍兵衛、顔赤い。どうした?」

 

 恥ずかしさもあって赤くなった顔だが、自身の体調のことを思い出し、景勝と距離を取った。

 

「景勝様。自分、風邪を引いたようなので感染るといけないので下がっ……」

 

 全て言う前に景勝は手を彼の額に当て、自分の額と熱さを比べる。

 景勝の小さい手に龍兵衛の熱が伝わったようで、すぐに景勝は真面目な顔になった。

 

「ちょっと熱、ある。寝た方がいい」

「いや、別に大丈夫です。これぐらいすぐに治りますよ」

 

 景勝は首を振って、抗議の目をして来た。それでも大丈夫だと訴えるが、彼女は立ち上がり、勝手に押し入れを開けて布団を敷き、早く寝ろと言わんばかりに睨んできた。ここまでされると逆に寝ないと後々面倒そうなので素直に布団に入ることにした。

 

「龍兵衛、いないと景勝……ううん、上杉困る。身体、大事にする」

 

 布団に入った龍兵衛を心配そうにする景勝に、ありがたいという気持ちを頭を下げることで伝える。

 次期当主となる御方にここまでされて申し訳無いという思いしか龍兵衛にはなかった。

 件の小説を貸すことで、このことは口止めとしておくことを約束すると景勝は龍兵衛の指差した場所の本を取り出して抱えて出て行く。

 足音が消えたのを確認すると布団から出て、押し入れに閉まい、机の上の仕事を再開した。

 内心、申し訳無いと思っているが、熱に負けない程度にてきぱきと仕事をこなしていき、夕餉前には仕事を終わらせた。

 その後はさすがに気力が切れたのか、一気に身体がだるくなってしまい、夕餉の後に直ぐに布団を敷いてさっさと寝てしまった。

 翌朝になると体調は良くなっていて、いつも通りに振る舞う龍兵衛には昨日の出来事など露程も感じさせなかった。

 それに少しだけがっかりしていた者が一人いたのを彼は知らない。

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