天童頼道はかねてより最上一族と対立していた。
ことさら現当主最上義守の代になるとその対立は激化し、羽州は一触即発の状態となっていた。
頼道は上杉に使者を送り同盟を結ぶことにして最上を潰そうとしたが、上杉からの返答は全く無い。
最上にこの動きを悟られ、寒河江城を頼道が攻めたことでとうとう内乱が勃発した。
最初は一進一退だった戦線も最上家の武将達の活躍で徐々に天童不利に傾いていった。さらに追い討ちを掛けるように頼道側だった楯岡満茂が調略で寝返った。
柱を失った頼道はもう一度上杉に藁をも掴む思いで援軍を頼んだ。
だが、最上義光の情報網に引っ掛かった書状は籾つぶされ、逆に偽の使者を天童に送り、上杉が援軍に来ると思わせて工作部隊を周辺の諸将に遣わせて、天童は上杉と結託して一人で南羽州の領地を獲得しようとしていると弾劾し、諸将の懐柔を図った。
これは上手く行き、独立意識の高い大宝寺と寒河江以外の全ての将は最上側に帰順した。
さらに上杉軍を流言で凶暴な軍に仕立て上げた。
このことは上杉にとっても重大な問題となった。戦前に立てた策は羽州の諸将が足並みを揃えていないことを前提であり、足並みが揃えば、まともなぶつかり合いをすることになるため、最上の兵数を考えると犠牲も大きくなる可能性が出てきた。また、時間がかかると雪の心配も出てくる。
動くには悪条件が重なりすぎたが、止まる訳にはいかなかった。無理押しの出兵で何の戦果も無く、撤退すれば諸将から不満が出て来るだろう。民達の感情も悪くなる。
人は誰も邪魔をせずに進む程、慢心を抱き、傲慢となる。それを抑え自らを律することが繁栄への道となる。
天童頼道はその道から外れていた。上杉軍が来たと知ると彼は援軍が来たと思い、合流する為にすかさず出陣した。
進む途中、最上勢からの襲撃を受けることはなかった為、上杉に恐れをなした最上義守は山形城で怯えていると判断した。
やはり、巷で広がっている上杉や天童の良くない噂は所詮力無き最上の世迷い言にしか過ぎない。
彼はあの噂に非常に怒った。何としても最上を倒して義守と義光を自分の前に跪かせて自分の手で首を斬らないと気が済まなかった。
だからこそ、上杉軍の援軍は願ってもないことだった。だが、頼道も馬鹿ではない。彼の持つ軍勢だけでは返り討ちに遭って終わりだ。
その為に上杉軍に援軍を頼み、利用して自分が羽州の覇者となる。
しかし、援軍要請など受けていない上杉軍から見れば、彼はただの敵だった。
彼の軍は多勢に無勢な上にこの戦の為に鍛え上げられた上杉軍の敵では無く、何故味方から攻められているか彼自身も良く分からないまま謙信に首を斬られていた。
「なんだったんだろうな。あれは?」
颯馬の言葉に近くにいた龍兵衛も首を捻る。
上杉軍からすると訳が分からない戦だった。
わずかの兵でこちらにやって来たと思えば、奇襲なども無く、戦を終えた。
最上は山形城の最大の支城である長谷道城に本陣を置き、そこから南西にある最上十八楯の一つである谷柏楯付近に兵を置いたという情報を掴んだ。
上杉軍もすかさずそれを叩くべく、一気に他の支城を全て無視して電光石火の速さで進軍した。
慌てて城から出る者も居たが、予測していた上杉軍に全て迎え撃たれ、撃退された。
それ以外の者はほとんどが降伏したが、謙信は全て迎え入れて今後は上杉に協力することを条件に領地の所有を認めた。
そこでようやく上杉軍は偽の情報を最上が流していることを知った。
決して上杉軍は最上の地で乱暴、略奪はしないことを行動で示した。
降伏したところでは確実に効果を出している。だが、民達にはそうは行かなかった。
最初に降伏した領地で民を視察した時は龍兵衛が危うく怪我をしかけた程の暴動が起きた。
民達は最上が流した情報を真に受けて略奪に抵抗しようとしたのである。
その時はどうにか一緒にいた義藤の活躍で大事に至らなかったが、民の心が離れていては今後の統治に支障が出る。そこで慈善活動を続けながら民の心を惹き付けるように上杉軍は進むことになった。
最初の印象が最悪だっただけにかなりの時間が掛かってしまった。
このままでは冬が近くなって来る。
下手をすれば雪により退路が断たれ、背後を雪に阻まれた背水の陣を敷くことになりかねず、上杉軍はここ羽州に来年の雪解けまで足止めされることになる。
そうなれば北条、佐竹も矛先を謙信がいない越後に変えてくるかもしれない。
どうしても今年の内に最上討伐を終わらせる必要があった。
さらに伊達からの援軍がいつ来るかも分からなくなる。
だからこそ、この慈善活動に上杉軍の軍師達は頭を悩ました。刻一刻と時間が無くなっていく。
山形城に一気に向かう手もあるが、長谷道城を無視すれば最上十八楯と名高い支城の主力は義守に付き従っているとはいえ、各城に残る将が出て来るのは確実であり、上杉軍は包囲される危険がある。
悩んでいても、時間は無情にも針を止めること無く進んでいく。早いところ決着を着けたい。
幸いにも最上は野戦で勝負に出ている。
数では上杉軍が上だが、ひっくり返されることもある。要は諸将の奮戦に掛かっている。
「望むところだな」
「やるからにはどっかーんと行きたいからね~」
「妾も久し振りに刀に血を吸わせたいしのう」
「この前の戦では私の出る幕はなかったからな、今回は存分に暴れたいのじゃ」
「私もやるぞ!」
弥太郎、慶次、義藤、義清、景家はうずうずしているらしい。他の将も同様だ。
天童との戦は物足りなかったらしい。これには軍師達も苦笑いを浮かべる。
「頼もしくていいじゃないか」
謙信は楽しそうに見ていて、終いには諸将と誰が先陣を務めるかとなると冗談とはいえ自分も入り始めた。
四人の軍師は顔を見合わせて頼もしくていいのか不安に感じるべきなのか分からずに溜め息を吐いた。
谷柏楯は山城で堅牢な城、籠城すれば長谷道同様に直ぐには落ちない。
だが、最上も上杉と同じく野戦での決着を心待ちにしていた。
士気の高さは同じで兵数は約二万と一万数千。数の差はあるが地の利は最上にある。
指揮を執るのは上杉謙信。最上側は最上義守が総大将だが、実質には最上義光、統率力はどちらも同じ位でその配下の将も質は同じ程度である。
野戦場は平野のような地形をしていて軒猿が探しても伏兵は無く、置けるような場所も無い。歩き巫女からもその情報は来ている。つまりは正面からのぶつかり合い。
一瞬の判断の誤りが敗北となる。
羽州の運命は如何になるか。たった一つのこの戦で決まる。
この戦に上杉は勝てば天下取りをのぞむ戦国大名の仲間入りになる。
最上を倒せば伊達は包囲される形となる。それに対応するまでの兵力は伊達にはない。戦略は上手く行っている。
そして、軍師は戦の策のみが仕事ではない。上杉は猪苗代盛国と伊達の対立を謀った。
これは簡単にいった。元々独立意識の高い盛国は伊達輝宗が猪苗代城に名代を置いて盛国を伊達の膝元に置こうとしているという流言をまともに受けてあっさりと伊達から独立した。
輝宗はまだ動いていないが、盛国の討伐に向かうだろうと軍師達は考えた。
雲によって月の光が地上に届かなくなっている。
真っ暗闇の中で一人の女性はきょろきょろと辺りを見回して誰もいないことを確認する。
辺りは草が生い茂り、夜に吹く風は冷たく冬が近いことを示している。
彼女は池を見つけると火打ち石を取り出し紙に火を点ける。
その炎は彼女がほっと一息着いている様とその紙が燃える様を見つめるのをはっきり映していた。
「何をしているんですか?」
草を踏むがさっと音がすると男が二人。その女性の姿を男達が持っている松明が現す。
見慣れた二人の男の姿にそこにいた女性は驚きの表情を浮かべている。何故わかったのかと。
「いつものうさぎの耳を外していますか……やはり目立ちますから、ねぇ、定満殿?」
颯馬がそう言うのと一緒に二人の軍師はさらに尊敬する先達の軍師に近づく。そこには耳飾りをしていない為、、桃色の髪をさらけ出している宇佐美定満がいた。
だが、いつものふわふわとした雰囲気とは違う。
穏やかな雰囲気を纏わずに裏の仕事をする龍兵衛や颯馬の雰囲気よりも鋭い。
二人がちょっとでも油断すれば、飲み込まれてしまいそうな恐ろしい雰囲気を纏っていた。
「どうして、わかったの?」
「定満殿は今回の戦の出陣前に作業以外でも一人で動くことが多かった。普段の定満殿ならそんなことはしません」
「定満殿は人の繋がりを大切にします。戦前にはいつも人と話し合って、謙信様との意志が同じなのかどうか。今回の戦いをどう思っているのかを確認する」
龍兵衛と颯馬はさらに定満との距離を詰める。定満は動くことはない。
「定満殿。あなたは天童頼道からの手紙を軒猿から受け取りましたね? その時は自分が本来担当する筈だったのがその日は偶然自分は休日。颯馬は別の仕事で兼続は城下の見回りに出ていた。しかも、兼続は諜報には向いている性格ではない。残るは定満殿……あなたしかいない」
龍兵衛はいつもの淡々とした口調では無く、罪人を裁くかの如く口調になっている。
口元にいつもの不正町人を裁く時の歪んだ笑みを浮かべていることは無い。表情は怒りを押し殺すように眉間に皺を寄せている。
颯馬もまた拳を握り締めて定満をじっと睨んでいる。
彼らは定満を責めているのでは無い。自らがやるべき汚れ仕事をさせてしまった自分達を悔いているのである。
定満も軍師。汚れ仕事をしてきた経験は二人よりもずっと多いだろう。
その仕事を彼らは自然に引き継いだ。そして、定満は表だけを生きる軍師として上杉の纏め役として務めを果たしていく筈だった。だが、それを偶然が止めてしまった。
「でも、あの時はしょうがなかったの。謙信様にあれを見せたら、絶対に天童と動くの」
正当化する定満に颯馬が何故と問い詰める。彼らは定満の普段と違う行動に気付いていた。
「だからって、定満殿だけでやる必要はなかったでしょう。我らに伝えてくれれば……」
定満は手でさらに詰め寄る颯馬を制する。
じっと二人を睨んで言い返せるような雰囲気を作らない。
「颯馬君達も、人の事、言えないの。蘆名の時もそうだった」
言い逃れるようなことはしないはっきりとした物言いに二人は息を呑んだ。
逆に今度は彼らが聞いた。そのことには触れずに定満は話題を変えた。
「軍師のお仕事は大変なの。表で作戦を華々しく披露して、裏では御家の為に泥をかぶることもしなくてはならない。違う?」
普段の口調ではあってもその黒く鋭い雰囲気に彼らは頷くしか無い。それに彼女の言っていることは間違って無いので先輩の定満には説得力がある。
「二人はいつも謙信様が気づかない所で動いていた。でもそれは大変、私も知ってるの。だから、二人にはたまにはお休みをあげようかなって」
「嘘ですね」
何も言えないような雰囲気に負けることなく、龍兵衛は即反論をした。
「定満殿、本当は御自身で動きたかったのでしょう。自分達は誤魔化せませんよ。おそらく、以前も天童との間でこのようなことがあったのでは?」
「何のことなの?」
龍兵衛の追求にとぼけて誤魔化そうとする定満に今度は颯馬が穏やかでも優しくない声を掛ける。
「定満殿。今ここには謙信様も、またそれ以外の家臣もいません。我々は汚れ仕事をこなして来た軍師同士です。腹を割って話して下さい。何があったのです?」
人を突き刺すような目を颯馬は先達の定満に向けてしている。失礼を承知だが、怒りがその制御を外した。
龍兵衛も定満の目から視線を離さずにジッと定満の口が開かれるのを待っている。
沈黙は長く続き、三人の間を風が何度も何度も吹いている。
それでも二人は身震いする事もない。定満を待っている。自分達になら話してくれると信じて。
二人の雰囲気を感じて、周りに誰もいないことを再度確認すると定満はいつものような雰囲気に変わり、可愛らしく「ふぅ」と息を吐いた。
二人にこれから話すことは決して今後、誰にも話さないことを約束させて真相の口を開いた。
闇に葬られた筈の謀略の演劇は今、二人の鑑賞者に発表される。