最上との雌雄を決する戦がいよいよ始まる。
今日も晴れているが、肌寒く、冬が近いことを表している。
颯馬は朝早くに陣中の見回りをしていた。だが、少し早く起きたせいか兵士たちもちらほらと見る程度である。
あと半刻もすればほとんどの者が起きるだろう。
「あらぁ、おはよー颯馬っち」
「おはよう」
ふらりと景勝と慶次がやって来た。二人共早く起きすぎたせいかまだ目が半開きでいる。
「おはようございます。今日は早いですね」
「今日、決戦……ふん!」
鼻息荒く景勝は胸を張る。
気合いが入っているのは慶次も同様なようだ。眠いとはいえ決戦とあって早く起きたのだろう。颯馬も同じなのだから他の人達もきっとそうなのだろう。
そう考えていると兼続もやってきて、そのまま四人で陣中を見回って歩く。風も冷たく、今年の夏の暑さも忘れるような寒さだ。
「(秋というのにもうこんな寒くなるのか……)」
東北の寒さは越後以上だと聞いていたが、これほどとは思わなかった。
颯馬はそう思いながら兼続と慶次を見ると二人も少し寒そうにしている。
ところが、景勝だけは何故か平気そうだ。気になった颯馬は聞いてみる。
「龍兵衛。気をつける、言ってた」
どうやら、龍兵衛は夏の暑さが今年はいつもより高いことを知ると今年の冬はより寒くなることを予測して、今回の戦では景勝に厚着をした方がいいと言っていたそうだ。
元は農家の人達からの受け売りと言っているが、彼自身も確か農民出身だと言っていたので元から既に知っていたようにも見受けられる。
当初から龍兵衛は天候には詳しく、前に雨が降る時の予測もしていた。颯馬などは燕が低く飛ぶ時などを見て予測を立てるが、龍兵衛の場合は風の匂いで判断しているらしい。
今回も龍兵衛の予測は当たったようで、景勝は寒さ対策を十分にしていたおかげで大丈夫なようだ。
しばらくすると、その龍兵衛が陣中の片隅に一人で立っているのを見つけた。すかさず景勝が走り出して行く。
「(慕われているよなぁ、龍兵衛。やっぱり一番最初に会話を成立させただけはあるな)」
玩具を見つけたような景勝の後ろ姿も微笑ましいと思いながら、以前、彼女と龍兵衛は不仲であるという根も葉もない噂があったことも思い出した。
景勝に件の事を言ってくれなかったら謙信と説得に向かった颯馬は帰る所を失っていたかもしれない。
その後も少し不仲であるという噂は続いているが、颯馬は知っている。
龍兵衛が景勝と本を交換していることを。
仲が良くないのならば、そのようなことはしないだ。
意識を現実に戻すと景勝は龍兵衛に声を掛けていた。振り向いた彼はやつれ、目の下のくまはひどく、眼はより鋭くなっていて、普段の大きな身体から出る威圧感も無い。
「だ、大丈夫? 龍ちん」
これから寒いことを教えてくれないでいたことに恨み言の一つでも言ってやろうとしていた慶次も変わり果てた龍兵衛の姿に驚いて真面目に状態を聞いている。
大丈夫だと返答したが、どう見ても大丈夫ではない。
「まぁ、ちょっと夢にうなされていた」
よくわからないが、恐ろしい夢を見たのだろう。
少し顔を洗ってくると龍兵衛は重石を引きずっているような足取りで歩いていった。
「おお、皆早いな」
背後から謙信がやってきた。
全員が頭を下げて挨拶をする。
兼続が龍兵衛のことについて話すと謙信は決戦前に士気に関わるかもしれないと颯馬に様子を見てくるように命じた。
颯馬はすぐに龍兵衛の後を付いていき、すぐにその姿を認めた。
「おーい、龍兵衛、入っていいか?」
声を掛けると中から龍兵衛が許可する声が聞こえた。
入ると先程よりは落ち着いたようで、だいぶ顔色も良くなっている。
「本当に大丈夫なのか?」
「ああ、問題無い。やはり悪い夢とは睡眠を妨げる」
淡々と話すその口調はいつもと変わりない。それでも颯馬は気になることを単刀直入に聞いてみる。
「本当に大丈夫なのか?」
龍兵衛は眉間にしわを寄せて、無言になる。
聞かない方が良かったかもしれないと思ったが、どうしても気になって仕方なかったのだ。
「さて! 切り替えよう! これから戦だ!」
指を額に当て、横に縫うと龍兵衛は自分の頬を叩き、気合いを入れる。
本当に公私をしっかりと分けて行動していると颯馬は少しばかり感心してしまう。ここまで立ち直りが早いと向こうが年上に見えるのは、上杉には親憲がいるからだろうか。
そのようなことを考えていると颯馬は龍兵衛に背中をいきなり叩かれた。
力がある為に普通に痛い。
悶絶している颯馬を見て、笑って気合いが足りないぞとからかうっている口調で言ってくる。
「この野郎!」
「やっべえ」
この鬼ごっこは起きてきた定満にうるさいと言われて、二人仲良く説教されるまで続いた。
半刻後(一時間)、兵達も殆どが起きて動き始めている。
最上はこちらよりも数は下だが、地の利で向こうに分がある。さらに伊達が援軍を向ける気配があるという報告がある。伊達も次は自分達が攻められることを知っているようだ。
軒猿が探りを入れて、伏兵の雰囲気は無いという確認があるとはいえ政景との戦の時のようにいきなりやって来ることも起きかねない。
粛々と決戦の地へと入るとすぐさま上杉軍は陣を整える。
無論、最上軍も動いている。上杉軍の動きを見て、対応するような陣形を取って来た。
速攻で決着を付ける為に軍師達は車掛かりの陣を敷いたのに対して、最上は守りに適した方円の陣を敷いた。伊達からの援軍が来るまで守りの固める気だろう。あの陣形から伊達の援軍が来るのは推測から確実となった。
謙信は軒猿に伊達の援軍の現在の位置を確認させ、颯馬達軍師に対応策を練るように指示した。
まず、兼続が口を開いて全員が考えていることを代弁する。
「いかに最上を援軍が来るまでに討つかですね」
「そのための車掛かりの陣だからな、某はそのような配置をしているなら逆に一点突破を図るべきだと思います」
「自分も賛成です。問題は敵が各部隊に多くの弓隊を配置していることですね……」
「うーん。それならどこかに弓隊を集中させるの……」
兼続と颯馬と龍兵衛が腕を組む中ですかさず定満が策を立てた。それ自体は陳腐だが、実に効果的な策だった。故に、その策は昔から使われているのだろう。
謙信もそれを認めて将達に様々な指示を出す。
日が昇りきり、戦いの幕はもうすぐ開ける。
さらに一刻が経ち、いよいよ謙信が攻撃開始の合図を出した。第一陣はいつも通りで景家が務めている。最上は矢を使い、景家の接近を許さない。
いつもの景家なら一気に攻めているだろうが、景家も無理はせずに矢の当たらない所まで下がり、同じく矢で応戦する。
お互いに当たりそうで当たらない距離を保ちながら膠着状態になってしばらく、謙信は第二陣の義藤に突撃を命じた。
景家の隊に合流して、徐々に最上との距離を縮めるように少しずつ進軍する。
矢の雨が戦場にお互いの兵を突き刺しながら降り注ぎ、それに堪えるように軍を統制しながら景家と義藤の隊はゆっくり進む。
ここで謙信は一気に第三、第四陣を進軍させて業正と資正の隊が進んで行く。
最上側からは更に多くの矢が降り注いでいる。一点突破を上杉軍は狙っていると思っているのだろう。
いくら策とはこのまま進むと被害は増えるばかりだ。定満にそろそろではと颯馬が聞くと彼女は首を横に振ってまだもう少し隊を進軍させるべきだと言った。それを謙信は聞くとすぐに次の慶次の隊を進軍させた。
この戦いに備えて竹でこしらえた盾を作ったが、多くの矢が突き刺さり、限界になってきているようで景家と義藤の隊では被害が徐々に多く見られるようになって来た。
最上側はそれを見て更に矢を降らせる。矢が減らないのはそれだけ弓隊が増えている証だ。
定満はただそれだけを狙っていたのだ。目的の場所とは違う所を攻めて敵の目をそちらに向けさせて本来攻めるつもりだった所の守りが薄くなった時に攻める。何とも昔からよくありそうな策だが、だからこそ効くのだろう。
上杉軍は二万の兵を十の部隊に分けている。今は半数が戦場で戦っていることになる。
「第六陣に正面の救援に向かわせて、第七陣から動きましょう」
颯馬の言葉に謙信は頷いて直ちに動いた。第六陣と第七陣を率いるのは秀綱と弥太郎。
いよいよ上杉直臣、小島弥太郎の率いる上杉軍の精鋭中の精鋭が出る。
秀綱の隊と弥太郎の隊は共に進んだ。
だが、それも途中までで動きが変わる。
弥太郎の合図は颯馬達からはよく見えなかったが、なんらかの合図があったと共に弥太郎の隊は一気に左に隊列をずらして、そのまま一気に方円の陣の左に突っ込んで行く。
弓隊からの迎撃はあったが、最上側は中央に集中させすぎた弓隊をすぐさま戻せずにいる。戻せば中央の一万以上の上杉軍に突破される事は確実だ。
今は弥太郎は二千の兵で突撃している為にまだ最上も防げると踏んでいるらしい。
だが、控えている隊がこちらにはまだいる。謙信は第八陣の親憲の隊に弥太郎の隊に続いて左から攻めるように命じた。
颯馬がふと龍兵衛を見るとそわそわしている。
軍師として落ち着いて腰を据えているべきだというのにどうしたのだろうか。
戦前に朝のこともあって、謙信にこの戦出れるかと聞かれた龍兵衛は迷わずに行けますと答えた。
だが、今の状態では信憑性に欠ける。左隣にいた兼続が状態を聞くと大丈夫だと龍兵衛は首を振り、信じてくれと真っ直ぐに颯馬達を見る。
彼のかなり真剣な表情に颯馬達も納得せざるを得ず、戦に意識を戻す。
「伊達の動きが気になって……このまま順調に行けばいいんだが、どうも不安を拭えない」
「確かにそうだな、一気にけりを付けるべきかな?」
「ああ、早いとこ総攻撃を掛けて最上を撤退させて伊達に備えるべきだと思う。伊達もここまで来て何もしないで帰るなんて気は無いだろうし」
「私も同感だ」
龍兵衛達は謙信と定満にこのことを言うと直ちにそれを是として、総攻撃の準備を始めた。
「定満、いつ動くべきだ?」
「弥太郎達が突破するのを待ってからだと遅いと思うの。今すぐに動くの」
定満の言葉に頷くと共に謙信は素早く馬に跨がり、刀を抜いてこの戦場の隅々に響き渡る声を上げた。
「総攻撃を開始する! 私に続けー!」
『おおぉぉぉっ!』
その叫び声と共に馬を走らせる姿は華麗としか言いようがない。その姿に将兵は士気を上げて、自らもそれに続かんとしている。
「あぁ~あ、謙信様はまた……もう!」
謙信が自ら刀を握り先頭に立って行く姿に龍兵衛は呆れ顔で額に手を当てている。軍師達の悩みの種でもあるが、謙信のあの性格はおそらく生涯直らないだろう。
「何を言っている。謙信様のあれは今に始まったことではない。お前も上杉に来て何年か経つのだからわかっているだろう」
「まぁ、確かに武田の時みたいに見失う事は無いだろうし、まだいいか……」
「そうそう。さ、俺達も行くか」
颯馬達が馬に跨がると定満が後は任せてと手を振って見送る。兼続も続いて馬に跨がろうとするが、龍兵衛は待ったを掛ける。
「あの! 全員で行く気ですか?」
地形上、伊達に背後を捕られることはない。
何を憂うことがあるのだろうか。
本陣には守備隊をちゃんと置いてあるし、定満がこういう風に一緒に敵陣に斬り込むということは大丈夫ということでもある。
「景勝様はどうするのですか?」
「「「あっ」」」
三人の声が綺麗に重なった。
颯馬達の視線の先では景勝がとても寂しそうな顔をしてこちらを見ている。
一気に申し訳ない気持ちになる。実際、はっきり言って颯馬達は完全に景勝の存在を忘れるというあってはならない失態を犯した。
慌てて、颯馬達三人は下馬して頭を下げる。もし、景勝に何かあればうっかりで済むところでは無い。間違い無く死罪ものだ。
どうにか許してもらったが、景勝はかなりご機嫌斜めだ。
「行っていい」
「え、よろしいのですか?」
残れと言われると思っていた兼続は戦場を景勝が指差しているので思わず聞き返すが、こくりと頷いて龍兵衛に近付く。
「景勝に気付いていた龍兵衛に守ってもらう」
「(これで俺達の好感度落ちたな……)」
颯馬たちは士気を落としながら馬を走らせる。
側面から敵陣に入った謙信と合流し、颯馬達も左から突撃をする。颯爽と謙信が敵を斬り裂いて悠々と道を開き、颯馬と兼続はその後に続いて負けじと敵を斬る。
弥太郎達が穴を開けていたおかげで思ったよりも直ぐに左翼の陣を突破出来た。
一つ突破出来れば他はもう簡単に突破出来るだろう。中央からの上杉軍の歓声も聞こえてきた。あとはそのまま一気に本陣へと突っ込んで決着を着けるだけの筈だったが、邪魔が入った。
一人の男が謙信達の前に立った。
「悪いが義守様のところには行かせない」
「大勢は決した。何故に降伏しない?」
「主君に殉ずることは家臣の務め。違うか?」
謙信の言葉に分かりきったことを言わせるなと言うように男は睨んだ。
颯馬が男を観察すると彼ぐらいの年で背は高い。
謙信は男の言葉に肩をすくめてふっと笑った。男はそれを見て何がおかしいと顔を怒りで赤くしている。
「貴様は家臣を無くした主君がどう思うか考えたことはあるのか?」
「主君が自分達をどう思っているかは知らない。だが、御家に殉じてくれたことを喜んでくれる筈だ」
「貴様の主君はそんな人なのか? 人が死んで喜んでいられるのか?」
「喜びはしない。だが戦では人が死ぬのはやむを得ないことだ。自分一人死んだことで義守様が生き延びられるなら本望だ」
「それは貴様の考えだ。主君はそうは思わない筈だ。最上義守は人望が有り、民に慕われているそうだな、その民達一人一人が死んでも自分のように悲しむような人だと聞いている。貴様は将のようだが民よりも近くで見て来た貴様が死んで最上義守は喜んでいられるのか? そうでなくても平気で居られるのか?」
謙信は男の発言を悉く跳ね返し、決して有無を言わせないようにつらつらと言葉を繋げる。そして、暗に降伏しろと言っている。
男は最初こそ普通でいたが、段々と虚勢を張っているように見えて来た。それ程謙信様の言う事は理路整然としている。そして、男はとうとう叫んだ。
「お前は何なんだ! 主君のことを分かっているような物言いをして!」
「(ああ、相手の大将である謙信様を知らないで戦をしていたのか、それでは俺達の方が有利に戦を進められて当然だ)」
哀れそうに眺め見る颯馬に気付く筈がなく、男は謙信を睨み続けている。
「私もこの者らの主君だからだ」
素っ気なく謙信が言うと男はかっと目を見開き、鋭く斬りかかって来た。その鋭さはかなりの手練れである。しかし、謙信は彼の攻撃をにべもなく受け止める。
一旦間をおいて男は謙信に向かい、確認の為にかお前が上杉謙信か? と聞いてくる。謙信は「如何にも」とまたも素っ気なく返した。今の謙信は彼をちゃんと将として見ているとは思えなかった。
颯馬が見た信玄と対戦している時の覇気も全くない。つまらなそうに男を見ている。
そんな謙信のことなど気にせずに男は再び攻撃への体勢を整える。
「池田盛周、上杉謙信を討ち取り、義守様への手土産とさせてもらう!」
「ほう世に名高き悪次郎が相手なら不足は無い。皆、手出しは無用だ」
颯馬と兼続は池田盛周の名を聞いて前に出ようとしたが、謙信はそれを止めて動くことが無いようにしてしまった。
また悪い癖が出たと呆れながらも渋々二人は引き下がった。
盛周は一度大宝寺に仕えていたが、その無理な増税に反乱を起こして最上に匿われているそうだ。人情に厚い人と聞いていたが、ここまで自分の命に冷酷な人だとは思わなかった。
謙信と盛周の周りでは上杉と最上の兵が変わらず乱戦を繰り広げている。指揮する者が居なくなるのを恐れた定満はここは任せたと言うと兵達の下へと向かった。
颯馬と兼続はいつでも助太刀出来るように周りを気にしながら謙信達を見守る。
謙信の刀と盛周の槍がぶつかり合う。正真正銘の一騎打ちだ。
その中で颯馬達が出来ることは主君、謙信を信じて待つのみ。
そして、これからじっとしていても肌寒さが無くなるような見る人も汗滲む一戦を颯馬達は見ることになる。