それは上杉軍が谷柏楯に到着する少し前の日。
夜もだいぶ更けていた頃、揺らめく蝋燭の火を頼りに伊達家当主伊達輝宗は最上からの書状に目を通していた。
かつては色々と揉めたりしていたが、輝宗が妻を最上からもらい一応の和睦をした。その最上は今、上杉の侵攻を受けている。
当然助けるべきである。反故にすれば伊達の家名は落ちることとなる。
しかし、最上と伊達が組んで戦ったとして同じかそれ以上の兵力が揃ったとしても結束力ではお互いに上杉軍の足元にも及ばない。
どちらも先の内乱からようやく領内統一を果たし、未だに誰が味方なのかもわからない状態である。
一方の上杉は反乱分子を徹底的に粛清して皆が上杉の忠臣である。さらに上杉軍の先の蘆名との戦いぶりに畏怖している豪族もいる。現に最上では一部の豪族が上杉に付くことを誓っている。だが、最上が負けて行くのを指を加えて見ておけばいずれは間違い無くこちらも上杉の餌食となる。
とはいえ、伊達家単独での対抗は難しい。
「父上、入りますよ」
入って来たのは輝宗の娘伊達政宗と輝宗の信頼が厚い老臣。
そして、政宗の幼なじみで将来嘱望の優秀な三人の若き将達。五人が入って来たのを確認し、呼んだ理由を話す。
それが終わると老臣の鬼庭左月が積極的に口を開く。
「当然救援に向かうに向かうべきです。最上と結んでいるのはこちらが奥州を統一する為の物。今は協力関係を続ける為にも援軍を向けるべきです」
輝宗の野望は奥州を奪る事、そのための最上との縁戚関係である。横槍を突かれる心配を無くしてこそ、奥州に集中する事が出来る。
だが、はっきり言えば最上との関係はそれだけでそれ以上の物は無い。ただ利用し合っているだけだ。
「輝宗様、私は左月殿の意見には反対です。最上が負けたらといって上杉はこちらに直ぐには来ないでしょう。今年の冬前に山形城を落とすことで精一杯の筈です。兵を出さずにこのまま力を蓄えるべきです」
幼なじみ四人の中で一番の切れ者に育った片倉景綱、確かに冬の到来は上杉軍の懸念材料だ。
雪が振る前に事を運ばなければ上杉軍はただの無駄足を踏んだことになる。
そうなると伊達家は援軍に行かなかったことになる為、盟約違反と弾劾される。
「小十郎の意見はもっともだけど、動かないと伊達が簡単に人を裏切るって言われるよ」
赤髪の長身女性、鬼庭綱元は苦言を呈す。
知勇兼備にて鬼庭左月の娘である彼女は景綱の意見に肯定と反対の考えらしい。
基本的に私的なところでは四人は上下関係が無く幼名で呼び合っている。
「成実、お前も何か言ったらどうだ?」
「政宗、これに意見を求めるのは無意味だぞ」
「えぇ~私だってちゃんと考える頭はあるよ~」
輝宗の苦言に駄々をこねる子供のような表情できゃいきゃいと言っている少女と言える体格の人物、伊達成実。この中では一番の武勇を持っているが、そっちに才能が行ってしまい馬鹿ではないが、一番頭は弱い。
「じゃあ、成実はどうしたいんだ?」
「敵だと思う方に攻める!」
成実以外の全員の溜め息が部屋中に広がる。間違ってはいないのだが、敵をいつ討つか、どちら側に付くかを考えているのでそれは論点から外れている。だが、どちらもいずれは敵になるのも確かだ。
最上を討つことも輝宗の妻も認めている。
そして、上杉は当然討つべき相手、今はどうするべきか迷う時である。
「政宗、さっきから黙っているが、そなたはどう思う?」
先程から話し合いに茶々を入れていて何も話そうとしていない政宗は輝宗に話を振られると目を瞑りじっと考えて、そして輝宗に聞いた。最上はいずれ倒すべきか。家の為に母の実家を討っていいのか。上杉は伊達を狙っているのか。どれにも輝宗は首を縦に振った。
それに基づいて発表した政宗の考えを聞いてここにいる誰もが思った。彼女は本当に伊達の跡継ぎに相応しく育った。
政宗は最上領の谷柏楯近くの平野に立つ。
最上が勝とうと上杉が勝とうと伊達家には関係ない。最後に勝つのは自分達。勝利を横取りし、奥州だけでなく東北一帯。天下を奪るのは我ら伊達家。他の家を全て跪かせる。
独眼竜は野望を実現させるべく攻撃命令を出した。
綱元と成実の二人を先頭に伊達は上杉、最上両軍の兵に斬り込む。
二人の背中を預けられた左月も負けじと武器を振るう。三人が向かっているのは一番混戦となっているであろう中央の地、そこでは兵の悲鳴がよく響いている。
上杉軍に押されていた最上軍の殿が伊達を自分達の目の敵と言わんばかりに斬りまくっていた。中でも気を吐いていたのは最上義光と池田盛周。
二人は上杉軍の将達の働きも霞ませるような武勇にて伊達軍を寄せ付けない。
上杉軍が近くに居るが、それらには見向きもせず、伊達軍に向かってくる。利用し合う関係であったということは分かっていただろう。
だが、伊達軍がこうくるとは思わなかっただろう。
「そこに居るのは最上義光と池田盛周と見た。いざ、尋常に勝負!」
伊達軍若き二将が突っ込む。
武で語り合い彼女達を捕らえて真意を聞けばいい。
最上の二将は伊達の二将の叫びに応えるように得物をぶつけ合う。
盛周と綱元、義光と成実、二組の対戦が始まる。
盛周は先程の謙信との一騎打ちで身体は不十分であるとはいえ今逃げては義守に危害が及ぶ。それ故に体を張って彼女を守らんと動いている。
その意気は伊達の二人にも伝わってくる。だが、政宗より出陣前に伝えられた言葉を思い、心を鬼にする。
「天下への為なら最上を討つ事は仕方の無い事だろう」
竜となる彼女の歩みを止めることは許されない。
自分達が武勇で政宗の天下への道を切り開くのだ。この戦はそのための第一歩である。
当主は未だ輝宗であるが、彼自身もあの日以来から政務や軍事の殆どを政宗に任せている。その証拠に彼はこの戦に参加していない。
当主の代理として政宗を総大将として軍を派遣しただけだ。
わざわざ援軍として当主自ら来ては逆に怪しまれる。また、こういったところでもまだ政宗が他家に名が売れていないこともいい意味で影響した。
伊達政宗と片倉景綱は戦場を見つめている。思っている以上に上杉軍の対応が早い。伊達軍を迎撃しつつ包囲を突破しようと迅速に動いている。
「流石だな」
軍師である景綱は良く戦況を理解して一人呟く。それ程上杉軍は見事に対応しているのだ。最上は既に撤退を始めていて抵抗らしい抵抗をしていないようにも見えたが、未だに残って応戦している将兵もいる。指揮している人物には見覚えがあった。
「最上義光と池田盛周か。その配下の兵も流石だな……簡単には下がってくれない」
「まぁ、そう急くことはないだろう。慌てずに攻めるのだ」
そんなに慌てることはない。だが、それは景綱がついた嘘であった。急がなければ包囲を突破される心配もある。上杉、最上を屈服させて羽州南と越後。そして、蘆名領を全て伊達の手中に納める計略には謙信と義守の身柄がいる。義守は既に撤退したが、謙信はまだあの中にいる。
羽州は取れなくても上杉軍の将と領地が入って来る。想像して心が踊らない人などいるわけがない。
東北を制圧して中央に攻め込むのだ。政宗の掲げる野望は膨らむばかりである。
乱戦の中で、首や手足は舞い散り、敵兵の上げる苦しみの声を耳障りと言わんばかりに息の根は次々と絶えている。上杉家自慢の将達に途中退場の文字は無い。
敵ながら見事と言う他ない。
徐々に政宗の目が中央に向けられていく。左右どちらかから側面を突けば、敵を混乱させられるかもしれないが、乱戦の波が徐々に強くなり、兵を動かすとそこから崩れるような気がする。
そう判断し、政宗は変わらずに戦況の変化を伺う。
軍師から提案も無いため、判断としては間違っていないのだろう。
政宗はさらに戦況の観察に努め続けた。
龍兵衛は数十の兵を率い、戦線を迂回して、一直線に馬を走らせていた。
狙いは伊達政宗。彼女を倒すことでこの戦の終止符を打つ。
今でなくともいずれ上杉家は伊達を纏めて配下に納める。東北を完全に押さえるには南部や葛西、大崎などがまだいるが、最上と伊達の二大勢力の二つを取れる好機を逃す手はない。
政宗を探すことに集中する。
馬を並べて戦況を見つめる二人の女性。こちらにはまだ気がついてない様子だ。
一人は神社の巫女のような格好をした黒髪の女性。もう一人は黒い甲冑を身に纏っている女性。よく見ると右目に眼帯をはめている。
その姿を見た瞬間、彼は腰にある袋に手を伸ばした。
「伊達政宗殿とお見受けする。いざ、尋常に勝負!」
彼は得意技である投石攻撃を仕掛ける。腹部に投げつけて政宗を気絶させる狙いだ。
「むっ?」
政宗はそれを避け、こちらを見る。
初動を外したが、構わずに龍兵衛は一直線に馬を走らせ、迫る。
「政宗、退いていろ! ここは私が」
片割れの巫女姿の女性が言うが、政宗は首を横に振って更に一歩前に出る。
龍兵衛は一気に間合いを詰めずに一旦止まって政宗の目をじっと見る。
「お前は何者だ?」
「上杉家が家臣、河田長親。伊達殿とお見受けしたが、如何か?」
「如何にも私が伊達政宗だ」
一瞬の静寂の後、政宗から口を開いた。
「上杉は何故に此処まで来た?」
「天下統一の為」
「足利幕府がまだ健在だというのに関東管領の分際で逆賊の行いではないのか?」
「権威はあれど、乱世を治める力が無い。這い上がることも可能ですが、それは難しいです。伊達殿、あなた方こそ最上との盟約を破り、要らぬ戦をしようとしているようですが、それは何故です?」
「乱れた東北を伊達の名の下に平穏にする為、最上は内乱が絶えず義守には鎮める力が無い。故に私は立ち上がったまで」
「そして、天下に羽ばたく竜となると……結局は変わらないではありませんか」
本心を見事に見抜かれ少し驚愕するが、すぐに平静に戻り少し侮蔑を込めた声を出す。
「関東管領ならば大人しく関東を平定しておけばよかったのではないか? それが何故東北に来る? それとも北条が怖いのか?」
政宗の後ろから笑い声が聞こえてくる。上杉の中の一部が憤り立って飛び出そうとするが、龍兵衛はそれを手で抑える。
「確かに北条は関東の脅威ですが、古来より背後が危ういままにしておくのは愚の骨頂。まずは地固めということです」
一泊置くと龍兵衛は如何にも楽しそうな顔を浮かべる。
「故に鼠のような小さな脅威でも獅子は全力であいてにしなければならないのですよ」
敢えてどこの家なのか言わなかったのは龍兵衛の精一杯の敬意であった。
それでも、伊達軍にとっては聞き捨てならない台詞だった。
「つまり、我らは鼠だと言いたいのか?」
笑みが一変して、額に青筋が立っているのが龍兵衛には想像出来た。それが彼にはとても面白く感じてしまう。
「ええ、その通り。ちょろちょろとどっちつかずで美味しい物はさらっと持って行くやり方はまさに鼠」
「貴様! 政宗様を愚弄する気か!」
龍兵衛のよくわかったと言うような物言いに隣にいた女性がくってかかる。龍兵衛は平静さを失わずについでにと名前聞く。そして、彼女が答えると息を吐いた。その名を彼はよく知っていたからだ。
「では、この策を考えたのは片倉景綱殿。あなたですか? いや、先程の物言いからして政宗殿が立てた策に違いないですね? このような策を弄してまで最上を取りたかったので? ならば反対しなかったあなたも鼠同然ですね」
政宗も景綱も動かない。怒りを通り越して無の感情になっている。だが、心ではあの者を倒して首を掲げてやりたいという感情が今にも爆発しそうなのは見てとれた。
いよいよ政宗が手を挙げ、攻勢を命じようとした時、不意に背後から悲鳴が聞こえてきた。更に蹄の音が響き渡る。
「申し上げます! 背後から謎の軍勢が我らを襲っています!」
政宗が慌てて背後を見ると謎の騎馬隊が後背の兵を襲っている。
「いやはや、思ったよりも時間が掛かりましたか」
龍兵衛が両手を挙げて、おどけてみせる。
「寒河江殿も最上軍の目を縫って来るのは大変でしたでしょう」
政宗は驚き、龍兵衛を見る。
苦虫を潰したような顔をして政宗は龍兵衛を睨む。
「貴様、最初から分かっていて……」
景綱が睨んでくるが龍兵衛は気にせずにおどけた仕草を変えることはない。
「伊達が来る気配を優秀な方達が教えてくれたので万が一ということで、まさかこんなに上手くいくとは……」
そこで彼の表情はすとんと真顔になった。
「なんとも嬉しい計算外です」
そして、今度は龍兵衛の手が伊達軍を指した。