斎藤家の中で道三と義龍の対立は激しさを増していた。
憂いている人は多くいたが、和解をする者達が現れる事はなかった。
理由として道三が黒い噂で成り上がったことが大きい。
血と恐怖で国人衆を支配して来た彼に意見をする者などいなかった。
娘の義龍自身も父との仲を直そうとせずにいた。
彼女は生来、人付き合いを苦手にしていた為、それを理解出来ない者もいた。
また、その性格を理解し、父とは話せば分かり合えると思っていた重臣も日に日に仲が悪くなる親子に手が着けられない状態になっていた。
ここまでになると国人衆は自分達の体面を保つため、道三派と義龍派に別れるようになった。
だが、道三派は少数しか集まらなかった。
彼の恐怖支配のつけが回って来たのだと皆は考えていた。
道三はこれまで言うことを聞かない国人衆を血の粛清で悉く消していたのだからやむを得ない。
しかし、内乱が起きれば、たちまち国力が落ちてしまい、斎藤家の威信が失われる可能性もあった。更に尾張の織田信長が道三が敗れるとなると同盟を反故にして美濃に介入して来ることも考えられた。
それだけでなく、義龍を擁して稲葉山を取ることや斎藤家に代わって自らが美濃を治めようとする者がいるという噂が絶えなくなった。
その事態を重く見た四人が集った。
それが稲葉一鉄、竹中半兵衛、黒田官兵衛、河田龍兵衛だった。
四人は夜な夜な集まり話し合ったが、解決方法が見つからず、無情にも時間だけが過ぎて行った。
それでも諦めずに根気良く話し合い、時には道三と義龍に話をして何故、対立を続けるのかそれとなく聞き続けた。
しばらくして、官兵衛と一鉄が道三に聞くことに成功した。
強引に酒を飲ませ、酔わせた結果、口が軽くなったところを直接聞くことが出来た。
義龍は道三の娘では無いという噂が出て来た頃、それを利用して彼女を煽る国人衆が数人いたそうだ。
道三がことごとく謀殺したが、それ以降、元々少なかった彼女の口数がさらに少なくなった。
道三に不満を持つ国人衆は、彼をますます悪く言うようになった。
内容は、道三が義龍をいずれは亡き者にするに違いないと何とも馬鹿馬鹿しい内容であるが、それが通じる程、親子の関係は酷いものになっていた。
実際の道三は身内を大切にし、心の許せる者には好々爺のような性格を出す温厚な人柄だった。
かつて、義龍にも向けられていた事であり、国人衆を徹底的に恐怖支配をしていたのはどっちつかずを粛清する為に仕方なくやったことだった。
元々、成り上がりの道三が美濃という大国を支配するのには反逆に反逆を重ねてきたので心から忠誠を誓う者が少なかったという仕方ない理由もある。
そして、道三はもう一つの人間性があった。自分の命の価値観が人よりも低かったことである。
徐々に義龍に冷たく当たるようにした。彼は義龍に反逆を煽るように仕向けた。
そうすることで義龍の代になって美濃が安寧となるのなら自分は死んでもいいとそう考えてますます娘に辛く当たった。
当時の美濃は非常に微妙な立場にあった。
朝倉が怪しい動きを見せていて六角を巻き込んで不審な動きを見せていた。
かねてより朝倉は斎藤家と対立しており、かつては織田と手を組んで挟撃を企んだこともあった。
その時は道三の外交手腕が勝り、織田と同盟を組んで見せたのだが、朝倉は諦めずに斎藤を狙っていた。
だが、年で衰えていた道三は外のことが見えなくなっていた。
美濃三人衆がどうにかしていたが、限界を感じていた一鉄以外の二人までが義龍を推すようになっていた。
切羽詰まった状況で三人の軍師が策を練ることになった。
まず、義龍を半兵衛と龍兵衛が巧みな話術にてそれとなく道三について聞いた。
彼女自身は道三を尊敬していることは間違いない。しかし、大き過ぎた父の偉大な能力が娘は無能であるという思いを生んだのだ。
義龍自身がどこかでそのようなことを言ってしまったらしく、道三に不満を持っていた国人衆の間にあっという間に広がり、義龍が気がついた頃には派閥が出来てしまい、本来の親子に戻れなくなってしまった。
ここで半兵衛と龍兵衛に闇に葬られた最悪の事件が起きていた事を思い出させた。
派閥のことについて何も言わないのをいいことに、国人衆の一人が父親との争いをしないようにすることを条件に義龍の春を奪おうと迫った。
偶然、龍兵衛が近くに居て国人を捕らえたので未遂で終わった。
被害にあった彼女は派閥の事については口を割ることは無く、ただ彼の出来心だったと言い続けた。この派閥の事が露見すれ間違い無く戦になることを知っていたため、最後まで黙っていた。
一方で、軍師達は出来心だけで国主の娘を手籠めにするとは考えられなかった。
三人の軍師は不敬を働いた国人衆を逃がすことを条件に口を割らせた。そして、その事を聞いた三人はその事で初めて悟ったのだ。水面下で起きていることを。
ここで景勝が手を挙げた。
山形城にある離れの奥にある部屋に二人は夜の中で、ろうそく一本で対話をしている。
「龍兵衛。その国人、本当に逃がした?」
「いや、師匠の二人が配下に命じて殺しました。彼に逃げ方を教えて」
誘導したと言った方がいい。
主君の娘を奪おうとする輩を許す程、三人は優しくない。
「続けましょう。義龍様はこの事から分かるように本当は戦を避けたいと思っていました。ですが……」
影は光と共にある物。
道三は義龍を光のままにしようとしたが、それは叶わない夢であった。
斎藤家の影は光よりも速く進んでいた。そして、影は義龍を遅々と確実に包んでいった。
斎藤家はもう義龍達の望む方向に行くことは不可能になった。
義龍は道三との仲直りを諦め、戦で決着を付けることを選んだ。四人は止めた。だが、影に侵食されてしまった義龍が聞くことはなかった。
やむを得ない状況になった四人も仕方なく戦を利用することにした。
強引にでも二人の親子が死ぬことを避ける為に道を外す覚悟は出来ていた。
先ず、一鉄が道三に近付いた。彼は一旦、止めようとしたが、もちろん聞く耳などなかった。既に命と引き換えに愛する娘を守ろうという覚悟は優しい道三には出来ていた。
この時、軍師たちは道三に義龍の事件の真相は言わないでいた。
そのようなことを言ったら彼は発狂しかねない。
そして、彼の奥底に眠る凶悪な部分が全面に放出される。
やむを得ず一鉄は計画通りに道三を密かに強引に眠らせて、とある寺に監禁した。
義龍の方には三人が付いて国人衆とのやり取りを重ねて、それとなく戦の準備を引き延ばすように仕向けた。
その過程で国人衆の詮索を行い、粛清すべき人物を把握して密かに一鉄と半兵衛が書を交換し合った。
抜かりなく計画は進んでいたが、ここで問題が起きた。道三の身代わりを誰にするかだ。
義龍が戦で勝つのは明白でこのままでは道三は死ぬ。一鉄は道三を監禁し、寺に預けた。厳重な監視の下の為、彼は逃げることは出来ない。故に戦の時に道三の身代わりが必要となった。
一鉄が名乗りを上げたが、名実共に斎藤家の重臣である彼を失っては今後の領地経営に支障が出る。
結局、道三の身代わりに白羽の矢が立ったのは長井道利、道三の弟である。道三と距離を取り、義龍に近付いていた。しかし、彼の心には義龍への忠誠など露ほどもなかった。
表向きは慈悲深くて良い人でいたが、知っている人は知っていた。彼は物欲に囚われた腐った人間、心にあるのは金と女の事ばかり。
そこが三人の軍師の恰好の的となった。道利が死ねば、後々の事が楽になる。
三人は道利に近付き、道三の代わりに指揮を執れば、彼に付いていく。更に美濃三人衆も道利を支持するように働きかけることを約束した。
彼は簡単に乗った。自身の物欲を叶えることに関して、誰のことも信じる性格だったことを三人は知っていたのだ。
道利はかねてより邪魔者で道三に重要視されてない人間は暗殺を繰り返した。
寵愛を受けている人間は道三に事が漏れると何をされるかわからないので中央から地方に移動させた。
道三は身内に甘く、寵愛を受けている者が居なくなれば動く。
堅実な軍師三人も快く思われていなかったが、ここは道利の物欲心が勝った。
一鉄の方も三人衆の二人を計画入れることに成功した。かれらとて戦は避けたかったのである。
さらに計画は順調に進んだ。決戦の時は道利は病気で療養しているということになっていたが。実際に療養先にいたのは道三で道利が道三の格好をして戦に出ることになっていた。
道三は病死と見せかけて殺し、義龍もこの戦で亡き者にする。そして、道利が正真正銘の美濃の君主となる。軍師達にとって道利を担ぎ上げるのは本当に簡単だった。
道三と道利の顔が良く似ていたことも助かった。
斎藤道三軍僅か数百、斎藤義龍軍五千以上の兵が長良川で戦の火蓋を切った。
もちろん道三は此処には居ない。代わりに指揮を執る道利は寡兵であっても徹底的に戦った。
彼の強欲さが心を支えた。しかし、多勢に無勢である。言うまでも無く道利側は不利になった。
一気に総攻撃を仕掛けるように軍師達は言った。だが、ここに来て義龍は躊躇っていた。親子の絆とは簡単に死ぬことはないのだ。
確かに義龍が実の娘であることは間違いない。自分の死によって救われると道三は言っていた。
それと同時に道三は本当は分かっていたのだ。
国人衆は自分の死によって好き勝手やることは明白であると。義龍へ付いた国人衆の目的は殆どが自分が道三によって縮小された自分の領地を彼を討ち取ることによって復活させること、要は道利と同じような連中ばかりだったということだ。
義龍も分かっていた。命じなければ国人衆は斎藤家そのものを潰そうとするかもしれない。
もう戦が起きた時点で手遅れであった。今は親子の為でなく、斎藤家の為に動かなければならない。
義龍は手を挙げて総攻撃を命じる。
終わった。親子は完全に敵となった瞬間だった。
それは親子の絆を崩壊させてでも行うという非情な決断をした四人の計画を実行する合図でもあった。
国人衆の進撃は止まることを知らずに道三の首。もとい道利の首を目指した。
先頭に立っているのは長井忠左衛門道勝。道三の一門で道利とは兄妹ではあるが、道三のやり方には賛同していて道三と義龍を仲直りさせようと一人で奔走していた。
戦になった以上は体面を守る為にも道勝はやむを得ずに病気の兄の代わりに義龍に味方していた。
一方、道利は妹を邪魔だと思っていた。
彼女の性格は兄とは百八十度違っていた。実直で人一倍正義に厚い。そんな人と卑劣で強欲な野郎が性格が合う訳がない。
彼は妹をこの戦で消すつもりだった。寝返る手筈の半兵衛達が彼女を背後からどさくさに紛れて殺すことになっていた。
道利の運命はこの戦が始まった瞬間に無くなっていたも同然だった。
何故なら彼が本当の美濃の邪魔者だったのだから。
本陣の道利はいらいらが頂点に達していた。寝返りを約束していた筈の軍師達は寝返る気配が無い。
だが、道利は信じていた。強欲な彼は自分が美濃の覇者となることを夢見ていた。
道勝が本陣に突っ込んで道利を道三と思いながら道利を捕らえて義龍の前に連行しようとするまでは仮面などいらなかった。
ここで再び景勝が手を挙げた。
「道勝さんは計画、入ってなかった?」
「あの方は実直過ぎてこういうことに向いていなかったのです。実に真っ直ぐな人間でした……」
本当に良い方だったと龍兵衛は振り返る。
よく手を差し伸べてくれた。食事や酒を奢ってくれた。師匠二人と遊んでいた時とその時だけかつての世界のような心地があった。
「ここで景勝様もお分かりのように問題が起きました。道勝殿は道利殿を捕らえようとしていたのです。このままでは道三様が本当は道利殿である事がバレてしまう。そうなれば計画は失敗です。自分達は国人衆達の手によって刑場の露となったでしょう。しかし、そうはならなかったのです」
現に龍兵衛は此処にいる。人の運命は最後までわからないものである。
ちなみにこれは龍兵衛が後で聞いた話だが、この時の龍兵衛は一番愉快そうな顔をしていたそうだ。喜んでいいのか分からないが、この時の顔が景勝からすると彼の感情が一番よく出ていたらしい。
一気に本陣に突入した道勝は道三を捕らえようとしていた。
道利はこの時ようやく悟った。嵌められたと。
一鉄も軍師達も味方ではなく自分を良いように利用しただけだったのだと。美濃一番の極悪人は怒りも何も感じなかった。
道三と共に彼が商人の頃から一緒にいて、武家に仕えて立ち上がった時からここまで上って来た。悪行は全て道三に押し付けて自分は潔白な人であることを貫いて来た。
道三の美濃の蝮という徒名は殆ど彼がやって来た事を道三が被って来た事によって付けられた物であると言っていい。
道三は知っていた。だが、何も言わないでいた。直臣が罪を着せられては斎藤家の信頼は地に落ちる。
それ程までに斎藤家に対して不信感があって国人衆が道三を恨んでいた。故に道三は身内の家臣を庇い、それを国人衆達に罪を着せていた。
斎藤家を守り、国人衆の影響力を無くす為だ。それを道利は悪用していた。どんどん道三の評判は悪くなって行った。
道利はやりたい事はどんな外道な事も迷うことなくやって来た。そのつけが回って来たという自覚はあった。抵抗する気は無かった。
だが、最期に妹に首を取られる事になるとは思わなかった。これも天が自分に与えた罰なのかもしれない。
道勝が兄を組み敷いて討ち取ろうという時だった。誰かが後ろから来た。
後ろから道勝を突き飛ばして道利の首を掴むと素早く道利の首を斬った。ぽたぽたと流れる血が道利の死を告げる。
「何をしている!?」
道勝は思わず叫んだ。その男は何も言わずに去って行った。男は冷たい目を道勝に向けてそのまま去って行った。
道勝は激怒した。男を見ると道勝もよく知っていた人物だった。
小牧源太。
彼もまた道三からの恩義と御家存続の為とで挟みとなっていた人物である。
しかし、彼は大胆で且つ巧みな男であった。
彼は四人の実行者達が夜な夜な密会していたのを知っていたのである。
そして、それを謀反を企んでいるのではないかと勘ぐり、ある日とうとう盗み聞きをしたのだ。
だが、その気配は百戦錬磨の稲葉一鉄に悟られた。捕らえられた源太は何故忠義に厚い人達がこのようなことをするのか詰め寄った。
それを聞いた四人は笑い声で返した。源太でなかったらここで斬られていたかもしれない。
実はそうではないということを知ると源太は驚き、四人の計画に賛同してすぐに仲間に加えて欲しいとその場で言った。
四人も人が増えるのは結構なことだったので彼を喜んで迎え入れた。
合戦の決着はあらかた付き、源太はゆっくりと馬に跨がり道利を目指した。
国人衆は道三への恨みは強く、見つけた途端に道三(道利)は斬り殺される筈だった。
しかし、源太は見た。先頭に立っているのは国人衆ではなく、道勝である。
彼女ならば道三が道利であることを直ぐに分かってしまうだろう。
大急ぎで馬を飛ばし、どうにか道勝の後ろに追い付くことが出来た。道三側の本陣で道勝が道利を捕らえようとしているのを見ても何も考えることは無かったが、猶予は無かった。
とっさに源太は道勝を突き飛ばし、手柄を奪った。
しかし、源太にはそのことが全く頭に無かった。ただ道利という真の悪人を斬ることと道勝に道三の正体を知られてはならないという思いが彼の頭にあった。
首だけになれば死人に口無し。道利も話せる事は無い。背後から道勝が怒りの声を上げるが彼は気にしない。
これで美濃が綺麗になるならこれでいいと源太は胸を張った。
戦は終わった。
しかし、本当の戦はこれからであった。
全軍に道三が討ち取られたことは伝わった。これで終わったと皆が思っていた。
四人の計画はこれからだということを知らずに皆が安堵して勝利の雄叫びを上げた。
これから始まるのは小牧源太も三人衆の二人の安藤守就と氏家直元も知らない。四人が立てた最後の命がけの計画だった。