上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第二十八話改 春日山の冬

 久々に上杉軍は春日山に帰って来た。すっかり寒くなった春日山城下を謙信を先頭に粛々と進んでいく。

 上杉軍諸将以外に最上からの名代として義守が自らの護衛として定直と盛周を引き連れている。安東も当主の愛季が自らが人質となり、家臣の浪岡顕村を引き連れてこの凱旋に参加している。

 これには上杉軍の皆が驚いた。

  

「私も負けたらああするから安心しろ」

 

 謙信はその話題に冗談で笑いを取ろうとしたが、通じない者がいることも失念していた。

 

「「謙信様が負ける事なんて有り得ません!」」

「……景家と兼続という冗談が通じないのが居るんですから」

「ははは、颯馬の言うとおりだな。以後、気を付けるとしよう」

 

 颯馬はその言葉が嘘だと分かっているが、それ以上言っても無駄であると分かっているため、諦める。

 

「……私、上杉の方達ってもっと真面目な感じを思っていたんですけど、これなら早い打ち解けそうですね」

「そうですね。これなら民達もきっといい生活をしているのでしょう」

 

 背後から義守と盛周の会話が聞こえる。

 不安を感じていただろうが、上杉諸将の笑顔を見ていると随分と気が楽になったようだ。

 周囲でも、上杉の諸将が談笑しており、それがより良い方向へ導いている。

 一方、安東は相変わらず、俯き、暗い表情を崩さない。

 

「あのー安東さん? いくら人質とはいえ、もう少し落ち着かれては?」

 

 安東は意識を他に向けていたのか、義守の問いで俯いていた顔を上げた。別に疲れている様子ではない。

 

「え、ええ……」

 

 それから義守と安東はお互いに世間話を始めたが、遂に表情が晴れることが無かった。

 

「何かある」

「ああ」

 

 颯馬と龍兵衛は遠くから見て、疑わしく感じられた。

 事前に突然の降伏を疑い、お互いの情報網を駆使して内情を探ったが、特に何も出て来ていない。

 むしろ何か隠しているのではないかと逆に勘ぐって今度は安東家の領地の家臣や国人衆も調べている。

 調べておかなければ、西への進出に不安を残すことになる。また、龍兵衛には別の目的もあった。

 

「北羽州の雄勝郡と北秋田郡から匂うんだよ」

「匂うって?」

 

 龍兵衛は笑みを浮かべ、親指と人差し指で丸を作って颯馬の耳元で囁く。

 

「これだ……」

「……やだな、お前」

 

 颯馬はごみを見るような目をしているが、気にしない。

 院内銀山と阿仁鉱山の獲得は非常に大きい。交渉の際、彼は真っ先にその二つの地域を取るように、北羽州の上杉直轄領地をすることを進言した。

 院内銀山は江戸時代初期に発見された銀山で、その産出量は日本に留まらず世界有数と言われた。

 阿仁鉱山の方は銀と銅の産出が豊富で、江戸中期には長崎への輸出量が日本一になっていた。

 江戸時代はこの二つを所有していた久保田藩が林業と共にこれを藩の経済の軸とした結果かなり財政が潤っていたという記録もある。

 上杉家がこれを直轄すれば、この二つの鉱山を発見し、本格的に採掘を行った結果、佐渡金山や越後に数多ある金山、銀山と合わせた莫大な財力を手に入れることが出来る。

 それを考えるだけで、龍兵衛は口元が緩むのを堪えるのに必死になる。

 

 春日山では歓声を上げて城下町の民が謙信達の凱旋を祝った。

 食料や酒を献上しようとする者や思わず謙信に跪いている人もいる。それだけかつての内乱で傷ついた民達の心は修復されている。

 だが、上杉は越後統一からたった五、六年でここまで大きくなったのは外征に次ぐ外征の為であるその間の時間に内乱もあったので民達はそれ以上に苦しんでいた。

 そのため、謙信は評定にて数年の内政集中の方針を打ち出した。

 これには全員が満場一致で賛成し、治安の維持や法令の更なる整理や街道の整備、開墾の奨励などの様々な地固めを本格的に行う事になった。

 別に外征に目が行き過ぎて民達を放置していた訳では無い。

 謙信が留守の間は政景を筆頭に朝信や実及が中心となって政策を執り行っていた。

 それでもやはり、戦の方に労力が行ってしまう事が現状なのであまり本格的に執り行う事が出来なかった政策もある。

 これを憂いた謙信がこの方針を自ら進める姿勢を見せる事で民達を安心させるところも含まれている。

 本来、内政型の龍兵衛が指揮監督する事になり、開墾や法令の整理などを担当する事になった。

 

「開墾は冬にやってもあまり意味は無い。雪に埋もれて作業が滞るからな……やっぱり、法令から行くか」

 

 越後にも雪がたくさん降る所もあればそうでない所もある。

 全体的に言えるのは土地が緩く、作業が上手く行くかは分からない事だ。

 気候と自然には人間は太刀打ち出来ない。それは彼自身もよく知っている。

 本来なら雪の少ない地域では開墾を行っても良いが、その地域の農家が生産力を付けてしまい。他の地域の農家の間で経済的格差が出る事も考えられる。

 米が多く売れる程、金になる。米をたくさん作るほど安い値段で売りさばくことが出来る。

 だが、今まで通りの農家の米の値段では高くて売れなくなり、いわゆる小作人になる人も出て来るかもしれない。

 故に、開墾を今進めれば間違い無く不満が出る。下手をすれば一揆が起きるかもしれない。

 だとしたら開墾は田植えの前後にまで保留しておくことにして法令の整備から始める事にした。

 かつて龍兵衛は取り調べを制限する法令などを出したが、今回は本格的な改革を行う事となった。

 これには定満や颯馬達も協力する事になっていて龍兵衛はそこで発表する草案を纏めている。

 一旦全員の案を出してそこから相談を行い、謙信の所に持って行く事になっている。

 

「どうしたものか」

 

 龍兵衛自身は法令に明るい訳ではない。

 問題は色々と山済みだ。やらないといけない。彼は彼の歴史から倣うことにした。

 その翌日に定満と颯馬、兼続に法令の草案を見せたところ、二人から首を傾げられた。

 

「随分と民の法令を厳正にしているな。これでは民達が息詰まるんじゃないか?」

 

 颯馬は龍兵衛の法令案に不安なところを指摘する。

 自身の知識の中の法令をこの時代に合ったものにしてより刑法を厳正にし、治安維持を徹底する事を中心とする法令案を提出した。

 

「確かに少々厳しいかもしれないが、この乱世で国の治安が不安定では民達の不安に繋がる。どちらかというとこれはそんなに厳しくは無い。民達は要は殺人、傷害、盗み、不正などを行った場合の刑罰はどのようなものなのか分かっていればいいんだ」

 

 彼の内容としては殺人は無論即刻死罪とし、傷害は重い場合は鉱山行き、軽い場合は国内での懲役刑。不正も傷害と同じ。それ以外の暴行などの罪は禁固刑。

 要は大日本帝国や産業革命の頃のイギリス刑法を参考にしたものである。

 他の法令も基本的に民は縛られるような感じだが、規律を重んじておかなければ治安の悪化に繋がると考えてこのような法令となった。

 一方で、少しは農業や商業の起業の自由を与えるなど寛容な所も含まれている。

 だが、彼の作った法案には三人が見逃せないところが一つだけあった。

 

「敵討ちも殺人と同等に扱うのはさすがに……」

「別に俺だって敵討ちが悪いとは言わない。でも、さすがに人命を戦以外で無くす事は極力無くさないと放っておけば、治安の悪化にも繋がってしまうし、それこそ下剋上に繋がる。それに、きちんと訴えれば適切な対処を取ると別項で書いてある」

 

 私刑を全廃するのには、かなり皆が慎重だった。

 この時代では敵討ちはお咎め無しで済まされることもあり、それによって殺人が横行することを避ける狙いがあったのだが、武家として敵討ちの撤廃は少し急進的過ぎる気がしたのだ。

 民にも、この法令を不満に感じるものも出るかもしれない。

 龍兵衛からすると治安の維持向上をする為には必ず必要な法令だと信じてこの案を出した以上は簡単に引き下がることは出来ない。

 議論の終着点が見えないままなので定満が待ったかける。

 

「法令については謙信様とも相談するの」

 

 確かにここは謙信の判断を仰いだ方が良い。四人は議題を変えることにした。

 開墾は後回しにする事は全員が承知しているので基本的には商業と交易の事についての話になった。何しろ佐渡金山や越後の金山、銀山の採掘は軌道に乗っていて資金は豊富にある。

 青苧座はあまり変な動きをしているようでは無い。しっかりと税金を上げて来ているので京との交易は順調であるといっていい。

 問題は城下町の拡大と収益の上昇をどのように計るかになって来る。

 特産品が少ない以上、無理に拡張しても損害を被る可能性が高く、青苧座の交易と直江津港の交易に堺からの物を多く仕入れるように奨励する事が第一となった。

 今後は拡張に力を入れる者は上杉家に申し入れれば免税を行い、支援を行うことになった。

 いわゆるアメリカのベンチャーキャピタルのようなものである。さすがにアメリカのような資金の無償提供をすることはないが、それに近いものだ。

 

「ここまで、質問、ある?」

 

 誰も定満の言葉に反応しなかったのを見て散会となった。

 

 部屋に戻り、仕事を終わった龍兵衛は息を吐いて部屋に戻る。

 戦から久々に帰って来た時は春日山の自分の部屋はやはり落ち着いた気持ちを取り戻す事が出来た。

 生臭い血の臭いから解放されて普段の日常臭い畳の匂いとは人の心をいつの時代でも心を和ませてくれる。

 水を飲んで一息ついたら直ぐに机に向かって今後の方針の確認の為の資料を読む。今日の仕事を終わっても休む暇は無い。

 民達は待ってはくれないのだ。かれらは今の生活の向上を望んでいる。かれらは未来よりも今を見る。今が安定していないと不満を招く。

 だが、龍兵衛達政治家は未来を見て行動しなくてはならない。その間のギャップを少しでも埋めるのが定満を筆頭とする軍師達の役目でもある。

 

「実際にやっているとなんとなく政治家の気持ちが分かる気がするな・・・・・・」

 

 一人ごちながら龍兵衛はその後、黙々と資料を読んでいく。

 町人からの収益の報告をこの後は調べる予定でもあるから仕事は終わるのは夜になる。

 今日は泊まりで多くの仕事を終わらせる気だったので別に彼自身は何とも思ってはいない。

 集中すれば何時までもやれる性質の彼は途中喉が乾いて水を飲む時以外は資料の文字から目を離さない。

 

 

 夕方になり日差しが長く入って来て窓の障子からの日差しが目に入った所で龍兵衛の集中力は終わった。

 伸びをして廊下に出る。廊下では夕餉前の女中のうるさい声が響いていた。

 首を左右に回しながら龍兵衛はゆっくりと城の中庭に出た。片隅の小さな木立に屈んで様子を窺う。

 すると可愛らしい鳴き声と共に三毛猫の姿が見えた。龍兵衛が城下町を歩いているとふらふらと腹を空かせたように歩いていたのを拾った。

 最初は汚かったが、洗ってやったら綺麗になり、可愛らしく擦りよって来たのをその勢いで餌をやったら懐いてしまい。そのまま中庭に暮らしている。

 龍兵衛が戦場にいた間は彼同様に猫好きの女中に密かに頼んで世話をしてもらっていた。

 久々の再開にも関わらず猫は龍兵衛の顔を確認すると飛び付いて来てゴロゴロと喉を鳴らす。

 龍兵衛も猫を丁寧に撫でてやり、懐に忍ばせていた餌をやる。

 ぱくぱくと可愛らしく食べるのを見ているとここが乱世である事も忘れるぐらいの和みを龍兵衛に与えてくれる。

 夕餉前の楽しい一時は直ぐに去って行ってしまい、夕餉だと龍兵衛は探しに来た女中に怒られながら城内に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 夕餉の後、龍兵衛が仕事を進める間に来客があった。景勝である。

 山形での一件以来、彼もまた景勝と一緒に居る事が増えた。

 しかしそこは龍兵衛で、景勝との事は一切を内密にする為に普段の日中は普通に接している。

 景勝の方はもう少し一緒に居たいらしく龍兵衛が仕事中でも景勝が一緒に居るのが増えているのも事実である。

 幸いにも謙信と颯馬の方が目立って増えた為に全然話題になっていないのが現状だ。龍兵衛にとっては最も望んでいた状態である。

「仕事が忙しいので」と言うと「待ってる」と言ってそのまま本棚から龍兵衛の書いた本を取り出して、読んで待っている。

 仕事を終えて行き、大分片付いた所に差し掛かると景勝が座っている場所を龍兵衛の正面に変えてじーっと彼を見ている。

 当の本人は気にしていないようで相変わらず仕事の資料を読み進める。そこで景勝は口を開いて聞きたい事を聞いた。

 

「龍兵衛、猫好き?」

 

 ぴたりと龍兵衛の手が止まり、壊れかけた機械のようにかたかたという音が鳴りそうなゆっくりとした動きで景勝に視線を合わせる。

 

「どうして分かったんです?」

「謙信様と歩いていた。龍兵衛、中庭で猫といた」

「え、謙信様もご一緒で?」

「(こくり)」

 

「嘘だろ……」と龍兵衛は頭を抱える。猫に夢中で全然気がつかなかった。

 ただ、景勝が見たのなら構わない。

 

「外に出ましょうか?」

 

 伸びをしながら龍兵衛が立ち上がると景勝も付いて来る。

 外は肌寒く、厚着が必要である程だが、二人はそれをお互いの身体を寄せ合うことで補う。

 龍兵衛はかなり恥ずかしくて穴があったら入りたい気持ちではあったが、景勝が満足そうなので、よしとする。

 もう一度中庭に出て、三毛猫を呼ぶとすんなり出て来た。

 初めて見た景勝に少し怯えたが、すぐに大丈夫だと分かったのか景勝の足の周りをうろつく。

 城内に連れて行こうと言われたが、猫を室内で飼うのは汚れるとまずいので、別れて縁側に戻る。

 

「来た」

「ええ」

 

 空から降ってきた白い物体がひらひらと落ちて地面でじわっと小さな小さな水になる。

 雪。

 春日山に冬が来た。 

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