上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第二十九話改 春が来て

 雪解けと共に風は日に日に穏やかになり、気温も徐々に上がってうららかな春が訪れる。

 龍兵衛の肩も春の到来が近付くと共に良くなり、回復の為に朝は道場での鍛練を行い、鍛え直している。

 怪我で全く動かせなかった右腕の筋肉は完全に落ちてしまった。

 道場で肩を気にしつつも木刀を振るう。

 大した痛みがある訳では無いが、二度目となると慎重になる。今年、来年の出陣が無いため、無理はしない。

 唯一の気になる点は伊達の存在だが、上杉に友好的らしい。

 片倉景綱がこちらに捕虜としている。政宗と昵懇である彼女を案じ、来る可能性は低いだろう。

 

「龍兵衛、おはよう!」

「おはよう」

 

 意識を現実に戻したのは景家の元気な声だった。

 朝稽古に来たと、すぐに槍を振るい始める。

 豪快な槍さばきを見ていると格好良く思ってしまうが、龍兵衛には真似出来るような代物では無いのは分かっている。

 少しでも追い付きたいと思うのが人間の性である。 

 

「龍兵衛、さっきから私の槍の使い方を見ているが」

「いや、景家のように動けるにはどうすればいいのか見ているんだ」

「そうか、何かわかったか?」

「いやー駄目だな。どんな動きをしているのか分かるんだが、どうやって動いているのかが分からん」

「よく言っている事が分からないが。まぁ、龍兵衛は軍師なんだし、あまり気にする事は無いだろう」

 

 龍兵衛は厳しい顔になった景家に「そうだな」と話の腰を折ると立ち上がって、向き合う

 

「ちょっと相手してくれないか?」

「え、大丈夫なのか?」

 

「少しだけ確認だ」と龍兵衛が言うとそれならと景家も相対する。

 部屋の雰囲気が一気に静まり返って緊張感が高まる。

 

「はぁ!」

 

 景家がまずは仕掛ける。

 龍兵衛は正面からの突きを横によけてそのまま一気に詰めて刀を横に薙ぎ払う。

 彼女は上半身をかがめて髪を掠めたかそうでないかの距離でかわす。

 立て続けに龍兵衛が上段から振り下ろすが、槍で完全に受け止められ、彼女から反撃をくらう。

 刀を槍で絡め取ろうと振り上げ、そこから一気に振り下ろしてくる。龍兵衛もどうにか受け止められたが、力が無くなっている影響か腰が引けてしまった。

 そこを景家は逃さずに更に攻撃を重ねる。

 

「参った」

 

 しばらくすると龍兵衛の首に槍が向けられた。

 

「大分良くなったな」

「大丈夫なのか?」

「まぁ、完全にというわけでは無いが」

「そうか。あの時の龍兵衛はこの世の終わりのような顔をしていたからな」

 

 龍兵衛の表情はそれだけ端から見ると苦悶に満ちていたようだ。

 少々言い過ぎな例えに苦笑いをしながらも納得したように頷き、道場を後にする。

 

「もういいのか?」

「ああ」

 

 龍兵衛は景家の声に振り返ることなく、返答して部屋に戻る。

 手拭いで汗を拭きながら歩く。外の様子から少し暖かくなりそうだと安堵する。しばらく廊下を歩いていると景勝に会った。

 

「おはようございます。景勝様」

「うむ」

 

 それで直ぐにすれ違う。普段の二人は決して関係を明かすような真似をしない。

 だが、どこかもどかしく感じてしまうのも確かで、鬱憤のようなものを振り払うのに時間が掛かったりする。

 最近、特に朝は感じが続いている。そして、原因が分からないため、彼の苛立ちが募る。

 

 龍兵衛は朝餉が終わり次第、着替えて農村に向かう。

 いよいよ開墾作業を行う時が来たので手伝いに行く。

 城下は春とはいえ、雪がまだ少し残っている。それでも、田畑への影響は全く無いと見てよい。

 

「おお、河田様、おはようございます」

「おはようございます。いい天気になって良かったですね」

 

 町の責任者やその他の人々と仲良く話しながら全員が揃うのを待つ。村の人々が集まったところで早速始める事にした。

 先の内乱で捨てられた畑や田畑として使えると思った場所を村の人々と協力して冬の間に調べ上げ、予め決めておいた所を耕して行く。

 草を抜いて土を掘り起こしていく。口で言えば簡単なことだが、大変な肉体労働である。

 それ故に、龍兵衛は自ら手伝うことにした。彼らに任せるのは上からやれと言っているようなものである。

 現場にいることで、上杉が本気で農家の為にやっていると示せる。謙信も快諾してくれたので、問題は仕事を押し付けた颯馬と兼続ぐらいだ。

 昼頃になり、一旦休息を取る。昼食はこの時代に取る習慣が無いため、少し辛いが、耐えるしかない。

 代わりに水を多め飲みながら空腹をごまかす。

 周りを見ると自分が居るこの世界の緑の多さを感じる事が出来る。龍兵衛にとっては実家が農家だったとはいえ周りは道路などがあってこのように周りがほぼ緑というのはなかった。

 春の到来はもう少し先となりそうだが、徐々に暖かくなって来ている為に掘り起こした土の中からは虫達が出て来てそれを狙って鳴き声を上げながら鳥達がやって来る。

 そろそろ小鳥への餌やりの為の準備といった所だろう。さらに土を触り、風の匂いを嗅ぐとどこか春の到来を感じる。

 深緑の静けさを最も好む龍兵衛にとって感覚を通じての春を感じるのは至福の時と言ってもいい。

 

「おお、龍兵衛、今は休息しているのか」

「ぶっ!? むが!? げっほげっほ」

 

 突然、後ろからの聞き覚えのある声に思わずお茶が気管に入ってしまい思い切りむせてしまった。

 振り返ってみるとそこには謙信と颯馬が立っていた。

 村人達はやって来た人に度肝を抜かれて土下座に近い格好で頭を下げている。

 

「け、謙信様。どうして?」

「いや、開墾の様子を見に来ただけだ。龍兵衛はまさか此処にいるとは思わなかったがな」

 

 龍兵衛は開墾の手伝いに行くとは言ったが、どこに行くとは言っていなかったのだ。

 他の村々でも開墾を奨励している為にどこでもこの時期は開墾を行っている。その中で彼を見つけたのはかなり奇跡的な事だ。

 どうして此処にいるのか聞くと謙信は今日は休みで城下の見回りのついでにと此処まで足を延ばしたそうだ。

 しかし、颯馬を選ぶのは分かるが、今日休みでは無い。どういうことなのか聞くと苦笑いをしながら答えてくれた。

 

「そのことを聞くと定満殿が仕事をやってくれるって言って下さった」

 

 これでしばらく定満には逆らえない。龍兵衛と颯馬はお互いに溜め息を吐いた。

 

 それから作業を再開し、日が傾き始めた頃に龍兵衛は声をかける。

 

「今日はこの辺ですね」

「そうですな。おーい、今日はもう上がっていいぞー」

 

 村の代表の声に合わせて村人達が一斉に返事をして後片付けをしていく。

 一通り終わったところで龍兵衛は帰る事にした。そこには謙信と颯馬がまだ居た。上機嫌の謙信をよそに颯馬は顔が引きつっている。後で定満からの長い説教が待っているのは言うまでもない。今からそれを想像しているのだろう。

 

「いやぁ、実に面白いのを見せてもらった」

「そうですか? やっている方は楽しいですけど。見ているのはどうでしょうか?」

「民がどのように田畑を耕しているのを知るのも当主の仕事だ」

 

 なるほど確かにそうである。義を貫く事を唱えていて民を想う謙信にとって民は慈しむべきもので、決して軽んじてはならない。

 夕暮れ時の城下に戻ると飲食店が夜の忙しい時間に備えて準備に追われている。他の雑貨店などは店仕舞いに同じく忙しい。

 春になって城下の民も段々と動いているように見える。季節とは人の動きを変える物であると龍兵衛は思いながら謙信、颯馬と雑談に興じている。

 本当なら距離を取って二人きりに龍兵衛はさせようとしたのだが、謙信が一緒に帰るとしようと聞かないので仕方ないと思いながら付き合っている次第だ。

 

「水原さん。それに、池田殿も」

「おお、謙信様達ではないですか」

 

 颯馬が二人を見つけてお互いにどうして此処にいるのかを聞く。盛周がこの城下をもっと知りたいと思い、親憲に案内を頼んだらしい。

 盛周は民思いの人であることは皆が知るところで、より近くで民を見たいと思ったらしい。

 

「水原さん、良ければどこかで飲みませんか?」

 

 龍兵衛は二人を誘う。

 二人が快諾し、ようやく謙信と颯馬を二人きりにさせることが出来て安堵の溜め息を吐いた。

 

「ふふ、どうやら某達は良き餌になったようですな」

「ええ、上手く食べることが出来ました。ありがとうございます」

「ん? お二人とも何のことです?」

「いえいえ、池田殿もいずれ分かる事ですよ」

 

 笑い合う二人に盛周は良く分からないと首を傾げるしかなかった。

 それから、良さげな店を見つけ、中に入る。

 

「いやー随分とお二人は飲みますね」

「そうか? いつもこれぐらい飲む時は飲むぞ」 

 

 龍兵衛は水を飲むように酒を飲み、親憲はちびちびと飲んでいる。飲み方はだいぶ違うが二人とも飲んでいる量はかなりのものだ。

 二人ともなかなかの酒豪で謙信には適わないが、酒はかなり飲む方である。それに釣られて盛周の酒も進むが、二人よりも早く飲むのを止めて今は肴に出た物を食べている。

 夜になるとまだまだ少し寒く感じる。親憲が言うにはまだ春になるのはもうすぐの事らしい。そして、話題は民の事に変わって行く。

 

「池田殿から見てどうです? ここは」

「かなり賑わっていますね。山形城下も良かったですが、ここも負けていません」

 

 龍兵衛はかなり真剣に盛周の意見を聞いている。彼からすれば政治家として民の生活を維持向上させるのが役目である以上、様々な人からの意見を聞いて参考にしなければならない。

 

「龍兵衛さん達が整理した法令もかなり浸透していますね。自分が見ても民達が安心して商売をしています」

 

「そうですか」と言うと龍兵衛は酒を更に飲む。

 実際は嬉しいのを隠しているだけである。よく知っている親憲は笑っているが、聞こえないふりをして龍兵衛は誤魔化す。

 自分だけが立てた訳でもないので自分が誇るのは憚られる。

 親憲もそれ以上は何も言う事はせずに真面目な話を変えて砕けた話題となっていき、更に三人は楽しげに語らった。

 

 

「ふぅ……やっと帰れた」

 

 半日ぶりに帰って来たので、疲れたという思いが強かった。

 先ず、定満の部屋に向かい、仕事を代わってくれた事に礼を言う。

 にっこりと笑って気にしないでいいと言われたが、ちゃんと明日は仕事をするようにさらに笑顔を深め、釘を刺された。

 よく見ると笑顔の額に若干の青筋が立っている。仕事を半ば強引に頼まれたのを根に持っているのは間違いない。

 龍兵衛は平身低頭でお礼を言い続け、彼女の部屋から逃げるように去った。

 その後、入れ代わりで颯馬がこの部屋に来たが、どうなったのか知る者はいない。

 定満の部屋から出た後、風呂に入る事が出来た為、身体を洗う事が出来た。

 この時代、なかなか風呂に入る事が出来ないので、井戸の水を自分の部屋で温めて手拭いで拭くことも考えていた。

 奇跡的に入ることが出来た風呂でしっかりと汗を流して部屋に戻り、布団を敷いて時間は早いがもう寝るかと思った時だった。

 景勝が入って来た。

 顔を赤くしているが、どうしたのか龍兵衛が聞くと肩の事を聞いてきた。

 景家とも立ち合った事も知っているようで大丈夫だと言うと景勝は安心しているようだが、何故その事を今更聞いてきたのか疑問に思い。聞くと景勝は一冊の本を持ってきていた。

 どうやら定満からもらったらしいが、龍兵衛が何が書いてあるのかを聞いてみると景勝は言うよりも先に本を差し出して来た。どう見ても落ち着きが無く、おろおろとしている。

 よく分からないまま本をめくるとすぐに景勝の顔が赤い原因を察した。

 彼は本を一瞬でぱたんと直ぐに閉じて眉間に指を当ててぼやくしかなかった。

 

「なんでこんなものを定満殿は持っているんだ? そして何でまた景勝様に渡すかね。まったく」

 

 床に投げ捨てたそれは春画本だった。

 いくら恋仲とはいえ、次期当主となる人を前に素の口調になるのに何の罪が有ろうか。この状況ではしょうがないだろう。

 

「龍兵衛……」

「何でしょ。むっ!?」

 

 いきなり景勝は龍兵衛に抱き付いて接吻をして来た。小さな身体の中にある目一杯の力で龍兵衛の大きな身体を押し倒した。いつもと違うほんのりと甘い雰囲気が彼女から出ている。

 

「龍兵衛、肩、治った。心配無い」

「そういう事ですか」

 

 此処まで来れば定満の行動にも合点がいく。

 しかし、それはあくまでも定満の考えであって景勝の考えではない。

 

「いくらなんでも押し付けるような真似をしなくても」

「ううん、景勝、ずっと我慢してた」

 

 乱暴に頭を掻く龍兵衛に景勝が衝撃的な言葉を言って、彼の手を止めさせた。

 そのままの彼にもう一度接吻をすると景勝は意を決して言った。

 柔らかく男性を誘惑するような声で囁く。

 

「景勝、大人にして……」

「景勝様、一つよろしいですか?」

「……?」

「あの、本当によろしいのですね?」

「しつこい」

「性分ですので……では、失礼しますよ」

 

 強固な城壁のように固かったはずの龍兵衛の理性の壁は景勝の前にいとも簡単に崩れ落ちた。

 二人の愛は寒い春前の夜の部屋を前の暑い夏の日のように熱くした。

 こうして龍兵衛と景勝の初夜はあっという間に過ぎていった。

 

「景勝様、起きて下さい。朝ですよ」

 

 景勝は目を覚ましながらおぼろげに昨日の事を思い出し、顔を真っ赤にしてもじもじとさせている。

 彼は笑いながら「景勝様に求められて嬉しかったですよ」と言うと顔をさらに真っ赤にした。

 だが、彼女も彼に大人にしてもらって嬉しかったと笑顔で返した。

 そう言われると負けないぐらいに顔を真っ赤にする。

 互いに無言となるが、自然と笑みがこぼれてしまう。そして、二人は再度これが現実だと確認し合うように唇を重ねた。

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