上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第三十一話改 巻き込まれる

「では、某はこれにて失礼をします」

「ありがたく思います。富樫殿」

「いえいえ、某に出来るのはこれぐらい故……」

 

 謙信と会談している加賀守護の富樫晴貞は頭を下げる。

 だが、守護とは名ばかりで、一向宗の傀儡として上に立っているだけの存在。

 加賀の本城、尾山御坊の近くのある寺で上杉が一泊した際、晴貞は快く迎え入れ、献身的にもてなしてくれた。

 そして、謙信は会談を早めに切り上げて出立の命令を下す。直ちに将兵が動いて直ぐに準備は整った。

 富樫は行軍の姿が見えなくなるまで頭を下げている。律儀な御方だと颯馬は思った。

 だが、龍兵衛は富樫が視界から消えた途端に渋い表情になる。

 

「どういうことだ?」

「いくら何でもあそこまでの好待遇はないと思うのだがな」

「はは、考え過ぎだろう」

 

 龍兵衛には他国であって長年、一向宗との因縁がある勢力に加賀の国主がこうもしてくれると思っていなかったのだろう。

 颯馬とすれば、将軍に謁見するために上洛しているのだから当然の範囲内だと考えていた。

 

「(猜疑心が強いのは知っていたが、そこまで人を疑わなくてもなぁ……)」

 

 当の龍兵衛は颯馬が浮かべている苦笑いを全く気にせずに話を続ける。

 

「だけど、はっきりしたな。富樫殿は決して傀儡ではない」

 

 龍兵衛が断言出来たのは昨日のことだろう。

 晴貞は家臣達にあれこれと指示を飛ばしていたが、その時の姿はかなり様になっっており、傀儡である事を他の勢力に見せないようにしているようにも見えなかった。

 

「もしかすると一向宗の支配を逆手に取っているかもな……あの目は危険な目だ。警戒する必要がある」

「そこまでか?」

 

 龍兵衛は迷いなく首を縦に振った。

 颯馬には感じのいい人に見えたが、彼の同調は得られない。

 

「(龍兵衛は人を見抜く力も師匠に習ったと言っていたが、それを活かしたということか……)」

 

 龍兵衛は段蔵を呼んで軒猿に加賀の情報に力を入れるように伝えた。

 

「勝手にやって良いのか?」

「謙信様に言っても却下されるだろう」

 

 その通りのため、言い返すことができない。

 段蔵もすでにどこかに行ってしまったため、これ以上の追及は諦めることにした。

 それからしばらくは皆が無言で行軍を続ける。

 四半刻ほど経ち、「景資殿が京に居た時どんな感じだったのですか?」と最上義守が景資に尋ねるのが聞こえてきた。

 颯馬も聞いたことがあっても見たことが無いので、耳をそっちに集中する。

 因みに義守は堅いのは好きじゃないという事と自分も上杉家の家臣である事に変わりないという事で呼び捨てで構わないと上杉の面々は言われている。

 

「妾はずっと御所に居たからのう。町については詳しくは無いのじゃが、御所は色々と大変じゃった……」

 

 そこからは景資の苦労話に皆が静まり返った。

 将軍家の力を強めようと尽力しても一人では何も出来ず、細川藤孝ら直臣以外にも三好家を頼るしかなかった。

 三好長慶は景資もとい義輝を支えて将軍の権威を上げることに尽力をしていた。

 だからこそ諸大名の間の戦いに積極的に介入して調停をしていた。

 しかし、義輝の強引な手法に納得がいかない者がいたことも事実だった。

 その者達に襲われた夜。

 敵を斬り捨てながら義輝は思った。

 もはや足利将軍家の権威は地に落ちたと。

 力を持っている者こそが真のこの国の支配者となるべきである。

 死を覚悟した。それでも、彼女の天命はまだあった。

 ある人物に助けられ、その人物は逃げる手筈も整えてくれた。その者に命の恩人として礼を言わなければならない。

 そう思い、景資は今回の上洛に同行する事にした。

  

「あの襲撃は間違い無く三好家の仕業じゃ。おそらく、長慶が指図したに違いない。故に、妾は今の将軍である義昭に会う事はない。そこには長慶も居るはずじゃからな」

 

 姿を変え、身分を隠しても上洛して堂々と動いていれば、必ず義輝が生きていることが発覚する。

 そうなっては、景資だけでなく上杉家にも危害が及ぶ。

 それを承知で、恩人に礼を言いたくて我が儘と知りつつも付いて来た。

 

「皆も三好家の者達には注意した方が良いぞ」

 

 景資はそう締めくくった。

 その神妙な顔付きは颯馬達の警戒感をいやというほど高めさせた。

 

「……ふむ」

 

 謙信もその苦労を思っているのだろうか、視線が下に向いている。

 義輝として、この上杉家に来るまでは前途多難だったに違いない。

 皆が景資に同情の視線を送る。

 颯馬も同じような視線を送るしかない。だが、その苦悩をよく分かる人がどのくらい居るだろう。

 その人にしか分からないものである。もちろん、謙信達には分かる筈もない。

 

「まぁ、もう済んだ事じゃ。それに長慶に恨みはもう無い。謙信が築く天下をよくよく見ておきたいからのう」

「期待に応えられるように精々励みます」

 

 二人の冗談混じりの会話で少し緊迫感があった周りの雰囲気も少し和らいだ。

 一方の颯馬はこれから待ち受けるであろう何かに嫌な予感を感じた。

 

 

 上杉家が加賀を行軍している頃、織田信長は美濃の制圧に成功していた。

 

「ようやく落ちたな……」

「おめでとうございます。信長様、斎藤義龍殿らの処遇は如何いたしましょう?」

 

 近くで控えていた老臣、丹羽長秀が尋ねる。

 

「降伏するなら配下に加える。背くなら、容赦なく斬れ」

 

 彼は頭を下げ、戦後処理のため、去っていく。

 美濃はかつて尾張、近江と共に室町幕府から半済令の対象となった三つの国の一つ。豊富な土地柄故に激戦区の一つであった。

 また、龍兵衛達が去った後に力を付け直した国人衆の力が根強く残っている国でもある。

 信長はこの戦で国人衆を徹底的に弾圧し、彼らの力を完全に削ぎ、美濃の支配者として君臨する体制を整えた。

 この戦では井上道勝の暗躍が大きかった。木下秀吉の配下として斎藤家が誇る美濃三人衆をこちらに寝返らせた。

 その勲功は大変大きく、信長も秀吉と彼女の出世を約束した。

 稲葉山城内では柴田勝家ら織田の猛将がまだ抵抗する者を倒しているだろう。もはや斎藤家の命運は信長の手の中にあった。

 

「信長様」

 

 気付くと近くに秀吉が立っていた。

 

「どうした? 猿」

「実は斎藤家にて軍師として働いていた者がおります。その者を召し抱えたいのです」

「ふむ……良かろう。許す」

 

 織田軍には平手政秀の死後、これといった直属の軍略家が居ない。

 稲葉山城はその日の内に陥落し、義龍、龍興姉弟は幸い、殺される事なく、そのまま織田の配下となった。

 道利は正体がばれることを恐れて自害しようとしたが、小牧源太に止められ、同じように織田に降った。

 信長の覇道の道はまだこれからであり、美濃は通過点である。

 しばらくして秀吉は半兵衛の下に向かった。

 

「たのもー! 竹中半兵衛殿の家はここでいいですかー?」

「はいはーい、お探しの半兵衛さんはここですよー」

 

 この時、半兵衛は織田からの勧誘に躊躇いを感じた。

 しかも聞けば、かの道勝は今、目の前に居る秀吉の配下だという。

 一旦断りを入れて心を落ち着かせ、どうするべきか半兵衛は考えた。

 道勝といるのは常に背後に刃があるのも同じ。三人衆も織田に降っているが、隠居している半兵衛には降らないという選択肢のある。

 だが、あの事件の首謀者の一人であり、それを公にさせられれば自分だけでなく、友や弟子の立場も危うくなってしまう。

 美濃から出てしまう事も考えたが、それは自分の病弱な身体と相談してみれば無理だとすぐ分かる。

 秀吉との会見でも何度血を吐いて助けられたことか分からない。

 考えに考え、半兵衛は秀吉の三度目の訪問でようやく首を縦に振った。

 そして、信長に目通りも程々に、美濃三人衆と密談を稲葉山城内の一部屋で行った。

 再会の喜びも束の間、問題の人の動向についてについて三人衆から聞く。

 

「……では、道勝さんは今は大人しくしているんですね?」

「うむ『今』はな……」

 

 一鉄の言い方に、いつ狂気が目を覚ますのか戦々恐々としているのが分かる。

 四人からすれば道勝は獣であり、そのような人と一緒に居る事自体が嫌なのだ。

 静まり返っていると外から足音が聞こえ、四人の居る部屋の前で止まった。

 

「やぁ、半兵衛。その節は世話になったな」

 

 入ってきたのは半兵衛達の予想通り一番見たくない顔だった。

 

「お久しぶりです、道勝さん」

 

 素っ気なく半兵衛は答え、嫌悪感を封じ込める。

 井上は気にせず、悪戯っぽい笑いを浮かべながら四人に近付く。

 綺麗な顔立ちをしており、端から見れば、可愛いらしく見えるだろう。だが、その顔こそが狂乱者の顔であり、何か酷薄なことを考えていると知らせる合図でもあった。

 

「あたしは別に自分で天下を取る事なんて思ってない。だけども、やっぱりこの乱世を早く終わらせてさ。さっさと金に困らないようにしたいんだよ。それと人殺しもな」

 

 やはり、この人は乱世ではなく自分の欲求を満たす為にしか頭に無い。

 そのことを再認識した半兵衛は無言で頭を下げる。

 終わりかと思ったが、井上はまた口を開いた。

 

「あんたの親友の……官兵衛だっけ? あれに連絡取ってすぐに織田に推薦しな。本当は龍兵衛も欲しいところだったんだけど、どこにいるのか分からないし。ね、半兵衛」

 

 嫌味の入った言葉に半兵衛は三人衆に頼み、道勝を殺したいほどの怒りを覚えたが、堪えないといけない。

 彼女は自分が仕える秀吉の家来。いざこざを起こしては自分の首が必ず飛ぶ。

 秀吉は良いように扱われていることを全く気がついていないだろう。

 しかし、半兵衛は彼女のことに好感を持てた。天才的な人当たりの良さは誰もが目を引く。そして、自身のような病弱で忌避されても良い者にも分け隔てなく相手をしてくれる。

 それ故に、井上に良いようにされているのが実に忍びない。

 危機を知らせるべきだが、急いては事を仕損じる。

 半兵衛は井上に頭を下げると官兵衛宛てに手紙を書くためにゆっくりと立ち上がった。

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