上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第三十二話改 探り合い

 冬直前に上杉軍は京に到着した。

 将軍義昭との面会をするべく、案内人としてやって来た三好長逸を先頭に御所へと向かっている。

 景資は後ろに下がり、顔の大半を布で覆い、付いてきている。

 幸い、誰も気付いていない。

 龍兵衛は初めて来た京を見て、眉根を潜めた。

 長年の争乱で京の洛外はまだ復興の手が届いていない。人骨や腐敗した死体が散見され、烏やねずみがあちこちで餌を求めて動き回っている。

「荒れているな……」という謙信の呟きに長逸が「これでもまだ良くなったのですよ」と冷淡に返答した。

 三好家家臣にて三好三人衆の筆頭である彼女は青い髪の綺麗に短く纏め、一見律儀さと生真面目さを感じる。

 だが、その一方でどこか油断ならない雰囲気がある。

 龍兵衛は、史実で義輝暗殺の黒幕になっているが、この世界では噂にも出て来ないということを思い返す。

 重苦しい雰囲気の中で慶次だけは明るい表情で「すっかり変わったわねぇ」と龍兵衛の隣で辺りを見回している。

 

「楽しそうだな、慶次」

「そうりゃあそうよ」

 

 どこに要素があるのか問いたいが、聞いても分からないだろうと黙って前を向く。

 彼女にはお目付役を付けることが密かに決まっているため、羽目を外し過ぎることはないだろう。折檻する準備もきちんと整えており、颯馬や兼続とも確認済みである。

 しばらく進むとようやく将軍がいる御所が見えてきた。

 上杉家の到来を祝うように雲一つも無い天候である。

 景資と慶次は兵を纏めておく役目があると参内せずに陣で待機する事になり、正式な官位を持つ者だけが目通りのため、御所内へ入っていった。

 

 足利幕府第十五代将軍、足利義昭。

 史実では永禄の変の際にまず越前、それから美濃に逃れて織田信長を頼って将軍となったが、この世界では義輝の襲撃事件後に就任した先代の足利義栄が突然、病死したため、興福寺から呼び出され還俗して細川家と三好家によって担ぎ出された将軍である。

 しかし、彼女も乱世を憂いている気持ちは持っている為、細川三好家の協力により少しでも将軍の権威を取り戻そうと奮闘しているらしい。

 だが、義輝もとい景資の覇気と比べると首を捻りたくなる。

 それが会見に立ち会った兼続の意見だった。

 龍兵衛は官位を持っていないため、同じく颯馬と共に陣で待機していた。

 

「強権ではなく、協調か。それで多くの大名と話をしているのは景資殿と同じか」

 

 龍兵衛が言うとすかさず兼続が「あの方とは違うところもある」と指摘を入れてきた。

 義昭は誰彼構わずの義輝とは違い、細川や三好の意見を取り入れた上で会見を行っている。

 龍兵衛は分かっていると手を上げ、空を見る。夕日がもう少しで西の山に隠れそうだ。

 

「じゃあ、後のことは明日以降でいいか?」

 

 颯馬と兼続に確認すると二人も頷いたため、それぞれ用意された部屋へと向かう。

 官位のある兼続と違い、龍兵衛は三好が用意してくれた小さな寺院に向かう。

 幸い、住職や僧侶は真面目な人のため、夜中に気を付けることは無いだろう。

 あてがわれた部屋で疲れを吐き出すように一息つく。

 兼続が義昭に対して少し過激な表現を使って批判を行っていたこともあり、周囲に気を配っていたため、気疲れを起こした。

 今頃、兼続は定満の部屋で足の感覚を失っているだろう。

 三人で帰る際、待ち構えていたように定満と出会い、彼女は問答無用で連れて行かれた。

 その様を肴に水を飲んでいると来客があると小僧から連絡が来た。

 薄い青緑色の髪をした女性は綺麗な所作で龍兵衛の部屋に入る。

 彼女の姿を確認すると龍兵衛も姿勢を正して相対する。

 

「久しいですね、河田殿」

「ええ、そちらもお元気そうで何よりですよ。明智殿」

 

 龍兵衛は通称ではなく、名字で呼ばれたのは久しぶりな気がした。

 部屋に入り、静かに座ったのは明智光秀だった。

 かつて、美濃で父の光安が内乱に巻き込まれ、死亡し、その後の行方は不明だった。

 彼女は例の計画の全容は知らない。故に、龍兵衛を謀反人と見ているだろう。

 しかし、その雰囲気からは敵視するような感じを受けない。

 

「あの時は大変でしたね……」

 

 龍兵衛は全てを知っているかのような物言いに目を見開いた。

 彼女を見た途端、全ての罵倒雑言を受け入れる覚悟をしていたが、掛けられたのは労りの声だった。

 彼女とは親しかった訳では無い。当時は家督を継ぐ前の娘と見習い軍師として修行をしていた者。挨拶を交わす程度の間柄であった。

 

「どうして何も仰らないのです? 自分は間接的には貴殿の父を殺したも同然なのですよ」

「良いのです。確かに最初はあなた達を恨んでいる心は有りました。ですが、ふと思ったんです。何故、聡いあなた達はあんな事をしたのか」

 

 あの事件に疑問を持った光秀は独自に調べ、自分なりの結論を出したらしい。

 

「あの謀反は美濃の邪魔者を殲滅する為の戦だったのですね?」

「まぁ、それもありました」

「他にも何か目的があったのですか?」

 

 光秀は驚愕の表情をしながら身を乗り出して聞いてくる。

 彼女の人柄を見て、知ることが出来る人物であると龍兵衛は思った。

 

「これから話すことは当事者と斎藤家の上層部の中でも一部の人しか知らないことです」

 

「いいですね?」と聞くと光秀は頷き、改めて姿勢を正して一言一句聞き漏らすまいというのが顔に出る程の真剣な表情になった。

 光秀が知らないであろうことを龍兵衛は丁寧に話して行く。途中で質問を入れながらも最後には納得した表情で頷いた。

 そして、道三の生存にはかなり驚いていた。

 

「では、我々の生活を奪ったのは井上殿なのですね?」

「はい。あれこそ許し難い敵というやつです」

 

 光秀は龍兵衛へと頭を下げて礼を言って来た。

 その中には道勝に対する怒気が含まれているのは言うまでもない。

 龍兵衛は礼には及ばないと言ったが、光秀は首を横に振る。

 

「斎藤を救おうとしたあなた方には感謝をしなければなりません」

 

 そう言って光秀はまた頭を下げる。

 これでは埒が明かないと思い、龍兵衛は話を上杉の話に変える。

 光秀はこちらに来る前に謙信の所に向かったらしく、印象を聞いてみると意外と思うところがあったそうだ。

 毘沙門天の化身と呼ばれる謙信は戦の印象が強いらしく、戦好きなところがあるのではないかと考えていたが、実際に会ってみると民のため、仕方無く戦をしていると分かったそうだ。それこそが謙信の戦う意味である。

 

「自分とてそのような戦狂いの人だったら仕えたりしませんよ」

「それもそうですね」

 

 お互いに笑い合う。その後は二人がどうのようにして今に至るのかを話し合った。

 光秀はあの事件後、京に向かえばと藁をも掴む思いで居たところ、偶然細川藤孝に拾われたそうだ。

 本当に幸運で、あの出会いが無かければ今の自分は無いだろうとしみじみと話していた。

 それから龍兵衛がこれまでのことを話すと改めて驚きを隠せず、少し目を丸くしていた。

 

「河田殿は随分と大胆な事をしたのですね。私ではそのようなことを出来るとは思えません。流石に三人目の兵衛と言われる事はありますね」

「その通称はもう……それに、あれは自分ではなく一緒に居た慶次が思い付いたことですから」

「それでも乗ったのでしょう? 私でしたら危ないから止めますよ」

 

 あの時は謙信に売り込む最大の好機だと龍兵衛も慶次も思っていたため、後先のことを考えていなかった。

 さらに話し込んでいるとかなり時間が経った。それに気付いた光秀が「この辺りで」と立ち上がったため、この会談はお開きとなった。

 玄関まで見送ると光秀は何かを思い出したのか、振り向いて「謙信様にもお伝えしましたが」と前置きを入れて、もう一つの家が明日にも到着することを明かした。

 

「また随分と過密な日程ですね」

「義昭様は許す限り積極的に様々な勢力との会見に望んでいます。将軍家はまだ立て直せる。そう信じて進んでいられるのです」

「なるほど」

 

 光秀の力の籠もった言い方から、義昭は見かけによらず、なかなか行動的な御方のようであると龍兵衛は脳内の評価を改めた。

 今度こそ彼女が出て行くとようやく一日が終わったと安堵の溜め息を吐く。

 誤解が完全に消え、真実をすぐに信じてくれた。

 夕日はすでに山に消え、星空が輝いている。

 龍兵衛はどこの大名家が来るのか聞き忘れたことを思い出したが、光秀が謙信にも伝えてあると言っていたため、さして気にせずに床に就いた。

 

 翌朝、陣に向かうと一番に謙信に光秀と私的に会見を行い、今日、将軍と会見を行う大名家がどこか尋ねた。

 

「ん? ああ、すまん。実は私も聞き忘れた」

 

 残念ながら聞きそびれた互いに聞き忘れてしまったことがここにいる颯馬と慶次、景勝にも発覚してしまった。

 慶次も再会した藤孝から同じことを聞いたようだ。

「先に言えよ」と龍兵衛は抗議したが、彼の反応が見たかった、なかなか良い反応だったと面白そうに言っていた。

 颯馬や景勝も口元が歪んでいるのを見て、遊ばれたことに不機嫌そうに首をひねる。

 

「しかし、義昭様には悪い事をしてしまったな……」

 

 謙信は溜め息混じりで呟く。将軍家を支えるのではなく、自らの力で自らが天下の統べる事を誓っている。それ故に、義昭との会見での言葉は全て嘘である。

 表向きは関東管領という立場上、幕府の一翼を担わないといけないため、明確な幕府側の立場を示さないといけない。

 

「まぁ、良いように利用させてもらうさ」

 

 謙信は言いにくいことを簡単に言ってのけ、周囲を苦笑いさせる。

 幕府が存続している以上、将軍家の影響力は大名には欠かせないものである。

 それから、朝の評定を終えるとそれぞれが自由に行動を始める。

 龍兵衛はやることが無いため、京を見回ろうと身支度を整えるため、一旦寺に戻る。

 

「失礼、河田殿ですか?」

「これは長逸殿」

 

 龍兵衛が戻る途中に後ろから声を掛けられ、振り返ると見覚えのある顔があった。彼は一度覚えた人の名前と顔は忘れない記憶力を持っている。

 

「少々、お時間を頂いても宜しいでしょうか?」

 

 そう言われ、断る理由も無いため、快諾すると彼女の屋敷に招かれ、一室にて対面する。

 

「改めまして、三好孫四郎長逸と申します」

「河田長親です。この上洛中はよろしくお願いいたします」

 

 挨拶がてら長逸を改めて見ると、どこかに油断ならない雰囲気と表面に仮面を着けているように見えた。

 

「河田殿の噂は京にも伝わっています」

「はは、どうせ良い噂ではないでしょう?」

 

 龍兵衛は自嘲気味に話す。

 美濃の醜聞は畿内にも届いていると半兵衛からの手紙で知っている。

 それでも、長逸は左右に頭を振って否定する。

 

「河田殿は大した才覚の持ち主ではないですか。そうでなければ謙信公も重く用いる事は無かったでしょう」

 

 人の心の弱いところをつつき、その気にさせるような巧い口調で話す。

 

「河田殿は上杉家の領地拡大に大きく貢献しているではないですか。それを聞くと私も活躍したいと思ってしまう程なのです」

 

 長逸の方は表情を変えない龍兵衛に気付かれていないと思っているのか、さらに盛り上げてくれる。 

 

「それはどうも。三好三人衆の筆頭である貴殿からそのような評価を頂けるとは自分としても大変光栄です」

 

 龍兵衛は背中を曲げて下から長逸を窺うように構える。

 

「……と、言っておけば満足ですかな?」

 

 口元に三日月を作る。

 

「貴殿も楽にして良いですよ」

「何のことです? 私は純粋に素晴らしいと……」

 

 長逸はとぼけようとしたが、手で制する。

 

「勢力が目まぐるしく変わる京では色々と大変でしょう。ここは貴殿の屋敷ですから、体にも毒では?」

 

 自分には見えていると言わんばかりにさらに詰め寄る。

 すると長逸は観念したように、先程まで柔らかい姿勢が消し、彼と同じように口元に三日月を作る。

 黒い雰囲気をさらけ出し、それを抑えようともしない。

 龍兵衛は心で何かが踊るように盛り上がり、背筋が震えるのを感じた。

 

「ふふっ、やはり一筋縄ではいきませんか」

「舐めてもらっては困りますよ。これでも三人目の兵衛と呼ばれているんですから」

「そうですね。上杉家は単純な人が多いと思っていたのですが、あなたはそれとは違うようですね」

「残念ながら、自分は美濃斎藤に仕えていたので。まぁ、その言葉こそ自分には光栄の言葉です」

「……その性格ならば謀反を起こしても仕方無いですね」

「さぁ? どうでしょう?」

 

 両手を上げておどけると長逸は実に面白そうに笑っている。先程までと違い、心から楽しそうにしているのがよく分かる。

 

「退屈しませんね……その性格は」

「河田殿、それはお互い様でしょう? まぁ、今は上杉とは友好関係でいたいので、あなたとは仲良くしておきましょう」

 

 龍兵衛はそのまま会見を終えると寺に戻り、予定通り京散策を始めた。

 

 明くる朝。京にまで来ても龍兵衛の早起きの習慣は治らない。まだ日差しが昇りかける最も寒い時間帯に起きてしまった。

 

「(それもこれも、あの夢のせいだ!)」

 

 八つ当たりの拳を掛け布団に叩きつける。

 かつて見た夕暮れ時の出来事が夢に出て来て離れない。

 おかげで景勝には春日山で迷惑を掛けっぱなしだった。いい加減、踏ん切りを着けないといけない。

 そう思いながら龍兵衛は首を鳴らし、身支度を整える。

 朝餉を終えてゆるゆると過ごしていると外がざわついてきた。どうやら件のもう一つの大名家がやって来たらしい。

 一応、どこの家かは調べた方が良いと考えて謙信の許可を取って探りを入れさせている。

 今日は特に用事も無く、午前中はのんびりと過ごそうかと密かに持ち込んだ小説を読み返す。

 それでも暇になれば、京見物でもしようかと思っていたが、気が乗らないため、ゆっくりと頁をめくり続ける。

 謙信から部屋に来るように言われたのはちょうど小説の中で一番良いところであった。

 間の悪さに頭を掻きながら彼女の部屋に向かう。

 入室すると謙信の他に景勝と定満ら軍師三人が揃っていた。

 どうやら龍兵衛は最後だったらしく、彼が座ったのを見て、謙信が口を開く。

 京に上洛したのは九州の大友家だった。

 軒猿から報告を受けた謙信も最初、戸惑った。

 光秀に聞いたところ九州探題として折りを見て上洛するようにと前から通達をしていた。

 遠国だが、挨拶はしておくべきと考え、会見の場を設けたそうだ。

 

「今は関係が無いが、天下統一したら関係有るからな。いい機会じゃないか」

 

 謙信は上機嫌で会見にむけた指示を出している。

 龍兵衛は京にいる手前、厳かにすべきではないかと隣にいた颯馬に声をかける。

 

「謙信様、やけに機嫌が良いな」

「え、いや、別に……何も……」

 

 表情を少し赤らめて遠くを見つめる颯馬を見て、全て察した。

 呆れてしまうが、その性格が謙信の心を捕らえたのかもしれないなと納得もしてしまう彼自身もいた。

 

「な、なぁ、昨日、明智殿との他に誰かと話したか?」

 

 颯馬が突然話題を変えてきた。龍兵衛は肩をすくめながら頷く。

 

「ああ、三好長逸殿とな」

「どんな人だった?」

「あの方もなかなかの黒だ」

「本当か?」

 

 颯馬の顔も真剣なものになり、さらに具体的な話をしようとした時だった。

 

「来たの」

 

 定満の耳が何かを捉えたように上に向く。

 挨拶と一緒に入って来たのは三人の女性。

 一人目は金髪の髪に天真爛漫といった言葉がよく似合うやや少女らしさが残る女性、軒猿より聞いた容姿から、おそらく当主の大友宗麟だろう。

 二人目は背が高く、紅の髪に凛とした女性で、吊り上がった鋭い目から如何にも武人だとを雰囲気で示している。

 そして、龍兵衛は一人目と二人目の間ぐらいの背丈で、大人の女性らしい顔立ちで、鼻が高く、一見穏やかそうな垂れ気味の目をしつつ、上杉側を警戒する鋭い眼光をした、真っ直ぐに伸びた黒髪の女性。

 彼女が三人目として入って来た途端の衝撃を絶対に忘れないだろう。否、既にその人を知っていたと言った方が合っている。

 驚愕の声、表情を出すのを必死に堪えてその人物から目を背ける。

 

「……っ!!?」

 

 向こうも気付いたのか、声を上げてしまった。

 紅の髪の人物にどうしたのか聞かれているが、何でも無いと言って静かに腰を下ろす。

 上杉家と大友家の異色の会見が始まった。

 基本的には謙信と宗麟が話を進め、互いの家臣はそれを傍聴しているだけにとどまった。

 龍兵衛は自己紹介の後、会見終了まで互いに何を話していたのか、あまりよく覚えていなかった。

 覚えていられたのは金髪の方が、やはり大友宗麟で紅の髪の方が、吉弘紹運ということぐらいである。

 彼が一番耳と頭を稼働させていたのは三人目の女性が紹介された時だった。

 由布惟信。

 龍兵衛は会見が終わるまで謙信と宗麟以上に彼女のことを見ていた。

 四半刻ほどで会見は終わり、それぞれが出会った人達と個別に話し掛け始める。

 龍兵衛は惟信に話し掛けようとしたが、それよりも早く彼女に外へ誘われた。互いに誰も居ないのを確認し、彼女はゆっくりと歩きながら口を開く。

 

「久し振りね」

「ああ」

 

 龍兵衛が絶対に忘れることの出来ない穏やかな声。信じたくない思いから声を聞くまで出来なかったが、確信した。

 それ以上に顔は何年経っても忘れることは出来ない。

 

「お前も此処に来ていたとはな……驚いた」

「それは私も、龍広君がここにいるなんてね」

「親しい人は皆、龍兵衛というふうに呼んでいる。しかし、お前があの由布惟信だとはな」

「お互いに驚いたわね」

 

 惟信は笑っているが、それを仏頂面で見ることしかできない。

 一方で、彼女の柔らかい笑みに自身に対する憎悪の念は無いように見えた。

 確かめたいと自嘲気味に彼は口を開く。

 

「俺を殺さないのか? 今ならば誰も居ないぞ」

「ふふふ、なかなか言うようになったじゃない。言ったでしょ。どうしても龍広君は殺せないって」

 

 思いは揺るがない。

 本来なら、殺されても仕方無いようなことを龍兵衛は彼女にした。

 

「お父さんは大丈夫よ。だいぶ立ち直っていたし、新しい仕事も見つけたしね」

「そうか」

 

 彼女の父親の社会的地位を失わせた張本人の目の前でも彼女は心を乱さない。先程の驚いた声が嘘のようだ。

 しばらく無言だったが、今度は惟信から龍兵衛におずおずと口を開く。

 

「よりを、戻すことは出来ないの」

「しつこいな。それはもう無理だと言った」

「でも」

 

 遮ろうとも何か言おうとする惟信、もとい香代に龍兵衛は目でもう言うなと語り掛けると黙って下を向いた。

 慰めることはせずにそれで良いと頷く。

 

「俺とお前は互いに利用しあう仲。そうじゃなかったのか?」

「そうね。そうだった」

 

 惟信は暗い表情で頷くが、彼は心の鬼にするしかない。

 龍兵衛は彼女とは一切何も関係ない部外者同士。しかし、彼女は諦めないと勢い良く顔を上げる。

 

「ここにはお父さんは居ない!」

「だから?」

「憂う事なんかないでしょう!?」

 

 半ば呆れながらも龍兵衛は詰め寄って来る惟信の肩を叩いて彼女の心を落ち着かせると彼女の心に刺さるように太い棘を刺すように言い放つ。

 

「もう俺とお前はただの馬鹿野郎同士だ」

「そんな」

 

 うなだれる惟信を見ながらも龍兵衛は何もせず、そのまま一緒に散歩をしようと促す。

 共に歩いても互いにの心が共になることは無い。

 平成の世の中では将来を誓い合うまでの仲だった二人はもう戻る事は無い。

 友達以上恋人未満。

 その言葉通りの関係を貫く事を誓ったあの夕暮れ時、夢に出て来るその光景が鮮明に頭の中で蘇る。

 冬の寒さは京もあまり越後と変わらない。空しい風が吹き荒び、洛外の廃墟は段々と更に廃れているのだろう。

 死体の山が昔はあったそうだが、義昭の命令でそれは撤去され、死臭を嗅ぐ事はなかったのが救いかもしれない。

 ここは洛内で美しい建物もあったが、二人が歩くここだけが廃れた洛外のような感じが龍兵衛はした。

  

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