宿願である越後統一を果たした景虎は春日山に帰城すると、まず長尾政景は助命し、配下に加えることを発表した。
これには反対意見がない。もともと家臣一同には政景を殺さないように言っていた為、こうなることはわかっていたのだろう。
次に龍兵衛と慶次のことは互いに軍師と客将ということになった。かねてより仕えることを目的とした龍兵衛と縛られることを嫌う慶次にとってこの待遇は理想的なもので、当初、龍兵衛の登用に苦言を呈していた兼続達も人柄を理解し、認められた。
そして、越後統一と三人の歓迎を兼ねて宴会が設けられた。
「しかし、あの襲撃を見破れないようじゃあ颯馬もまだまだだなぁ」
「なんだと!? お前だってあの時『今こそ好機だ。敵を討ち取れー』と突進したじゃないか」
「う、うるさい! なら、貴様こそどうして止めなかったんだ!」
「無理があるだろ無理が!!」
「「がるるるる」」
「まったく、お二人ともこのような場で不粋ですぞ」
颯馬と兼続はいがみ合い、親憲が間に入る。
「私、お庭でお団子食べてくるね」
いつも通り定満は月見団子を食べに縁側に向かういつもの面子はいつも通りだ。
ここにあの三人は入ってくことが出来るだろうか。
そう思い新たに加わった三人を景虎は探すと楽しそうにしている二人を見つけた。
「弥太郎殿はなかなかですが、自分の方が酒は強いようですなぁ」
「何を言うまだまだこれから……ひっく!」
「ははは、まだ自分はこれから酔ってくるのに弥太郎殿はもう酔ってしまいましたか」
「おのれ~ここからだ。一気に逆転してやる!」
望むところだと言わんばかりに龍兵衛は杯の酒を口に入れる。弥太郎もそれに続いていく。
お互いに酒ではなく水を飲んでいるようにがぶがぶと流し込んでいるが、全く苦しむ様子は無い。
弥太郎も酒は強いが龍兵衛もなかなかいける口らしい。
その周りでは慶次が実及と景家と一緒にどっちが先に駄目になるか賭事のようなことをしている。
そして、政景も慶次に誘われ、飲んでいる。むしろ飲まされている方が正しい。
龍兵衛は無愛想なところがあり、また先の一件があった為、不安であったが思ったより馴染んでいる。適応力は高いようだ。それに彼も酒が入ると表情がはっきりしてくるようだ。
政景もどうやら心配なさそうで皆と話して友好的に皆も接している。
一息ついたところで景虎の杯を傾けた。
「やはり、景虎様がいる限り、長尾は安泰ですねぇ」
そう実及が言うと景虎の杯の手がぴたりと止まり、宴には似つかわしくない真剣な目に変わる。
「いや、実及殿のおっしゃる通り! 景虎様は天下無敵です!」
景家も実及に続く。
だが、言われた景虎の顔は真剣に何かを考えているように見える。
颯馬がそれに気がついて訪ねると宴の席に似合わない真剣な表情となった。
「今、実及の言葉に考えさせられた。確かに私がいる間はこのままでいられても私がいなくなったらどうなるのか……」
「な、何をおっしゃるのですか、景虎様はそんな死にはしません!」
突然の言葉に会場はどよめきが走り、兼続は必死に否定する。
「兼続、私とて人の子だ。いずれは死ぬ私が死んだ後長尾はどうなるか……」
「景虎様、そのようなことは後で考えたら如何です? 今はこの宴を楽しみましょう」
親憲は周りの雰囲気を考えて景虎を窘める。確かにこの場では不謹慎なのかもしれない。景虎もそのまま酒を飲むことにした。
三日後、長尾家の重鎮は軍議の間に集められた。新参者の二人も含めて突然、全員が今日のことは知らされずにいたため、今日の内容は何なのか話し合って、首を傾げ合っていた。
「待たせたな、皆」
しばらくすると景虎が軍議の間に入って来た。
全員たち皆の注目は景虎よりも一緒に入って来た頭に猿を乗せた女の子にいっているが、今は割愛する。
慶次が景虎に聞くと景虎はこれは私の娘だと、真面目な顔をして言ったものだから全員が驚愕の表情を見せた。
「景虎殿、そう言う言い方は誤解を招きますぞ。あくまでも顕景は義理の娘ではないですか」
政景が苦笑いを浮かべるが、景虎は全く気にしない。
「いやぁ、ちょっと皆の驚いた顔が見たくてな。いい反応だった」
「何故に政景殿は知っているんですか?」
政景は颯馬の疑問を全員に伝わるように声を出して答える。
「あれは私と綾の娘で顕景と言うんだ」
同じ疑問を持っていた全員が理解したと頷く。それを確認した景虎は表情を真剣なものに変える。
「今日から顕景は私の跡継ぎとして励んでもらう。そなたらも顕景をよく支えていって欲しい」
景虎が顕景を自らの世継ぎとすると宣言し、それに合わせて彼女が頭を下げた。
そして、すぐに解散した後、評定の間を家臣たちが一斉に出ていく。
「なるほど、そういうことなのかもしれないなぁ」
龍兵衛が呟くと隣の颯馬がどういう意味か聞いてくる。政景を生かした理由の一つが今回の養子のこともあると彼は察したのだ。
顕景を養子とするために政景を生かした。また、彼も変な噂が立つ事も無いだろうし、景虎の下で動きやすくなる。
そう説明すると颯馬も納得したように頷くが、まだ疑問が残っていると首を捻る。
「景虎様はあの宴の時に世継ぎのことを考え始めたんじゃないのか?」
「一人ではもう前々から考えていたのかもしれないぞ。だが、家臣の実及殿にああ言われて早くした方がいいと考え始めたのだろう。それに顕景様を娘に迎えるのは政景殿には叛意がないとも取れるし一石二鳥ってやつだな」
颯馬はそこで全て合点がいったと頷く。
「ありがとうな、龍兵衛」
突然、感謝され、ただ目を丸くするしかなかった。
「どうした急に?」
「あ、ああ。そうだな」
颯馬は龍兵衛の反応が意外だったのか、驚いた表情でこちらを見てくる。
どうも脈絡が無かったが、彼にとって良いことを言ったのだろう。理由までは聞かず、その後は無言で別れるまで歩き続けた。
龍兵衛はそのまま顕景の下へ挨拶に伺った。
「顕景様、自分は河田長親と申します。これより景虎様、顕景様をお守りし、さらなる長尾家繁栄に粉骨砕身精進して参ります」
「うむ」
小さい声で聞き取り難かったが、龍兵衛の耳はどうにか聞き取る事が出来た。
顕景の声は小さ過ぎる。彼はぎりぎり聞こえた方だが、あくまでも彼自身の話でこの先大丈夫だろうかと不安になってしまう。
「あの、顕景様、失礼を承知で申し上げますが、もう少し声を張ることは出来ないのですか?」
「大きい声出すの苦手。だから、よく間違えられる」
別にしゃべることが苦手というわけではなさそうだが、声を出すと直ぐにもじもじとして目を逸らしてしまった。
顕景は人見知りをする性格のようでそれではますます大丈夫かと龍兵衛は思ってしまう。
有能であると景虎が言っていたので一応は大丈夫なのだろうが、第一印象と声は大事である。このままでは皆が不安になりかねない。
「まぁ、自分も昔は声が小さいとよく言われたのでわかるんですけど、他の人が聞くとやはりちょっと……」
言いにくそうに龍兵衛がしていると顕景は驚いた顔をして龍兵衛を見ている。
「龍兵衛、顕景の声、聞こえるの?」
「そこかい!」という出掛かったツッコミをぐっと必死に押さえる為に咳を二、三度して改めて顕景に向かう。
「まぁ一応」と言うと顕景は嬉しそうに笑った。花が咲いたような明るい笑みだった。彼はこの段階では何も思うことはなかった。
どうやらここまで顕景様のところに来て話が通じたのが龍兵衛が初めてだったそうだ。
景虎と顕景以外で話が通じる人がいないのでかなり困っていたらしい。
その後、顕景は龍兵衛のかつての家でどのように過ごして来たのか知りたいと言ってきたので大まかに話をした。
かなり顕景は真剣に聞いてきて質問などもしてきたので、それにもしっかりと答えた。
今後の自身を高める為の参考にしたいのだろう。
だが、龍兵衛自身もまだまだで途中で修行は中止せざるを得なくなった身故にあまり誇れるものはないと思いながらであったが、言われた以上は話さなければならない。
「・……まぁ、こんな所ですかね。自分の今までの修行のことは」
「何かありますか?」と龍兵衛が聞くと顕景はしばらく黙り、口を開いた。
「旅に出るまで、何があった?」
「……」
それは龍兵衛にとって一番答えられない。だが、答えなくてはかえって怪しまれる。
「申し訳ありませんが、今はかつての記憶を思い出したくないのです」
苦し紛れに表情を歪ませて頭を下げる。無礼と分かっていてもこれだけは譲れるものではない。
顕景はそれを見て、慌てた様子で頭を下げた。
「ごめん」
謝罪の後、龍兵衛は作り笑いでごまかし、少し強引に会見を切り上げた。
「はぁ……」
龍兵衛は外に出た後も屋敷に戻ってからため息しか出てこなかった。
「ごめん……か……」
本当は龍兵衛が謝るべき状況であった。
嘘をついた。いずれこの長尾家から上杉家を守る人に付いた最初の嘘。
罪は重い。だが、これで良いのだ。
様々な人は人には言えないものがある。龍兵衛の場合は特にそういうものが多いのかもしれない。
「覚悟を持って生きろ……もしかしたらこの事かもしれないな・……」
この世界に来る前に彼をこうした張本人が言っていた。乱世に生きることかと思っていたが、違ったかな。
一人、首を傾げた龍兵衛だが、心の疑問に答える者がいるはずがない。
彼は徹底した現実主義だが、少し見せる理想故に理解しない者もいた。だが、長尾家の面々はそれをすぐに理解してくれた。嬉しく思い、その輪に入ろうと努力している。
だからこそ何か自分を出せてない感覚もあったのだ。自覚もある。だが、自分を出したら色々とまずいことも知っている。
空しさを心のどこかで感じながら、龍兵衛は気持ちを切り替え、明日に備えて寝る準備を始めた。
翌朝、龍兵衛が朝早くに城に到着し、のんびりと歩いていると顕景の姿を見かけた。
「顕景様、おはようございます。今日もいい天気になりそうですね」
彼女に早足で近付き、頭を下げる。
「龍兵衛、怒ってない?」
「ん? 何のことですか?」
何でもないと言われ、顕景はそのまま奥へと消えて行った。
昨日のことを言っているのだろうとすぐに察した。しかし、これから仕える者に変な感情を持たせるのは後々の災いとなる。あえてごまかすことで、彼女の中での自身の印象を作ってもらうのが重要である。
裏表のない忠臣であると。