景家は震えを収めることは出来なかった。上杉軍大将の重責を担われている筈の自分が戦では常に先鋒を任され、功を立ててきた。
好敵手の長重に負けることがほとんどだったが、それでも悔しさから戦で震えるような事はなかった。
答えは斥候からの報告だった。その報告は予想だにしていなかった。
「寒河江と大宝寺に寝返る気配が!」
岩谷に援軍が到着して一週間した。景家だけではなく全員が驚きと後悔を合わせた表情をしている。
東北の国人衆には恩を着せておけば平気だろうと軍師達は高をくくっていたが、間違いだった。彼らに恩を感じる心などなかった。
陣の雰囲気は冬の寒さよりも冷え込み、誰も話そうとはしない。
現実になれば陸路からの退路を絶たれる事となり、落ち延びるには海路で新潟港に戻る必要がある。
「自分はここで生まれ育った。死ぬならここで死にます!」
案の定、羽前を故郷とする最上の面々は反対した。
義守や定直達、穏健な将は再起を図るべきだと言っても聞かない。
彼らからすれば上杉家のように降った後も義守や義光を生かすようなことをする勢力などいる筈がないという思いと国人衆達は仮に最上が逃げ出した後、必ず山形の民に略奪をするに違いないという思いがある。
最後の最後までかれらを守りたいという思いが特に民を思う気持ちが誰よりも強い盛周には死に対する恐怖よりも強い。
気持ちは分かるが、景家ら上杉家からとしてはなんとしても全員が生きて戻るようにと謙信からの絶対命令がある為、この状況から最上を救わなければならない。
しかし、説得する口と頭を景家が持っていないのも現実である。その代わりに秀綱が何か言おうとした時、予想外のところから声が上がった。
「盛周、なんとしても生き延びて下さい!」
全員の目が見開かれて最上部にいる人に向かう。そこにいた義守は小さな身体にあるとは思えない程の勢いで机を思い切り叩いた。
「確かに民を守る気持ちも分かりますけどそれで死んでは後に何もありません!」
「しかし・・・・・・!」
「最後まで聞いて下さい!」
民を守ることが生き甲斐である盛周は否と言い返そうとしたが、義守はそれ以上の行く声を出して上から押さえつける。
今までにない程の義守の迫力に誰もが驚愕故に沈黙する。彼女は生来全くそのようなところを見せることは無く、家臣や民に屈託の無い笑顔を振り撒いて来た。故に、身分を問わずに慕われた。
だが、今の義守にその爛漫な姿はどこにも無く、当主の意志を最後まで押し通そうという大きな力が景家には見えた。
「なんとしても生き延びて皆と山形を守るのです! これは命令です。背くことは許しません!」
「・・・・・・」
「わかりましたか!?」
「はっ・・・・・・」
納得がいかないながらも主君の心意気に押された盛周は義守を驚愕の目で見る。
義守は敢えてそれを無視をして満延に岩谷に総攻撃をするように命じた。
「はぁ~~~疲れました~」
ほとんどの将が出て行ったのを見てへたりと座り込むといつもの義守に戻った。
「お疲れ様、義守」
景家は義守の肩を叩いて説得の労をねぎらう。ついでに肩を揉んでやろうと思ったが、義光が嫉妬の視線で睨んでいるのを見て止める。
景家の代わりに口を動かして誰が何を言っても動きそうになかった盛周の腰を浮かせることに成功したのだからこれぐらいはしておかないといけない。
「本当に変わられましたね。私は嬉しいですよ、義守様」
一緒に残っていた定直もにこやかになっている。
最上家の最年長として長く義守に仕えた身である彼には義守の成長に子供か孫が大きくなったような喜びを感じている。
「えへへ、謙信様を見ていたらなんだか私ももっと頑張んないとって思ったんです」
無邪気に笑う義守は一人頭の中で謙信に感謝の弁を述べていた。
人質としていた春日山で謙信が威風堂々と指揮を執っている姿を見て憧れに近い思いを抱いた。
決して嫉妬などはしない。既に自分の方が負けたのだから負けは認めざるを得ない。
それでも最上家当主として自分もあのようになりたいと思うのは仕方がないことである。
謙信は日に日に大きくなっていると義守は見ている限りでは感じていた。それが何故なのかと思った。意を決して謙信に直接聞いた。
「普段から私は家臣から色々と意見を聞いているが、その中には家臣からは見えて私には見えないところがある。それを否定するのは簡単だが、視野を広げて肯定するのは難しい。私は家臣に恵まれただけだ。私に見えない意見をよく持ってくる。もちろんそなたの家臣を悪くは言っていない。良い家臣を持っていると思っているぞ。私はかれらの言葉を宝と思っている。それを自分に取り入れることが大事なのだよ」
この言葉を聞いて義守も自分に足りない何かを補うだけでなく、足りないところを克服しないといけないと思ったのだ。
弱点を補うと言えば格好良いかもしれないが、逃げているのと同じである。逃げていては何も解決しないと悟ったのだ。
義守の足りないところは押しの弱さであることは彼女自身よく分かっていた。
不安はあった。自分は謙信程強い精神力はないので途中で折れてしまうかもしれない。
「私に出来るでしょうか?」
「やれるかどうかはやってみないと分からない。前もって決め付けてやらないのが悪いんだ」
不安が残っている義守を謙信はそれを振り払うように睨んで厳しい激励で背中を押す。義守は強い目に心を動かされた。
「なるほど・・・・・・分かりました! やってみます!」
「ふふっ、期待しているぞ・・・・・・もがみん?」
「さ、最後に何ですか~!」
強い目はどこかへと吹き飛び、悪戯っぽい笑顔を最後に見せられてからかわれてわたわたしたのは脇に置いておいて頑張って義守も弱気にならずにやろうと思ったのだ。
盛周と上杉側の意見が分かれた今、それを実行する時が来たと思った。
結果は上手く行った。自分にも出来ると感じた。謙信のおかげであるがやれると確信した。
「さ、私達も行きましょう!」
残っていた三人も勢いよく腰を上げて再び戦場に立とうと歩み始める。
謙信には感謝の印としてこの戦の勝利を捧げよう。
胸に誓い、東北の火種を絶やさん。
義守は自ら前線に出た。それを見て士気が盛り上がった将兵達の攻勢は苛烈を極め、東側の三の丸を突破することに成功した。
一刻後に再び総攻撃を命じようとした時だった。
「報告! 敵増援が接近中!」
「来ましたか・・・・・・」
「義守様、ここは一度撤退して、体制を立て直してから援軍を叩いては?」
「何を言うか! 今少しで城が落ちるというのにここは攻めるべきだ!」
定直と景家は真っ向から対立意見を述べる。速攻と慎重。どちらも道理に適っている。この状況では決めがたい決断。しかし、間に挟まれようと義守に迷いはない。
「定直には悪いですけどこの好機を逃すわけにはいきません! 全軍に攻撃命令を!」
はっきりと言い切ったことに定直は自身の案を取り下げられた不満よりも義守が本当に大きくなったことへの喜びが勝った。
若い者の決断力の強さが伸びるだけで喜びを感じる。年を取るとこうも変わるのだろうか。
若者が成長していくことが唯一の楽しみになっていくかもしれない。老骨がすることは彼らを見守ることと表舞台への幕を開けてやること。
「では、私は援軍の抑えと退却路の確保に向かいます」
「はい、頼みましたよ」
不安な顔は無く、任せて欲しいという顔がそこにはあった。
「とはいえ、なかなか落ちませんね・・・・・・」
「仕方無いさ。かなり堅牢な城だよ、これは」
二の丸に攻撃を仕掛けたが、なかなか突破出来ないので一旦兵を退かせて義守達は将達で集まり話し合いをしている。
敵の援軍が来るまで後僅か。もう一度攻めるにしても兵を被害を増してばかりでは安東との戦いに支障が出る。
「火を・・・・・・使いましょう」
「義守・・・・・・良いのか?」
「ここまで来たら退けませんからね」
妹の不安げな言葉にも大丈夫だと首を振って義守は満延と満茂に火攻めの準備をさせて秀綱には敵の注意を引くために城攻めの再開。盛周と景家に逃げ出した兵を討ち取るように命じた。
「妾はどうするのじゃ?」
「定直と合流して援軍が来たら迎え撃って」
それでは義守を守る将が居なくなる。それは出来ないと満茂や盛周が自分は残ると言ったが、義守は聞かない。
「皆さんを信じていますから、勝ちますよ。この戦」
「義守様・・・・・・」
満延達は義守からは出てくることは絶対に無いだろうと思っていた覇気が出ている気がした。
ここの中心を纏め上げ、戦の幕を降ろそうという思いが嫌でも伝わってくる。
「義守ー! 大人になったのー! 妾は嬉しいのじゃー!」
「義光!? ちょっ・・・・・・離して!」
「はぁ、こうして見ると義光様の方が子供に見えてくるな・・・・・・」
満延は皆が頷いているのを確認して義守にへばりついている義光を怪力で引っ剥がしてつまみ上げながら馬に連れて行った。
四半刻後、東側の二の丸に火の手が上がった。
陽動を続けていた秀綱率いる部隊が本格的な城攻めに移り、満延と満茂の二人の隊が合流した為、二の丸は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。
果敢に立ち向かった兵は秀綱達猛将の餌食となり、西から逃亡を図った兵は景家と盛周の隊によって空しくも戦場の土になって行った。
その後景家達も合流して本丸への総攻撃を開始した頃、敵の援軍が来たことを伝える狼煙が上がった。しかし、義守達は慌てない。
義光と定直が上手くやってくれる筈だと信じている為、敵の援軍に構わずに義守は攻撃を続ける。
城を取れば二の丸は防御が落ちているが、堅牢な岩谷に籠もれる。そして、越後からの援軍を待って安東を討ち取る。
そのまま勝ってもいいと義守は考えていた。謙信の恩に報いる為にも自らの力で勝利をもぎ取る。援軍は景家達で十分だというところを見せてやりたい。
「これからです! 怯んではなりません!」
戦場にまだあどけなさが残る叫び声がこだまする。しかし、それに和むような人など誰も居ない。最上・上杉問わずに義守が決めた覚悟を果たすために戦う。
本陣に急ぎ駆ける馬の蹄の音が聞こえて来た。
「申し上げます! 大宝寺と寒河江が山形城へ進軍しています!」
淡い期待などやはり木っ端微塵になってしまうものなのだろうか。
義守は驚きの顔を隠すことが出来ず、困惑し始める。
味方は岩谷城の本丸を攻めている。これを退かせても大丈夫だが、問題は浪岡の援軍に当たっている義光と定直の隊だ。
撤退を命じればかれらは背後を突かれる。兵は五分五分、背中を見せている以上、最上軍の被害は必ず大きなものになるだろう。時間が無い。
大宝寺はともかく寒河江は山形城とかなり近い所に領地を持っている。ここまで報告が来ることを計算に入れると既に山形城は攻め込まれている可能性もある。
もちろん守備隊も残してはいるが、兵数など高が知れている程度だ。東北で最も堅牢な城の一つとはいえ兵が足りないと意味がない。
退くべきか、進むべきか。
山形の城下には義守達が大切にしてきた民がいる。かれらを見殺しには出来ない。簡単に退けば義光達の兵が危険に晒される。兵が危険晒されるのはいつものこと。だが、民に危険を覚えてもらうわけにはいかない。
決断した。迷いは捨てるものである。
「撤退します! 城攻めは中止して下さい!」
援軍を足止めしている部隊にも同様のことを告げるように伝令を走らせる。義守が出来ることは味方を信じて待つだけだ。
しかし、義守は忘れていた。援軍に当たっている将は義光であること。彼女の武勇は最上の中でも一、二を争うものであることを。
「はぁ!」
義光が一度得物を振るうと数人が吹き飛んだ。また一つまた一つと命が減っていく。兵の指揮を定直に任せて殿を務めている彼女は義守の成長を心から誰よりも嬉しく思った。
戦では義光が頼りになっていた最上家だが、義守も戦で物怖じしない強い心を持ち、以前の盛周とのやり取りのように家臣の言葉に振り回されることがなくなった。
完全な成長はこれからでも未成熟な成長をしている。義光は義守の為に武勇を奮っていた。
これからはそれ以上に最上家の為にも、天下を安寧させる為、上杉家の為にも武勇を奮うことになるだろうと感じた。
民を思う心は義守と同じ、最上家が天下を取ることは不可能でも山形の民を守ることは出来る。そして、これからもずっとそうでありたい。
思いを込めながら得物を振り回していると安東の援軍は義光の武に恐れて逆に後退りを始めた。
それを見た義光は今一度強い攻撃を仕掛けて撤退しようとした時、安東の方から一人の将がやって来た。
見覚えは無いが、見た限りではかなりの位の将だと分かる。義光は名を問うだが、敵将は無視して義光に攻めかかって来た。
義光は敵将の槍による突きを簡単に交わして馬上とは思えない身体捌きで敵将の腹の得物を入れたが、敵将もそうは簡単にやられる筈がなく、それをどうにか受け止めた。
「やるのうお主、やはりそうでなくてはつまらない」
軽い言葉を掛けても敵将は声を上げて攻めかかってくるだけ。つまらないと思いながら義光は敵将を討ち取りにかかる。
先程の義光の言葉を挑発と受け取ったのか顔を怒りで赤くした敵将の槍が心の臓を目掛けてやってくる。
しかし、義光は簡単に得物で受け止めて槍を巻き込んで強引に振り上げた。今度は隙が出来た敵将に義光の得物が空気を切り裂く音を立てながら向かってくる。敵将もすぐに構え直したが、義光の怪力が槍をへし折った。
ぐしゃりという鈍い音がしたと思うと義光の目の前には人間としての顔では無くなった敵将が倒れていた。
「な、浪岡様がやられたー!」
「逃げろー!」
ここでようやく義光は敵将が浪岡顕村だと分かった。もはや顔が潰れてしまい判別がつかないが、兵の慌てぶりを見て本物だと確信した。
安東家家臣の筆頭であると聞いたことがあるが、所詮本気を出す程では無かった。
「大したことなかったのう」
不遜な態度で屍を見下ろすと義光は首を取ることなく撤退していった。
「義守ー! 大丈夫か!? 怪我は無いか?」
帰って来るなり義守愛が爆発した義光に当の本人は苦笑いを浮かべながら頭をぽんぽんと叩いて妹と苦労を労る。
岩谷城の愛季は顕村が討たれたことを知ると素早く撤退を始めた。そこに景家が追撃を掛けた為、被害を出しながらも安東は撤退して再度攻撃を開始することは無かった。
外の脅威が無くなり、元の陣まで退却した義守達は内側の脅威を排除すべく陸路を使って撤退することにした。
報告だと伏兵を置いている訳では無さそうでどうも山形城を取ることに頭が行っているようだ。
「おそらく安東がどうにか止めてくれると思っているのでしょう」
「だとしたら逆に先ずは大宝寺の本拠を襲っては?」
「なるほど相手は連合、そこを突くのですね? 分かりました。それでいきましょう」
大宝寺にはまだ安東の敗走は知られていない。安東と戦っている筈の最上が大宝寺に攻め込めばかれらは安東が負けたと思わせることも出来る。
定直・秀綱・義守の順に作戦は固まって行く。
もちろん盛周と満延を山形城に先に進めておいてさらに連合に揺さぶりをかけることも忘れない。
全員の気持ちが少しずつ楽になっていた。上杉家の援軍があったおかげでもあるが、多大な収穫があった。残るは仕上げだけ。
寒い冬の夕暮れが風を呼んで将兵に眠気を呼んだ。
翌日。
最上軍はすぐに撤退を始めた。
途中で満延と満茂が山形城救援の為にかれらと別れつつ迅速な行動で大宝寺の居城、藤ヶ岡城に向かっている。
このまま順調に行けば二日後には到着出来る。東北の厳しい冬は雪を降らせている事が例年の事だが、今年は雪があまり降ることが無いまま民が凍死する被害も無く、政策にも滞りがなかった。
だが、その平穏な暮らしの中でそれを破る大宝寺と寒河江という愚か者がいた。
とりわけ大宝寺義氏は今回こちらに味方した土佐林禅棟の讒言を上杉・最上問わずに行ってきたが、明らかに潔白であるのと土佐林は代々羽黒山別頭を務めてきた家系で無碍にすれば羽黒山信徒を敵にすることになるという政治的観点から二家は取り上げようとしなかった。
義氏は前々から積極的な外交を続け、その戦の為に必要な兵糧を確保する為に税を上げていた。
禅棟はそれを諫言し続けていたが、義氏はそれを煩く思っていた。どんなに禅棟を悪く言っても聞いてくれないので不満が溜まっていたのだ。
何とも自分勝手で馬鹿馬鹿しい理由だ。禅棟からもそのことは聞いていたので民を重んじる義守達には大宝寺との戦は民を救う為の戦でもあった。
藤ヶ岡に近付くにつれて思ったよりも早く戦を終わらせることが出来ると義守は思っていた。
後は山形の民の心をしっかりと癒やして詫びる。とにかく早く山形城に向かいたい気持ちを抑えながら義守は馬を走らせる。
そうしていると報告を伝える早馬が来た。方向からして山形城からである。もう大宝寺がこちらの動きを察したか。そう思った時。
「申し上げます! 伊達軍、突如国境を突破!」
斜め上に行って欲しくない報告がやって来た。その報告を聞いた瞬間、義光達が景家と秀綱を睨み付ける。
「(お主達、伊達は侵攻しないと言った筈なのにこれはどういうことじゃ!?)」
烈火の如く怒った義光の赤い表情に景家は小さくなり、秀綱もその報告に驚愕している。
同じく顔を真っ赤にした盛周が何か言いたそうに二人に詰め寄るのを定直が身体を押して必死に止めている。
それでも義守は落ち着きを保って彼を宥めることでこの場は収束した。
戦はこれからだというのに義守は一仕事終えたように小さく疲れたような溜め息を吐くと藤ヶ岡城を諦めて山形城に向かうと声高に命じた。