上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第四十三話改 川の向こうへ

 突如として椎名康胤が敷いた魚津城の包囲網を解くべく弥太郎と義清を先頭に謙信率いる上杉軍は椎名家家臣の土肥政重が引いた防衛線を突破する為に魚津城西側の富山七大河川の一つ常願寺川にて椎名軍と対陣していた。

 寒波がまともにやってくる真冬の時期は常願寺川は雪の影響を受ける為、普段なら上流の水面が凍って下流の水量は少ないが、今年は雪が少ない影響であまり凍らずにむしろ少ない雪と平年よりも暖かい冬が水量を増す結果となり、水量が増して流れも人馬が渡れば間違いなく足を取られて流される速さに増してなかなか渡航は出来ない状態となってしまった。

 

「無理に通ろうとすれば川の流れに流されて兵に凍死する者が出るかもしれないな・・・・・・」

 

 五日間の足止め状態の中、今日も川の状態を颯馬は見に来ていた。

 問題は眼前の常願寺川を突破しなければ先には進めないことであった。突破さえすれば数の差を考えれば簡単に防衛線を越すことは出来る。

 多くの溺死者が確実に出る流れの速さで突破する為に無理は出来ないが、川を見て兵の士気も下がりっぱなしであるのも確かだ。

 後世では常願寺川は急流河川で名高く、明治時代のオランダ技師、ヨハネス・デ・レーケが「これは川ではない、滝だ」と言わしめる程の速い流れを持っている。

 突破出来ない川を見て颯馬は思わず地面にあった小石を八つ当たりで川に向けて蹴飛ばした。小石は波紋を立てること無く消えて行く。

 魚津城はよく持って二、三ヶ月。あくまでも松倉城の支城であって防備はさほど堅くない。守る将が上杉きっての名将、斎藤朝信であっても厳しい。

 さらに天神山城の小国頼久が松倉城で敗北した為に上杉軍が常願寺川を突破しない限り、魚津城は実質上の孤立状態となる。

 白い雪は降らずにみぞれが降る。今までは今年は冬の雪が少ないと皆で喜んでいたが、こんなところでこんな弊害が出るなんて思ってもいなかった。

 頭に掛かる雪が溶けた水を鬱陶しそうに振り落とすと颯馬は轟々と流れる常願寺川を恨みがましく睨みながら陣幕に戻って行った。

 

「どうだった?」

 

 颯馬が帰って来るなり兼続が待ち構えていた。駄目だと首を横に振ると彼女は盛大な舌打ちを響かせる。

 川の足止めを喰らう事五日、ここまで来るのに二日。計一週間は越中の東に上杉軍は居る。

 西の神保は富山城で加賀の一向一揆勢と能登の畠山の奇襲を受けて苦戦を強いられている為に援軍は期待出来ない。

 春日山の本庄実及と坂戸の業正と憲政に援軍を要請した為に来れば魚津城には総勢一万は集う。

 しかし、援軍が来る前に早いところ椎名を倒して神保の救援に向かいたいところであるのが謙信以下、諸将の願望だ。そもそも援軍が来る前に魚津城が落とされる可能性もある。

 

「しかし・・・・・・この川の状況では渡航は厳しいな・・・・・・」

「まったく・・・・・・ところで颯馬、黒田殿を見なかったか? 朝から探してもいないんだ」

 

「はて?」とお互いに首を傾げ合い何処へ行ったのか探そうと腰を上げかけた時に官兵衛は帰って来た。

 機嫌良く、何か収穫があったという事は一目で分かる。

 子供のように活発で人懐っこくて気分屋なところを見ているととても身近に居る彼女とは真反対の性格の弟子が本当に彼女から薫陶を受けたのかと疑いたくなる。

 当の本人は声高らかに「師匠の背中を見て育った!」と言っているが、とても思えない。

 窮地であるにもかかわらず、他愛ないことを二人は考えていると官兵衛がかなり有効性のある情報があると言ってきた。

 上流に橋が残っているらしい。椎名は上杉軍の進撃を阻む為に橋の殆どを壊したのだが一つだけ壊されてはいるが、復旧可能な橋があったそうだ。

 これは見逃せないと颯馬と兼続は官兵衛の案内でその橋の下へと向かうとそれはあった。

 かなり上流に登った所で官兵衛は指を指した。その方向には確かに壊れているが、直せば渡れるような橋が危なっかしく掛かっていた。

 近くで良く見ると壊された形跡がない。隠れた枝道の見難い所にあるので椎名も発見出来なかったのだろうと推測出来る。細くて大軍が動けるような大きさではないが、今の状況で橋があるとないとではかなり違う。

 早速と三人は陣に戻ると謙信にこの事を言い、密かに橋の復旧を急がせた。

 

 

 

 三日後に橋は出来た。謙信は夜に義清と兼続に命じて三千の兵を上流に先に進ませて残る兵を後詰めとしながら山道を慎重に軍を進める。

 ここまで来ると椎名も目が行かないようで警戒されている事も無く、斥候がいたという報告が軒猿からも来ていない。

 いくら暖冬とはいえ北陸の冬である。寒さが厳しいことに変わりない。常願寺川の上流に向かうには当然、山を登らなければならない。

 上洛時から歩き続けている兵の疲労は溜まりに溜まっている。そこにこの山登りはさらに兵の足の疲労を蓄積させ寒さは全身の力を奪い取って行く。

 寒さ対策をさせてはいるが、今回のような非常事態が兵の疲労を蓄積させている一つの原因でもある。

 精神と身体は人間らしく生きる為に欠けてはいけない隣り合わせのようなもの。謙信という軍神が居ることが兵の支えとなり、謙信について行けば最後は勝てるという思いだけがかれらを前へ前へと歩みを進ませていた。

 橋を渡ればそこからは下りに入る。そこから一気呵成に寝込んでいるであろう敵の防衛線に突っ込む事が狙いであった。

 橋がある枝道の木の枝に引っ掛かり苛々しながら入って行く。修復した橋はやはり狭く横列に二人か三人が歩ければ良い方の構造である。

 しかし、贅沢は言っていられない。先ずは先鋒の義清と兼続が渡る。そして、先鋒の隊が全員渡りきり謙信達が渡ろうとした時だった。

 一本の矢が謙信の身体に向かって飛んで来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

「(今は我慢だ? はっ、笑わせてくれる! 我慢など身体に悪いだけさ!)」

 

 富山城を囲んで二週間神保も頑強に抵抗し続けていた。

 越中でも三本の指に入る堅牢な城はたとえ敵に城の造りを知る者がいても決して簡単には落ちない。

 向こうが知っているならそれを利用すれば良い。神保長職は本丸にて落ち着いて状況を見守っているだろう。

 それに比べて富樫晴貞は落ちないことをとにかく他人のせいにして場合によっては義慶や畠山の家臣団の許しも無しに畠山の軍を使って富山城を何度も総攻撃したが、撃退されてあっさりと被害を出して終わりという事が続いていた。

 晴貞は負けた畠山の家臣の一人を見せしめとして斬り捨て、それを楽しみとして捉えながら毎晩酒を飲み、酔った勢いで制圧した街に繰り出して女を襲い、その女の口から自分の悪評が漏れないように行為の後は女を殺してしまうなどやりたい放題を繰り返していた。 

 富樫家家臣は誰もそれを止めるような者は居らず、晴貞を止めようとした畠山家家臣が一人、城攻めの際に先陣を任されてそのまま後ろからの援護も無いまま撤退される事も許されずに神保側が放った矢によって死んで行った。

 これを晴貞は弔おうとした義慶を止めて運ばれた将の死体を踏みつけて遊ぶようにゴロゴロと転がして終いには死んでいる将の心臓に彼がさしていた刀を鞘から抜いて刺した。

 そして「使えない奴はこうなる」とその死体を焼き払って残った骨も全て踏み砕いた。

 この残虐な行為を見て恐怖を抱いた能登の兵の一人が戦場からの脱走を試みたが、あっさりと加賀の兵達に見つかって晴貞の前に連れ出された。

 その兵は富山湾に沈められたらしいが、それを知るのは晴貞とその周りだけである。

 それを実行した晴貞は義慶に兵の統率の為に仕方無くやったと言った。既に義慶は彼の言う事など信用しなくなっていた。

 義慶は知っている。晴貞によって殺された将の砕かれた骨を彼は配下の将に仏から賜った薬だと言ってこれを飲めばこの戦も絶対に勝てると言いながら飲ませたことを。

 配下の将はそれに疑問も抱かずに主君の晴貞が仏から賜った物だと喜んで躊躇いもなく飲んでいた。

 そんな事で勝てる筈がない事など義慶は知っていたし、第一に何故晴貞の将兵達はその時の光景を見ていたにもかかわらずそれを飲むのかが分からなかった。

 

「晴貞様の仰った事に間違いは無い・・・・・・」

 

 義慶が勇気を振り絞って富樫の家臣に聞いてみると無表情の無感動な物言いで去って行った。

 

「これはこれは・・・・・・義慶殿、私の部下に何か?」

 

 呆然と見送る義慶の後ろから聞きたくない声が聞こえてきた。晴貞の言葉の内容は不機嫌なものだが、声質は愉快で表情はくつくつと笑いながら義慶に近付いている。

 

「別に何でも・・・・・・」

「まったく、みだりに部下に声を掛けてもらっては困りますよ。お分かりですか?・・・・・・」

 

 晴貞はさらにニヤニヤと笑いながら義慶の耳元で囁く。

 

「・・・・・・義兄上」

「・・・・・・」

 

 義慶が無言で俯いているとつまらなそうに舌打ちをして周りに誰もいないことを確認すると晴貞は彼の胸倉を乱暴に掴む。

 

「言ったろ? あんたは見逃してやってんだ。感謝して精々俺の為に励め・・・・・・」

 

 どのような表情をしているか義慶には分からないが、晴貞は先程と違うドスの効いた声で義慶を脅しているように言った。

 それは義慶と晴貞の邂逅から二日後のことである。

 

「今・・・・・・何と?」

「あっははは・・・・・・・いやですねぇ~聞き慣れないのは仕方ありませんけど早く慣れた方が良いですよ。ではもう一度、今後とも宜しくお願いします。義兄上」

 

 にっこりと微笑んで言う晴貞と対照的に真っ青な顔で義慶は晴貞を見つめる。陣幕の中には二人しかいない。

 

「一体・・・・・・誰が私の妹と貴殿を婚姻させると?」

「嫌ですね、あなたが許可したとあなたの家臣が言っていましたよ」

 

「これも畠山家の為だと言ってね」とにっこりと変わりない笑みを浮かべながら晴貞は答える。

 誰もそんな話を持ってきてない。義慶が言うとまた拒絶するから敢えて話さなかったのだと簡単に推測出来た。

 義隆が晴貞の嫁になるのは義慶も嫌であったが、この乱世ではそうも言ってられない。義慶も傀儡であっても畠山家当主の立場から考えればそれも構わないかもしれない。

 それに晴貞と会って二日の間で義慶は彼をいい人だと思うようになっていた。しっかりと目を見て誰にも誠実に接し、兵にも笑みを絶やさない。

 だが、目の前の人物はそれと全く違って見えた。

 

「楽しみですよ、なかなかの美貌をお持ちの方のようで・・・・・・どう籠絡させようかなぁ~」

 

 ぺろりと舌を出して低く笑う晴貞を見て義慶は目を疑った。

 今まで女など知らず、優しさを全面に出していた彼はどこにもない。

 目を見張って晴貞を見ている義慶に気付いたのか晴貞は先程までのにっこりとした笑みに戻ったが、先程までの歪んだ笑みの名残が少し残っているように義慶は感じた。

 

「これからは親族になるもの同士、まぁとりあえず能登は見逃してあげますよ。もちろん俺の配下としてね、あんたの命は俺の手の中になる事に変わりないけどな・・・・・・頑張って俺の為に働けよ。妹は諦めな。あんたも自分が可愛いだろ?」

 

 丁寧だった口調が徐々に残虐さを増して表情も歪んだ黒さが滲み出て来る。

 外堀は完全に埋められた。義慶には頷く以外は方法はなかった。それを見て晴貞はまたくつくつと低く笑いながら陣幕から出て行った。

 あんな輩に大事な妹は渡したくない。だが、彼の周りは彼の家臣ががっちりと固めている。対して義慶は信頼出来る家臣など一人など一人もいない。

 彼の希望は椎名と相対している謙信が勝利してこちらに来てくれる事だ。つまり富樫・畠山軍が負ける事。義慶は心底それを願望した。

 軍神と崇められる謙信なら晴貞に遅れは絶対に取らない筈。その時の混乱に乗じて妹を救えばどうにかなる筈だ。

 そう思っていると出て行った筈の晴貞が音も立てずに戻って来ていた。

 

「ははは、こっちが負けるなんて都合のいい事考えているんじゃないぞ。負けても既に義隆は俺の部下が加賀に入れたからな」

「な・・・・・・!?」

「くっくっ、妹の事になると感情が入るなあんた・・・・・・そういう奴のものを奪うのが大好きなんだよ俺は・・・・・・まぁ安心しな。妹に手を出すのは俺だけだ」

 

 そう言うと晴貞は陣幕を出て行こうとしたが、何か思い出したように振り返ると彼はまた歪んだ笑みを浮かべながら義慶を見た。

 彼は下を向いて寒い冬にもかかわらず汗をぽたぽたと垂らしながら落ち着かない様子で首を振り続けている。

 人の不幸を見るのは晴貞が趣味にしていること。忘れかけていたが、それに満足そうに頷きながら晴貞は陣幕を出た。

 冬の寒さが本格的になっている。風を肩で切りながら晴貞は彼に気付いた家臣が頭を下げながらもそれにまったく気遣う事なく歩いていく。

 頭の中ではこの戦の事など考えていない。これから尾山御坊に帰って弄ぶ義隆の事に対する楽しみしかない。

 そしてもう一つ、忘れてはならない事。それを思うとにやにやと笑いを隠すことが出来ない。

 

「そろそろ謙信は新川の流れの中にいるかな?」

 

 

 

 

 

 

「はぁあああ!!」

 

 血が飛ぶ、首が飛ぶ。常願寺川の流れの速さは兵の血をあっという間に下流に流していく。 

 謙信が自ら白刃を握り、敵を斬って行く。矢に気付いた謙信は間一髪のところで避ける事に成功したが、それから橋の近くに伏せていた伏兵に襲撃されていた。

 向こうの方が兵力は下だが、上杉軍は狭い道のせいで大軍の利を活かす事が出来ずに苦戦を強いられた。 しかも、先鋒の隊と分断されるように襲撃された為に先鋒の状況が分からなくなってしまった。

 

「謙信様、撤退の合図を!」

「何を言うか! まだ兼続達が前にいる。家臣を見殺しには出来ん!」

 

 自身も敵を斬っている颯馬の言葉さえも謙信の耳には入らない。謙信は先鋒隊の大切な将兵を残したまま背を向けるなど考えていない。

 

「颯馬・官兵衛! ここは任せた。慶次・親憲! 私と共に付いて来い!」

「え、けんけんどこ行くの?」

「決まっている。前だ」

 

 謙信は刀で先鋒が居るであろう所を指す。それを聞くと慶次と親憲はにやりと笑った。

 

「了解~」

「承知しました」

「いやいやいやいや!? どうすんの!?」

「ははは、心配ない。盛隆も居る事だし、官兵衛の守りは大丈夫だ」

 

 謙信のとんでもない発言のせいで完全に素が出ている官兵衛を気にせず、謙信は馬に跨がり「行くぞ!」と声を掛けると二人も神速の速さで一緒に前線へと消えてしまった。

 

「(私は別にそういう事を言いたいんじゃくなて)」

「官兵衛! ぼーっとしている暇はないぞ!」

 

 後ろから厳しい声が聞こえる。颯馬はもう気にしていない。命じられた以上は指揮を執って兵を鼓舞する。

 毅然としていられるのは新参の官兵衛と違って必ず三人は帰って来るという絶対的な信頼感があるからだ。

 官兵衛も颯馬の声で我に返ったが、それでも訳の分からないままに盛隆に守られながら指揮を取り始めた。盛隆も謙信の突撃に驚いている様子はない。

 兵を鼓舞して士気を更に盛り上げようとしている。

 

「(なんでここの人達ってこうも平気でいられるんだろ?)」 

 

 疑問は抱きつつも戦場故になっそれ以上は深く考えないように官兵衛はしておいた。

 前線では義清が槍を繰り出す。兼続が刀を振り下ろす。

 お互いの背中を合わせて預け合って迫り来る敵を屍に変えていき、積らない雪の代わりに地面には血が染まり、顔には返り血が付いていく。

 包囲された時、兼続はすぐに兵を纏めて退こうとしたが、それは誤った判断だった。

 細道でいきなり退こうとしたために大軍の上杉軍はすぐに混乱状態に陥ってしまった。それでもこうして持ちこたえていられるのは二人の統率力を誉めるべきだろう。

 自らこの死地を突破しようとする姿に兵は奮い立ち、それなりに立て直したが、包囲されているのに変わりはなかった。

 敵の兵からは諦めて大人しく捕まれと心を挫くような言葉が飛び、中には二人を見ていやらしい目をしている男の兵もいる。

 二人とその配下の兵が降伏するのを敵は今か今かと待っているが、二人の頭の中にそんな考えなど無い。

 援軍が来る可能性は低い。それでも少しでも可能性があるならば諦めない。可能性は拾う事も出来るから。

 待ちに待った結果、二人は大き過ぎる援軍を受けた。

 

「兼続、義清! 無事か?」

「「謙信様!?」」

 

 仲良く声が揃った二人をよそに後ろから付いて来た慶次と親憲と共に謙信は兼続達を包囲している敵を薙ぎ払う。

 あだ名の通り、軍神のようなその姿に上杉軍は奮い立ち、声を上げて椎名軍に斬りかかる。

 椎名軍は謙信の登場に討ち取って与えられる恩賞に目がくらみ、謙信の向かって彼女の首目当てに突っ込んで来る。二、三人が空しくも死んで行った。

 

「上杉謙信だ! 討ち取って名を上げろ!」

 

 一人の将が馬を走らせ、謙信に槍を繰り出す。目の前の大物を見てその将は死に対する恐怖よりも功績にあやかる欲望に頭は行ってしまった。

 だが、彼は自分の判断の誤りに気付かずにしかも名を名乗る前に将は慶次が投げた槍に貫かれた。

 

「ど、土肥様がやられたー!!」

「ひ、退け! 退けい!」

「何を言うか!? 土肥様の仇が目の前にいるのになんという体たらくだ! 覚悟ー!!」

「あらん、危ないじゃない」

 

 向かって来た兵の遅い攻撃をひょいと簡単に慶次は避けるとよくこんな腕で生き残って来れたなぁと感心しながら強烈な蹴りを避けられてつんのめった兵の背中にお見舞いして気絶させた後、ゆっくりと土肥政重の身体に刺さった槍を引き抜いて兵にとどめを刺そうとしたところで邪魔が入った。

 謙信が前にすっと合間を縫うように入り込むと兵を斬ってしまったのだ。

 

「あぁ~ずるーい! けんけーんそれはあたしの手柄よ~」

「何を言うか。慶次こそせっかくの敵将を討ち取るという功績を持って行ったではないか」

「だってぇ、まさかそんな名のある将とは思わなかったんだもーん」

「そんな言い争いは後にして下さい! さっさと退きますよ!」

 

 いくら敵は退いているとはいえここは前線である。兼続の雷で状況を思い出した謙信は撤退の合図を送った。

 

 

 

 

「あ、帰って来た」

「ほんとだ・・・・・・」

 

 当然のように謙信達を迎え入れる颯馬と呆れている官兵衛。対照的な反応だが、謙信達が無事であったというほっとした気持ちは同じであった。

 

「敵将政重はこの上杉謙信が討ち取ったぞ! 皆怯むな!」

 

 謙信の帰還と自ら討ち取ったという敵将の首を見て上杉軍の兵からは歓声が上がった。

 逆に狭い道の為に上杉軍は簡単には動けないでこちらが勝てると思っていた椎名軍は防衛線を任されていた大将を討ち取られたというまさかの報告を聞き、証拠としていつもよく見ていた政重の変わり果てた首を謙信が掲げた為に崩れて行った。

 今度は上杉軍本隊を襲っていた伏兵は逆に退ける場所が見つからないまま上杉軍に斬られて行った。

 

 

 

 

「・・・・・・ふむ、終わったようだな」

 

 上杉軍はどうにか敵の奇襲を乗り切って元の陣付近まで生き残った全員が無事に退却していた。謙信は思ったよりも兵の損害がなかった事に安堵し、諸将を呼んだ。

 簡単にはいかないという事がこの戦でよく分かった。椎名軍にもなかなかの智者が居ることもまた知ることが出来たのは大きな収穫だった。

 わざと橋を残してそこに来るであろう敵を伏兵にて襲撃する。簡単な策だが現状の上杉軍の早く行軍したいという思惑を考えるとかなり効果的である。

 だが、件の橋は壊すことなく椎名軍は撤退して行った。普通であったらこんな策を二度も三度も通用するようなものではない。既に死地を突破した今の上杉軍は普通の状態である。 

 

「もう一度あの橋を渡りましょう」

 

 颯馬の言う事に誰からも反論は無く、上杉軍はその日の内にもう一度橋を渡り、今度は常願寺川を簡単に突破した。

 椎名軍は土肥政重を討ち取られた事によって将がいない防衛線など役にも立たずあっさりと突破され、上杉軍の魚津城到来を許してしまった。

 慌てて椎名康胤は常願寺川の東にある早月川付近で迎え撃った。

 早月川も常願寺川並みの急流を誇るが、その辺り一帯の陣は手薄で早月川に掛かる橋でも康胤は同じように奇襲を試みた。

 しかし、先述のように二度も同じ手に掛かるような上杉軍ではなく椎名軍はあっさりと敗れて魚津城の本陣まで退却して行った。

 

 

 

 

 魚津城の戦況は富山の晴貞にまですぐに報告された。

 

「そうか・・・・・・」

 

 忠実な家臣の報告にも晴貞は眉一つ動かさない。

 斥候にもっと速く知らせを入れるように指示を出して富山城に総攻撃をかけるように命じると誰もいない陣幕の中で黒く、冷たく、ニヤニヤと笑い出した。

 

「くっくっ、所詮は悪足掻きよ。謙信は春日山に戻る前に・・・・・・いや、戻った後でもどうせ死ぬ・・・・・・政景の手によってな」

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