上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第四十六話改 僕等の戦は崖っぷち

「・・・・・・何か言う事はあるか?」

「・・・・・・いえ」

 

 厳格な声を発して問い質すとか細い声で答えを返す若者に「そうか」と顎髭をさする老将。

 水原城を落として八幡砦にて一旦合流した新発田方面の別働隊は夕方、疲れを取る間もなく陣幕の中で一人の青年をぐるりと囲むように中条藤資と安田長秀を中心に座っている。

 水原城も八幡砦も多大な犠牲を相手に与えた。しかし、それで「はい、おめでとうございます」という訳にはいかない。失態は罰しなければ配下に示しがつかない。

 今は言うまでもなく安田能元が水原城で行った命令無視によって要らぬ戦と要らぬ犠牲を払うはめに陥らせた事に対する処遇を決めている最中である。

 裁定を下すのはもちろん最年長で別働隊の大将である藤資だが、しばらく目を瞑り立派に貯えられた顎髭にさすりながら考えている。

 沈黙は藤資以外の者が決して破ろうとはせず、誰も彼に話し掛ける者はいない。掛ければ見えない刃で斬られそうな雰囲気がある。

 それがいつまで続いたかは分からないが、その身体から出てくる老齢と他者の追随を許さない空気からここにいる全員が実際の時間よりもかなり長く掛かったと思った。

 藤資は長く息を吐き、がたりと音を立てて立ち上がるとゆったりと能元に歩み寄る。

 能元は冬の地面から身体に伝わってくる寒さにさらに冷や汗の寒さが加わっているのを感じた。

 ここに来る時にも長秀と共に馬に揺られていたが、全く会話も無く、重苦しい雰囲気のままにここまで来た。そして、さらに重い空気の中に能元は完全に呑み込まれていた。

 兄の仇を取ろうと勇んで戦ってきたこの新発田重家との戦。皆から自身の戦う意義を否定されるような事ばかり言われ、失態に失態を重ねて安田家の顔に泥を塗った事に対する罪は重い。

 藤資は能元の目の前で止まった。しかし、能元は雑草すら生えていない殺風景な地面を見て顔を上げる事はない。

 鞘から刀が抜かれる音がする。冷たい剣筋は能元の首元を通り過ぎた。

 

 

 

 新発田城では長重が別働隊からの報告を聞いてにやりと笑っていた。そして、心の中で会心の気持ちを込めて拳を握り締めた。

 しかし、能元の事を聞くと少し表情を暗くして一人溜め息を零した。長重も彼の危うさには気がついてはいたのだが、他の者達と違ってはっきりと諫めたり止めたりはしなかった。

 何故なら、彼が別働隊で色々と気付いて行くだろうと高を括っていたのだ。

 だが、今ではそのような望みは簡単に崩れ落ちてしまい、結局は上手くいかないものであったという事が分かっただけだった。

 長重自身も初陣の頃は能元のようにただ前へ前へという根っからの武人だったが、それでは配下の者達が付いていく事が出来るのかと聞かれるとそのような事は考えた事もなかったので付いて来れない奴が悪いと思っていた。

 長重が重要な事に気付かせる戦を越中や越後の内乱で徐々に経験したおかげで自分だけでなく、配下はどのくらい動けるのか。かれらがどうすればもっと力を出せるようになれるのかをしっかりと考えられるようになった。

 故に、能元も戦の経験を重ねれば戦で自分の感情を配下に押し付けるのではなく、戦で重要な事は何なのかを分かってくれる筈だと考えていた。

 結局、それは希望論でしか無く、現実はそう甘くはない。

 

「(やっぱり、肉親が死ぬのは枷になるのかねぇ)」

 

 今までの長重に無くて能元にあるのは戦う相手が肉親の仇であるという事だ。しかし、私情を戦に持ち込む事は戦では禁じ手である。

 将である能元もそれは十分に分かっている筈なのだが、重過ぎる重責があった。

 

「(顕元殿の背中は大き過ぎたんだな)」

 

 兄の死を目の当たりにした弟の気持ちが分からない訳ではない。

 

「(だが、戦は戦だ。あれにはまだまだ早かったのかもしれないがあいつがこれからは安田家を背負っていかないといけないんだからな)」

 

 配下の命を落とさせてまで主君は生きている事を彼が分かっているかは長重が知ったところではないが、気付いていないのならば当主としては失格である。

 そう断言出来るのは彼もまた甘粕家の当主であるからだ。

 思考を戦に戻すと重家側は水原城と八幡砦を奪われた為に徐々に孤立し始めている。

 新潟港は長重達が奪った為に安東家からの海路からの補給は分断した為に士気は低くなっている。しかし、時間を掛けていては今は静観している北条・佐竹・伊達がどう出てくるかは分からない。

 

「時間は掛けられないが、今の兵の数じゃあ返り討ちだな・・・・・・」

 

 焦って新発田城を攻めては能元の二の舞に遭う、重家は優秀な将だ。侮ってはならないと改めて自身の心に刻む。

 慎重過ぎるのは良くないが、ここは慎重に行くのにこした事はない。長重は重家側の主だった城の新発田城と五十公野城にこの事を知らせるように命じた。

 

「さて、どう出る・・・・・・重家?」

 

 

 

 

「そうか・・・・・・」

 

 重家はただそれだけを呟いて兵を下がらせた。そして、一人落ち着いた仕草でゆっくりと座った。

 部屋には誰もいない。静寂な空間でじっくりと考えられる。

 重家もこんなに早く長重達がここまで来るとは思っていなかった。

 本願寺の使者に時間はたっぷりあることを伝えたばかりですぐにそれを翻すなど恥ずかしくて出来ない。

 謙信が討たれた暁には重家は政景の下で筆頭家老になる事を約束されている為、今はぐっと堪える。それだけの恨みが重家にはある。

 兄である長敦が死んだ後、彼が立てた戦功は新発田家のものになる筈だったが、それがどういう訳なのか殆どが上田長尾家のものになってしまったのだ。

 失態など一度も起こしていないのに何故だろうか。

 答えは簡単だった。ただ謙信が一族重視の考えを捨てられなかったからだ。

 当時はまだ上杉家が能力主義からの完全な切り換えが出来ていなかった。考えてみれば仕方ない事の筈だったのだが、兄の事がある重家としてはどうしても承服出来なかったのであった。

 その後、徐々に軌道に乗った能力主義を見ていると重家は段々といらいらを抑えられなくなってきた。

 何故自身の家にはかれら程の恩賞を得られなかったのか理解出来なかった。

 過去の事を掘り返しても奪われた方の側が面白くないのは分かっても抑えられないものがあった。

 まるで彼の不満に漬け込むように本願寺の甘い言葉がやって来た。

 その時の上杉の状況を客観的に見てみても謀反は厳しいのは分かっていた。故に、当初は渋った。しかし、その内容を聞くと心が躍った。反骨心の勢いのままに動いた。

 最初は上手く行った。加地秀綱や加茂衆を味方に引き入れて新潟港を抑えて沼垂城と新潟城を建設して水原城を奪い取り、領地を拡大する事が出来た。

 東北の羽州でも安東や大宝寺などを中心とする反乱軍が躍動していた。

 蘆名が反乱の誘いに乗らなかったのは少し残念なところだったが、蘆名領が深雪で背後を突かれる心配がなくなったのが大きかった。 

 全軍を長重率いる上杉の新発田家討伐軍に集中させる事が出来た。ここで彼は一計案じた。

 当然ながら重家も単独で対抗出来るとは思っていない。仮に謙信が越中から脱出して反乱を抑えるという重家にとって最悪の事態も考えられる。

 その為に重家も同盟を組める勢力を探し、三つの勢力が目にとまった。北条・佐竹・伊達である。

 関東管領の謙信と関東管領を追い出して勢力を拡大した北条と羽州と南陸奥を取られて肩身の狭い思いをしている筈の佐竹と伊達との利害は一致する。

 すかさず重家は三家に使者を出して援軍を求めた。佐竹からは領地が離れている為に補給のみが約束され、陸路からの闇商人の取引でどうにかなることになった。

 未だに返答が二つの家から無いのが気になるがどこかは必ず出してくれると信じて重家は待っている。

 その間に能元が兄である顕元の仇だと勇んでやって来たが、地固めもせずに堅牢な新発田城をいきなり攻めるという愚策をしたために簡単に重家が追い返した。

 その後は能元も大人しくしていたが、重家が思っていた以上に長重率いる援軍が早く来た。迅速な行軍が持ち味の上杉軍であってももっと遅いと重家は踏んでいたのである。

 重家は焦らずに素早い動きで守りを固めて長重の攻勢に備えたが、その前に長重はやるべき事はしっかりとやって新発田城にやってきた。

 能元と違い長重は確実に新潟城と沼垂城を奪取して新潟港から来る安東家からの補給が断ち、重家が補給を行うのを難しくさせていた。

 それでも重家は慎重になって水原城へ援軍を出せなかった。しかし、それは裏目に出てしまい、水原城はあっさりと落ちた。

 さらに八幡砦も取られた為にあとは新発田城と五十公野城が残るのみとなり、窮地に立たされたといっていい。このままでは落城も時間の問題となってくる。

 苦境に立たされたと思った重家だが、ここで嬉しい吉報が舞い込んで来た。

 能元の暴走によって上杉軍に被害が出たという。

 それと同時に先程の水原城と八幡砦の凶報も舞い込んで来たが、向こうに被害を与えた事は重家からすると大きい。 

 上杉軍の兵の被害を考えるとまだまだ新発田城を囲まれるには時間が掛かる。五十公野城の兵と合わせれば外で戦える程の数となった。

 この好機を逃す程、重家は愚かではない。すかさずその日の夜に出陣を命じると長重がいるであろう陣に突撃をかけた。 

 長重が警戒している中、夜陰に紛れて上杉軍の前線に突入し、敢えて兵の多い中央に斬り込んだ。

 それでも決して無理をせずに突っつくように少しずつ被害を与える。

 前線を任されていた長重配下の将も警戒していなかった訳ではないが、相手が重家では相手が悪い。

 少しずつ後退しながら体勢を立て直そうとしたが、重家はそこで生まれた隙を逃さなかった。

 今度は後ろに控えていた隊に中央に目が行って手薄になった左右の陣を突かせて一気に攻勢を強くした。

 そのまま包囲するように長重隊の前線を追い詰めようとしたが、ここで報告を受けた長重の本隊が到来すると今度は旗色が悪くなると判断し、襲撃を受ける前に素早く撤退していった。 

 

「やはり、まだまだこれからだな・・・・・・」

 

 城に戻ると重家も少しばかり余裕が生まれてきた。さらにこの城の周りは湿地帯の為に上杉軍は迅速に行動をする事が出来ない。

 ここからは援軍が来るのを待ってしっかりと守って行くとしよう。まだ勝てる。負けた訳ではない。ここからだ。

 一人、部屋の中で重家の固い表情が少し和らいでいった。

 全ては新発田家の繁栄の為に。理想を叶える為に。

 

 

 

 

 

 

「申し訳ありません!」

「仕方ないさ。相手が重家じゃな・・・・・・お前はもう休め、後は俺がやっておく」

 

 ぺこぺこと頭を下げながら戻っていく前線を任されていた将を眺めながら長重は溜め息を付く。

 責任感を負うのは仕方が無い事だが、相手が悪過ぎる。長重は一人になったところで響かない舌打ちを重家に対してした。

 長重は重家の夜襲は水原城での能元の敗北を聞いたからだと分かっていた。そうでなければ重家も動く事はなかっただろう。

 しかし、ここで手をこまねいているとまた重家は攻撃を仕掛けて来る。

 兵の数は減ったばかりですぐに攻撃を仕掛ける事は出来ないのでやはり援軍を待つしかないが、海路からの補給路を断っている以上は新発田城も長くはもたない。

 重家もそれを知っているからこそ速攻を望んでいる筈。その為の夜襲だったということは長重も分かっている。

 湿地帯という条件は向こうも同じである。騎馬隊の攻めがあまり期待できないというのは城を攻める側からすればあまり軍に影響は無い。

 どちらかというと今は攻め手が限られている重家の方が不利である。

 守りを固めて藤制が率いる別働隊が戻ってきて総攻撃を仕掛ける事が可能になる時まで耐えるのが一番の上策だと結論付けた長重は休む間もなく立ち上がって陣の再編に取り掛かった。

 

 小池半助という人物が甘粕家に仕えている。彼は主君である長重と共にこの城攻めに加わり、今は新発田城の監視の為に前線にて防衛の為に指揮を執っていた。

 もちろん、彼も重家の恐ろしさは十分に理解して警戒を続けていたが、それでも彼が勝てる相手ではなかった。

 夜襲を受けた時も彼はしっかりと自ら陣の見回りをしていた。

 報告を受けた時にはやはり来たかと馬に跨がって防戦の為に陣を整えた。

 しかし、名将新発田重家が甘粕家の家臣である半助に遅れを取るわけがなかった。

 あの時長重の到着が遅れていたら半助も敵に討たれていたかもしれない。

 半助という男は生来生真面目で長重とは正反対の性格だったが、何かと馬が合うためにここまで屋台骨のような存在として長重に可愛がられていた。

 その性格の為に前線でも最前線に立って指揮を執っていた今回は危うく命を落としかけたが、どうにか長重の援軍で助けられた。

 とにもかくにも全力を出した長重の活躍に助けられて彼からは責任を感じる事は無いと言われ、他の仲間からも仕方ないさと肩を叩かれたが、あてがわれた幕に戻るとがっくりとうなだれてしまった。

 勝とうとは思っていなかった。少しでも長重が来るまで時間を稼げればいいと捉えていたが、重家の巧みな戦術には付いて行く事が出来なかった。

 半助とて一介の将である。戦となれば勝利して功を立てたいと思う。

 たとえ相手が格上であっても。否、格上だからこそ勝ちたいと思う心が出てしまうのが人の性である。格上に勝てばそれ程周りからの賞賛の声もかなりのものとなるのだから。

 しかし、現実は違った。やはり負ける時は負け、格上になればやはり戦の仕方が変わって来る。悔しいが捉えないといけない現実はつらい。

 もう少し何か自分にやれない事はないだろうか。別働隊が戻って来るのは彼の耳にも入っている。それまでにまた重家が攻撃を仕掛けて来るのは半助も分かっていた。

 その時はおそらく長重が自ら指揮を執るだろうがそれでもどこかに負けた自身がやれる事はある筈である。

 だが、負けたという事を考えるとまた彼の肩に責任感がのしかかって来る。

 他の者達には今日はゆっくり休めと言われたが、寝ようとしても何かと寝付ける事が出来ないままにごろごろと寝返りをうってばかりで四半刻は経っただろうか。

 気を静める為に外の空気でも吸っておこうと長重は外に出た。

 星空を愛でる程彼には教養は無いが見ていて美しい。横になっているよりもこうして寒空に輝く星を見ている方が彼は疲れが取れる気がした。

 どこかから人の声がした。何度も何度もその声はどう聞き返しても聞き覚えのある声だ。

 慌てて行ってみるとやはりその姿だった。しかし、その姿に普段の軽い感じは受けない。寒さ故に出る白い息を吐き、汗をかいて兵に指示を飛ばしているその姿は紛う事無く主君の長重その人だった。

 

「半助、お前は戦で疲れているから寝ていろって言っただろうが」

「それは甘粕様も同じでしょう?」

 

 咎める主に頭を振って半助は笑って近付く、明らかに冗談めいている表情が彼の真面目さ故に出る不器用さが滲み出ている。

 

「お前は俺と違って最初から前線に出ていたんだ。疲れは俺よりもある。無理すんな、ここは俺で十分だよ」

「はは・・・・・・私も甘粕様が珍しく真剣にやっているのを見ると疲れている場合ではありません」

「・・・・・・どういう意味だよ」

 

 珍しく冗談を言った半助に長重は少し驚きながらもじとっとした目で睨む。

 半助は気にせずに長重に「手伝いますよ」と言うと長重の止めも聞かずに兵に指示を出し始めた。

 後で半助自身が気付いたが、長重の命に半助が嫌だと言う事も珍しかった。

 

「まさか、半助があんな事を言うとはな・・・・・・」

 

 さっきまでの件で少し呆然としている長重に半助が「周りを見てみなさいな」と笑って言う。

 言う通りに見回してみると長重は気がつかなかったのだが、半助と同様に配下の将達が足軽兵と一緒に長重の指示の下で動き回っている。

 皆がいつ来るか分からない重家の襲撃に神経をすり減らしている筈なのに誰もその影響からくる疲れを誰も感じさせていない。

 本当ならさっさと寝込みたい筈なのになかなかどうして、良い意味で長重を裏切ってくれる。

 

「しょうがない奴らだな・・・・・・まったく・・・・・・」

「いいじゃないですか。私達も長重様の珍しい姿を見ると頑張りたくなるんです」

 

 周りにいる将兵問わずに全員がうんうんと頷いている。その顔には疲れが見える者もいるが、作業を止めようとする者は居ない。

 

「ったく・・・・・・お前ら、戦終わったら覚えておけよ・・・・・・」

 

 毒を吐きながらも長重は嫌そうな顔をしない。何故ならこのような状況も嫌いではないからだ。

 

「甘粕様、ここには誰が着きます?」

「ああ、ここはだな・・・・・・」

 

 一人の配下の将が長重に今度の戦に備えての配置を確認する。長重の影響がある意味良い反面教師となったのか甘粕の家臣は真面目な者が多い。

 

「失礼します。甘粕様、兵糧の確認ですが・・・・・・」

 

 半助もさっきと違ってすっかり真面目になっている。相変わらず切り替えが早いと長重は密かに感心してしまう。

 兵糧は未だに尽きてはいないが、与坂城からの補給も段々と厳しくなっている。

 長重もそれは知っているからこそ早く新発田城への攻撃を開始したいと思い、別働隊が来るまでの間の防衛策を模索し続けている。

 重家とまともに渡り合えるのは長重一人である以上は重家は長重の指揮が行き届かないような戦略を練ってくるのは明らかだ。

 それを乗り越え、援軍が来れば勝利は確実に見えて来る。

 全員でこの後の戦に勝って上杉家を天下への道へと進ませる柱となる。また阿呆な家臣達と一緒に酒を飲んで馬鹿騒ぎをしよう。

 心に真剣な思いをしまい込んで将兵に指示を飛ばす。

 後は天が向けてくれる運次第だ。主君では無いが、たまには祈ってみるのも悪くないと長重は汗を流しながら思った。   

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