上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第四十八話改 雪に願いを

 水原城と八幡砦を落とした藤資率いる別働隊は長重が囲んでいる新発田城の本陣に帰って来た。

 勝利を収めたにもかかわらず、その空気は重苦しく、熱気ある歓声を上げて出迎えた本隊の間を進む間も細い隊列だけが別世界のように寒い。将達が歓声に応える姿にもどこか悲壮感が漂っている。

 長重はそんな藤資達を丁重に迎え入れ、その雰囲気から勝利の報告よりも一人の若者の事の方が気に掛かった。彼がどこにもいない。

 

「能元はどうしたんですか?」

 

 開口一番、労をねぎらうよりも先に長重が聞くと藤資が自身の首を指ですっと払った。

 黙っている長重をじっと藤資は睨むような目つきで見ると首桶を持たせる。中を見て長重は目を見開いた。入っていたのは紛い無く安田能元の首だった筈だ。

 

「違う・・・・・・」

 

 入っていたのは八幡砦を守っていた将の首だった。

 

 

 中条景資にとって父である藤資は偉大な存在だった。謙信が旗揚げした時からその秀でた武勇を以て上杉家家臣の筆頭として同じく年長者の定満と共に長年主君を支えてきた藤資は上杉家将兵全員から慕われる存在である。

 景資が三十路を過ぎても未だ彼に家督を譲らずに現役として最前線で戦っているのには実の子供である景資も半ば呆れているが、それも頑固な父らしいと残りの半ばは諦めている。

 更に以前の伊達との戦での鬼庭左月の戦ぶりを見ていると老害で居るのも元気でいられるからだと思うようになり、別にいいかというような感じに最近はなっていた。

 故に、繁長達から聞いた能元との一件の後に零した言葉を聞くと父は弱気になったとは思わなかった。ただの冗談だろうと片付けた。

 案の定その二日後から始まった表八幡での八幡砦攻防戦では従来の勇猛さを遺憾なく発揮した。

 やはりたまに零すぼやきだと父を見る息子は思った。

 

『藤資殿の事をよく見ておいて下さい』

 

 繁長や勝長から耳に蛸が出来る程言われたが、景資はさしてその言葉を気にする事無く、そのまま普段通りに父と接した。

 しかし、その藤資のぼやきは現実だった。景資は見た。目の前で目の当たりにした。

 八幡砦を落とした次の日だった。陣幕で五人の話し合いが終わり親子二人になった瞬間だった。

「ぐっ」という低い声がしたと思うと藤資の身体がぐらっと揺れて倒れそうになった。

 気付いて陣幕から出掛けていた景資が駆け寄ってどうにか彼の身体を受け止めて椅子に座らせたが、顔色が青くなり息が荒くなっている。 

 弱々しい父の姿を初めて見た景資は慌てて従軍している薬師を呼ぼうとしたが、その行動を藤資は「やめい!」と声を上げて遮る。景資が振り返ると相も変わらずの真っ青な表情で息も絶え絶えである。

 

「しかし父上、戦いはこれからだというのにその身体では」

「儂は大将だ。大将の身体に異変があるなどと兵が知ってみろ、たちまち士気は落ちるわ」

「だからといってそのままで居ては肝心な時に倒れてしまいます」

「くどい! 大丈夫だ。この戦いの間だけでももたせる・・・・・・」

 

 そう言うと藤資は立ち上がって景資に誰にも言うなと釘を刺して陣幕を出て行った。残った景資はすぐにこの事を密かに長重達に伝えた。

 

「幸い父上はこの戦いの大将、後ろに引っ込ませておく事が出来ます」

「大将だから後ろで戦況を見守っておくって事か?」

「ええ・・・・・・」

「分かった。長秀殿、藤資殿の隊は後ろに配置するように出来ますか?」

 

 長秀は長重に頷くとすぐに頭の中の思考をめぐらす。彼女は部隊の配置を藤資から一任されていた為に頭に描いていた配置を変更する事は容易だった。

 

「とはいえあまり後ろに配置する事は少し考えた方がよろしいかと」

 

 五十公野城の信宗が動く事は長秀の頭の中で既に想定される事として入っている。 

 故に、藤資を後ろに置くということは背後から襲来した五十公野の兵と戦う事を意味する。

 

「ちょうど中央に配置して景資殿が前を私が後ろに付いて動かないようにしては如何でしょうか?」

「いいな、勝長の案に賛成だ」

 

 長重以外の者も頷いた為、四人はそれで解散して各々の仕事に向かった。

 翌日に長秀は布陣を全ての将に発表した。藤資からはやはりと言うべきか前に出させろと要望が出たが、長秀は普段の冷静さを装って頑なにこれを拒む。

 

「大将たる御方は武勇ではなく、兵の指揮をしっかりと執って頂きたい」

 

 長秀は決して折れる事なく藤資を懇々と説得したおかげで渋々ながらも承諾してくれが、その日の藤資はたいへん不機嫌で息子の景資も近付けなかった。

 しかし、不機嫌と命は明らかに後者の方が優先させられる。やむを得ない措置として藤資には秘匿としてこの戦を終わらせなければならない。

 その日の午後、兵法では集中力が切れて兵がだらける時と言われている時間帯、我慢の限界だった藤資の号令で先陣の景資が新発田城への攻撃を開始した。

 

 

 

 五十公野城は新発田城の東、加茂川の近くに建っている平山城で新発田城と共に新発田軍の重要な主城である。

 城主の五十公野信宗は新発田重家の妹婿で元は長沢道如斉と名乗っていたが、重家が新発田家を継ぐと五十公野氏の養子となった。

 元々、義兄同様に謙信の論功行賞に不満があった彼は今回の反乱にも二つ返事で快諾し、五十公野城にて佐竹との密かな補給を受け持つ役目を拝命している。

 今、上杉軍は新発田城に兵を集中させているが、信宗は慌てる事無く援軍を派遣する準備を進めていた。

 名将と越後では名高い義兄がそう易々と勝手知ったる自身の城を落とされる訳がない。彼には義兄に対する揺るがない信頼感がある。

 明日か明後日には出陣して新発田城に目が行っている長重らの軍を討ち、相手に休む間を与えずに奪われた城を迅速に取り戻す。

 冷静な信宗はただその二つの事を静かに頭の中で繰り返した。

 そして、頃合いと思った信宗は軍を率いてゆるゆると新発田城へ進軍していた。

 

「報告、新発田城へ上杉軍が攻撃開始」

「分かった。引き続き頼む」

 

 信宗がそう言うと物見は静かに頷いてまた新発田城へ戻って行った。信宗は相変わらず慌てる事なく軍を進める。

 重家ならば援軍が来る間の僅かな日数で新発田城を簡単に落とすようなへまはしない。

 背後からの急襲は敵の目が前に向いている状態で行わなければならない。新発田城は堅牢でなかなか落ちる事はない。上杉軍がそれで苛々しているその時に攻めるからこそ効果がある。

 一旦加茂川に寄って兵達に休息を取らせる。このような真冬に川で休息を取るのはやはり河原という広く多くの兵が休める所があるからだ。

 寒さのせいで誰も川に手を付けようなんてする馬鹿はいないが、全員が腰を下ろして息を吐いている。白い息が辺り一面に広がり約二千の兵が戦に向かうという事を忘れて思い思いに時間を過ごす。

 曇り空が広がり今にも雪が降ってきそうである。今年の冬は気まぐれな天候が続いた。

 最初は暖かい天候が続いて雪があまり降らないと思っていたが、急激に寒くなって一日で例年並みの雪の量が降ったりとその度に対応に追われる日々が続いた。

 しかし、年が明けると気ままな天気も終わり、例年よりも暖かい気候にようやく落ち着いていた。

 たまには毎年毎日のようにこの季節に見る雪も見てみたいと思う心理はさすがに働かない。

 長年冬の豪雪に悩まされていた越後の将や兵や民、今年の暖冬には全員が感謝していた。

 

「ぎゃああああ!!??」

「矢だ・・・・・・矢が降ってきたぞー!!」

 

 しかし、まさか空から突然雪でも雨でもなく矢が降って来るとは思わなかった。

 兵達は鎧を貫かれ串刺しにされていく、その中で信宗は冷静に辺りを見回す。

 矢が降ってきているのは河原から死角になっている林の中。伏兵ならそこまで多い数ではない筈だが、この兵達の混乱ぶりではどうしようもない。

 ここで退いては上杉軍の士気を上げ、背後を気にせずに新発田城を攻める事を可能にしてしまう。兵を捨て駒にして突破したとしてもその数の兵で新発田城へ向かえば返り討ちに遭う可能性が高い。

 

「(一旦退くしかないか・・・・・・)」

 

 そう思った時、上杉軍が矢による攻撃を止めて突撃を始めた。

 

「某に続け!!」

 

 先頭にはこの戦いで散々なまでに心を叩きのめされた若者であった。

 

「な・・・・・・あ、能元が何故ここに?」

 

 新発田軍には能元は先の戦の失態で藤資の怒りを買い処断されたとされていると聞かされていた。

 突然の奇襲に信宗から普段の冷静さは無くなり、頭の中は混乱の渦となった。

 能元が死んだと聞いた時は信宗も嘲笑った。老害となった藤資のようにはなりたくないと。しかし、その愚かな思考は修正せざるを得なくなった。

 

 

 

 

 

「・・・・・・なるほどな」

 

 事の顛末を聞いた長重は頭を無造作に掻いて馬鹿な若者の成れの果てを知った。

 藤資の刀は首の頸動脈ぎりぎりのところをかすめて傷だけが残っている。

 

「お前には特別に機会を与えよう。それが成せねば、分かっておるな?」

 

 そう言って藤資は能元に重要な命令を下した。

 今頃は五十公野城の近くに潜伏し、信宗を待っているのだろう。だが、嫌な予感しかしない。

 

「大丈夫なのですか? そのまま一人で」

 

 そこまで叩きのめされては長重も自身がそのままでいられるのか疑問に思う。また無理をする可能性も高い。

 

「そうしないとあれの為にならんだろ」

 

 ばっさりと藤資は斬り捨てる。一方で、彼は一つの策を思いついていた。味方の失態を利用する日が来るとは思わなかったが、これも勝利の為、この状況では卑怯もへったくりも無い。

 藤資は長重を陣幕の中に引き入れて策の説明をし始めた。

 彼も武勇の人であるとはいえ馬鹿ではない。七十を既に越えた年で現役を続けていられるのは衰えた腕を頭で補ってきたからだ。

 それでも藤資は武勇、定満が知略、端からはそう見られていた為にどうしても戦略面の藤資の姿は影が薄かった。

 今回はその事が逆に上手く行き、稚拙な策でも成功を収めたのだが、成功は成功である。ここからは遮二無二攻めるだけだ。

 

「五十公野信宗と見受ける! いざ尋常に勝負!!」

 

 早々と姿を確認され、名を呼ばれたことで冷静さを取り戻した信宗は舌打ちをしながらもやむを得ず撤退の合図を出す。

 背中を見せた彼を能元はすかさず追撃を仕掛けようとるが、寸前で配下の者が止めに掛かった。

 

「安田様、藤資様からの命令をお忘れですか?」

「ちっ・・・・・・ふん! 貴様がいなければこのまま五十公野城を落としたんだがな!」

 

 配下とはいえ直属ではなく、藤資からの命令で監督役を任された藤資配下の将がそれを止めると嫌味とも取れる発言を残して新発田城に戻る準備を始めた。

 

「やはり、あの態度は嘘であったか・・・・・・」

 

 心をへし折られてふらふらになりながら反省したかのように俯いていた行軍途中の能元は戦が始まるとすぐに息を吹き返した。しかも、性質がより悪くなってしまっている。

 戦前の演説で兄の事は語っても上杉家の事は語らなかった事から既にお目付役には嫌な予感を感じさせた。結果は案の定というやつだ。

 追撃を仕掛けるなと言われたにもかかわらず、無視して攻めようとしていた。

 

「藤資様が知ったらなんと言うだろうか・・・・・・」

 

 想像するだけで溜め息が出てくる。

 

『申し訳ありませんでした。これからは兄に盲信するのではなく、上杉の将の一人として励みます』

 

 藤資達の前で言ったあの言葉とは真逆の発言を能元はした。別に今回の戦いで何か失態を犯した訳では無いので大きく罪に問われる事は無いだろうが、さらに彼が疎まれる事になるのは確実である。

 藤資は血気盛んなところがあるのでこの事を知れば今度は手の付けられない程に激昂して勢いで能元を斬るかもしれない。

 まさに不協和音。

 状態を憂うような立場では無いと監督役の将は分かっていたが、上杉家に仕え、藤資に仕えている以上はこの状況は彼も望むような状況ではなかった。

 

「(ただでさえ今は一致団結の時だというのにどうしたものか・・・・・・)」

 

 能元をどうするかは分からないがしっかりと藤資には報告した方が良さそうだと監督役の将は思った。

 

 能元が信宗を撃退したという報告はすぐに藤資達に伝わった。

 背後に気を取られる心配がなくなった上杉軍は新発田城に攻撃を開始した。とはいえ新発田城は堅牢で守る将も名高い名将新発田重家。簡単に落ちる訳が無い。

 結局、その日では落ちず、撤退した後にお目付役の将から聞かされた報告に藤資は呆れたと溜め息を吐おた。

 気を紛らわす為に外に出ると夕暮れだった空があっという間に周りを闇夜に変えようとしている。

 目を閉じると風が一気に藤資を襲う感覚がした。慌てて身を引いて体勢を整えるが、ゆっくりと目を開けて周りを見ると兵達は何ら変わりなく動いている。

 まるで風など吹いておらず、逆に聞くのも憚られる程に平然としている。

 自身だけが浴びた強い風。しかし、それはこの世に生きている限り有り得ない筈の現象。

 

「(何かある・・・・・・)」

 

 長年、戦場で現実と向き合って生きてきた藤資独自の勘がそう言っていた。

 頼らざるものに頼るようなものだが、不安を抱いたまま藤資は早めに眠りに就いた。

 

 

 藤資の抱いた危惧は現実のものとなる。

 その日の夜だった。

 暖冬だった筈の天候が急激に寒くなり、陣幕にちらりと白い物体が舞い落ちた。するとその物体は時間を追う事にどんどんと量を増している。

 早めに寝ていたことですぐに起きれた藤資は「やはり」と呟いて武具を整える。

 

「まさかこの時に天が上杉を見放すとは・・・・・・この老骨の目の黒い内に上杉の天下統一をまみゆる事が不可能でも重家を取る事さえも許さぬのか・・・・・・」

 

 天が答える口を持っている筈がなく、その代わりと言うばかりに雪をさらに強くさせて地面へと降り積もらせている。

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