上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第四十九話改 燃えよ上杉軍

 上杉軍が松倉城を焼き払ったのは椎名康胤に大きな衝撃を与えた。

 火攻めがなかなか落ちない城を攻める際の常套手段であることは康胤も知っている。しかし、松倉城は越中の中で戦略的にも大きな価値ある拠点で、魚津城や天神山城を解放する際の拠点となる所でもある。

 それを簡単に落ちないとはいえあっさりと上杉軍が焼き払うとは康胤も頭に無かった。

 逆に言えば、上杉軍は松倉城を焼き払ったことで拠点が無いまま魚津城の救援に向かって来るという事だ。つまり、退路を失った状態の上杉軍を一度だけ戦に勝ってしまえば椎名軍の勝利は確実なものになる。

 

「されど死兵を相手にするとなると油断は出来んな・・・・・・」

 

 退路が無くなったことは下々の兵にも伝わっているだろう。兵法にもある通り決死の覚悟を持った軍程、面倒な相手は無い。

 今、背水の陣を敷いている上杉軍は正に死兵である。上杉軍の強さを聞いている康胤にとって恐れるべきことだ。

 

「まぁ、焦ることはない」

 

 しかし、余裕を崩さない康胤はほくそ笑みつつ水を飲む。

 椎名軍の眼前は角川という自然の障害がある。上杉軍がこちらにいつ来ようと現れてから準備しても十分に間に合う。そもそも上杉軍は角川を渡ることは出来ないだろう。

 

「申し上げます! 上杉軍が角川の対岸に現れました!」

 

 思ったよりも早く到来した上杉軍に目を見開きながらも焦ることは無いと再度心に言い聞かせながら兵に指示を出す。

 

「万が一だ。早めに魚津城に攻撃をかける。準備しろ」

 

 今から準備しても上杉軍は川を越えることは不可能であり、十分に間に合う。

 康胤は万が一に備えて息子の椎名兵部に角川に築いた陣の守りにつかせていたが、敢えて増兵させる必要も無いと動かない。

 目の前で越中では有名な角川の急流は相変わらずの早さを保ち、人や馬が入って足を取られればあっという間に下流へと流されるような感じである。

 それを分かっている息子の兵部も対岸にいる謙信率いる本隊にろくな構えもせずにただ形だけの構えをしているだけだった。

 

 一方の上杉軍は松倉城を官兵衛と颯馬、秀綱に任せて密かに松倉城から反転して主力をこちらに向けて虚を突いたのは良かったが、角川の急流に阻まれている為に歯痒い思いをしていた。

 

『元々運に任せた戦で角川の流れがもし変わっていたらってゆうあまり期待できないやつだけど、それでもこの状況を打破するにはこれしかないよ』

 

 謙信は新たに入った軍師、官兵衛の言葉を頭で思い返す。最初の内は敬語で通そうと無理して話しているのがバレバレで普通に話していいと言ったら本当に普通になったものだから謙信が拍子抜けしたのは余談である。

 

『あたし達は相手が相手だし何とかなるけど勝てるかどうかはそっちの戦に掛かっている。もし渡るのが駄目だったら松倉城から山を登って上流の浅瀬から無理やり天神山に下って椎名を叩く。その時はもしかしたら魚津城は包囲を解いてくれるかもしれない』

 

 最初と同様に推測であったが、こちらには確信があるというように声は毅然としていた。

 魚津城と松倉城のどちらを優先するかと問われて魚津城と答える者は越中の大名にはいない。焼かれてしまおうと松倉城が東越中の要地であることに代わりないのだ。

 

『でも、松倉城から山を下るのは結構きついからもしかしたら魚津城は間に合わないかもしれない。その時は・・・・・・』

「『覚悟して欲しい』・・・・・・か」 

 

 官兵衛が残した最後の言葉には重みがあった。

 魚津城を失うという事は越中における上杉にとっては影響力が無くなることを意味する。

 越中の覇権を巡って一向一揆勢と戦うのは上杉家にとって好ましくなく、これ以上、一向一揆勢の力が付くのも快く無い。故に、魚津城は越後に一向一揆勢を侵攻させない為に必要な砦であり、死守すべき防衛線である。

 更に魚津城に籠もる斎藤朝信の存在もある。

 朝信は軍事と政治の両面で上杉家の重きを担っている。彼が生きるか死ぬかで上杉家の土台の一部が崩壊し、立て直しにも時間を割くことになる。

 いくら有能な人物であっても呆気ない原因で死ぬかもしれない戦国乱世とはいえ朝信の死は上杉家にとっては何としても避けたい。

 軍師達のように冷酷なれば謙信もこの川の見て諦めただろう。迂回路を探して春日山城に戻り、魚津城が落ちても再び取り返す為に動いただろう。

 だが、謙信は戦闘好きではないとはいえ軍神と呼ばれている武人である。

 

「目の前の敵から全く覇気が感じられない。ああ舐められたら真似をされると・・・・・・」

「え・・・・・・?」

 

 隣にいた慶次が嫌な予感を感じて隣を見る。そこにはいたはずの謙信がいなかった。

 

 

 

 

 

 

「朝信様、敵が攻勢を開始しました」

「いつも通りに迎撃しろ」

 

 毎日毎日同じように攻めてくる康胤に朝信は飽き飽きとしたような声で家臣に指示を出す。しかし、状況はそんな呑気な状態ではない。

 既に周辺の砦を落とされてしまい、城内に入られて突破されそうになる二の丸を何度も朝信の巧みな戦術で追い返しているとはいえ数はどんどん減っている。

 当初いた一千五百の城兵は椎名軍と一向一揆勢六千の前にあっという間に一千になっていた。そして、今もまた兵が前線では数多くの倒れている。

 そこに舞い込んで来た三日程前の天神山城の落城は朝信が前門の角川、後門の寺島職定によって完全に孤立したことを意味している。

 実はこの状態になった時に何人かの兵が脱走して敵に投降を試みていた。普通ならば見せしめに首でもはねて城門に晒すところだが、朝信は怒るばかりか笑い飛ばしていた。

 

「まぁ、いいじゃなねぇか。その者達は命が惜しいのだろう」

 

 しかし、翌日の朝。かれらは驚きの光景を目の当たりにする。

 脱走した兵達が全員処刑されて首を陣に晒されているのだ。そればかりでなく、その顔には目を抉られて代わりに小石らしきものが詰められているという何とも残忍過ぎる所業をされていた。

 向こうからするとそれで上杉軍の士気を下げて一気に城を落としてしまおうという腹積もりだったのだろうが、上杉軍はそんな貧弱な者の集まりでは無い。

 それを見た途端にかれらは怒りを士気へと代えて攻撃を仕掛けて来た椎名軍を散々に打ち倒してしまった。

 そして、今度は逆に椎名軍の兵の一部を生け捕りにして椎名軍がした以上の処刑をしようと兵達はいきり立ったが、朝信はそれを許さなかった。

 

「そのような報復行為をすれば誇り高い上杉軍の名に関わる。生け捕りにした兵は武器を廃棄させて解放してやれ」

 

 兵達は不満げだったが、朝信は今後の上杉家の為に繋がると考えてのことだと説得するとそれなら仕方ないと言われた通りにすぐに解放した。

 報復行為を正当化するのは難しい。報復行為をしないようにさせるのはそれ以上に難しい。

 だが、難しいことを行うことが出来れば見返りは非常に大きくなって返って来る。

 しかし、勝たなければこの慈悲も意味の無いものとなってしまう。この状況下では勝ちは絶望的かもしれないが、それでも信じていた。

 

「斎藤様、二の丸が突破寸前の由!」

「行くぞ、俺達も前に出る!」

 

 最後に勝利するのは上杉であると胸に秘め、朝信は城内から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 官兵衛は颯馬と共に松倉城の焼け跡を見回っている。

 秀綱が火が落ち着いたのを見計らって徹底した全滅作戦を取った為に生存者はほとんどいない。

 残虐行為とも取れるこの行動は上杉家の為に必要な事であると二人の軍師は分かっていた。一向一揆勢の勢力を少しでも粗がなければ今後に支障が出る。

 だが、いざその跡を見てみると随分と非道いことをしたものだと思ってしまうのも仕方ない事。 松倉城の中に入ってみるとやはり第四郭と大見城平の被害が一番大きく、中には一向一揆勢の民達の焼死体、火の手から運良く逃れた者も秀綱の部隊によって斬り殺され、見るも無残な死体がごろごろと転がっていた。

 戦いに慣れている者でさえ見れば吐き気がしそうなその光景の中を二人は表情を変えずにずんずんと歩き進んで行く。しかし、兵の中には体調を悪くして陣幕で休んでいる者もいる。

 平静を努めていたが、最も被害の多かった大見城平に入ると二人もさすがに口元を抑えた。

 

「なに、これ?」

「まさかと思ったが、これほどとは・・・・・・」

 

 松倉城に火を点けた際、大見城平から火を放った為に焼け焦げた無残な死体が山のように積まれているのは仕方ないが、第四郭よりも焼死体が多く、中には骨までしっかりと焼けているものもある。

 その中には非戦闘員の女子供なども含まれていて二人の軍師は戦だから仕方がないと気丈に振る舞いながらも魚の骨が喉に刺さったように引っ掛かるものを感じていた。

 さらに郭を進むと今度は秀綱達によって果てた者達が転がっている。

 普通であれば痛そうに苦しそうな表情をしているのが斬られたほとんどの兵が穏やかな表情をして西を向いて死んでいる。

 これで極楽浄土に行けると思っていたのか戦の際は無表情であった筈の兵達とは思えない程に活き活きとした顔をしているのだ。

 逃げるように大見城平から本丸に移った二人はここで松倉城を守っていた椎名軍の将である三浦五郎左衛門の首の無い亡骸を見つけた。秀綱が自ら討ち取ったその死体もしっかりと西の方向を向いて死んでいる。

 周りの家臣や兵も同様だ。かれらが最後に何を思って死んで行ったのか、考えると容易に想像がついてしまうのは気のせいではなさそうだった。

 念仏を唱えるだけで極楽浄土に行ける。

 考えると世の中が腐っていることを嫌でも痛感させられる。しかし、上杉家の天下の邪魔となる以上は譲ることは出来ない。

 そして、謙信が掲げる義の為にも負ける訳には行かない。

 秀綱は今残党狩りに向かっている為に明日から進軍は一気には進軍せずにゆるゆると松倉城から天神山城に向かう予定である。

 

「本当に大丈夫なの?」

 

 官兵衛はまだ不安げだった。彼女からすればあの角川が簡単に流れは落ち着くとは考えられない。

 あの時進言したことも本来なら最初から魚津城を直接救援せずに天神山城を奪取して逆に椎名軍を角川に追い詰めるべきだと考えた。

 しかし、颯馬がそれに待ったをかけた。天神山城については颯馬に策がある。それに先に天神山城を落とすとなると時間がかかり、魚津城を救援出来なくなるかもしれない。

 結果として角川の流れ次第という妥協案が出された。渡るのが無理だったら天神山城はともかく魚津城を救援するのにさらに時間が掛かってしまう。

 だが、心配する官兵衛をよそに颯馬はにやりと笑ってみせる。

 

「大丈夫さ・・・・・・」

「どこから来るの? その確信は」

「謙信様は勝つ・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 自信に満ちた表情。そこに官兵衛は謙信と家臣の信頼の深さを感じた。

 一方の颯馬は諦めたような溜め息を盛大に吐いて官兵衛を戸惑わせた。

 急にどうしたのかと官兵衛が聞くと苦笑いを浮かべながら颯馬は口を開く。

 

「戦が終わったら定満殿と兼続の説教だなって思った」

 

 

 

 

 

 

 

 

 一騎が駆ける。味方も敵も何をしようとしているのか分かる者はいない。

 味方の一部は分かっていた。しかし、それを止めるような者は誰もいない。止めても無駄という事は分かっていた。

 川の目の前まで来た謙信の前には相変わらず急激な流れをしている角川がある。その流れはまさに滝である。

 その先に救援を待っている味方がいる。その先に倒すべき敵がいる。その先に皆が帰りたがっている春日山がある。その先に守るべき民がいる。

 迷ってはいられなかった。考えるよりも先に川に飛び込んでいた。敵味方からどよめきが起こった。だが、その声も謙信からすれば馬耳東風だった。

 馬が川に押されそうになっても謙信は馬に頑張れと腹を蹴る。

 中腹まで差し掛かった時、ようやく兼続が軍を前に出した。そして川の直前でもう一度止まる。敬愛する主君が危ないのは分かっているが、兼続達の足は前に行ってくれない。

 謙信はそれでも後ろ見ずに前に進む。半分以上渡った為、安全は前にしかない。そもそも前へと進むことのみしか頭に無かったので謙信は決して後ろを振り向かない。

 呆然として謙信を見守る上杉軍。謙信が川の後半に差し掛かった時、兼続は見た。

 謙信が川を渡るその時に一匹の竜を幻惑ではなく、はっきりと現実のものとして。

 兼続などいとも簡単に飲み込んでしまいそうな程の大きさで美しい鱗が輝かせる竜はこの急流の川をいとも簡単に、まるで流れなど無いように渡っている。

 否、渡っているのではない。その川の上を飛んでいるように兼続には見えた。

 優雅にそれで勇ましく、その美しい姿に兼続が感嘆の声さえ漏らすことも許さずに見惚れていると竜は対岸に辿り着き、高らかに咆哮した。

 

「この程度の川、恐れる必要はない! 椎名の兵達よ、この上杉謙信が相手となる! いざ!」

 

 竜と一体になった主君の雄叫びに上杉軍から歓声が上がった。飛んでいた竜は人へと戻り椎名軍に突っ込んで行く。

 謙信の人間離れした行いに呆然としていた兼続が正気に戻った時には慶次や親憲達という多くの将兵が竜の叫びを耳にして川を渡り始めていた。

 その後ろ姿は嬉々として久々のまともな戦に向かう武人の姿。

 

「はぁ・・・・・・少しはこちらの身にもなって欲しいものだ」

 

 呆れたように首を振りながらも刀を抜いて兼続は川へと入って行く。

 謙信が椎名軍の先陣に斬り込みを入れる。続けて慶次達が突っ込み、更に椎名軍を蹂躙して行く。

 決戦の火蓋は切られた。

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