藤資は内心、焦り始めていた。
新発田城攻略を任された上杉軍は豪雪の影響で攻めることが不可能になってしまった。
しかし、諦めて撤退しようと背を向ければ、間違いなく重家は追撃して来る。上杉軍と違い、新発田軍は拠点が減っている為に死に物狂いで犠牲を与えようとするだろう。
「ですから、もっと早く新発田を攻めておけばこんなことにはならなかったのです」
砕かれた心で虚勢を張り、偉そうに能元はふんぞり返っているが、それに同調しようという者は一人もいない。
先の戦での不満だらけで完全に功を焦った態度は藤資達にしっかりと伝わっていた。しかし、咎めることはせず、戦功を立てたとして誉めた。
結果的にそれが逆効果になってしまい、事ある毎に総攻撃を主張するようになっている。
もちろん、堅牢な新発田城がおいそれと落ちるとは思っていない他の将はそれを危険が大きいとはねのけているのだが、この豪雪によって足場が落ち着かない今の現状では上述のように攻めることは出来ない。
また、撤退もすぐには出来ない為に頭を悩ませているのだ。
「後ろに道が無いのなら前に道を求めて進むべきです」
この期に及んでも能元は城攻めを主張する。
若者故の血の気の多さと兄に対する盲信の心を潰したことによってここまで傲慢な性格の人間が出来るとは誰も思ってもいなかった。
だが、今は彼を更生させるよりもどうやって退くかが第一優先である。
「……長秀」
「何でしょうか?」
「情勢を説明しろ」
「新発田城はいまだに三の丸すら突破出来ず、されど五十公野は被害を受けた為に動くことは出来ません」
新発田城を攻めるのであれば今が好機である。しかし、天候が上杉軍を見放している現状は否めない。生き残ることが出来たとしても傷口を大きくしては治る前に傷を悪化させられる。
「藤資殿」という声が聞こえその声の主に視線を向ける。長重だった。
「ここは撤退すべきでしょう。こちらも被害はそれなりに出ていますし、この寒さでは兵達の士気にも影響します」
この状況では早い決断こそが勝利を呼び込む。
藤資もこの戦はもう限界であるということは分かっていた。物質はこの豪雪で減る速度が早まるばかりで、兵の中にもひどい凍傷になって戦えなくなった者も出始めている。
しかし、最期の戦になるかもしれないこの戦で功も立てることが出来ずに終わるというのは藤資にとって辛いものである。
また一方で、一人の我が儘で軍を乱すなど藤資には出来ない。それをやって余計な被害が出るのはもっと辛いものだ。
やりきれないこの気持ちを叫ぶのをぐっと堪えながら長重を向く。
「……分かった。長重の言う通りにしよう」
「ご英断です」
ほとんど将は藤資の身体が病魔に犯されているのを知っている。それによって彼が功を焦ってしまうことも恐れた。
心の中でこの老将は何を思うのか、息子の景資でさえ分からない。しかし、撤退を選択したことによって藤資の寿命はまだ保たせることが出来る。
内心、安堵の溜め息は吐きながら長重達は撤退の為の準備を始めた。
「まったく、腰抜けの集まりだ……」
音を立てて真っ先に陣幕を出た能元は愚痴をこぼしながら自身の幕に戻って来た。それを聞いた配下の将達は半ば軍議で何が決まったのかが大体察することが出来た。
皆の予想通り能元は撤退の準備を始めるように命を下して兵達に指示を出すが、その様子は不満たらたらで先の一件の反省など塵の小ささよりもありはしない。
将の態度は兵達にも影響を及ぼし、やる気が無いようにだらだらと動いている。それは能元同様に撤退への不満ではなく、能元への不満だった。
はっきり言って無茶苦茶な命令を水原での戦いから繰り返している彼によって無駄な犠牲が出ていることは誰もが知るところになっている。
そんな彼が不満そうに撤退の命を下した時に兵達が抱いた感情は悪いものばかり。一言で言えばこれが一番当てはまる。
「(ざまをみろ)」
兵達の不満をどうにか父や兄の代から支えている家臣達が留めている為、大事には至っていない。
配下の将達の対応が無ければどうなっていたことやら分からない。それこそ暴動が起きていてもおかしくない状況の時もあった。
それでも能元に付いていくのは先代の顕元への多大な恩と越後を立派に治め、民や家族を養ってくれている謙信への篤き忠誠心である。
それに気付いていない能元はやる気の無い兵達への見せしめとして一人のやる気を見せてきちんと仕事をしていた兵士を適当に選んで棒で叩く。
能元からすれば兵達は毛利安田家の当主として君臨している自分の姿に付いて来ているという思いがあった。見事な勘違いだが、知らぬは当人ばかりなり。
彼は徐々にかつ確実に軍から孤立して行った。
さらに一日経った日の夜。
上杉軍が本格的な撤退を始めたという報告を受けた重家は追撃を始めた。
重家に上杉軍撤退の報告が来たのはその二日後だった。敗戦が続き、窮地にあった彼からすればこのところ降り続いている豪雪に続いてまたとない吉報である。
「今宵に出るぞ!」
迷い無く、重家は城内に出陣命令を飛ばして自身も甲冑を身に纏う。
相手はあの筆頭家老中条藤資を始めとする他上杉の中堅、若手の有能な将達。簡単にはいかなるだろうがそれでもこの状況を打開するには追撃しかない。
上杉家に反旗を翻してたった数ヶ月、劣勢続きであっさりと滅ぼされるのかと自身でさえ思っていた反乱もまだ続けることが可能であると確信した。
重家は一つの書状を握り締めてにやにやと笑いながら部屋を出て廊下を歩き出す。
「(ようやく来た助力への返答、これでしばらくは保つことを出来る。後は春を待って蘆名と北条を説得するだけだ)」
手にある書状をさらに強く掴みながら重家は歩く速度を速めた。
宛名は『伊達輝宗』とあった。
雪が上杉軍の足跡をしっかりと残してくれている為、新発田軍からはどの道筋で撤退するのか予測が容易に出来た。水原城を経由して安田城と春日山に撤退するらしく足跡は徐々に急ぎ足になっているのか歩幅が大きくなっている。
すかさず重家は追撃を速めて上杉軍の尻尾を掴もうと進んだ。
しかし、進めども進めども上杉軍の姿を確認することが出来ない。ここまで来て何の戦果もなく撤退するのは重家が上杉軍に馬鹿にされる恰好のネタとなる。
そして、重家はどんどん軍を進めて翌日の明け方前には水原城付近にまで着いてしまった。
「何なんだ?」
重家は混乱していた。この先にある林道を通れば水原城は目と鼻の先である。
ここまで来ても上杉軍は一向に姿を現さない。何か裏があるのは薄々感づいていたが、重家は軍を進める以外の選択肢は思い浮かばなかった。
水原城まで来たからには新発田軍が撤退すれば水原城からその姿を見取られては逆に上杉軍からの襲撃を受ける可能性もある。
「(まさか、これが目的だったのか!?)」
慌てて撤退すると声を張り上げようとした途端、襲撃を伝える悲鳴が前線から聞こえて来た。
「(伏兵か……!)」
簡単に分かった。ここまで引き付けておいて帰れないようにしておいたところを叩く。この狭い林道の中で無理に軍を進めようとしてもかえって混乱を招くばかりだ。
こうなった以上はもはや前の部隊は見捨てるしかない。よく考えれば稚拙な策に掛かったと重家は思ってしまう。それ程までに勝利が必要では無かったにもかかわらず、追ってしまったのは重家自身が上杉軍に一回で良いから勝ちたいと思ってしまっていたからだ。
重家は前線の将兵に申し訳ないと思いながらも自分が生きている限りはまだ盛り返せるという希望を胸に撤退の命を下した。
鬼が一匹とは限らないと知らずに駆けていた。
「なっ!?」
林道を出た瞬間に重家は絶句した。気付ける訳がなかった。
そこには竹に雀の旗と片喰、酔漿草の旗印。そして先頭に立つ男。
忘れたくても忘れられない。どんなに年を重ねようともその厳格な雰囲気と何かを刺すようなその鋭い視線に重家は一瞬身を固めた。
「藤資・・・・・・殿・・・・・・」
「ほう・・・・・・儂の顔は覚えているのか?」
顎髭をしごきながら藤資はにやりと笑い重家を見る。藤資が率いている軍勢自体は少ないが、退路を断たれたことは新発田軍の兵達には混乱を招いた。
重家はここではめられたことを悟り、奥歯をぎりっと噛み締める。
「もはや儂より先に逝くことになるとはな、重家よ」
「残念ながらこの首は簡単にくれてやるつもりは毛頭ありません」
「それは残念だな」
「申し訳ありませぬが、返り討ちにさせてもらます!」
「良かろう! 皆の者、裏切り者の首を上げた者は軍功第一ぞ!」
「あれは上杉軍の筆頭家老中条藤資ぞ! 討ち取れば恩賞は思いのままだ。かかれ!」
逆回転で動き出した歯車は一人歩きを始めて修理しない限り戻ることは二度とない。しかし、修理は不可能な程に狂った歯車は一度壊すしか方法は無い。狂いが生じた猛将同士の戦いが始まった。
策を弄するにも重家はもはや袋の鼠、あとは始末すれば新発田軍は全て終わる。藤資は重家目掛けて自ら突進して行く。
それは新発田城から撤退する前日のことだった。
『この戦で儂が重家の退路を断つとしよう』
能元抜きの軍議で藤資は四人の将にそう言った。しかし、四人はそれに待ったをかける。全員の反対は凄まじく、藤資が唖然とする程の剣幕であった。
『つまりは藤資殿は重家と戦うって事ですか? それは駄目ですね。大将は後ろで安全な所にいるっていうのが当たり前でしょう?』
『長重、儂にそのようなものは通じない。謙信様に仕えて数十年、常に前線で戦ってきた儂の場所を譲る気は毛頭ないわ。これは大将の命令だ』
結局藤資は全ての反対意見を大将命令だ、と押し通してはねのけてしまった。そこで長重が妥協案として自分も共に藤資と戦うと言ったのだが、
『ならん、儂一人で十分だ。まさか儂の腕では重家を倒せないとでもいうのか?』
藤資は誰の意見も聞かずに片付けかけていた陣幕を逃げるように去ってしまい、軍議は強制的に終わってしまった。
「ったく、俺ぐらいは残しておいても構わねえだろうが・・・・・・よっと」
残された四人の呆然と互いの顔を見合わせる光景が第三者の視点から思い出される。溜め息を吐き、憎まれ口を叩きながらも長重は重家の前線部隊を斬り捨てている。
藤資らしく病の事を知られたくないのだろう。しかし、それを分かっているからこそ長重達は必死に止めた。
「(まさかあの時に藤資の爺さん察したのか?)」
普段であれば藤資の意見は謙信の次に重みがある。つまり長重達中堅、若手が彼の決定に口出しするなどあまりないことだ。
だが、それを今回は普通にやった。悟られても仕方ない。しかし、彼を止めることは結局は出来なかった。
「(・・・・・・馬鹿だな・・・・・・俺達も・・・・・・あの人も)」
気付けば長重は分からない怒りに身を任せて敵をただただ容赦なく斬り捨てて行き、長秀に止められるまでに約五十程の兵を斬っていた。
「追い詰めろ! もはや勝利は目前だ!」
藤資は自ら得物を構えて敵の屍を築き上げている。長年連れ添った馬に跨がり大将首を狙ってやってくる新発田軍の兵がたとえ複数人でかかって来ても藤資は軽い動きでまとめてなぎ倒して行く。
その姿は往年の彼を彷彿させ、それを知る者はもう何人もいないが、その少数の人はここが戦場であるのを忘れて彼の姿に思わず手を合わせた。
しかし、窮鼠は猫を噛むとも言う。重家も必死だったどこかに退路を探した。藤資は兵法にも通じている。死兵を相手にするようなことは普通は絶対にしないはずだった。
では、普通でなかったらどうなのか。
言うまでもなく怒涛の進撃を続ける藤資を止める者はいなかった。それは外側からの障害のみの話。
「ぐっ・・・・・・」
胸元を押さえながらも藤資は止まらない。目指すは重家の首のみ、それを最期の功としてあとは景資に任せて、ゆっくりと地獄で暮らすとしようか。
自らの力を振り絞って藤資は暴れまわった。病魔に侵されている身体が何度も馬から落とされそうになったが、その時愛馬は速度を落として藤資に合わせてくれた。お陰で彼は端から何の不振な様子を見せることはないまま新発田軍に突進して行く。
ぽたりぽたりと滴り落ちる水滴のように確実に侵攻して行く病魔を身体の中で感じながらもただ上杉家の繁栄の為に戦場で功を立てるのみ。
そして、いよいよ重家の姿を見つけ出した。その姿に藤資は止まりかけた足を再び動かし始めた。
「重家! 来い!!」
その声は戦場の端から端まで響き渡っただろうか。前線で自ら兵を落ち着かせるべく指揮を執っていた重家はその鋭い目を見開いて藤資を見ていた。そして、覚悟を決め彼も刀を抜いた。
武で適うかは分からない。しかし、戦う以外に退路は無い。
「藤資殿、お覚悟を!」
「若造が・・・・・・・言うではないか! しかし、儂もまだそこまで老いてはおらんぞ!!」
お互いに馬を双方に向けあい、ゆっくりと動き出す。そして加速し始めて一気に間合いが詰まる。
「「はぁあああ!!」」
長重は新発田軍を散々に討ち払い、終わった戦の戦後処理をしていた。辺りには逃げ場がなかった新発田軍の兵達の屍が無数に転がっている。
これほどの傷を負った以上、重家も立ち直ることは当分出来ないだろう。後は内側の面倒事を片付けるだけ。
「長重殿、いつまで突っ立ているんです? さっさと重家の首を取りに行きますよ」
相変わらずの嫌味ったらしい言い方で能元が言ってくる。しかし、長重は動こうとしない。
先程、背後から声を掛けて来たと思えば立ち上がらなければ勝手に軍を動かすと急かすように長重の答えを待っている。
「聞いているのですか? それともこれ以上戦う気力も無くなったんですか? それだったらかなり長重殿も貧弱ですね」
やれやれと言わんばかりに能元は両手を広げて挑発するような態度を取る。それでも長重は何も言わない。
「あの! 行くのか行かないのかはっきりしてくれませんか?」
「行かねぇよ」
仮にも勇将で名が通っている長重からの想定外の発言に呆気に取られている能元をよそに長重は水原城に戻って間道から八幡砦を経由して新発田城に行くと指示を出した。
藤資が覚悟を決めた以上はそれに横槍を刺さない。逆にそれに花を添えておくのが武人である。
「後は、爺に任せる・・・・・・」
誰かに伝えるには小さ過ぎる声だった。
お互いの刀と刀がぶつかり合う。藤資と重家が一騎打ちを始めて十五分程度経っただろうか。だが、厳しく身体を鍛えている両者はどちらも息を切らすような状態ではない。
藤資が右から払うように振り抜けば、重家はそれを受け止めて間合いを詰めて一気に振り上げる。そして、また藤資はそれをかわしては上段から振り下ろす。
そのようなことを繰り返している二人の将、その周りでは藤資と重家の配下の兵達がお互いに生きて帰る為に斬り合っている。
矛盾するかもしれないが、それしか方法がないのが乱世の習とも言うのかもしれない。
しばらくの唾競り合いを嫌った重家が一気にけりを付けようと藤資に攻勢を仕掛ける。しかし、それは藤資にとってこの戦いを楽にさせるものであった。
振り下ろす重家の刀を受け止めずに後退することでかわし、重家との間合いを詰めて突きを繰り出す。重家はかわしたが、藤資はさらに重家を追い詰めるように刀を突きから横薙ぎに払った。重家はこの素早い動きにどうにか対応したが、さらなる藤資の攻勢には抵抗出来なかった。
とうとう重家の刀を弾いた藤資はがら空きになった彼の首にとどめを刺そうとする。
『ぽたり・・・・・・』と何かが藤資の中で滴り落ちた。しかも今までで一番大きな水滴が落ちた気が藤資にはした。
「ぐぅうう!?」
大事な時に藤資の身体に限界がやってきた。
そう思って身体を起き上げようとしても水滴はぽたりぽたりと滴り落ちることを止めない。
がくりと膝を崩したまま藤資は上を見上げた。そこには刀を拾い上げてやってきた重家がいた。
「藤資殿・・・・・・」
「この儂が戦いではなく病気に負けるとは・・・・・・情けない話だな・・・・・・」
「何を言います?あなたは立派でしたよ、最期まで戦場に立てたのですから」
「お前も、いずれは謙信様によってそうなる。この老骨の頼みとして、聞いてくれ」
「何なりと・・・・・・」
「また、謙信様の下には・・・・・・」
「もう神輿は出ました。戻ることはありません」
「そうか」と藤資は諦めたように目を瞑り、空を見上げる。勝負には勝った。
だが、無防備な状況を晒している自身を見逃す程、重家は甘くは無い。
戦場に出て、生き甲斐として来て五十有余年、戦場で暴れまわることこそ乱世を生きる糧としてきたこの中条藤資の存在価値はもう無くなったのだ。
「やれやれ・・・・・・これも時代の流れ、か」
「藤資殿、あなたはもう休む時です・・・・・・」
重家は不覚にもその潔さと晴れ晴れとした笑顔に声がうわずってしまった。