上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第五十二話改 遥かなる背中

 誰も彼の最期をしかと見届けられた者は誰一人もいなかった。

 しかし彼、中条藤資の顔に恐怖や悲壮感は漂わず、戦に生き、戦で人生を終えることが出来ることへの優越感にひたる笑みがあった。

 唯一、彼の最期を見ることが許された重家はここが戦場であることも忘れ、ただこの老人の長きに渡ったその人生がどのようなものであったのか思案に耽ってしまった。

 同じ上杉家の重臣として生きてきたが、その年数は桁違いに程がある。

 謙信が景虎として旗揚げした時よりも前から同じく家臣の中で筆頭格の宇佐美定満と共に長尾・上杉に仕え、武勇の柱として上杉家を支えてきた藤資は数え切れない程の功を立て、揚北衆の中では珍しく上杉の忠誠を尽くして来た為、謙信から感状を貰うこともあった。

 晩年になると活躍の場を弥太郎や景家達、中堅・若手に明け渡すようになってあまり目立たなくなったが、それでもその多大な影響力は変わらなかった。

 

『一つの命が散ったぐらいでは上杉はびくともせん。この首はいつでも差し出す覚悟は出来ておるわ・・・・・・まぁ、まさかそれがお主になるとは思わなんだか』

 

 最後まで変わることのなかった呵々とした笑い声が重家の耳から離れない。

 彼が上杉家で遺した偉業は中堅・若手の将が追い付こうとも追い付けないものである。それ程、彼の戦功は多く、突飛していた。

 謙信配下の筆頭格として生きた猛将は紛うことなく上杉家の歴史に名を刻むだろう。

 藤資には景資という良い跡継ぎがいる。中条家が今後どうなるかも憂うことなく死んでいくことが出来たということも穏やかな笑みを浮かべて死んでいくことが出来た要因かもしれない。

 

「羨ましい・・・・・・」

「新発田様!」

 

 配下の将の一声で重家ははっとここが戦場であるということを思い出す。気付けば目の前の胸元に手を当てて倒れている藤資の胴体をぼーっと眺めていた。

 

「新発田様? 泣いておられるので?」

「そんなことはない・・・・・・それで、なんだ?」

 

 内心まさか涙が出ているとは思っていなかった重家は慌てている心を必死に抑えながら冷静さを装い将からの報告を受ける。

 

「我が軍の退却路確保できました!」

 

 藤資を討ち取ったことによって出来た隙を重家は見逃さずに直ちに一つの道を作ることを命じていた。ようやくそれが出来た。

 

「分かった。すぐに退け」

 

 感傷にひたっている場合ではないと重家はすぐさま藤資の首を持って馬に乗り、撤退を始めた。

 藤資が討たれたとはいえ新発田軍は包囲を突破する際にかなりの犠牲を払った。前線の兵はほとんどが討たれ、重家の中軍もかなりの痛手を被った。

 しかし、この積雪では上杉軍はしばらく攻めることは難しい。更にまだ新発田城と五十公野城が残っている以上は盛り返せる。

 冬の間に力を取り戻してまたすぐに新潟港を奪還すれば補給も追い付くようになるだろう。少なくとも沼垂城と新潟城、水原城までは奪還したい。まだ謙信への反乱は始まったばかりだ。

 雪解けが終わったら伊達がやってくる。それまでは防戦になるかもしれないがそれまでに上杉が攻めてくる可能性も低いだろう。

 

「申し上げます。甘粕長重率いる隊がこちらに追撃を仕掛けるべく進軍中の由」

「やはり来たか・・・・・・距離はどれほど離れている?」

「約二里前後かと」

 

 全速力で駆ければ十分間に合うが、先の戦で傷を負い、人の手がいる者もいる。しかし、犠牲が多い今、止まっていてはここは逃げなければならない。

 立ち止まっては上杉軍の思う壺。それに希望がある以上は無闇に命を捨てる訳にはいかない。

 

「敵が来る! 皆駆けよ、遅れは許さん!」

 

 怪我人がいる中で鬼畜かもしれないがこれしか命じることは出来ない。

 もはや重家は使えない兵が捨て駒のように敵に討たれていく姿しか目に浮かばないまま新発田城へと急いだ。

 

「上杉軍が後方の負傷兵に襲い掛かりました」

 

 それでも重家は前だけを見ていた。凶報という凶報が続いてやってくるとは知らずにただ進むしか道はない。

 

 

 

 

 

 

 

「ったく、重家も随分と面倒なことをしてくれたもんだ」

 

 長重の視線の先には新発田軍の取り残された負傷兵の屍。白い雪の上を赤い血で染めているどの兵も最期まで重家の為に戦い、死んでいった。その為に長重達は思ったよりも時間を喰った。

 

「それにしても、追撃するならさっさとやっておけばよかったものを・・・・・・」

 

 またしても能元が空気の読めない嘲るような口調で後ろからやってきた。

 元々長重達は追撃をせずに藤資に任せるつもりだったのだが、やはり行うべきだと景資が進言したのだ。

 その理由として最も皆を影響させたのは能元の空気の読めなさだった。

 

「何かぞくっと背中に何かが走った」

 

 そのような下らない理由で行く気にならないと言う能元を放っておいて長重達は追撃することにした。

 

「何でお前はやってきたんだ?」

「手柄を持ってかれる訳にはいかないんでね」

 

 にやりと笑う能元だが、聞いた長重は聞くまでも無いとすぐにそっぽを向いて戦場を見つめる。結局は長秀も自分の手柄目当てに付いて来たのだが、最終的にはこの戦では長重が一番功を立てた。

 先程の景資の予感は見事に当たってしまった。藤資の部隊と合流した長重達はかれらによって藤資が重家に討たれたことを知った。しかし、上杉軍の武勇の象徴でもある藤資が重家に後れを取ることは考えにくい。

 

「(そういう事か・・・・・・)」

 

 長重達は察した。そして、息子であり、状態をよく知っていた景資はもしかしてと思っていたとはいえ敬愛してやまない父の突然すぎる死に強い衝撃を受けた為に今は一旦水原城へと戻り落ち着かせることになった。

 

「やっぱり老害でしたな。まったく、我々のような若い者達に任せておけばよかったものを・・・・・・あの人は自分で命を捨てたもんだ」

 

 少し笑いながら言う能元。ここに景資がいなくて本当に良かったと長重達は思いながらも自身達も彼に飛びかかろうとしている自分を堪えるのに必死になっている。それを紛らわすようにとあるものを探している。

 

「それにしても、藤資殿のご遺体が見当たらないな・・・・・・」

 

 首は重家が持ち帰ったのは分かるが胴体が全然見当たらないのだ。見逃したかと何度も探し直したが見つかる気配が無いままに夕暮れになってきた。

 

「しょうがねぇ、今日はここまでにして水原城に退くぞ」

「なんと、新発田城を落とす好機だというのに何故にまたしても退くというのですか?」

「お前は本当に分かってねぇな。ここから水原と新発田、どっちが近いかっていったら間違いなく水原だろ?」

 

 能元の蔑む口調に怒りも湧かないまま適当に流しながら長重は馬に跨がって水原城方面に体勢を向ける。

 かなり新発田軍を引き付けた為に上杉軍が新発田軍と戦った一帯は言うまでもなく水原城付近である。新発田城に今から向かえば途中で夜になる。

 

「ならば野営をすればよろしいではありませんか」

「馬鹿かお前。ここで野営をしてみろ、たちまち凍死者が出る」

 

 今度は長秀が呆れて嘲るような口調で能元を窘める。雪が降り始めて寒さが増したこの時期に戦続きで疲れが溜まっている兵に野営をさせるなんて自殺行為である。

 

「最上軍から報告が来ました」

「分かった。すぐに会おう」

 

 長重達は能元の意見を全て聞かずにすぐに水原城に帰還した。

 

 

 

 

 

「これはこれは満延殿、何故にわざわざここまで来られたのです?」

 

 藤資が亡くなった為に次に年上である長秀が一番上座に座って対応する。景資はいまだに衝撃を隠せない状態だが、満延が来た以上は出ないといけない。

 厳しい状況下であることは最上領内でも変わりない。最上軍でも重き地位にいる満延がわざわざ海路を通ってまでここまで来たのには何か訳があるのだろう。

 そう考えてぐっと身を乗り出して上杉軍の面々は話を聞く。

 

「最上家は上杉家から離反した大宝寺義氏と寒河江兼広を討ち取りました。それから安東愛季ですが、取り逃がしましたが、重臣の浪岡顕村を討ち取り、安東軍自体は多大な被害を出して撤退をいたしました」

「いや、ちょっと待ってくれ」

 

 つらつらと平然と満延が言うが、長重が待ったをかける。

 

「かなり最上領内の情勢は厳しくてそんなに簡単に収まるような状況ではなかった筈なんだが」

「まぁ、そうなんだけど、実は・・・・・・」

 

 その後、満延は最上領内で起きた事を噛み砕いて説明し始めた。

 

「・・・・・・と、いったところです」

 

 満延が話し終わるまでに上杉軍の面々は予想外すぎる展開に「はぁー」という驚愕の表情になっている。

 

「しかし、政宗殿がまさか輝宗殿を説得してそんなことをなさるとは・・・・・・」

 

 長実は額を指を押さえて予想外のことに驚きを隠せないでいる。

 元々伊達家は上杉家との戦いを得て友好的な関係になっていたが、今回はさすがにここまで上杉が東北に影響力を及ぼしている以上は出てくるとしても敵として出てくると誰もが考えていた。

 それがまさか味方に付いて山形城の危機を救ってくれただけでなく寒河江の残党狩りに近い寒河江城の戦いでも手を貸してくれるとは予想外もいいところである。

 

「しかし、思い切ったことをするかいうのは伊達らしいところですな」

 

 景資も半ば呆れたような溜め息を吐きながらも一つ気になることを口にした。

 

「・・・・・・延沢殿、まさかそれだけの報告の為にやってきた訳ではありますまい?」

「ふっ、流石は音に聞こえた中条藤資殿のご子息であられる」

 

 にやりと笑う満延だが、藤資の名前を出した途端に場の空気が重くなったのを感じた。

 

「延沢殿、実は・・・・・・」

 

 長重が満延に近付いて事情を説明する。説明して行く内に満延は最初目を見開き、徐々に暗い表情に変わる。

 

「・・・・・・なんと、まさか藤資殿が」

 

 満延も上杉家の重臣筆頭格の藤資のことはよく知っている。彼が戦場で命を落とすとは彼を知る人物からすると考えられないことである。満延はすかさず景資に詫びをいれるが、景資は気にしなくてよい、とうなだれながらも言った。

 しかし、父を亡くしてまだしばらくの景資は正直誰の目からも分かる程に動揺している。しかしそれでも、景資は気をどうにか落ち着かせて満延の話に耳を傾けようとする。

 同情の目を景資に向けながら満延はこれから行って欲しい動きを長重達に告げた。

 

「なるほど、分かりました。すぐにでも準備しましょう」

「よろしくお願いします」

 

 策を聞き早速準備に立ち上がろうとしたかれらだが、能元がその勢いを止めた。

 

「待ってください」

 

 いつもの邪魔が入ったことに上杉の将達は不機嫌な様子を露わにし、満延は一瞬呆気に取られる。

 

「何故にこの策で行くのです? 聞けばこの策は伊達政宗殿が立てた策のようですね、そんな日和見な人物の策を簡単に信じるのですか?」

「何!?」

 

 満延ががたっと立ち上がり能元を睨み付ける。しかし、能元の嘲るような口調は収まらない。

 

「まぁ、義守殿は元々戦には不向きな方でしたし・・・・・・仕方ありませんな」

「貴様、義守様を侮辱する気か?」

 

 それ以上言えば満延は刀を抜き出してしまいそうな覇気を出している。その間に長重達が入って満延を宥めて能元を叱りつける。

 しかし、能元はそれで反省する気は毛頭なく、表向きは申し訳ありませんでした、と頭を下げて出て行った。

 

「まったく、懲りない奴だ・・・・・・」

「前からあんな感じなのか?」

 

 満延は長重に今にも露わになりそうな能元への怒りをぐっと抑えて聞く。以前から二人は最上が上杉の傘下に入ってから馬が合い、敬語抜きで話し合う仲だ。

 

「ああ、この戦が始まってからずっとだ」

 

 満延は長重に事情を長々と聞かされると半ば呆れたように溜め息を吐いた。

 

「のうのうと育てられたせいか?」

「能元の父君と兄君は息子想い、弟想いだったからな」

 

 ぼんぼんが戦で出るにはちょっと早過ぎた。長重はそう言いたげに溜め息を零す。

 

「敵討ちが悪いとは思ってはいねぇ。だが、奴の場合はそれに捕らわれて足元がまるで見えてない」

「それを気付かせるまでは良かったが、その後に変なものが残った訳か」

「あいつは上杉家に対する忠誠心は篤い。あれを変えるとなると謙信様しかいないな」

 

 時の流れに付いて行けずにただ家の為にとだけに生きる能元は歯車が完全に狂ったことによって将兵から孤立している。彼の支えはただ、毛利安田家の当主という肩書きのみである。

 

「それと、ここに来る前に伊達家から書状が来なかったか?」

 

 満延の突然の発言に長重は足を止めて目を丸くする。その反応から事を察した満延は間違いなく書状は送ったと政宗が言っていた、と話した。

 

「まさか、藤資の爺さん・・・・・・」

 

 長重は察し、天を仰いだ。藤資はこの事を知っていたのだ。どこでかは分からないが、予想は出来る。

 

「八幡砦でどっかから使者が来たって色部が言ってたな」

 

 あの時、長重は新発田城の監視に回っていたので細かい事情は分からないが、それがその時のものだろう。しかし、藤資はそれをあえて公表せずにずっと自身のどこかに隠し持っていた。

 見せなかったのはあえて窮地に立たせることで味方の士気を上げようとしたのだろう。

 

「だから重家の退却路を断つ役目、自分がやるって言って聞かなかったのか・・・・・・」

 

 退却路を断たれた敵は間違いなく、活路を開こうと死に物狂いで立ち向かう。

 

「そこを病身の身で、先があまりない自分の身体を犠牲にして時間を稼いだ、か」

「馬鹿だな、やっぱりあれは老害だった」

 

 満延が言葉を繋げると捨て台詞を吐いて長重は足早に歩き出した。

 長重はその足で景資の下に向かいそのことを説明する。全てにうんうんと頷きながら景資は段々と頭の中で父の姿を大きくしているのだろうと長重は思った。

 しかし、今はそれで良い。明日になれば景資は立ち直る。そう信じていた。

 

「・・・・・・一人にさせてくれないかな?」

 

 うわずる声からして我慢しているのだろう。そう思った長重はすぐに出て行った。

 

 

 

 

 この次の日の夜。

 越後と越中の二つの城から炎が立った。それは完全に城を焼け落とす勢いのものではなく、ただ勝利を伝える為に燃えている。多くの将兵の喝采を浴びて燃える炎は天へと上る竜のように小さくも強く舞い上がる。

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