豪雪とまではいかないが、頭に被る雪をうるさそうに払いながら景資は雪の中をわざわざ歩いて行く。
「やはり・・・・・・見当たらない」
戦場の中で人が死んでいくのは必然のことだが、肉親が死ねばその亡骸を葬ってあげたいと思うのは残された家族の思うことである。
景資は三日間探したが、先の戦場で藤資の遺体を見つけることはが出来なかった。
どうしてなのかは分からない。諦める訳にも行かず、景資は必死に探し続けるしか方法が無い。
一日目は見落としがあったと思った。二日目に薄々感づいた。三日目になれば嫌でも確信した。
見落としではなく、確実に藤資の遺体は無くなっている。確信が無くても景資の中で誰がどうしてそのようなことをしたのかは察することは出来た。
だが、怒りは何故か湧いて来ない。自身が向こうと同じ立場だったら越後国内で誰もが知る勇将を討ち取ったことを誉れと思い、同じようなことをしていたかもしれないからだ。
『私情を挟むことは公の場では決してならん。それは一時お前に優越感を持たせるかもしれないが、後に絶望を与える事となる』
父、藤資の言葉は一つ一つが重かった。そして、暖かかった。
最期まで昨日言ったことをまた今日も言うというように子供に見られてはいたが、最期の方ではただの老害として割り切っていた。
最期まで上杉の老害として生きたという自覚があったと長重から聞いた時には馬鹿な親父だとつくづく思った。
父への心からの思いが崩壊し泣くのは必然。だが、それ故に後れを取ることは乱世では禁物。その後にすぐに切り替えることが大切である。
藤資が死んだ次の日からはもういない父に代わって中条家当主として景資は生き始めた。
切り替えられた筈なのにこの場に来るということはまだまだ父に対する名残があるのだと自覚して溜め息を吐いてしまう。
「これからの事を考えないといけない。やはり、後回しだ。俺もまだまだだな」
父を忘れられないことへの愚かさを自覚し、自虐的に鼻で笑うと景資は水原城に戻って行った。
「また、行っていたのか?」
景資が戻ると長重が陣の少し入った所の影で待ち構えていた。景資がいない間は彼がいない間の事について全て受け持ってくれている。
「ああ、けど・・・・・・やはり・・・・・・」
景資の首の振りで全てを察すると長重は息を一つ吐いて景資の肩をぽんと叩いた。
「重家の目的が何なのかは分からないが、変な気を起こすんじゃないぞ。藤資殿が死んで悲しいのはお前だけじゃない」
「長重・・・・・・」
あの日の夜、景資だけではなく、藤資の死には将兵問わず多くの人が涙した。それは先達を失ったという意味で長重達も同じである。
「しばらくは我慢だな」
「分かっているよ。あれのように枷が外れた馬鹿にはならない」
一つの壊れた風車のようにどこまでも空回りを続ける気持ちを公に持ち込んでいる能元がここに合流した満延にも少しの嫌悪感を抱かせた事については誰もが知るところとなっている。
彼の事情を知った途端に満延は随分と哀れに思えたようでそれ以上は能元と接することは無くなっていた。
問題児は今、長秀が監視下に置いている為にあまり目立って変な動きをしていることはない。
「それから、満延に書状が来たそうだ」
「近いのか?」
「明日か明後日だと、それで分かるな・・・・・・」
互いに頷き合う。それが合図のように足音が陣中から二人に近付いて来た。
「また何かしているんですか?」
「「(うるさいのが来た・・・・・・)」」
長重と景資は心底嫌そうな顔をして声がした方を向く。案の定、長秀の目を盗んで来た能元がそこにはいた。
「別に何も」
景資が素っ気なく言うが、それを待っていたかのようににやにやと笑いながら能元は歩み寄る。
「いやだなぁ、知っていますよ。景資殿が藤資殿の遺体を探しに行った事ぐらい」
「っ!?」
能元にだけは隠していた筈なのに何故か知られていた。
驚きの表情を浮かべている景資を嘲笑うように能元は更に続ける。
「人には人の情報網があるんですよ」
どこで察したかは知らないが、確実な情報を掴んでいるようだと景資は明後日の方向を向いて溜め息を吐く。
「それにしても、人には私情を挟むなと言っておいてなんですか? 自分は許されているんですか?」
安定の嫌味が始まる。自分は駄目で人は許されるのか分からないと不満たらたらの様子が目に見えて分かる。
「まさか、それを許される行為だと言うのではないでしょうね? 長秀殿は絶対に私情を挟むことは許さないお方ですよ」
「だから、密告するのか?」
長重の殺気の籠もった視線にも能元は気にする事なく彼に視線を返す。
「いやですねぇ、甘粕殿、密告はしませんよ。公で報告するんです」
勝ち誇ったような歪んだ笑顔。見るだけで無性に景資は腹が立ち、刀を手に取ろうと利き腕に力が籠もるのを感じた。
即座に長重が腕を掴みそれを止める。
景資は足元を見ると能元に飛びかかろうという体勢に自分がなっていることに気付いた。
風は冷たく三人の間を吹き、その関係性を見事なまでに表している。
長い沈黙の中で長秀が何か言おうとした途端、急に風向きが変わった。そして、長重達から能元に吹き始めている。能元の後ろから誰かが来るのを伝える足音がした。
「何をしているんだ三人とも?」
「これはこれは長秀殿、実は咎めていたのです」
「ほう・・・・・・貴様如きに咎めを受けるような事を二人は何かしたのか?」
長秀の物言いに能元が奥歯をぎりっと噛んだ。しかし、それでも優位に立っていると心に言い聞かせ、能元は平静を装ったまま再度口を開く。
「実はですね・・・・・・」
能元が話している間、景資は父の一つの事を思い出していた。
主君である謙信が関東管領になった時の事である。
その時藤資は太刀を祝いの印として謙信に送った。しかし、謙信はそれを当然のように受け取ると藤資に感謝の辞をただ一言述べるとそれで終わってしまった。
当時家を継いでいないとはいえ、既に二十歳を過ぎていた景資はその現場にいた為に何故と不満を持った。しかし、父の藤資は意にかえすような素振りも見せずに屋敷に戻った。
そして、景資は父に問いた。
『何故、謙信様は父上に何もされずにおられるのか?』
藤資は呵々と笑いつつも景資は分かっていないと呆れたように首を振ると真面目な顔に戻った。
『謙信様は儂にこのような形ではなく、戦で功を立ててもらいたいと思っているのだ。まぁ、一応はこの事にも何かして頂けると思うが、おそらく戦の功の方が破格なものとなるかもしれんな』
謙信はこの後、藤資に武官の中で一の地位に立てば最上の地位に就くことを意味する『侍衆御太刀之次第』で席次は一門に次ぐものとなった。
家臣の中では最も格上になった事を景資は喜んだが、当の本人は少し不満げであった。
屋敷に戻ると今度は藤資が景資に不満たらたらな様子で言った。
『謙信様はもう儂が老骨と思っているのだ。このように素晴らしい恩恵を与えておけば良い老後生活が儂に出来ると勘違いしておる』
つまりは藤資に多大な恩を与えて一生困らないような生活が出来るように配慮してやるというものだと謙信からの計らいを彼は悟っていた。
実際、この後も堂々と軍議や戦にも前線で活躍する藤資を見て謙信は景資に「あの恩を返して欲しいものだな」と冗談でこぼしている。
景資自身も藤資程の一騎当千の武勇がある訳ではないが、弥太郎や景家とも斬り結ぶ事は出来るし、統率力は藤資以上の実力を持っていた。
そんなにも恵まれた後継ぎがいるというのに何で隠居してくれないのか分からなかった。しかも、ちゃんとした理由は教えてくれないので本当に困った老害ある。
『儂は戦でしか生きられん』
謙信以下家臣全員が藤資が言い続けて来た建て前に呆れるような目で見ていたことを既に彼は知っている。
故に、戦場に立ち続けた。これに辟易した謙信は一計案じた。
第四次川中島の戦いで藤資は諸角虎定の首を上げる大功を立てた。
謙信はそれを讃えて血染めの感状を藤資に送った。
それを受け取った時の藤資はたいへん嬉しそうにしていたが、その文面には『この謙信生涯忘れる事はありません』と書かれてあると知ると彼は目を見開いた。
生涯ということは藤資の功を立てる事に賛辞を送りながらも実際にはもう戦に出ないでくれと暗に言っているようなものである。
これは逆に彼の中にあった揚北衆特有の反骨心に火を点けた。
藤資は次の戦にも堂々と戦場に立つと弥太郎や景家と共に先陣を切って戦功を立てた。
報告を聞いた謙信は本当に呆れて天を仰ぎ、勝手にしろと他の将と同じような待遇に戻した。
もしかしたらその時から謙信は藤資の運命の先を見ていたのかもしれない。
父の死を謙信はあらかじめいずれかは分からないが、いずれは来るともしかしたら父の病を察していたのかもしれない。
そう思うと景資は一番近くで見ていた筈の自分が気付かないでその次に藤資を見ていたであろう謙信が察していた事に恥ずかしくなった。
謙信は病を察していながらそれを黙り、父に花道を与え続けて、見るのも辛い筈なのに父に強く根強いていた武人の心を尊重し続け、戦場で使い続けた彼女を改めて素晴らしい御方だと思う。
父が今、地獄にいるのかそれとも極楽にいるかは分からない。だが、謙信が与えた最後の恩賞である花道を登っていることは間違いないだろう。
景資は危うく涙腺が脆くなってしまった。
「・・・・・・と、いうわけでしてね。まさか長秀殿がこのような勝手な事を許すとは思えないのですが、いかがです?」
現実に戻ると能元は説明を終えたらしく、彼は笑うと景資を侮蔑するように見た。そして、長秀を見ると彼女は鼻で笑うと景資を見た。
「彼には許可している。故に何も咎めるような余地はない」
「なっ・・・・・・」
能元は絶句して長秀を見る。
「何故です? 私の時は敵討ちを許さずに私情を挟むなと仰いましたよね?」
能元は納得が行かないと食って掛かるが、長秀はいつも通りの涼しい顔を崩さない。
「状況が違うだろう。そなたの時は戦の時だ。景資の時はどうだ。今はもう戦は終わっている」
「戦が終わっている? 何故そう言い切れるのです? 新発田重家はまだ新発田城で虎視眈々と再起の時を待っているのですよ?」
ふざけるなとでも言いたいのだろうか。能元は長秀にさらに詰め寄る。しかし、そこに先程までの余裕は無く、重家という名前を出した事で彼への憎悪が撒き散らされている。
「そうか、そなたには言っていなかったな。まぁよい、いずれ分かることだ」
そう言うと長秀は景資に軽く口元で微笑んで見せる。景資も会釈をして二つぐらい年上の景資に内心感謝しながら長秀の後ろに長重と共に続く。
唖然として長秀の後ろ姿を見るだけの能元がそこには残った。
風はまだ能元だけに強く突き刺さる。
「長秀殿、ありがとうございます」
「気にすることは無い。そなたはあれのようなことはしないと分かっていたから嘘を付けたのだ」
長秀はさっき初めて景資の行動を聞いた。それでも許せたのは景資自身の能元に無くて彼にある抑える心のおかげである。
「だが、これからはちゃんと言うようにしろよ」
頭を下げると景資にもう一度長秀は微笑んで前に歩き出した。
景資は今、藤資の後継ぎとして完全なる一歩を見えない大地に踏み出した。全ては父が夢見た上杉家の勝利の為。
風が強く吹いている。その風はどこから来たのか。そしてどこで途切れるのかは分からない。
しかし、三人はその風が冬の為に冷たい筈なのに何故か心地良く感じていた。
最初は静かだった。そして、ゆっくりと何かが音を立ててずれ始めた。
それを分かるのに時間が掛かる者とそうでない者がいる。だが、時間という早さがものをいう戦では先に何かを掴んだ者が勝利する。
重家は急いで兵糧の準備を始める。先日伊達家から兵糧が行き届いた。
量はひと冬の戦には十分なものである。
藤資達に後れは取ったが、重家も名将の内に入る者。敗戦が続いているとはいえ相手が動けない時に動くということは前もって決めていたのだ。
かの奪われた城や砦、港を奪還するためのみならず算段はもう付いている。上杉軍が防ごうとしても水原城以外の城と砦を放棄したかれらにそれは不可能。
「まずは・・・・・・海路だな・・・・・・」
頭の中で出来上がっている地図にはきちんと順番が完成している。
新潟港を奪い、安東家からの兵糧物質の援助の道を確保する。そして、八幡砦を奪い、水原城を奪取する。春を待って北条を口説いて出兵を促す。
そうすればもう謙信は風前の灯だ。勝てる。
その思いが日に日に強くなって口元が緩むのを必死に堪えながら重家は兵糧庫を出た。
「申し上げます。上杉軍、水原城を放棄」
出るなり入ってきた報告に疑問が重家の頭を支配する。わざわざ取った城を放棄する真意が分からない。水原城まで放棄しては新発田城を攻略する為の拠点の全てを放棄することに繋がる。
何かあると分かっているが、動かないという選択肢を選んでは家臣から「この好機を逃すとはいかなる訳か!?」と言われかねない。
重家はすぐに軍議を行う為に諸将を集めるように命じた。
軍議が終わり、早めに動いた方が良いと翌日、出陣する事を決めたその日の夕方。
「申し上げます。後方から敵の襲来です」
「何!?」
駆け込んで来た兵からの報告に重家の表情は目を見開くが、すぐに笑みに変わる。
今回の戦は一度上杉軍が撤退することで終わると考えて水原城を上杉軍が放棄した後に奪取する為の準備に追われていた。
故に、今日は明日の為に将兵にはゆっくりと休むように通達を出していた。そして、自身も寝ていた時の報告に飛び起きた。
上杉軍は前にしかいない。もし背後に回るとなると五十公野を通らなければならない。奪取されていたとしても斥候が教えてくれる。
ならば、背後から来る軍勢がどこの家か重家は見当が付いている。
最上は内乱の収拾と安東家への対応で動ける筈がない。蘆名も豪雪が道を阻み、復興までには時間が掛かる。
「伊達軍からの援軍だ。丁重にお迎えしろ」
容易く結論は出た。
夜に近付き、新発田城では篝火が焚かれ、待ちに待った援軍の到来を今か今かと首を長くしている。
それぞれの思いは違う。伊達は東北の覇権を我がものにする為。新発田は越後を改革し、謙信への恨みを晴らす為。
味方でも思い違いというのがこの世にはよくある。ちょっとしたもので済むかわいいものもあれば、自らの道を崩壊させる危険なものまでと様々だ。
「開門願う!」
若い女性の声が聞こえた。
「何者か!?」
「伊達軍大将伊達政宗、援軍を率いて参上仕った」
重家も彼女の事はよく知っている。
謙信と一騎打ちを繰り広げ、一歩も退かずに戦ったという話は越後では語り草になっている。
篝火を頼りに旗印を見ると間違いなく伊達の旗『竹に雀』が並んでいる。早速、重家は開門させて城内に招き入れ、自ら出迎えに上がる。
「遠路はるばる申し訳ない。この重家心強く思いまするぞ」
「いや、気にすることはない。困った時はお互い様だ」
紫色に近い髪に右目に眼帯を着け、その残った左目から全てのものを見定めるようなその眼光の強さ。先の戦と変わらないと思いつつも重家は援軍の到来に一つの安心感を抱いた。
「まぁ、とりあえず城内で今日はゆっくりとお休み下さい」
「うむ、だがその前に・・・・・・そなたの首を取ってからにしようか・・・・・・新発田殿?」