上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第五十八話改 その時が来るまで

 謀《はかりごと》は常に密に行い、それを公に開かすものではない。敵地に潜入して影で実行する。故に難しく、失敗すれば命の危険は避けられない。

 たとえ老練な者を用いたとしてもどこかに綻びがあればそのほつれた糸から様々なことが明るみにすることが出来ない時もある。

 それは蜘蛛の巣と言えるだろう。

 黒幕は辺りに糸を巡らせて入って来ようとした者を食らい何事もなかったかのように全てを闇に葬る。

 しかし、蜘蛛の目にも死角がある。それを見つけ出した者は糸にかかった仲間を救う事が出来る。

 今回の糸にかかった仲間とは春日山の民と上杉家の全てである。

 

「しかし、これからの相手はあくまでも手下であって大蜘蛛を引き寄せる為の小蜘蛛にしかすぎない、か」

「うーん、よくわからないけど、わかるの」

 

 ぼそりと言った筈の龍兵衛の言葉に耳の良い定満はぴくりと反応を見せる。龍兵衛の比喩的な表現に団子を食べながら可愛げに小首を傾げるが、龍兵衛は鼻で笑ってあしらうように何度か首を小さく頷かせる。

 そのほんわりした雰囲気の中にある毒のある棘は着々と今回の標的である長尾政景の内部に侵蝕している事を理解しているからだ。

 

「(怖や怖や・・・・・・)」

 

 時は遡って二人が坂戸に付いて早ニ週間、時期でいうと謙信たちが常願寺川の戦いで勝利を収めた頃である。

 ひとまず二人は坂戸に着くとまずはゆっくりと慎重に調査を始めていた。

 龍兵衛は酒屋などでの聞き込み、定満は正体を悟られないようにうさ耳を外して酒屋の他に様々かつ大胆な方法を使って調査を続けた。

 しかし、やはり謙信への謀反となるとかなりの秘匿である。簡単には蜘蛛の糸のほつれは見れずに歯痒い思いを二人はし続けた。

 そこである時、龍兵衛は一か八かの賭けに出る事にした。まずは彼が商人へと変装をして坂戸城に乗り込むとあるものを政景の重臣である国分彦五郎の下に献上する事にした。

 この時はもう龍兵衛は定満の暗示のようなものによって心がいくらか吹っ切れていて政景の疑惑を調べるのに積極的になり始めていた。

 龍兵衛は元々平成の世では横浜出身の友達に化粧術などを習っていた事があり、その助長で変装が出来るようになったのだ。

 坂戸城の門番には上手く喋りと金を使って丸め込み、彦五郎に会う事に龍兵衛は成功した。

 部屋で待っていると親憲よりは若く、龍兵衛や颯馬達よりは年上の風貌をした男性が入って来た。

 

「儂が国分彦五郎だ。お主か、儂に会いたいといったのは?」

「はい、手前のことは牛蔵とお呼び下さい」

 

 そして、しばらく二人は世間話やそれぞれの愚痴を話し続けた。龍兵衛は下に下に出る事で彦五郎の機嫌を伺い確実に彼の懐に入っていった。

 

「さて、そろそろ本題に入ろうか、何故に儂の下に来たのだ?」

「実は小耳に挟んだのですが、彦五郎様は随分とお盛んな方だそうで」

 

 これは定満が酒場で酔っ払った兵から掴んだ情報である。有効に使わなければいけないと定満が持ち帰り、今回の策で行くことになった。

 

「ふふっ、年甲斐もないとでも思っておるのか?」

 

 彦五郎は認めるとにたりと笑い龍兵衛の意図を察してすすっと近付く。

 

「いえいえ、それに乗じて儲けるのも商人めの仕事です」

 

 それに釣られるように龍兵衛も同じような笑みを浮かべて耳元で彦五郎に囁く。

 

「厳しい値になるぞ?」

「構いません。では、今夜にもこのお宿に来て頂きたいのですが・・・・・・」

 

 そう言うと龍兵衛は自身達が泊まっている宿が書いてある紙を渡した。

 

「そこで試して頂きお気に召されれば・・・・・・ああ、もちろん孕ませてはいけませんよ」

 

 下劣な笑いが彦五郎の口から出てきたのは言うまでもない。 

 彦五郎はきちんと時間通りにやってきた。

 そして、龍兵衛が牛蔵だと知らずに龍兵衛が紹介したのが、定満であると知らずに彦五郎は定満を抱いた。

 幸いな事に彦五郎と定満には直接の面識は無く、定満も龍兵衛によって少し顔に手入れをした為に全く感づかれる事はなかった。

 予想通り一夜の後に彦五郎は定満の技の前に陥落し、彼女をいたく気に入った為に龍兵衛に高い金を払って城に連れ帰る事になった。

 

「後は定満殿に任せるとして、こっちは砂金の小粒を砂漠の中に探しに行きますか」

 

 定満を見送った龍兵衛は一人、宿に戻って聞き込みの為の準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

 定満は望まない相手に抱かれながらも機会をじっくりと伺っていた。彦五郎は政景の側近として政景を支えている。故に政景の持っている秘密も必ず知っている筈。

 信頼を得ながら探りをいれる事一カ月したある日。

 彦五郎が顔を赤くして興奮覚めやらぬという感じで屋敷に戻って来た。

 定満がしなやかな指で頬をなぞりながら聞くと彦五郎は誘惑にあっさり負けて自分の部屋に呼び、誰にも言うなと釘を刺してつらつらと話し始めた。

 

「政景様が越後の国主となるべく立ち上がる決意をなされた」

 

 定満は心の中で気になる事を言うのを堪えて話している彦五郎に続きを促す。

 

「二週間後、政景様は春日山に向かう。そして、そこで『我々は謙信様の救援として越中に向かう故にしばし休息を取りたい』と政景様が申せば必ず門は開く。そして、その油断したところを叩くのよ」

 

 一気に策の全容を言ってもらい定満は内心黒い笑みがこぼれるのを必死に抑えて彦五郎に抱き付きながら政景はどうして決心したのかそれとなく聞くと彦五郎はにやりと笑った。

 

「越後を取れば東北が乱れる。そして、政景様はその隙に東北を取りその支配者となるべきだと本願寺の使者が・・・・・・」

 

 確実な証拠を得た定満はそれ以上は聞かずに頭の中で仮説を立てた。

 おそらく政景は本願寺に上手く丸め込められて謙信が自分を疎んじていると思っているのだろう。

 しかし、謙信はそのような事は全く思っていない。むしろ政景は留守役の責任者とするなどかなり責任がある仕事を任せたりもした。

 何故ここまで彼を変えたのか、政景は一本気で決して変な二心など持つような性格ではない。

 

「政景様は景勝様を富樫殿に献上する事を条件に上杉家を潰さない事ようにしたのよ。今の状況下では謙信ももはや生き延びられまい」

 

 つまり謙信はもう助からない。娘の命が惜しかったらこちらに従えと単に脅されているのだ。

 政景にとっては謙信がいなければ自分を止める者はいなくなる。故に自分が立てば景勝の命は助かって上杉家はまだ生き残る事が出来る。

 しかし、定満はあの晴貞がそこまで温厚な事を本当にするとは思えなかった。

 確かに彼は上杉家を残すだろうが、そこそこの力を残して微々たるものに変えてしまうだろう。そうなると不満を持った上杉家に反乱を煽ってすぐに潰す。

 彼の後ろ盾である上杉家と本願寺はかつての因縁からあまり仲が良いとはいえない。

 晴貞が気に入らない奴は片っ端からひねりつぶすような性格であると察していた定満は政景が騙されているとわかった。

 そして、仕事は全て終わった定満はその夜の内に密かに集めていた証拠と共に屋敷から消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でした」

 

 帰ってきた定満を龍兵衛は少し安堵した顔をして前もって変えていた宿に迎え入れた。帰って来るとは思っていたが、若干彼の心に不安があったことは否めない。

 

「龍兵衛君、悪い子なの。私を使うなんて・・・・・・」

 

 豊かな胸をたゆんと揺らして腕で隠しながら定満は少しじとっとした目で龍兵衛を見る。

 

「それが一番の近道ですから、それに情報を持ってきてこの策を考えたのは定満殿でしょう?」

 

 胸に行きそうな視線を精一杯の努力で抑えて負けじとじとっとした目で龍兵衛は見返すが、定満はきょとんとした顔に変わる。

 

「うーん・・・・・・そうだっけ?」

「・・・・・・そうです」

 

 自分から行くとか言ってのりのりだった人が何を言うのかと半ば呆れながら龍兵衛は定満と一つの部屋で定満が集めて来た証拠を整理し始めた。

 それは単純なことではなく、仮説を立てながらどこに黒がいて政景を動かしているのか調べなくてはならない為、更に時間が掛かり、終わった時には朝になっていた。

 

「やはり本願寺。いや、晴貞の仕業ですね・・・・・・」

「うんうん、間違いないの」

 

 晴貞の中にある狂気に薄々感づいている二人は結論として大蜘蛛が晴貞であるとしてその後も別の顔をした商人や旅娘に変装して情報収集にいそしんだ。

 そして、最後の結論として政景は止まる事は無く、その禍根を断つ為には彼を殺す事しか方法が無いという結論に達した。

 

「やるんですか・・・・・・?」

「うん・・・・・・」

 

 また恋する人の父親を殺す事になるかもしれない龍兵衛にとってはかつての光景が蘇ってくる。

 あの悲しき終結になるかもしれないと思うと龍兵衛はふるふると身体が震えた。過去を払拭する為には乗り越えるべき壁であるのかもしれない。

 しかし、その壁は滑りやすく、茨が多く存在するものでもある。

 落ちれば龍兵衛の心は茨に刺されて崩壊する危険がある。だが、逆に乗り越えてしまえばこちらのもの。龍兵衛は全てから脱却出来るかもしれない。

 一方、この仕事を任されてから見せるようになったそわそわと落ち着かない様子を見ていた定満は龍兵衛の景勝への想いは深いと思いながらもそのせいでこの仕事がやっていけるのかが不安になってきた。

 彼は気丈に振る舞っているが、定満にはその複雑な心境が手に取るように分かった。

 

「龍兵衛君、大丈夫?」

「ええ・・・・・・」

 

 その虚ろな眼の中で何を思っているのか定満は知っている。

 人の本質を鋭く見抜く定満は龍兵衛が一見図太いところがあるが、実際はかなり繊細な心を持ち、自分で自分を傷付けてきた男だと察していた。

 また、彼は今後の事の最悪な状況を考えて行動する為になお始末が悪い。

 この場合の最悪な状況を考えると定満も龍兵衛と景勝の心境を思うしかない。それでも国を考えなければいけないのが軍師である自身達の役目である。

 それでも龍兵衛に手を下させるのは非常に危険である。彼が景勝に黙っていれば何でもないが、そんな事を龍兵衛が出来る訳がないし、定満も二人の間に亀裂が入るような事はさせたくはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 一つの心境が政景を揺すっていた。

 お前は謙信を越える事が出来る。そして、天下の覇者となれる。お前は無敵だ。一度立ち上がれば謙信など目の下のほこりのようなもの。今しかない。やるんだ。そして、天下を取れと。それは惑いだった。

 

「もはや賽は投げられた。私は・・・・・・謙信を討つ!」

 

 家臣達が頭を下げると政景は大々的にとうとう公表した。

 後戻りは許されない。そして、勝つ以外に方法は無く、負ければ全てを失う。政景はすぐに部屋に戻り戦の準備を始めた。

 寒空の坂戸城だが、政景自身の心の熱気はかなりのものであrう。

 

「申し上げます。宇佐美様がお見えです」

「何!?」

 

 驚いて振り返ると報告に来た家臣はその形相に逆に驚いてしまった。政景は詫びをいれると一応はすぐに通すように命じた。

 ここで追い返したりしたら相手が相手だけに怪しまれる可能性は高い。だいたい何故定満がここにいるのか。

 政景は部屋で戦々恐々としながら定満を待っていた。

 定満は部屋に通されるまでの間に様々な人が忙しく通り過ぎて行くのを見た。

 その中にはあの彦五郎の姿もあったが、定満とあの遊女が同一人物でないと分からずにすれ違って行った。

 見事なものだと龍兵衛を心で賞賛しながら定満は政景の部屋に向かった。

 

「政景さん、お久しぶり、なの」

「ええ、そうですね、定満殿」

 

 中に入ってからの簡単な挨拶の態度から定満は政景が何を思っているのか察する事が出来た。

 

「それで今日はどのような?」

「それよりもお団子食べる?」

 

 早く本題に入りたがる政景に対して定満はゆったりとまずは話し始めた。政景はしばらくは静かに定満と団子を食べていたが、とんとんという指の音や足がそわそわと動いているのを見て定満は彦五郎の言葉があるとはいえ確実な確信を持った。

 

「政景さん、どこかに出兵するつもり?」

「な、何故それを・・・・・・」

 

 単刀直入に聞く定満に心が見透かされたような反応をする政景に定満は察しながらも外でにっこりと笑い、内で怒りと黒い感情を交錯させながらもさらに続ける。

 

「うーんと、謙信様の救援?」

「そ、そうだ。その通りで謙信様が危機となっている以上は行かねばなるまいと思いましてな」

 

 政景がそう言うと定満は政景の頭に手をやって撫でた。

 

「それよりも定満殿は何故にここに?」

「うん? 私はね、謙信様が坂戸の政景さんが大丈夫かなって心配してたからやって来たの」

「心配とは?」

「政景さんから救援が来ないからちょっと何かあったのかなって、実及さんも春日山から援軍を出したのにどうして政景さんは来ないのかなと思ったの」

 

 春日山から援軍を出したと聞いた時に政景の目の色が若干変わったのを見逃さないまま定満はどうしてと小首を傾げる。

 

「定満殿は外の様子をご覧になられたのでしょう? ならば心配は無用です。少々兵糧の確保に手間取ってしまいまして。後もう少ししたら出陣出来ます」

「うんうん、良かったの」

 

 定満は心底安心したように何度も頷いて政景によろしくと言って悪びれもせずに茶をすする。

 ちょうど団子も無くなり、定満のゆったりとした仕草に和みつつも政景は定満を退席させようとしたが、彼女はは一泊置いて政景に甘い声で誘いをかけた。

 

「お舟遊びに興味ない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・準備は万全でした。ところが、定満殿が自分に任せるように言ってきたのです」

 

 龍兵衛は一息入れると謙信を見る。先程よりはかなり落ち着いていつもの謙信に戻っているが、まだ若干の怒りが残っているようだった。

 ちなみにこっぱずかしいので定満を城内に潜入させた策の内容と言う時が違いすぎると思って景勝関連については伏せている。

 定満は龍兵衛が計画した政景の暗殺計画を否定して自身が立てた計画を遂行するように龍兵衛にお願いではなく命令してきた。

 その為に定満は自身の城である琵琶島城に龍兵衛を先に向かうように命じた。そして、先にここに泊まるようにと宿の名前を書き記した紙を渡されそのままその命令に従った。

 

「その時の定満に何か変なところはなかったのか?」

 

 龍兵衛は全くと首を横に振る。

 正直なところ龍兵衛は定満がやろうとしている事に大体の察しは付いていた。ここまで自身の知る歴史と合わさっていると察せない方がおかしい。

 

「言う通りにして定満殿よりも先に自分は琵琶島に向かいました。定満殿がまさか敵地の中央で暴挙に出るとは思わなかったので、案の定、定満殿は三日後にちゃんと来ましたよ。まさかそれが定満殿の姿を見る最後になるとは夢にも思いませんでしたがね・・・・・・はぁ・・・・・・」

 

 息を吐きながら龍兵衛が先を言おうとすると謙信は龍兵衛に胸倉を掴み溜めていた怒りを吐き出すように詰め寄った。

 その龍兵衛の態度が余裕そうに見えて癪に触ったのである。そして、それ以上に聞き捨てならない言葉を龍兵衛の口から聞いたからだ。

 

「『定満の最後』だと・・・・・・? 何故定満を止めなかった!?」

「自分とて止められたら止めましたよ」

 

 龍兵衛は冷静にその怒りを受け流す。謙信と違って龍兵衛は事実を知っている為に冷静になれるのは当たり前の事だった。

 悔しがるように謙信は龍兵衛の胸倉を振り放すと離れて座る。

 それを合図に龍兵衛は着物を整えてながら悔やむようにまた下を向いた。

 

「あの時、油断していなければ自分は定満殿を助ける事が出来たかもしれません・・・・・・」

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