「さ~てと・・・・・・」
「やるか・・・・・・」
ゆっくりと肩を回し、こきこきと鳴らしながら颯馬と官兵衛はずんずんと廊下を歩く。そして、とある部屋で立ち止まると官兵衛が颯馬の前に出る。
「おらー! 龍兵衛、起きろー!」
官兵衛がすぱーんと大きな音を立てて襖を開けて龍兵衛が入っているであろう布団を走る勢いそのままに蹴り飛ばす。
颯馬は官兵衛の乱暴過ぎるやり方に一瞬唖然としたが、さらに唖然とする事が起きた。
そもそも颯馬も龍兵衛が起きたところをすかさず縛り上げて仕事部屋へと連行しようとしていた時点であまり官兵衛とやろうとしたことは変わりない。
「嘘! いない!?」
龍兵衛の布団の中はもぬけの殻だった。もちろん二人は彼がどこに行ったのか分からない。
龍兵衛が早起きである事は承知しているが、今日はまだ姿を見ていないと門番からの報告が既に上がっている以上、外に行った訳が無い。
二人が首を傾げていると官兵衛は机の上にある書状を見つけた。そして、文面に目を通すと顔色が徐々に赤くなって行く。
「あんにゃろー!!」
何故か怒り狂って颯馬にその書状を投げつけた。もちろん広げっぱなしで投げたのでまったく飛んでいないし、勢いも無かったのだが、いきなりそれは良くない。
官兵衛に呆れながらも颯馬がそれを拾い上げて読んでみると龍兵衛が明らかに誰かが来ることを想定して認められている書状だった。
曰わく、しばらく坂戸と琵琶島に視察しに行くことになった景勝様に付いて行く事になり、その分の仕事はちゃんと終わらしているから後はよろしく頼むという内容の龍兵衛の筆跡で書かれたものがあった。
「やられたな・・・・・・」
今日は龍兵衛の謹慎が解けて三日目。
昨日、一昨日と龍兵衛は何かと理由を付けて軍師四人(官兵衛・颯馬・兼続・景綱)に仕事を押し付けられるという地獄を味わった。
その影響で今日は早起きの彼でもまだ布団に潜っていると思った二人が乗り込んだ訳だ。しかし、結果はご覧の通りの意趣返し。
龍兵衛は謹慎中は仕事場に顔を出す事が無かったのでどうして仕事を終わらせる事が出来たのかが疑問に残った。
親切なことに最後にしっかりと答えを書いてくれていた。
『たまには自分も泥棒をしますよ』
「夜に密かに忍び込んだな」
「おのれ・・・・・・師匠を出し抜くとは~」
「お前は龍兵衛に舐められすぎだろ」
昔から変わっていない現状をはっきりと言われて凹みながら官兵衛は颯馬に慰められながらしおしおと仕事場に戻って行った。
「多分、今頃孝さんは地団駄踏んでいる頃かな」
目に浮かぶ師匠の困惑と怒りの混ざった表情に肩を震わせて笑いながら龍兵衛は景勝と轡を並べている。
謙信から一応、正式な命令は受けている為、景勝の護衛という形での同行である。元々、彼女との約束もあったのでこの命令は渡りに船というやつだった。
「ま、この辺に賊がいる訳ないから別にいいか・・・・・・」
政景が死後に坂戸では主君が行方不明になった為、色々と騒動があったが、兼続達が鎮圧しておいたので余計な心配がいらないで済む。
そうでなければ龍兵衛も自身の身体と実力に相談して断るところである。
しかし、帰ればまた他の軍師達から色々と仕事を押し付けられるなど面倒くさいことになることは目に見えている為、そのことを考えると龍兵衛は憂鬱な気分になっている。
「~♪」
一方の景勝がご機嫌なのが一番の原因である。
龍兵衛も気持ちは分からなくないが、公の仕事である以上は公私混同は避けてほしい彼にとってはその浮ついた態度には眉をひそめてしまう。
「景勝、顔がにやけてますよ」
聞こえるように言って戒めたつもりが、景勝は気にせずに更に笑みを深めて龍兵衛を見る。
「(可愛い・・・・・・だけど、いくら何でも気を抜き過ぎだ。ここは一つ・・・・・・)あっ、人がいる」
「・・・・・・!」
ありきたりすぎるが、それ故に効果はしっかりしていて景勝はすぐに顔付きをきりっとさせた。しかし、すぐに嘘に気付いて先程の笑顔から一変して膨れっ面になる。
「・・・・・・誰もいない。龍兵衛、景勝騙した」
「少しは気を引き締めて下さい。次は本当に人前で、今よりも大きな声で言いますよ」
警告を鳴らすと景勝は不満を露わにするようにぷいっとそっぽを向いてしまった。
しかし、それさえも可愛いと思ってしまう龍兵衛の心境は複雑なものである。
景勝は龍兵衛とは彼が謹慎期間の間しばらく、龍兵衛が自らの意思で全く顔を合わせる事がなかったので一緒にいるのは久々の事だ。故に、今は一緒に居れれば良いと思っている。
その為、龍兵衛が眉間に皺を寄せて何かをぐっと堪えているのに我慢しているのに気付かなかった。
しばらく会話も無く進んでいくと景勝は龍兵衛の背中に背負っている袋の異変に気付いた。
「龍兵衛、背負っている袋が動いてる」
「えっ・・・・・・ああ、これですか? これはですね・・・・・・」
そう言いながらごそごそと背負っていた袋を開ける。
「にゃ!」
「連れてきました」
「・・・・・・」
龍兵衛が飼っている三毛猫が出て来た。たまには一緒に行くのも悪くないと思った彼の考えである。
唖然とする景勝をよそに猫は景勝の猿と何か会話をしている。
「真面目に行こうって言った。龍兵衛」
「これぐらいは別に許される範囲だと思うんですが・・・・・・」
人目に晒さない程度は龍兵衛からすると大丈夫な一線なのだ。じとっとした目を気にせずに龍兵衛は猫をもふりながら馬を進ませる。
景勝はその間ずっとご機嫌斜めで龍兵衛が声を掛けても無視を続けていた。
龍兵衛は景勝を宥めながら馬を進ませる事しばらく、海沿いを北に日本海を見ながら琵琶島城に向かう途中の宿に入った。
予定通りよりも早すぎて逆に困るぐらいである。当初の予定は夕刻に入るつもりだったが、一刻も早く着いてしまい、日が傾く前に着いてしまった。
正午は過ぎていて外は辺り一帯農村部なので動く気にもならない。のんびりと宿で過ごす事にした二人だが、龍兵衛は自身の取った部屋に入った途端にぐらっと倒れてしまった。
身体がなまじ大きい彼が倒れたので隣の部屋にまでその音が聞こえる。
大きな音に隣の部屋にいた景勝は何事かと部屋に入ると龍兵衛はうつ伏せになって倒れていた。
慌てて景勝が身体を起こそうとする。しかし、龍兵衛の口からは規則正しい寝息が聞こえてきた。
「むぅ~」
景勝からすると何度も自身を驚かせている龍兵衛がゆっくりしているのを見ると恨めしく思ってしまう。
「くぁあああ・・・・・・」
だが、景勝の心情などお構いなしに猫が龍兵衛を見て眠くなったのか彼の背中に乗って眠り始めた。
徐々にそれを見ていると景勝も欠伸を一つしてこてんと横になりたくなってしまう。
「すぅ・・・・・・」
龍兵衛の腰を枕に猿をお腹に乗せて、共に眠り始めてしまった。
「「何で龍兵衛を景勝様の護衛に付けたんですか!!?」」
「いきなり来たかと思えば・・・・・・」
一方、春日山では颯馬と兼続が謙信に詰め寄っていた。しかし、謙信はどこ吹く風と平然と休み中にいつも飲んでいる茶を口に含む。
「謹慎が解けたんだ。それにあれもしばらく外に出てなかったからいい機会だと思ったのだがな」
「そういう意味ではありません! やっと仕事をさせられるようになったのにどうしてまた外に出したんですか!?」
「颯馬まで言うか。別に良いだろう。龍兵衛は仕事を終わらせたんだし、何の問題もない」
「「まぁ、確かにそうですが・・・・・・」」
言葉では同時にそう言うが、二人は承服しかねるように口を尖らせる。
不満げな二人に対して謙信はひらひらと手を振って大丈夫だと示す。
「もう納得しただろう? 早く戻って、自分達の仕事を終わらせてこい」
謙信が話は終わりだと資料に目を通し始めた為、不承不承従うしか二人には術が無かった。
夕刻の西日の眩しさによって景勝が先に目を開いた。
いやに固い枕だと思っていたら龍兵衛が寝息を立てている。それに見て景勝は寝る前の事を全て思い出した。横になった時、龍兵衛の背中が丁度よく空いていた為に拝借したのだ。
ゆっくりと景勝のお腹の上で寝ている猿を起こさないように立ち上がるとすすっと両膝で擦るように移動して龍兵衛の顔を覗き込む。彼はまだ寝息を立てて眠っていた。
射し込む夕日が彼の顔を赤く照らし、その寝顔をはっきりと映す。
あの日から一ヶ月、大分痩けていた頬は元に戻り、血色が良くなっている。謹慎の間かなり身体を鍛えていたらしく、体つきは以前よりも大きくなったようにも感じた。
規則正しく寝息はかつてのように夢に怯えるような様子も無い。
しかし、目の下のくまが寝不足である事を如実に語っていた。疲れているのだろう。
定満の死後、軍師達は他家の景綱も組み込んでその穴を埋めようとしている。復帰して間もないというのにこれでは後々の事も不安になってくる。
少し体勢を変えるように龍兵衛が身体をよじると上に乗って寝ていた猫が起きた。降りる際に龍兵衛の背中を通ったが、それでも彼は起きる気配が無い。
しばらくはこのままにしておこう。
そう思った景勝は未だに規則正しい寝息を立てている彼の頬に唇を付けると気の済むまで彼の頭を撫でていた。
見ているのは眩しい夕日だけ。
夜になって夕餉の刻になると腹時計がなったのか龍兵衛は起き上がった。寝たまま伸びをするとその首ったけに猫が寄り添って来た。
それをゆっくりと撫でるとゴロゴロと喉を鳴らして気持ちよさそうにしている。
うとうとする目を開く為に外に出て水で顔を洗って戻っている時だった。
「あっ、起きた」
「ええ・・・・・・って、何で寝ていたこと知っているんです?」
「隣から、ずーんって音がした」
「ありゃあ・・・・・・それは失礼しました」
申し訳なさそうに頬を掻いていると龍兵衛はふと何か違和感を抱いた。
「何か少しべたつくな・・・・・・何で景勝様、顔を真っ赤にしているんです?」
「な・・・・・・何でも・・・・・・無い」
はわはわとしていて、ツッコミどころ満載だが、大体のことは察せたので聞かないでおくことにした。
「(道理で起きた時、妙に背中全体が圧迫感の跡があると思った)」
龍兵衛はそのまま頬を吹くことはせずに景勝と夕餉を取った。
その後は特に何も用事が無い為に二人は雑談というようなものを始める。
しかし、景勝があまり喋りを得意とするような人物ではない為にかなり途切れ途切れとなってしまったが、どうにか進めることが出来るのは龍兵衛が喋りを続けているからである。
何かがきっかけとならなければ話は続けることは出来ない。だが、龍兵衛は話を変えてでも聞きたい事があった。
「そうだ、景勝様一つ聞いてもよろしいですか?」
「・・・・・・?」
「あのーそのー今まで気になっていたんですけど、景勝様はどうして自分が良いと思ったんです?」
今までを思い返してみると明確なきっかけがなかった。以前景勝が告白した時に言ったのは嘘である事は龍兵衛は当に分かりきっていたので他に理由がある筈だが、景勝は教えてくれないし、龍兵衛も聞く機会が無かった。
「え、ええ、えとー・・・は、はわ、景、景勝は・・・・・・」
完全に赤く染まった景勝を龍兵衛はそれほど気にせずに真顔でじっと見る。それがさらに景勝を恥ずかしくさせてしまった。
「ぷしゅー・・・・・・ぱたり」
「あぁぁああああ!! 景勝様ぁぁああああー!?」
もう少し機を見た方が良かった。そう心底思いながら龍兵衛は布団を敷いて倒れても真っ赤のままである景勝を寝かせる。
一息付くと龍兵衛はふらりと外に出る。変わらない星空を見ていると何故だか原因不明の空しさに襲われた。
酒は寒い身体を温める。外に出るのは憚られる冬の夜風が吹き荒ぶ寒さ故、謙信と颯馬は謙信の部屋で酒を飲み交わしていた。
「しかし、何でまた景勝様を視察に向かわせたんだ?」
颯馬は今日一日、何故と思っていたことをずっと考えていたが、答えが出て来なかった。しかし、謙信は逆に何で分からなかったのかと少し驚いている。
「真の親に会わせてやるのも義理の親としての役目だ」
「なるほど・・・・・・」
真面目な話となり、颯馬もいつもの敬語になってくる。予め謙信は決めていたのだ。
表向き気丈に振る舞っていたが、寂しさがあった景勝の心を読んでいた為にほとぼりが冷めるのを待って彼女を坂戸に向かわせた。
「景勝様も政景様には随分と驚かれたでしょう」
少なくとも墓参りぐらいはさせておいた方が良い。密かに龍兵衛が作ったという簡易なものであったとしてもだ。
「景勝様は随分と気丈に振る舞われてきました。しかし、血とは断つ事が出来ないということですね。たとえ世間では謀反人でも」
「哀れなものだ。まさか政景があんな事をするとは誰も夢にも思っていなかったんだからな」
「ええ、それではもう一つ聞いてもよろしいですか?」
「なんだ?」
「何故に龍兵衛を護衛として?」
「別に、ただあれにはもう少し政景に何が起きたのか調べてもらいたいと思っただけだ」
誰もが驚き、誰もが疑問に思った。その背後には何があったのか。謙信はどうしても調べてもらいたかった。
「人選は間違ってないだろ」
官兵衛と景綱は上杉に入ったばかり、兼続はこういうのには向いていない。颯馬は謙信が個人的に離したくない。消去法ではあるが、一番向いているのは実際は彼であると謙信は思っていた。
「大丈夫なんでしょうか?」
颯馬には一抹の不安があった。龍兵衛は浮いた噂は一回も無いとはいえ、一応は男と女である。その事を言うと謙信は目の色をがらりと変え、表情は般若の如く険しくなった。
「この私が、そのような獣を景勝に近付けるとでも!?」
「じょ、冗談だ。冗談」
この時、颯馬は自分よりも背丈は低い筈の謙信がとんでもなく大きく見え『ごごご・・・・・・』という効果音が聞こえてきそうな覇気にすっかり素に戻ってしまった。それを見て元に戻った謙信は一息吐いて颯馬に改めて居直る。
「龍兵衛はそんな奴ではないと颯馬も分かっているだろう?」
「そうだな・・・・・・(多分)」
一応は肯定しながらも内心、龍兵衛の色々を知っている為に不安な颯馬と違い謙信は笑いながら酒を飲み干す。
「まぁ、仮にも景勝にそんな不埒な事をしようと企んでいる輩は・・・・・・私自ら血祭りに上げてやるからな!」
「だから俺に迫ってもしょうがないだろ」
ぐぐっと颯馬に戦の際に敵に見せるような恐ろしい威圧感を持って顔を近付ける。
どれだけ景勝を大切に思っているのかは十分に分かっているが、娘馬鹿もほどほどにして欲しいと思いながら颯馬も酒に口を付け始めた。
翌朝。景勝は彼女の爽やかな目覚めと真逆な明らかに寝不足だと顔に書いている龍兵衛のゆらゆらとした歩き方に目を疑って後ろから声を掛ける。
「龍兵衛、顔色悪い。どうした?」
「なーんか、昨日は夢見が悪くて・・・・・・(背筋が凍って一回起きたしな・・・・・・)」