雑太城は本間氏宗家の居城であり、同じく河原田城と羽茂城の本間氏は雑太本間氏の分家で家格は明らかに雑太の方が上である。
しかし、室町幕府が衰退すると次第に雑太本間氏は宗家としての権威を失っていく。一族の力が強くなり、とりわけ河原田と羽茂の勢力拡大を止めることは出来なくなった。
此度の長尾家からの降伏勧告は雑太からすれば長尾家の比護を受け、宗家としての勢力を回復できる。そして、河原田、羽茂にとってはこれ以上佐渡に自分たちの勢力を広げることが出来なくなる。
当然、欲の深い彼らにとって面白いわけがない。
長尾は雑太には救いの手であり、逆に河原田、羽茂には邪魔であった。
そのために河原田本間と羽茂本間は結託し、河原田は長尾と雑太の連携を絶つべく雑太城へ羽茂は長尾家を迎え撃つべく羽茂の港に着陣していた。
対する長尾軍は小島弥太郎を総大将とした軍勢を派遣、二千の兵にて順調に佐渡へと向かっていた。
「さて、まずはどこの港に向かうべきか」
船の中で主要な者が集い、軍議を開いていた。羽茂には敵が備えている以上、上陸されるところを各個撃破される可能性が高いと弥太郎は見ている。
「真野はどうでしょう? あそこなら雑太からも近いですし」
兼続が置かれている地図を見ながら応える。
真野は、上陸しやすい羽茂よりも北にある。港という港は無いが、上陸不可能という訳ではない。
そこならば雑太との距離も近く、羽茂の虚を突くことも可能だ。
「兼続に賛成です。それより北上しようとすると退路を断たれます」
弥太郎が龍兵衛に目を向けると肯定する答えを返してくれた。
長尾家は佐渡の土地勘が無いため、少しずつ歩を進めるしか無い。ここが長尾が抱える問題だった。
故に慎重に行くに越したことはない。弥太郎も頷きかけた時だった。
「いや、その必要は無いだろう」
斎藤朝信が待ったをかけた。
彼も定満らと共に古参の人物であり、知勇兼備で武闘派の多い長尾家の中では内政に長けている。人望の厚い武将である。
今回は若い者たちに多くを任せて彼は補佐に回っているが、何か考えがあるのか、これまで閉ざしていた口を開いた。
「どういうことです? 斎藤殿」
兼続が尋ねると同時に朝信は本庄実及から預かったという書状を懐から出した。
宛名は二人。その名前を聞き、更に書状の内容を聞いた龍兵衛と兼続は最初に目を見開き、そこから口の端をつり上げ、互いに思い付いた策を口に出した。
「ふむ……兼続は二手に分け、挟撃。龍兵衛は手練を潜伏させ、撹乱か」
「弥太郎よ。どちらも同時に行うのはどうだ?」
「確かに。龍兵衛、誰を潜伏させる?」
「差し支えなければ、自分が行きましょう」
三人から驚いた表情を向けられる。
「正気か? 将自ら敵の地に自ら乗り込むなど、危険だぞ」
「それだけの価値がある。自分はそう思っております」
腕を組み、思案する。彼が言っているのは佐渡にあるとされる金脈のことだ。それを手に入れるために将一人の命を差し出すほどの価値があるとは思えない。
「この島の価値は越後が数百年、盤石となるために欠かせないと考えます」
「だからといってお前に行かせるわけにはいかないな」
「斎藤殿、ここで自分が御家への忠誠を示す好機でもあります。必ず成功させますので、どうか」
そう言って龍兵衛は深々と頭を下げる。それを見た斎藤は呆れたように溜め息を吐く。
「分かった。そこまで言うのなら任せよう」
「ありがとうございます。では到着次第、すぐに動きます」
いくつか手段は用意している。成功させることこそが長尾家に忠誠を誓える何よりの証となる。未だに疑う者も多い中で、この機会を逃すことなど、龍兵衛には出来なかった。
長尾軍はその後、予定通りに小木に上陸した。
そして早速、龍兵衛は潜伏を始めた。
すでに得ている情報で、河原田と羽茂の主は保守的であるため、景虎のことを快く思っていない。さらに欲深い性格が良い方向に向かせてくれるだろうと考えている。
「さて……」
斥候の気配を感じ、茂みに身を隠す。
斥候は二人、馬から降りて驚いた様子で海の方へと走っていく。遠くからはよく聞こえないが、突然現れた長尾の軍勢に動揺しているようだ。
完全に背後が無警戒になっている。静かに近付くと左側の斥候の首に小刀を突き立てる。うめき声に気付いた右の斥候が慌てて刀を抜こうとするが、それよりも先に狙いを定めた龍兵衛の刀がもう一人の斥候の首を真一文字に切り裂いた。
互いの上背が自分と全く合わないことに舌打ちすると、鎧だけ借り受けて、島の内部に入っていく。
一番に見えた村にも兵が右往左往しており、長尾の襲来を警戒しているのがよく分かる。そのまま脇道に逸れると予定していた方向へ進む。
敵は正攻法での警戒しかしていないのだろうか。山道や獣道には気配が全く無い。だが、油断は禁物だと周囲への警戒を怠らずに前に進む。
そして、特に襲撃など無いまま目的である羽茂まで出ることが出来た。
丁度良い場所から陣を見る。方角からして小木より南の方からの襲来を警戒しており、このままでも急襲で方が付きそうな気もする。
だが、ここまで来て、帰るのは強い責任感が許せない。
「さて、お目当ては……」
距離はおおよそ四、五町(約四百から五百メートル)離れている。だが、龍兵衛は目が良いため、大体の人の顔を把握出来る。
そして、奥の方に目当ての人物を発見すると、どう接近するか考える。拙い陣容だが、警戒態勢はなかなかに様になっている。
(ここは自分で行くのは難しいな)
龍兵衛の背は平成の世の中でも高い方だった。そのため、平均身長がかなり低くなる戦国時代では目立ってしまう。
悩んでいると丁度良く、用を足しに行くのか、陣から離れる兵が一人、目当ての所から出ていくのが見えた。それを見て、龍兵衛は満足げに一つ頷くと茂みから離れてその兵に近付く。
完全に油断している兵は用を足し終えると大きな息を吐いて、履物を上げている。
龍兵衛はその背後に音を立てずに近寄ると小刀を背中に突き立てる。
「動くな」
突然のことに声も出せずに震えている兵に金の入った袋を見せる。
「欲しければ、言うことを聞きなさい。命も助けてあげましょう」
低い声の敬語が恐怖心をより煽る。断れば命が無いことを分かっているのか、必死に何度も頷いている。また、体中から出ている汗が本気であると物語っている。
「見回りは一人でも行うことはありますか?」
「あ、ああ……」
「なら、一旦戻って物見に行くと伝えろ。裏切れば既に上陸している長尾の本隊にお前のことを言うからな」
兵が驚いているところを見ると、やはり長尾が上陸しているのは知られていないらしい。
手のひらに銭袋を握らせ、静かに「行け」と言うと逃げるように兵は陣へ戻っていく。
万が一に備えて、龍兵衛は茂みへと身を潜める。しばらくすると件の兵が同じ所にやって来た。背後に他の兵がいる様子も無いことを確認し、辺りを見回している彼の背後に再び立つ。
「よくやってくれました。さらに励んでくれれば、さらに報酬をあげます。良ければ、長尾に仕官出来るように口を聞いてあげますよ」
さらなる報酬と新たな仕官先というこの上ない褒美をぶら下げられ、兵は唾を飲み込む。
「早速、羽茂の港まで案内してください。街道は使わずに脇道を辿るようにして。それから、妙なことをしないように。ね?」
兵は背筋を震わせながら、先導する。
やはり、最も賑わいのある港へと向かうため、脇道も人通りは無いが、きちんと整備されている。
街道には砦がいくつか立てられており、兵力に差があったとしても、被害は出ていただろう。
「つ、着きました」
兵が震える指で示す方向には、羽茂の港が見える。そして、長尾軍を今か今かと待ち構える佐渡の兵が数百、武器を構えている。
「なるほど……よし、戻りますよ」
龍兵衛は兵を立たせ、前に行かせる。
来た道をそのまま戻り、本陣近くの茂みに入る。
「さて、貴方はこれから自分が言ったことを一言一句違えずに報告してもらいます。よろしいですね?」
兵が赤べこのように何度も首を縦に振る。
「赤泊が長尾によって襲撃されている。激しい攻勢故に援軍がいる。とね」
兵が驚いて龍兵衛の方を向く。赤泊は羽茂の東に位置する土地であり、丘陵地帯が続くため、行軍には向いていない。
「大丈夫です。赤泊からの襲撃など、そちらは考えてもいないのですから。襲撃の狼煙も用意していないでしょう?」
兵の無言を肯定と捉えた。すでに真野に到着している長尾軍についても音沙汰が無い時点で確信に近いものは得ていたが、かなり警戒態勢が甘い。
「さぁ、急いで下さい。さもなくば……これですよ?」
小刀で兵の心臓辺りを軽くつつくと悲鳴を上げながら本陣へと転がり込んで行った。
「……あんな兵がいて大丈夫なのか?」
士気が低いと情報は得ていたが、これほどとは思っていなかった。ぼやきながら茂みから離れ、再び陣が見える遠い木陰から様子を伺う。
徐々に本陣の動きが騒がしくなり、四半刻もしない内に本陣から多くの将兵が赤泊に向けて走って行った。
「よしよし。残っているのは……やっぱり、あれか」
上手くいっていることに満足し、何度も頷く。
よく見ると先程脅した兵も残っている。どうやら、件の将は兵までには伝えていないようだ。
本陣の近くまで行くとおおよその場所を探し当て、件の将がいる所に潜入する。静かに幕を開くと座っている将が一人しかいない。
「御免」
「……! 何奴!?」
「長尾の者でございます」
突如、背後から現れた龍兵衛に神経質そうな痩せこけた顔をした将は刀を引き抜いて応じるが、正体を明かすと落ち着きを取り戻したようにかけていた場所に直る。
「お初にお目にかかります」
「先程、赤泊より襲撃があったと伺ったが、偽りでございますな?」
「然り。貴殿には陣にある狼煙を上げていただきたく。それが長尾が出撃する合図となります」
「承知いたした。して、何処より貴軍は来るのですかな?」
「案ずることはございません。ここに合流するので」
最後まではぐらかしながら、狼煙を上げるように催促する。将は分かったと手を挙げると外の兵に狼煙を上げるように指示を出す。
しばらくして、龍兵衛は煙が上がるのを認めると改めて将に頭を下げる。
「左馬助殿、手筈通りです。見返りは羽茂城城主」
「河田殿、感謝いたします。ご安心下さい。有泰様とは決して仲違いはしません」
元々、本間左馬助は長尾与党であった。周りが反景虎派ばかりでやむを得ず、反景虎派に加わるしかなかった。
越後に移動させる意見も出たが、軒猿に彼の性格を調べさせたところそれほど狡獪な男ではないことが分かった。
むしろ愚直と言った方が正しいということがわかり、今回も反景虎派の家臣が背中を押して参加をしたらしい。
朝信もなかなかの策士である。
「しかし、少し報酬が高いような気がいたしますな。少し釣りがあるのでは?」
「察しが早くて助かります。実は、鉱脈開拓と強制労働させる者を受け入れて欲しいのですが、お願いできますか? その管理」
「それだけですか?」
「規模は百ほどになるかもしれませんので」
左馬助の唇が引きつる。
それだけの罪人を佐渡に入れるための設備や人員は整っていないだろう。当然、龍兵衛も承知している。
「強制的に働かせる者とは?」
「重罪人たちですので、くれぐれも民が不安になるようなことが無いようにお願いします。それから、積極的に交流を図りたいので、使者を定期的にこちらから寄越します」
「あ、いや。使者ならばこちらより……」
「いえいえ、貴殿らにはかなり負担をかけますから。それに、何かあれば長尾の管轄ですから」
「しかし、佐渡への船旅は大変でしょう?」
「それはお互い様です」
材料が無くなった左馬助は口をつぐみ、唸ってしまった。それを見て、龍兵衛は止めを刺す。
「長尾としては、変わりゆく佐渡の治安が良いものであり続けるか、見ていきたいのです。きっと惣領家の主殿もご納得いたしますよ」
外からこちらに向かってくる蹄の音が聞こえてくる。兵たちがにわかに騒ぎ出し、しばらくして「長尾の軍だ!」という声も届く。
「さぁ、左馬助殿。兵たちにご指示を」
押し黙る左馬助。葛藤しているのだろう。長尾とは同等の関係を築くつもりだったのだろう。しかし、傘下であるようにしなければいつ問題を起こすか分からない。元々、独立意識が高い島の武家である。最初から上下関係をはっきりさせておかなければならない。
「案ずることはありません。きちんと言う通りにしておけば、良い還元がありますよ」
その言葉が後押しになり、左馬助は意を決して顔を上げた。
「長尾に手を出すな! 我らは降る!」
戦を終えた帰る船は緊張しなくて良い。
龍兵衛は一人、船尾で佐渡を見ながら物思いに耽る。
行きのような緊張感も無く、暇な兵士たちは思い思いに時間を潰している。
長尾は不穏物質の羽茂と河原田を滅ぼし、味方となった勢力にはしっかりと恩を着せ、長尾に反抗出来ないようにした。
反発する残党もいたが、本間宗家の主である本間有泰が命を助けてもらったと長尾が提示した要望を無条件で受け入れた。その結果、長尾は佐渡を完全に支配下にでき、あらゆる方面に動く下地が完成した。
「龍兵衛。どうだ? 勝利の酒だ」
弥太郎が盃を片手に持ち、声をかけてくる。
「変なもの入れてないでしょうね?」
「あ、ははは、大丈夫だ。この前のようなことは無い」
それでも彼の表情が晴れることはない。
「いや、本当に大丈夫だ。な、な?」
彼女は毒味とばかりに酒を飲むが信用出来ない。この前の一件と人を疑う悪い癖のおかげである。
「まぁ、とりあえず今回は信じましょう」
「今回はということは、今後は疑うのか……」
「当たり前だ!」と叫びたい気持ちを抑え、龍兵衛は酒を受け取る。
「この前のことをまだ根に持っているのか? まぁ、別に良いじゃないか、お前も役得だったろう。なかなか上手かったしな……どこで覚えた?」
「……教えません」
そのようなことを言う馬鹿がどこにいるのか知りたいぐらいだと睨む。
「ま、それは置いといてだ。金山のことなんだが、あれはこちらが管理するということで本当にいいのか?」
「ええ、そうして置いた方が今後に繋がります。向こうも承諾してくれたじゃないですか」
「それもそうだが、任せてしまえば良いのではないか?」
「罪人の管理は任せますが、発掘した物の量はごまかされると困ります。人は欲に負けますから」
弥太郎はそれなら納得だと頷く。面倒ごとを押し付けて、美味しいところだけをいただく。大人気ないが、勝者のだろう権利だ。
「罪人の選別は?」
「戻り次第すぐに。重罪人を選ぶのは大変ですが、きちんと選抜しますよ」
重罪人でなければいけないわけがある。鉱山の環境は平成時代になっても人類に被害を与え続けてきた。
ましてやこの時代の衛生の酷さなど言うまでも無い。おそらく刑期までに生きて帰れる者は十人に一人の割合だろう。
「それにしても、どうしてあそこに金山があるとわかった? 別に長尾には利になるから良いのだが、あっさりと見破るなど……少し気になる」
発掘を主張した龍兵衛自身も驚いた。佐渡金山のほとんどは江戸時代に発掘されたもので、この時代には無かったと考えられていた。
戦国時代には全て発掘されていたと思っていたため、何となく見た資料に書いてあった時には驚いて、周囲を気にせずに声が出てしまったほどだ。
「まぁ、あれですよ……自分の金に対する鋭い嗅覚です」
龍兵衛はとりあえず、鼻を指差し、おどけてごまかした。
その言葉を聞いた途端、弥太郎が少し龍兵衛から距離を取った。
「……やだな、お前も。変なところがあるな」
「それはお互い様ですよ」
じとっとした目をお互いに向け合う。そうしているとおかしくなり、屈託なく笑い合いながら酒を口に入れた。