目まぐるしく動く勢力図の中に呑まれないようにする為に見るべきものはまだ中央ではない。まず東北の失った領地を全て取り戻すことである。
五月下旬、そう判断した謙信以下重臣達は安東愛季に一旦降伏勧告を出した。
愛季の答えは徹底抗戦。先の戦で義光に討たれた浪岡顕村の敵もあるということで降伏は一切受け入れないということであった。
これを聞いた謙信は早速新しく新発田城城主となった長尾一門の千坂景親を大将とした約四千の兵を東北に向かわさせた。
最上や伊達にはその援護、というよりは実質の本隊とも言える程の軍勢総勢約八千、計一万二千にて露払いを命じた。
また、蘆名には二階堂と共に五千の兵が未だに従わない二本松・相馬・大内・白河結城の討伐を命じて弥太郎率いる七千の兵、計一万二千を派遣した。さらに密かに安東の背後にいる葛西・大崎に密書を送りより確実な勝利を得るための布石を整えた。
かねてより金には人が現を抜かす程の力があることを知っていた軍師達は阿仁の奪還に燃えていた。特に金に関しての執念深さは上杉随一の龍兵衛は目から火が出るのではないかと官兵衛から思われた程である。
最上は安東に対するお目付役を東北方面の指揮を任されていた長重と共にかつての謀反を防げなかった不覚を取り返す為に息を巻いていた。
だが、その整えておいた筈の布石は最初の枠組みから崩れ落ちることとなる。
「葛西も大崎もこっちには付かないと?」
「は、返書はこちらに」
苛ついたままだが、感情を抑えて丁寧に兵から書状を受け取ると長重は舌打ちと溜め息をして軍師として隣にいる官兵衛に渡した。
「はっきりしたね・・・・・・」
「あん?」
「葛西と大崎は上杉よりも織田を選んだんだよ」
「・・・・・・成る程な」
腹立たしいことの筈が長重は怒る気になれなかった。状勢が分からない彼ではない。今や東北から畿内にかけて、各勢力の動きは全て連動するところまできている。
織田・上杉・北条・佐竹・武田。この五つに全て絞られた。佐竹は動かずに静観している。つまり、佐竹は大業を夢見るよりも家を守る事を選んだということだ。はたまた興味が無いのかもしれない。
残る四つの勢力の内、武田は織田に動きを封じられつつある。北条はこれ見よがしと里見を攻めて勢力を拡大しつつある。しかし、今川の目にいずれ止まり織田が動く日が来るであろう。
それは上杉に対する越中の椎名にも同じことが言える。一応は独立しているように見えるが、上杉の者は知っている。所詮、椎名も富樫晴貞の犬であると。
晴貞は真言宗信者の謙信を快く思っていない。それは本願寺に即した視点である。しかし、晴貞の野望である北陸の統一に上杉が邪魔であるのは目に見えている。迂闊に大きく動けない。
それを見た葛西・大崎は大きく動かんとしている織田に目を惹かれたのだ。畿内にも多大な影響力を示し始めているかの家に東西問わずに魅せられている。
織田は『新』を求めている。全てを塗り替えようと、足利幕府との世代交代の時代の到来を示している。それに惹かれる人物は後を絶たない。
しかし、革新による世代交代には保守による逆の波が押し寄せるのも古来よりの慣わし。上杉のように関東管領を拝命している『旧』に頼り『箔』を欲しようといる者もいるのは事実。足利が良い例だ。
北条にはそのような『箔』がない。そのために『新』と『旧』の間で『中道』として独自の勢力を成り立たさせいる。さらに下剋上の象徴たる早雲が健在故に人は北条が軍事的制裁しない限りなかなか靡かない。
話を戻すと葛西・大崎は『旧』として上杉を見たのだ。もはや東北に関東管領という古いものは通用しない。
「舐めてくれるぜ・・・・・・謙信様の考えも理解しねぇで」
謙信の時代にこびりついた『旧』の心は決して偽りではない。しかし、真でもない。
時代の変わる波に乗る『新』という心も併せ持っている。それをさらけ出さずにそれとなく見せている。それに気付き、同調したのが蘆名・最上・伊達である。しかし、残念ながら分からない者達もいたということだ。
「それに辛酸をなめさせるのがあたし達の役目ってやつじゃない」
「それもそうだな・・・・・・」
長重の視線の先にいる官兵衛の目には知者の輝きが宿る。そこにはもはや後ろにある刃に畏怖する姿はない。
弟子と共に何があったかは知らないが、上杉の為に一緒に真摯に動いている姿を見れば信用などすぐに持ってしまった。
「申し上げます。最上様、伊達様がお見えになりました」
「軍議で発表する策は纏まっているよな?」
「もちろん」
「じゃあ、行くか・・・・・・」
長重の心は決まっている。信頼する主君を裏切った者に待っている事の顛末は死である。そして、かの者を討てば、それに対する協力者も反上杉の考えを改めてくれるだろう。
「しかしながら、甘粕殿も大変ですな。本来は副将として出向く筈であったのに」
「はは・・・・・・まぁ、千坂殿は元々あまり戦は得意としていませんから」
開口一番、輝宗は平気で言い難いことを言い出した為、長重は驚き、苦笑いで答える。
長重は山形城に残った景親から実質の総大将を任されている。元々こういった予定であったとはいえ、上杉には自身の判断で動ける人が決まっていると言われているようなものである。事実だが、あまり痛いところを突いて欲しいものではない。
「父上、あまり戦の前から水を差すようなことは言わないで頂きたい」
発言者の輝宗の隣から娘の政宗が呆れたような口調で咎めると素直に頭をかきながら下がる。
輝宗はどこか自身の細君に似ている娘に頭が上がらないらしい。
そして、龍兵衛曰わくかなりの娘馬鹿だそうだ。それを聞いた時に颯馬が何かぶつぶつと呟いていたが、官兵衛には残念ながら聞こえなかった。
「まぁまぁ、あまり喧嘩をすると戦で力が出ないぞ?」
間に入ったのはちょうど二人の真向かいにいた義光である。別に喧嘩という程に大きいものではないが、二人の間に籠もった熱を冷ます程の水はかけられたようで大人しく折れてくれた。
かつては宿敵同士であったとはいえ輝宗の妻は最上出身であるし、上杉の私の常にのびのびとしている雰囲気によって摩擦は全く無くなった。
こう考えると上杉の包容力は恐ろしくもある。かつては蘆名も伊達とはあまり良い関係とは言えなかった。
これは全て定満の影響だと官兵衛は思っていた。彼女自身はあまり定満と一緒にいたことは少なかったが、それでも龍兵衛から聞いた彼女の人となりと自身で見た彼女を合わせると上杉のすみからすみまで定満の影響力が及んでいると思える。
故に、皆は定満が死んだ時に悲しんだ。だが、第三者に近い存在だった官兵衛はどこか安心もしていた。定満のその包容力と影響力はもしかすると謙信をも凌駕しているのではないかと思うようにもなっていた。
そのために定満の早い死は謙信をさらに引き立てる為に不可欠なものだったのかもしれない。
それは必要なものでもあった。遺されたそのなんとも言えない不思議な力は上杉になくてはならないものでもある。そして、惹かれた者がここに馳せ参じていた。
「戸沢殿、誠に援軍に感謝致します」
形式的に長重と官兵衛は頭を下げる。とはいえここにいる褐色色の女性、戸沢家当主戸沢盛安は上杉に降ったも同然で本人もそうすると言っている。
病弱な兄・戸沢盛重にかわって、十三歳の若さで家督を相続し、角館城主である彼女は大曲平野の進出に当たって小野寺とは対立を深めていた為に元々最上を通じて上杉とは関係を築いていた。
「いいや、助けられたのはこちらの方です。誠に上杉には返しきれない恩を頂きました」
形式的に盛安も頭を下げる。実際、盛安は安東とあまり仲が良くなくどこか上杉と自身が上手くやっていけると感じていた。その動きが悟られたために安東らに圧迫されたところに渡りに舟のようにこの上杉の到来である。
すぐに官兵衛が図面を広げて軍略上の策を説明し始めた。まずは安東の前に小野寺景道の横手城を落とすことが肝要である。
その過程として稲庭・川連・西馬音内・大森・湯沢などの支城を陥落させてから横手城を囲む。
その間に愛季が援軍を出してくれば御の字である。こういう事はあまり軍師らしくないが、纏めて倒すことが可能になるというもの。数では上杉側が上である以上は遅れを取るという可能性は低く、その機を逃す必要は無い。
「今回の戦は速さが重要。いつまでもゆっくりとしていたらまだ上杉に靡かない勢力が旗揚げするよ」
「後詰めの色部殿を待つ暇はないってことか」
西の富樫や織田のこともある。いざとなれば今回は力攻めも必要になってくるだろう。そして、それは上杉にとって願ってもないことである。
上杉が回復に集中している間に愛季は由利郡の大半を安東の勢力下に入れた。上杉ではそう解釈されている。
軍議が終わり官兵衛は景綱や定直と共に陣内の周りをぶらりと歩きながら軍議の場で話せなかったことを三人はゆったりと話し合っていた。
「懸念するとなれば八柏道為だね」
「小野寺随一の知者ですね。かの者には我らも手を焼きました・・・・・・」
名前を聞いて渋い顔をしている定直の協力によって情報はしっかりと入っている。そして、危険人物は事前に知っている。その第一に上がったのが八柏道為である。
上杉の降る前の最上が奪った義道が旧領の回復を図って挙兵した有屋峠の戦いでは、緒戦は道為の巧みな用兵で最上勢の多数を討ち取り最上勢は退いた。しかし、戦い自体はその後に最上勢が反撃に転じ小野寺軍は五百余人が討死し退却せざるを得なかった。
「降伏してくれれば良いんだけど」
「おそらく無いでしょう。彼の忠義はかなりのものと聞いております」
官兵衛の期待は脆く定直に崩された。
景道の父、小野寺稙道が家臣である大和田光盛や金沢八幡別当、金乗坊に殺害されると景道を助け、後年、光盛と金乗坊を滅ぼすのに尽力した。いわゆる景道の恩人であり、忠義者でもある。
しかし、その切れ者にも欠点がある。腕を組む二人に景綱が手を挙げた。
「ご案じ召されるな、それについてはもうこの片倉が手を打っておいた」
自信ありげな景綱から出された策は見事にその欠点を突いているものであった。
上杉・最上に被害を与えた安東愛季も協力者が次々と葬られた上に重臣である浪岡顕村や別の協力者である富樫晴貞や本願寺も今は事情ありで救援が出来ないと言われている。
葛西・大崎の二家が協力してくれると言ってきたが、あそこは元々長年敵対していた勢力。問題点ばっかりである。だが、頭を抱えて悩んでいる暇はない。本城である角館城まで上杉は迫っている。
安東・葛西・大崎、合わせて約四千が上杉の一万に挑むには野戦は無謀。籠城して南部の援軍を待つほかない。
ここで座して待つのはあまり得策とも言えない。小野寺とは今は盟友同士である。そして、影に手を染めた自身のけじめを付けるためにも。配下を巻き込むのは申し訳ないが背に腹は代えられない。
愛季は立ち上がり、配下に横手城救援を指示しに向かった。
その三日後、愛季が横手城手前の本荘に入ったところで衝撃的な知らせが入った。
「報告。八柏道為が小野寺景道が支城の慰労の為に留守の間に息子、義道を暗殺せんと企んでいたが故に義道の手によって誅殺された由」
愛季は愕然と肩を落とし、こう指示するしかなかった。
「撤退し、檜山にて葛西・大崎と共に上杉を迎え撃つ・・・・・・」
雨も降っていないのにぽたりと水が落ちる音を聞いた。愛季にはそれが道為の命の音に聞こえた。自身の身もいずれああなるのだろうか。
謀反人は徹底的に殲滅させられるが古よりの定め。いざとなれば腹を切らなければならない。覚悟は当に出来ている。それぐらいの覚悟で挑んだ上杉への謀反なのだから。
しかし、愛季にはまだ勝機があった。南の未だに上杉に従わない国人衆達が上杉を手こずらせ時間を掛ければ佐竹や南部がやってくる。
淡い期待かもしれないが、愛季にはそれが希望であった。そして、小野寺も知者がいなくなったとはいえ勇者がいる。
道為を殺めた義道は剛勇にて知られている。時間は十分に稼げるだろう。それに愛季は自身が籠もる檜山城に自信があった。
檜山城は多法院の東に聳える標高百四十メートル程の山に築かれており、主郭は谷の南側の標高百三十メートル程の峰を中心に、周囲へ伸びた尾根に曲輪を展開する。
西へ伸びた尾根は谷を挟んで三本あり、それぞれ曲輪群を連ねて西端を大堀切で遮断している。北端の尾根が主線で広大な曲輪の西端には一段小高く櫓台が付いている。主郭から東の将軍山に至る部分に枡形と土橋を組み合わせた虎口がある。
将軍山の曲輪群は将軍山と館神社の間に広大な平地があり、西側に土塁が付く。将軍山は自然地形に近いが、南東側の尾根に堀切があり、主郭方面は竪堀状の地形が複雑に絡み小曲輪群となる。
主郭から谷を挟んで北側に位置する北曲輪群には堀切で区画された曲輪から西へ降りる山道の側面に堀切と竪堀がある。
この東北でも稀に見る程の堅牢な城に籠もれば数ヶ月は持つ。
そもそも小野寺の本城横手城も比高五十メートル程の平山城で石垣を設けなかった代りに敵兵が登ってこれないように韮を植えた事から韮城の別称があり、三方が横手川、背後が奥羽山脈が控えた要害で、前述した五つの支城へ繋がる街道が交差する交通の要衝でもある。
小野寺の武勇もあるしそう易々と落ちはしない。もうしばらく時は持つ。そう高をくくっていたのが愛季の不覚だった。
上杉はわずか一週間の内に横手城を丸裸にした後に横手城をあっという間に包囲してしまったのである。
「いやー楽な戦だねー♪」
「まぁ、否定はしないが、最後まで何があるのか分からないのが戦だぞ。黒田殿」
官兵衛と景綱は横手城を包囲する陣中にてここまでの戦の感想を話し合っていた。
実際、道為という知者がいなくなった今、二人にかなう知者はいない。さらに土佐林禅棟という大宝寺から独立した切れ者の僧がここにはいる。
「たしかに、河田殿の師である黒田殿にあってはこの横手城もすぐに落としてしまいそうな勢いと頭がありますからな」
老人のようと笑う禅棟にはどこか愛嬌があるが、二人の目にはたしかにこの僧に知者の輝きが映って取れた。彼はこの戦が終わり次第、羽黒山別当として戦から離れて羽黒山に籠もるそうだ。
のっぺりとしていて一見掴みどころがなく風見鶏のような性格だが、芯は通っている御仁なので都合が悪くなって羽黒山衆を煽ったりすることはないだろう。
話を戻すと知略が無くなった小野寺の支城全てをここにいる三人と定直の巧みな調略と迅速な攻撃で攻略した。
官兵衛達は街道と横手城周辺の横手川の要地全てに砦を築いて横手城の兵糧を絶ち、斥候を放って背後の奥羽山の水の手を探している。
「簡単に落ちる訳はないけど道為がいればもう少しまともな戦い方をしたでしょうな」
禅棟の言葉に二人は首を縦に振る。数が少ない上に援軍が来ないとなれば奇襲なり夜襲なりを仕掛けてきてもいいものだが、全くどこの場所でもやってこなかったことに少々上杉軍は拍子抜けした。
「お見事ですな、片倉殿」
「なに、偶然入った情報が役に立っただけだ」
道為の欠点は景道の息子である義道との溝であった。武勇と知略、とりわけ小野寺ではこの二つは水と油のような関係であった。それを景綱は巧みに突いて定直に頼み義道を殺して道為が降伏する旨を認めた偽の書状を送ったのである。
まさかここまで早く片が付くとは誰も思っていなかったが、早いことに悪いことは無い。
人一人いなくなったとはいえここまで楽なものに変わるのだから戦とは恐ろしい。
「っ・・・・・・」
「どうかしたのか?」
「んーん、何でも無いよ」
突然、悪寒に襲われてぶるりと身体を震わせた官兵衛を見た景綱が声を掛けてきたが、官兵衛は笑って首を振ってみせる。
何故か知らないが、一人いなくなることでここまで楽になるというふうに思った時に憎いあの女狐が未だに頭をふっと過ぎるのだ。
「(抑えないと・・・・・・また頭が働かなくなる)」
かつての龍兵衛が襲われたあの怒りに我を忘れるような感覚を彼とは違い、官兵衛自らが強引に収めたとはいえ道勝に対する怒りは収まるものではない。
「どうかしたのか? 顔色が優れないぞ」
「え? あ、いや、なんでもないよ」
自然と奥歯を強く噛み締めていると再び景綱に顔を覗き込まれた為、少々焦ったが、心を落ち着かせてどうにか知者としての顔に戻す。
景綱も禅棟も戦の最中である為にあまり詮索せずにいてくれたのが幸いだった。さらに好都合なことに放っていた斥候が帰ってきて二人の意識はそちらに向かってくれた。
「報告、水路を見つけました」
「よし、じゃあ明日城に降伏勧告の使者を出そう」
「すぐに甘粕殿に伝えてくれ。兵の準備は私達に任せてくれて構わない」
横手城は詰んだ。もはや留まる理由はなく、官兵衛達は内心の笑みを隠して素早く各々の任務を決めて立ち去った。
小野寺景道は息子の失策を官兵衛達の謀略と気付かずにそのまま二日後の総攻撃の間に愛季を頼って檜山城に撤退せざるを得なかった。