石川は倒すにはおそらく苦労は無い。しかし、問題はその後、石川と同盟関係にある岩城重隆をどうにかしなければならない。
かつては伊達輝宗の父である晴宗にその戦いぶりを賞賛された剛の者の一面もあれば、年を取ってからは巧みな調略や外交政策を用いて佐竹や伊達からの圧力を逃れてきた強かさを併せ持っている。
警戒をする相手が戦うべき敵の更に後ろにいるというのは龍兵衛にとってかつての美濃の一件からの恐怖のようで嫌でたまらない。
「(いかん、また邪念が・・・・・・)」
頭を振って現れた邪念を追い払い、策へと集中し直す。
内情の情報は入っているというのに眼前の敵である石川晴光について彼はよく知らない。
史実で知っているのはただ様々な勢力の争いに巻き込まれて最後には佐竹に三芦城を追われたということだけである。だからといって情報収集を忘れるという愚行は決してしない。
間者からの報告を様々な視点から考えてみる。どうも晴光という人物は切れ者なのかただの弱小大名なのかが分からない。
力自体があまり強くない為にどっちつかずな姿勢で様々な勢力と手を組んで生き抜いてきたのは十分に分かる。しかし、それ以上でも以下でもないのだ。
「(うーん、行ってからのお楽しみで済むようなものであることを祈るしかないのか?)」
首を何度も何度も捻りながら龍兵衛は全く分からないというふうに首を傾げる。
分からない龍兵衛は「ああ!」とどこかやるせない気持ちを吐くように叫ぶと報告をまとめた紙を全て燃やして陣幕から出た。
外は明日も良い天気を示すように夕日で空は赤く染まっている。以前は少しも感じることがなかったが、少しずつ余裕が生まれてきたのか風情あるものに心を傾けることも出来るようになってきた。
とはいえ龍兵衛自身の好みは人が作った作意あるものではなく、自然が生み出す現象や光景の中に見えるものである。
故にそれ人知れずに林の中に入ったり、山の中にある川のほとりを歩いたりするのが好きなのだ。山籠もりが好きな景勝とも趣味が合っているのも彼女と仲が良い原因でもあったりする。
恋をするようになって景勝とは何度か視察と表してはお忍びで山に出掛けてたりすることが最近の楽しみでもあるのだ。
「(いかんいかん、景勝様にしばらく会っていないから・・・・・・)」
春日山を離れて一、ニ週間。目の辺りをぐしぐしと擦って今は必要のない煩悩を頭から追い出す。だが、今度は夕日によって後ろに長く映える自身の影を見てしまった。
墨汁を流したような黒い影が何か語ることはない。彼にはその影が自身の身の出自を語るかのように普段よりも黒く、それでも何故か薄く見えるのだ。
「(あの手紙の事が本当ならば、もしかしたら・・・・・・)」
思考が龍兵衛の眉間の皺を寄せさせる。見えてくる仮説は自分のことを自分で嫌でも嫌悪感を抱かせるようになる。諦めの境地というものに一度は彼に希望をもたらしてくれた定満にそれでは申し訳が立たない。
時の流れは止められない。そのようなことを自分が言えるような立場ではないことは重々承知しているが、今この時だけは言ってやりたい。
「何故、あの時に時を覆す猶予を自分に得ることを天は許さなかったのか?」
龍兵衛は誰にも聞こえないように呟くともう一度頭を切り替えるべく溜め息を吐くとそのまま外で三芦城を落城させる為の策を考え始めた。
彼が影よりも光を見ることが出来るにはまだ時がいる。
三芦城は今出川の北西にある愛宕山の東の峰、通称八幡山に築かれている。そこを落とすには数はこちらの方が石川単体の軍勢よりも上である為に雑作もないだろう。
だからこそ、あえて盤石な体勢を整えてから三芦城を落としたい。
そのためには三芦城の支城である雲霧城と藤田城を落とさなければならない。進軍路を阿武隈川沿いに向けているが故に当然の戦略である。
再三の降伏勧告を下らない名家出身という名前というものに縛られて応じることがない石川晴光に引導を渡してやろうというのが上杉の心意気だ。そのことについては龍兵衛が一番燃えていると言って良い。
彼には分からないのだ。何故、死んでまで自らの意地というものを貫こうと考えるのかが。もし、死んだとしても鮮明な印象を与えて人の頭の片隅に留めおかれていたとしてもその時間は短い。
だが、盛秀の言う通り、最後まで貫き通したいものがあるということも分からなくはない。何故ならば今の彼もそのようなものがあるのだから。
「(考えていても意味は無い。お互いに考えがある。正直、石川は降伏しないと言っているのだからな)」
信念が無い人間などどこにもいる訳がない。ならばその信念のままというものを利用して死なせるのもまた軍師としての務めでもある。
彼の人知れぬ苦悩には誰も入ることはない。それがさらに彼を悩ませる。
一応の策を練った龍兵衛はその日の夜に総大将である弥太郎の下に向かっていた。上を見上げれば何表現して良いのか分からない素晴らしい星空が広がっている。
龍兵衛はその光景を見ることで今まで使っていた頭の疲れが視界から吹き飛ばされるのを感じる。
前の世界とは違って眩しいとも思える夜空を見上げながら彼は早足で歩いていき、弥太郎のいる陣屋に入ろうとすると二人の女性の笑い声が彼の耳に聞こえてきた。
「「あははははは」」
しかも、二人共に龍兵衛がよく知っている人物の声である。そーっと入るとやはり幕の主である弥太郎と客という形で慶次がいた。
龍兵衛が入ったというのに二人共酒に興じて全く気付く気配がない。いくらここがこれから攻めようとしている雲霧城から離れている為に夜襲の心配がないとはいえここまで気を抜いていては困る。
しかし、ただ詰め寄るのもつまらない。悪戯心が芽生えた龍兵衛はそーっと慶次の背中に歩み寄ってその無防備な背中にゆっくりと近付き、悪戯心を行動に移す。
「ひゃあい!?」
つーっと指でなぞってみる。案の定慶次は飛び上がっていい反応をしてくれた。その反応に龍兵衛は親指をぐっと立てて笑うしかない。
「大成功」
「もぉう、乙女の背中になにするのよぉ」
「おや、弥太郎殿、その中身は酒ですかな?」
「え・・・・・・あ、いや、こ、ここ、これはだな・・・・・・」
絡むと面倒臭いので慶次はもう無視して弥太郎に顔を向ける。
以前の説教の時のような邪気を孕んだ薄い笑みを浮かべるとびくっと怯えたように持っている水筒を背中に隠した。分かりやすいことこの上ないと思いながら龍兵衛は呆れたと溜め息を吐く。
「はぁ・・・・・・別に取り上げたり説教をしようとは考えてません。しかし、もう少し気を張り詰めてくれませんか?」
「何を言う。私達はただ一時の、一杯の酒を飲んでいるだけだ」
「その割には大分出来上がってますね」
それなりの言い訳は用意しておいたようだ。きりっと弥太郎は言い返すが、二人共、顔が赤くほんのりと染まって、吐く息も少し荒くなっている。
なまじ二人共美人なので男の欲をくすぐる雰囲気を今は持っているのだから分かって欲しいと逃げるところだが、障子紙の颯馬に比べて城壁の如く固い理性を持つ龍兵衛にはただのべべれけた酔っ払いにしか二人は見えない。
「はぁ・・・・・・これじゃあ策は明日に持ち越しですか?」
「いやぁ大丈夫だ・・・・・・ひっく、今でも聞けるぞ」
「(駄目だこりゃ。酔っ払いの典型的なパターンだな、これ・・・・・)明日また伺います」
酔ったようにしゃっくりをしている弥太郎を見て、呆れかえった龍兵衛はこれ以上面倒に巻き込まれたくないと思い、帰ろうとくるりと背を向ける。
「ちょっと~付き合い悪いわよ~」
しかし、今度は慶次が悪戯をされたのとガン無視されたのに腹が立っているのかどかりと強く肩にもたれかかってくる。なのでしっかりと龍兵衛の背中には慶次の巨大な胸が形を変えて圧を掛けてくる。
「(・・・・・・柔い・・・・・・じゃなくて!)」
景勝では味わえない感触だ。
だが、ここはしっかりと気合いを入れておかなければならない。
「ふんぬ!」
「ぐべぇ・・・・・・」
腹に肘打ちを喰らわせると慶次は跪いたので悪魔のような胸からどうにか解放された。これで今度こそ帰ろうとしたのだが、今度は背中に何か刺すような殺気が降りかかる。
「飲め・・・・・・」
「・・・・・・」
今度は抗えない。仕方なしに座る。そうすることで弥太郎は機嫌良さそうに持っていた太刀を引っ込めた。
「(本当にたち悪いな・・・・・・)」
いつぞやの時と同じ手段とはいえ本当にやりかねないような気配がしたのでここは大人しく従ってやる。それを見た弥太郎は龍兵衛の恨みを込めた視線に気付きもせずに新たな飲み仲間が出来たと嬉々として彼に酒を注ぎ始めた。
そして、それが龍兵衛からすると悪夢の始まりであった。
「(帰りたい。寝たい。辛い。苦・・・・・・いや、言うまい・・・・・・)」
酒に付き合わされて早三十分。元々出来上がっていた二人に比べて素面からの始まりである龍兵衛はこの面倒な酔っ払い二人組に手を焼いていた。
しかし、こそこそと帰ろうとすれば慶次に羽織い締めにされる為、もはや二人が酔いつぶれるのを待つしかない。
その二人もここは戦場であることは分かってはいるのでそこまで飲むつもりはないことは分かっているだろう。それに明日また策を聞かなくてはならないとならばなおさらである。なかなか潰れてくれない。
赤の他人から見ると正直危ないところまで来ている。第一に疲れている龍兵衛はさっさと戻って寝たいのだ。
言えば絶対に何か面倒くさいことになる。それ故に今日はちびちびと飲みながら二人のほとぼりが冷めるまで待機といったところである。
「(さっきまで綺麗な星空を見て飛んだ筈の疲れよりも倍の疲れがたまっている気がする・・・・・・)」
抗いきれない疲れの前に致し方ないと思った龍兵衛は軽く寝ながら二人の話を聞き流そうとした。
「おーい、龍ちん~? 起きて~さもないとこうよ~」
「ぐむっ!?」
だが、慶次のけしからん胸が今度は龍兵衛の顔を埋めていく。
端から見れば羨ましい限りだが、龍兵衛にとっては景勝との関係がある以上、迷惑この上ない。また、慶次はよくこの手で遊んでいるから面倒くさいだけだ。
「は、はなへー(離せー)・・・・・・ふるひい(苦しい)」
「えぇ~なに~? 聞こえな~い」
「うほつへえぇぇい! (嘘つけえぇぇい!)」
十二分に腕の力を使って慶次からどうにか離れることに成功する。そして、その間に出来なかった呼吸を回復する為に大きく深呼吸を繰り返す。
「はぁはぁ・・・・・・悪夢を見た」
「えぇ~こぉんなにたゆんたゆんなおっぱいが悪夢だって言うのぉ? あ、もしかして龍ちん貧乳好み?」
「ちがああぁぁう!! 断じて違う!!」
腹の底からの叫び声を上げて全面否定をする。ちなみにこれは決して景勝を愚弄している訳ではない。龍兵衛も男なのだ。致し方ない欲望もある。
慶次は龍兵衛の必死なところが面白く感じたらしく、にやにやと笑って更にからかってやろうと口を開く。
「まぁ、そうよねぇ。そうじゃなかったらあたしをああいうふうに襲うなんてしないわよねぇ」
「えっ?」
「くぉら! なにさらっと暴露してんだ!? あれはお前の自業自得だろう! ・・・・・・というか弥太郎殿! なんでそんな引いてんですか!?」
「信じられん。颯馬ならいざ知らず、あの龍兵衛が女子を襲うとは・・・・・・」
弥太郎は本当に心から驚いたように龍兵衛を見て目が飛び出てきそうなぐらいに見開いている。
浮いた噂を決して出さずに潔白な人として生きている龍兵衛が慶次に襲い掛かるという事実を認めた。しかし、弥太郎が引いているのはその部分ではない。
「では、龍兵衛があの時、私になすがままにされていたのは?」
「あれは薬の・・・・・・いわゆる副作用でしょう!?」
「まさか、襲うのも趣味とは・・・・・・」
「話を聞いて下さーい!」
「えっ、龍ちん、まさか襲われるのも趣味なの!?」
「慶次もなに便乗してんだ!?」
ぎゃーぎゃーと抗議する龍兵衛は華麗に無視され、弥太郎と慶次は顔を突き合わせる。
龍兵衛は逃げたら事実で、それを認めているように思われてしまう。故に、嫌な予感しかしないが、この場所に残るしか方法がない。
「(頼む。期待できないが、穏便に終わってくれ!)」
だが、願い空しく。弥太郎は龍兵衛と慶次を交互に見て目を見開いて慶次に口を開く。
「慶次は龍兵衛に襲われたのか?」
「まぁ、そうね、厳密に言えば颯馬っちも一緒にあたしをいやらしく縛ってたけど」
「おい! さらっと詳細を言うな!」
「私には身体を任せてくれたのだがな」
「だからあれは薬で身体が・・・・・・」
「襲うのも趣味。襲われるのも趣味。つまり龍兵衛は・・・・・・」
「「本当は変態」」
「ですから・・・・・・ああ! もう!! ち・が・うと言ってるで、しょー!!!」
勘違いが勘違いを呼び、悪しき方向に向かって行き、最後に結論を勝手に決められて、止めることが出来ない。
最後の悪足掻きだとやり場がないように叫ぶしかないが、投げやりになっては負けだと心を落ち着かせて龍兵衛は二人に逆に詰め寄る。
「弥太郎殿は薬を盛ったんでしょう!?」
「否定はしない」
「慶次は自分が蒔いた種が災いになっただけだろ!?」
「まぁ、そうね」
「だったらなんで自分だけに火の粉が飛んでくるんですか!?」
「「だって結局寝たことに変わりはないだろう「じゃない」」
「うぎぎぎぎぎ・・・・・・」
「素直に負けを認めるのねぇ」
優しく慶次に諭され、龍兵衛はとうとう膝を着いた。それは龍兵衛が築き上げてきた虚飾の身の清きを一気に崩された瞬間でもあった。
そして、その日は最後まで二人の酒を酌まされ、さらに件のことの口止めとして春日山に帰ったら二人の酒代を一ヶ月も奢ることになった。
龍兵衛の不幸中の幸いは景勝との仲がまだばれていないということに改めて気付かされたことである。しかし、同時にこの酒宴が原因で春日山に戻った後に色々と面倒なことになるとは龍兵衛とて予測出来なかった。