「あの、河田様。大丈夫ですか? 随分とお疲れのようですが」
「ああ・・・・・・問題、ない・・・・・・」
即、ありまくりであると声を掛けた兵は突っ込みを入れたいが、機嫌を損ねてはならないとぐっと我慢して頭を垂れて下がって行く。
昨夜のことで弥太郎と慶次の二人からど変態の称号を勝手に貼られ、死にかけた状態になってしまった龍兵衛は見る人見る人から安否を確認される始末である。
今、彼は前線に出て暴れている総大将の弥太郎の代わりに後ろで指揮を執っている。
雲霧城を既に取り囲んでいる為に気は抜けないのだが、精神を滅多滅多にやられているので戦には集中している一方で先々のことなど、それ以外の事に頭が今は全く回っていない。
「河田様、よろしいでしょうか? 水原様より書状が」
「え? 誰から?」
「水原様からです」
衝撃の強さは思わず聞き返してしまう程に耳も遠くなってしまった。
いけないと分かっているが、抱える黒歴史を暴露された以上は凹むしかないのだ。
兵から訝しげな視線を送られつつ、ゆっくりと差し出された書状を受け取り、中を改める。読み進めて行くと先程までの死んだ目が見開かれ、龍兵衛は椅子からがたりと音を立てて立ち上がってしまった。
そこでようやく焦りを人に見せてしまったことが周りの目にもあることに気付き、すぐに何も無かったかのように咳払いをして座る。
冷静を装って改めて中を見るが、信じがたいことが書かれている。だが、もしかしたらとも思っていた。
有り得ることがあるとあえて別方面に向かわせていた筈なのに何故だ。何故そこにいるのだろうか。
龍兵衛は難しい顔になり、雲霧城の陥落を聞くまでずっとその表情は変わらなかった。
龍兵衛が死にかけた状態になる原因となった地獄の酒宴が開かれていた夜。
小手森城を守る菊池顕綱は何度も伊達から上杉への帰順を勧められ、また兼続の工作を受けてそろそろ潮時を迎えたと考えていた。
当主の大内定綱は追い詰められ、城を出ることさえままならない。いくら縁組をしているとはいえ弱肉強食の戦乱の世では誰が裏切ろうと当たり前のこと。
幸いにも上杉謙信という人物は頭を下げて恭順する者には寛大だと聞いている。
菊池家は肥後国の名門、菊池の一族で幕府から本家とは別に塩松郡を治めるよう命じられているが、そんな甘っちょろいことで生き残る暇はない。
今すぐにでも大内が滅びれば一番に頭を下げるつもりであった。
「殿! 大変です! 伊達軍が我が城に進軍しているとのこと!」
「なっ・・・・・・」
がたっと音を立てて立ち上がると顕綱は大急ぎで櫓から外を見る。
すると、ここにはいない筈の伊達軍が既に城門を破り、圧倒的な力の差を見せ付けながら攻め入っているではないか。
困惑、裏切られた怒り、そしてもっと早い段階で頭を下げればという後悔が顕綱には浮かび上がっていた。
その三日前のこと。
親憲が率いる大内討伐隊は着々と進めていた軍が止まっていた。
時を待っているばかりでは好機を逃しかねない。
そう判断した龍兵衛と兼続の積極的な攻撃策は功を奏した。二本松が落ちるまでの時間があったとはいえ、討伐の対象となった勢力は上杉軍の素早い動きに順応出来ずに慌てて居城にて準備をする有り様である。
大内定綱も例外ではない。慌てて小浜城城外にて迎え撃たんとするものの先のことでいささか腹が立っている景家の鬼神の如き攻勢の前に一旦撤退し、体勢を立て直すべく自身の居城小浜城に立て籠もった。
小浜城は阿武隈川の支流小浜川と移川によって形成された阿武隈丘陵に築かれた平山城で小浜から二本松・田村・相馬に通じる交通の要所に築かれている。
ここを取れば、道が開かれ、攻勢を取り続けることが出来る。
上杉軍の一隊、大内、相馬討伐隊が親憲の指揮の下で小浜城を包囲している。時間を掛けている暇はない。
だが、小浜城とそこに籠もる定綱は頑強でなかなか落ちないままに足止めを喰らっていた。このままでは兼続の工作によって静観している周りの小豪族も上杉から大内に靡きかねない。そんな苛々が募る中でやってきたのは意外なものだった。
「伊達政宗様が二千の兵を連れて馳せ参じました」
「はて? 某は援軍を頼んでおりませぬが・・・・・・」
後ろにいる誰もが首を傾げた。しかし、来た以上は出迎えなければならないと親憲は軍師の兼続と共に政宗の下へと向かうと本当に政宗がいた。
「この政宗、落城寸前となった檜山城は甘粕殿や我が父輝宗に任せ、こちらに参上した次第」
詳細としてはすでに長重は檜山城の支城である茶臼城と大館城を夜襲にて落とし、瞬く間に檜山城を丸裸にしたということ。
檜山は要害であり、すぐには落ちない。その為に何か隙を見せ、愛季を外に引っ張り出す必要がある。その策として政宗は檜山城の城攻めの方針で長重と揉めて勝手に撤退したように見せかけたということらしい。
「だからといってまさか本当に撤退するとは・・・・・・」
普段平静な親憲も少しばかり呆れていることが口調から聞いてとれる。
しかし、政宗はまったく悪びれる様子を見せない。むしろ面白いだろうと笑って楽しそうにしている。
「官兵衛殿が二千減ったところで変わりないと豪語していたのだ。文句はあの軍師に言ってくれ」
「はぁ・・・・・・どうして黒田殿から龍兵衛殿のような弟子が出来るのでしょう?」
「まったく……」
普段から無邪気な子供みたいな師匠と根は真面目で決して踏み外したことはしない龍兵衛は正に水と油である。
珍しく親憲から愚痴が出るのも無理はない。兼続も同調する。
春日山にて官兵衛の暴走しかけたところを止める気苦労が重なったせいか少しばかり腰を痛そうに押さえることが多くなった龍兵衛を思い出すと本当にどっちが師でどっちが弟子なのか分からなくなる。
だが、それによって官兵衛に対する危機感というものは全く生まれない。立てる策は素晴らしく、戦略における道筋は端からは分かり難いが、極めて理にかなったものばかり。畿内にて培ったと言っている強かさは上杉軍の軍師の中で誰よりも勝っているだろう。
「まぁ、黒田殿のことですから仮に今回で失敗しても何か次善の策があるのでしょう」
故に親憲の言葉にも誰も安心感は持てど不安は抱かないのである。これで後からやってくる後詰めの援軍の余剰の兵力はもう一つの隊に任せられる。その旨を伝える伝令を越後に出すと親憲と兼続は改めて伊達勢に目を向ける。
政宗の後ろには鬼庭親子ともう一人、親憲達が見た事の無い女性が一人いる。
桃色の髪にそれと同調したような桃色の羽織りを羽織った器量の良さそうな女性。
二人の視線に気付いたのかその女性は物怖じせずに前に出て礼儀正しく丁寧に頭を下げる。そして、その女性は自らを支倉常長と名乗った。
そこで常長は自らが考えたという策を皆に説明する為、口を開いた。
「では、今一度支倉殿を派遣して大内定綱に降伏を促すと?」
夜になった陣中の軍議場では親憲と兼続、政宗と常長の四人が顔を突き合わせていた。
「大内定綱はたしかに独立を目論んだ野心家でもあります。されど、知勇兼備にて上杉に降れば利益になるでしょう」
たしかに大内定綱という人物は武勇においては十文字槍の名手。知略においては様々な外交政策で小さな大内家を守ってきた人物ではある。
しかし、伊達とは何度も傘下に加わるようにという通達を断っているだけでなく、互いに何度も戦ってきた宿敵。
「真に信用出来るのか? また独立を目論む危険性もあるのだろう?」
「直江殿の懸念ごもっとも。ですが、そうさせない為の策がありますれば」
「如何にして?」
親憲がそう言うと政宗は不敵な笑みを浮かべながら策をつらつらと言っていく。しかし、その策は義に篤い兼続だけでなく、上杉軍にとっても承服し難いものであった。
聞き終えた途端に「そのようなことが出来るか!?」と兼続は机を激しく叩きつける。
無論、政宗はそのことを承知の上での献策である。
「それ故にこの策の過程は我ら伊達が行う。そうすれば伊達の一存で行ったということになる。なに、父上も承知の上だ。それに、後で上手くやれば上杉に汚名は付かないままだ」
「・・・・・・それならば構いませんが」
「水原殿!?」
さらに抗議をしようと食って掛かろうとする兼続に親憲は手を挙げてそれを制する。
「某とてあまりこのようなことはしたくありません。されど、どのみち時間を掛けられる戦ではないということは直江殿もお分かりでしょう? ここは上杉の為に伊達殿には悪役となってもらいましょうか」
親憲は兼続が体面を気にしているのはよく分かっている。結果として上杉の汚点となるかもしれないが、ここは実利を取るべきだ。しかし、利を強く求めようとすれば当然、懸念材料も出てくる。
「支倉殿のお覚悟はいかほどか? その場で斬られても誰も何も文句は言えませぬぞ?」
「覚悟は、当に出来ております」
親憲の視線に負けじと常長は毅然とした口調で言い切る。
穏やかな柔らかい雰囲気からは想像もつかないような鋭い気が滲み出る。その覚悟から彼女の戦に対する憂いと自らの力もその一端に役立たせたいという気持ちがありありと伝わってくる。
「分かりました。このことは我々は聞かなかったことに、直江殿もよろしいですね?」
親憲に振られて兼続は反論すること無く、仕方ないと肩を竦める。本来なら兼続自身、やりたくないことだが、上杉軍の現状を見ても今はやむを得ない状況である。
「ええ、されど、あまりご無理はしないように」
「大丈夫です。お心遣い、ありがとうございます」
「う、うむ・・・・・・」
常長のなんとも丁寧な礼に少し動揺した兼続は曖昧な返答を返した。
常長は首を傾げて何か粗相でもしたかと考えたが、親憲が大丈夫ですと言ってくれた為に伊達の面々は少し目を逸らしている兼続と笑っている親憲を見比べてますます分からなくなったみたいだが、親憲はそのままの表情で政宗にとって願ってもないことを言ってきた。
「某達の兵一千もお貸しします」
「良いのか?」
「されど・・・・・・」
先程の笑みが打って変わり、親憲は厳しい表情になる。それに乗じて政宗の話を聞く姿勢もより引き締まる。
「旗も武具も伊達殿のものにする。そして戦には参加すれど、その策には伊達殿が一任し、我が兵達は一切関わらないというのが条件です」
政宗は頷くと家臣を率いて策実行の為の場所へとに向かう。
伊達軍を見送った親憲達は重い沈黙を保ったまま陣幕へと戻っていた。兼続も口を積極的に開こうとはせずに下を向いている。
そんな状況を嫌ったのが景家である。兵の訓練の為に伊達軍との会談にはいなかったが、戻って来て事の詳細を知った途端に落胆した。時が遅いというのは分かっている。だが、聞かずにいれないと決心して口を開いた。
「水原殿、その・・・・・・本当によろしいのですか?」
「現在の滞っている進軍を解決する為には少々強引な策も必要です」
「ですが、私達の方ももう少しで落城寸前です。事実先日には西の二の郭を落とし、東の郭も陥落寸前、後は大手門。突破すれば落城は必至でしょう?」
「その為にいかほどの兵力を使うおつもりですか?」
決断した以上、決して揺らぐことはない。その眼には決意の感情が見てとれる。しかし、今度は兼続も黙ってはいられないとばかりに政宗達がいた時には言えなかったことを口に出す。
「水原殿は我が軍の評判を落とす気ですか? たしかに眼前の小浜城がなかなか落ちていないのが現状。されど、いくら表面上は認めていないとはいえ上杉にはこんな野蛮な軍があるとこれに批判する者も少なくないでしょう」
「直江殿はいつから体面ばかりを気にするようになったのです? 体面を気にしすぎて負けても所詮誰も褒めてくれませんよ。第一に直江殿も伊達殿の策を認めたではありませんか」
勝てば官軍負ければ賊軍。
源平合戦の際に生まれた言葉であるが、それと同様に上杉という偉大な大名が一つぐらいの汚点を示したとしても勝ってしまえばいずれ埋もれていくと親憲は考えていた。
幸いにも主君である謙信が参陣していない今、この事を謙信が指示していないという口実も生みやすい。
揉み潰すのは不可能とはいえ事が上手く運べば今はいざ知らず後世の者はそのことを致し方ないと評するだろう。
「政宗殿は我々に汚名が付かないと仰っていましたが、残念ながらしばらくは何かと言われると思っていた方がよろしいでしょう。しかし、贅沢は言っていられません。某達がすることは小浜城を牽制し、我が軍の動きを悟られないようにすることです」
普段の平静さのままで指示を出す親憲だが、その口調は一瞬だけ冷徹な人にも見え、兼続も景家も親憲を見て目を見開いた。
冷えた夜風が全員を巻き込んで吹き荒ぶ。
しばらくして顕綱は使者を派遣して来て城の明け渡しと城からの退去を政宗に申し出るが、政宗は拒否。
その二日後、伊達軍の総攻撃に呆気なく陥落した。そして、捕らえた将兵から武器を没収し、女子供らと共に城内の一角に集めておいた。
「城内にいる皆将兵は捕らえたか?」
「はい、この綱元が一人残さずに」
「若、誠にこのようなことをしなさるので?」
「左月、これは正義だ。上杉謙信という人物が天下を平定する為に必要な通過点。しかし、謙信殿には・・・・・・潔白であってもらいたいのだ。私が認めた天下を統べる人物にはな」
「若・・・・・・」
左月は決してまだ若いと思っていた次期当主のその傲慢とも言える発言に腹を立てた訳でもなく、また政宗がすっかり謙信を慕っていることに落胆した訳でもない。
ただ、自らが戦乱を収める為の礎となる覚悟が出来ていることに喜びを持った。左月とてこの戦乱に憂う気持ちはある。あわよくば伊達に日の本の頂点に立って欲しいという願望もあった。しかし、それはもう叶わない夢。
上杉という家は一人を除いて普段は真面目に動き、全員が謙信に忠実に働いている。一方で仕事を離れるとなんとものどかというか和やかというか、とにかく変わっているところが多い。
当初はこれで大丈夫なのかという感情もあったが、政宗もおかげで随分と成長したように見えるし、彼女の父である輝宗も上杉の面々は面白いと笑って日々を過ごしている。
結果として左月自身も降ったのが上杉で良かったと思うようにもなっていた。
その本来の暖かさに冷たい雨が降るようなことがこれから起きようとしている。左月も当初、政宗からこの策を聞いた時には猛烈に反対した。しかし、政宗に迷いはなく、それを聞いた官兵衛も政宗の背中を押した。
やるしかないのである。
だが、今の左月には不思議と罪悪感があまり浮かばない。自身がもう老い先短いからだろうか。それとも老体が生きている間に天下の平穏を見る為かは分からない。だが、その心は晴れやかで、肩に掛かる重荷も無い。
「(不思議なものだ)」
気付けば左月は軽く鼻で笑っていた。
しばらくすると先ず、顕綱が政宗達の前に引きずり出された。
「何か言い残すことは?」
「ならば一つ問おう。これは、上杉の命か?」
「私の一存だ。謙信殿を始め、誰も知らない」
「・・・・・・そうか、ならば最期に言っておこう。このようなことをして、貴様も上杉もろくな死に方はせん」
「戯言としてよく覚えておこう。さて・・・・・・やれ!」
小手森城城主、菊池顕綱を一番はじめにして城兵だけでなく城に籠もった女、子供など約八百人が皆殺しにされ生存者はいないとされている小手森城撫で斬りが政宗の号令の下に始まった。
伊達軍の持つ白刃が赤い血で染まる。悲鳴が聞こえ、怨念を叫び、命乞いをする哀れな声、女が子供を抱きかかえ、子供が腰を抜かして泣き喚く。だが、伊達軍はそれらを無慈悲に斬り捨てる。そして、それだけでは飽き足らないと伊達軍は馬、犬といった動物達もただ無慈悲に斬っていく。
「綱元殿、政宗様を見かけませんでしたか?」
城内で撫で斬りの一部指揮を執っていた綱元は城外の本陣に詰めていた筈の常長がやってきたことに驚いた。
「え? 本陣じゃないの?」
「それが・・・・・・私がちょっと目を離した隙に・・・・・・」
「・・・・・・分かった。私が探すから常長殿は戻っていいよ」
申し訳無さそうにする常長をよそに「政宗ならやりかねない」と笑って頷きながら綱元はよく知る幼なじみを探しに城内の奥に消えていった。
一方の政宗は血生臭い中をただ一人であてもなく歩いていた。月は雲に邪魔をされ暗い。もしかしたらこの惨劇を見て雲の力を借りて見まいとしているのかもしれない。
つい先程まで生きていた命の灯が刀という息を吹くだけでいとも簡単に消えて行く。そうしている内に足元に許しを乞いにきた一般の城兵が足にしがみついてきた。しかし、その哀れな姿に許してやろうという気持ちは露ほども浮かばない。
そして、その兵はやってきた自軍の兵によって声なき屍へと姿を変えた。
それを見届けると隠れていた月が顔を出した。そして、月明かりは歩き回る者の右目に付けた眼帯を黒く光らせた。
夜中に始まり、全てが終わった頃には朝日が昇っていた。その輝きは人と動物の血の赤黒さをしかと表していた。
だが、この地獄を生み出した張本人、伊達政宗の目にはこの惨劇の跡はその鋭く光る左目にも、失った右目にも見えていない。
見えるのは朝日が照らす謙信が天下へと歩む道先だけ、それ以外に今の政宗には何も見えない。
思い出されるのは一騎打ちを経て、降った後に初めて腹を括って話した時、謙信は強い決意を以て宣言した。
『私は何人の血を被ろうと天下を正義の下に統べる。それが矛盾だらけであると分かっていても、それを信じて付いてきてくれる皆の為。そして、思い半ばで逝った定満や藤資の為。誰が裏切ろうと嘲笑おうと、乱世を生き、上に立つ者として乱世が終わる最後まで諦めはしない』
見える。人という飾りを被った越後の竜が独眼竜と言われる自身よりも大きく、自身さえも飲み込んでいってしまう程の器を眼前の竜は持っている。
この謙信なる人物が今後どう生きるかは分からない。だが、彼女が歩む先にある弊害を切り裂く役目を自身も行いたいと思った。
「終わったよ。梵天丸」
「む、そうか」
珍しく幼なじみとしての綱元の一声にてようやく目の前が見えた。朝日が城の床にべっとりと付いた血をこれでもかと見せ付ける。
気付かないでいたことを察して綱元は敢えて「梵天丸」と呼んだのだろう。気付かない気遣いに感謝しつつも敢えて話題を変える。
「随分と血生臭いな」
「言い出した梵天丸が何を言ってるの?」
「これが、敗者の成れの果てかと思うと今更ながらに哀れに見えてな」
本当に心からそう思った。しかし、その罪悪感を上回る希望への期待感が政宗には強かった。もはや後戻りの出来ない状態になった。これで失敗すればその時はその時。
親憲との約束通り上杉の兵には何もさせていない。これで後は伊達政宗という独眼竜の翼に一旦多くの血を吸わせればそれで良い。そして、長い時を掛けて血を滴り落とすだけ。
落としきった後には自分もきっと越後の竜に近付く程に大きくなることが出来るだろう。
各方面から処刑終了の報告を聞くと常長を先に帰らせた後に政宗は死体を片付けさせて帰陣の命を下した。
朝になってから報告を受けた親憲は早速、景家に城周辺の警戒を強化させ、陣幕に兼続を呼んだ。
「終わりましたか?」
「ええ、これが送られてきた書状です」
「ふむ・・・・・・水原殿、小手森城の城兵は八百とありますが、いっそ一千に増してはいかがでしょうか?」
「数を増やすことでより大内の恐怖を煽ると?」
「ええ、さらに周辺の豪族に大内へ援軍を送る気を無くし、上杉に恭順させるのです」
不信感を抱く者もいるかもしれない。だが、それは上杉の持つ仲間意識が自然とその壁を崩してくれるだろう。
「小手森城の兵も何もかもが全て死にました。民には何かと言われるかもしれません。されど菊池以上の統治をすれば民は菊池を忘れていくでしょう」
今もいずれは過去となる。全てを忘れ去るには時間が掛かるかもしれないが、決して時を刻む針が止まることは無い。
「報告、春日山より二千の後詰めが到着寸前です」
伊達軍は去った小手森城の中で微かに動く指を誰も見ることはない。
雲霧城を落とした弥太郎達は浮かない顔をした龍兵衛を城内に呼んだ。その表情に先の事とは別の何かが起きたことを察した弥太郎が事情を聞くと小手森城の事を認められた書状を読み慶次と共にはっと龍兵衛を見る。
何も言わず、動かないが目が語っている。そして、三人は一つの部屋に集まり誰もいないことを確認すると声を潜めて話し合いを始めた。
「どうする? これが石川に漏れたらますます頑強に抵抗するやもしれん」
「伏せておくに限ります。書状を見るに政宗殿の一存で行ったとあります。ですが、人の口に戸は立てられません。一度漏れれば面倒なことになります」
「だったらいっそ誤魔化しちゃえば?」
「・・・・・・それだ。書状には八百とあります。それを二百と改竄してしまいましょう」
「随分と思い切ったな」
弥太郎の声には半ば呆れが入っている。慶次もやりすぎではないかというように目で訴えかけるが、龍兵衛は気にしない。
「ここまできた以上、面倒事は避けなければ・・・・・・この事は伊達殿の留守を任されている後藤信康殿に伝え、自身が改めた報告を送ることにしましょう」
伊達が上杉の代わりに治める領地に下手な諍いを招かない為には嘘でも何でもついておかなければならない。少しでもこの事で上杉に対する偏見を防ぐ為には当然の処置である。
「随分と活き活きしているな」
「そうでしょうか?」
「してるわねぇ~不思議なくらいに」
顔をさすって自身の表情を窺うが、全くそのような自覚も感覚も無い。
戦の時は乱れることの無い落ち着いた感情を彼は少しばかり珍しく崩した。龍兵衛は政宗の行った事に軽い共感を抱いた。
美濃で罪の無い数人の潔白な血を浴びた自分。そして小手森城に籠もっていた八百の人間を殺めた政宗。味わう苦しみが同じとは言えないかもしれないが、お互いに家の為に汚れたのだ。
近くに同じ境遇を持った人が居れば自ずと心も軽くなるのだろう。それが彼が活き活きとし始めた原因であった。
「うーん、歴史に残りそうな瞬間に立ち会ってみたかったんですけど。それを利用出来るのもまた楽しみですから」
「そのようなことを楽しそうに受け止める性格からしてやはり龍兵衛は襲うのが趣味か、やはりそっち系の方が男としては多いのか?」
「だからそれは忘れて下さい!」
おそらく生涯言われることになるだろうと思うと龍兵衛は溜め息しか出て来なかった。