大勝利を収めて意気揚々と佐渡から帰って来た弥太郎達を待ち構えていたのは大騒ぎの春日山城内だった。
大騒ぎといっても城全体では無く、一部の長尾の上層部がいる所ばかりの小規模なものであるが、雰囲気がいつもと明らかに違った。
「何の騒ぎだ?」
「さぁ、自分に聞かれても。行って見れば解ることかと」
太陽が今まさに沈むという美しい夕暮れ時の光景を後ろに城門に入ると弥太郎たちが帰って来たことに気がついた兵士が頭を下げる。
ここは問題無かったが、一つ違う事があった。
景虎はいつもこういう時は将兵の苦労を労う為、城門まで迎えに来るのが当たり前だったので、弥太郎は門にいた兵士にどうしたのか訪ねるが、わからないと首を振るので、たまにはこういうこともあると城に入った。
五人の主だった将は城内に入ると何やらざわざわと人が話し合っているのが聞こえた。
ここも問題は無い。女中達のよくある世間話の類だ。
そう考えながら景虎に帰還の報告をするために部屋へと向かうが、ここからがおかしかった。
右往左往する女中たち。よく見れば女中の中でも位が上の者達が動き回っている。ざわめきも段々大きくなっている。
何かあったのかと思った五人は近くにいた家臣の一人に訪ねたが自分は知らないと言って首を振った。
そこでさらに奥へと早足で歩いて行くと颯馬が立っていた。
五人の姿を確認すると出迎えも無く申し訳ないと詫びを入れて労を労った。
しかし、五人の興味はそこでは無く、上層部の騒ぎの原因が何か気になっているため、聞いてみると颯馬は辺りを気にしながら耳元で囁くように言った。
「実は、死んでいたと思われた御方がお見えになったのですよ」
それは龍兵衛たちが佐渡から帰っている頃のある日のことである。
「顕景、山籠もりに出てみないか?」
景虎のその一言が事の始まりだった。
颯馬は景虎に顕景を影から護衛するよう命じられそれについて行くことになった。
そして、あっという間に一週間が経ち、無事に山籠もりを終えた顕景が山小屋の整理をしている間に先に颯馬が春日山に帰って来た。
先ず、顕景がどんな生活をしていたか記録した報告書を提出した。景虎もそれを面白そうに読んでいる。
「ねぇ、そういえばあっきゅん遅くない?」
「そういえば……」
いくら颯馬の方が歩くの速いからといっても遅いと思った慶次が珍しく心配そうに言う。
「まぁ、顕景なら大丈夫だろう」
楽天的な景虎の発言に本当に大丈夫なのかと心配になった二人は一緒にもう一度戻ることにして立ち上がろうとしたその時、親憲がやってきた。
「あのー顕景様がお戻りになられました」
歯切れの悪い感じで親憲が言って来たので気になった颯馬が訪ねる。怪我をしているわけでは無いそうだ。
「おお、そうか。労をねぎらってやらねばな。早く通せ」
「いや、あの……しかし、ですねぇ……」
珍しく親憲が言葉を濁すと「とにかく外に来て下さい」と謙信に頼み、訝しげに思いながらもそれを承諾して立ち上がった。
そして、城門まで降りてみると顕景ともう一人、雰囲気も身体付きも大人の女性が立っていた。
「ほう、ここがお主の住んでる城か、なかなか壮大じゃのう」
「(えっへん)」
そこにいたのは春日山を褒められ、胸を張って自慢げにしている顕景ともう一人、金髪の女性がいた。
「誰ですか? あなたは?」
「ん、なんじゃ? お主達がこの城の将たちか?」
なんとも傲慢そうな女性である。だが、その格好姿勢からして大分身分が高い人に思える。
「顕景、ご苦労だったな。怪我は無いか?」
「(……♪)」
顕景が景虎に飛びついてその頭を撫でる。本当の親子みたいだなと颯馬達が微笑んでいるとその気持ちを代わりに知らない女性が代弁した。
「仲が良いのう……ところでお主が長尾景虎か?」
「……何故、わかったので?」
「纏う雰囲気が違う故にな」
ただ者ではないと全員の警戒心は一気に引き上がった。顔も知らないのに景虎を一発で見抜くなんてそうそう出来るものではない。
「あなたは一体何者だ?」
颯馬が警戒しながら訪ねるが、女性の方は全く気にしていない様子だ。
「お主こそ、相手の名前を聞く時はまず自分が名乗るのが常識じゃろ」
「いくら、顕景様が連れて来たとはいえ、知らない者を長尾の城に入れるわけはいきません」
女性はそれもそうじゃなと言うと周りを気にしつつも「信じてくれるか?」と訪ねて来た。いきなりの意味深な言葉に皆で顔を合わせたが、景虎が信じようと言ったのでほっとした様子で女性はこう名乗った。
足利義輝と。
それから、どうにか頭を整理した颯馬達は義輝を相手に立ち話ではいけないと部屋へとお連れすることにした。実及は本当に足利義輝なのかと疑ったが、そこで慶次と手合わせをすることになった。
慶次は相対するなり、相手がただ者で無いと見極め、最初から本気を出してどうにか引き分けに持ち込んだ。
その瞬間、剣豪塚原卜伝に剣術を教わった足利義輝に相違無いと全員が判断し、上座に連れ、頭を下げた。
堅いのは好かんと義輝からは言われたがそれは土台無理な話だ。
あの剣豪将軍と呼ばれた御方が目の前にいる。
死んだと言われたあの義輝が生きているだけでも驚きなのにここにやって来るなど、誰が想像するだろうか。
「それで、何故に義輝様は顕景と一緒に……」
「いや、顕景が一人で山の中で不安そうな顔をしながら妾の袖を掴んだのじゃ。それで迷子かと思ってな」
「(ぶんぶん)……! ……!」
颯馬から見ると身振り手振りで顕景は景虎に何か伝えているようにしか見えない。
「顕景は義輝様が『どこに行くべきか……』と悩んでいたのを聞いてお連れしようとした。と言っていますが」
「(こくこく)」
よく景虎は顕景の言いたいことがわかるなぁと颯馬は毎度の事だが、感心してしまう。
「いや、確かにそんなことも言っていたがのう……やはり、かような子に袖を掴まれては……」
颯馬が感心していると義輝は颯馬達を見て同意を求めて来た。
「確かに、顕景様にそうされては……」
「(きっ!)」
睨まれた景家が慌てて頭を下げるが、確かに気持ちはわからなくもない。
「……! ……!」
「顕景は武者修行の山籠もりをしていたのです。決して迷子では無いと」
「(こくこく)」
「なんじゃ、そうじゃったのか、それはすまなかった」
「(ぶんぶん)……! ……!」
「お気になさらずこちらも義輝様と知らずに働いたご無礼お許しくださいと言っています」
よく顕景の言いたいことが分かるのか、本当に不思議だと颯馬が思っている傍らで義輝は否と首を振った。
「将軍、足利義輝はもう死んだのじゃ。今はただの足利義輝じゃ気にしなくても良い」
「とんでも御座いません!」
景虎の言葉が飛ぶ。
あの天下の将軍がそんな事言うとは誰も思わなかった。いくら群雄割拠のこの時代とはいえ将軍の力は決して侮れるものでは無い。
「それで義輝様は今後はどこにも行く宛は無いのですね?」
「うむ、こうなった以上、師匠のように旅をするのも悪くないと思っていたのじゃが……やはり、妾は都の生活に慣れてしまったようじゃ。どうも旅には慣れぬと思っていたところだった」
「ならば、我々のところにいらしてはいかかでしょうか。そして、必ずや義輝様を再び将軍の座へ」
義輝様はおとがいに手を当てて考える素振りをしてすぐに世話になろうと言った。
再び景虎達は頭を下げた。しかし、義輝様から出た次の言葉に皆が愕然とした。
「世話にはなるが、妾は将軍に戻るつもりは無い。長尾が家臣として働く」
「何故……」
義輝の発言に珍しく景虎が絶句した。
「襲撃された時にわかったのじゃ。足利の時代を取り戻そうと妾も妾なりにやってきたのじゃが、時代はもうそれを認めようとしていないとな……」
義輝の頭の中にはかつて信頼出来る家臣達と奮闘した日々が次々と並んで出てきている。
そして、最後に出て来たのはもう死ぬと覚悟したあの業火の中で一人で謎の襲撃者達を相手した己。
己が足利幕府の末路も体現したとすればもはや考えるまでも無かったのだと語った。
「もう足利の時代は終わりじゃ。お主が足利に尽くそうという思いは嬉しいがそれは徒労になるじゃろう。ならば、景虎よ。お主がお主の時代を創るのじゃ」
颯馬は恐る恐る景虎の様子を伺う。
彼女は悩んでいる。正義と秩序を重んじて幕府再興という名目で天下を統べようと考えていた景虎の考えを義輝の発言は根本から覆すものであった。
目を閉じてどうするべきか長く考えている。そして、決意したように目を開いた。
「わかりました。長尾景虎、自らの道を歩み必ずや天下を統一し、平和な世を取り戻します。そのために力をお貸しして頂きたい……義輝様、いえ。義輝殿」
この答えに満足したのか義輝は大きく頷いて高らかに笑い、景虎にこれからよろしくと頭を下げた。
これで大団円。そう思ったが、慶次によってその雰囲気は変わった。
「ねぇ、今思ったんだけどさ。足利義輝が生きているって今知られたらまずくない?」
確かに、と部屋の皆が頷く。
確かに長尾はまだ越後は統一して領内経営も軌道に乗ったところだが、越後一国では力はまだまだ諸国と均衡しているぐらいだ。
義輝のことが知られれば、その存在を我がものにしようとする不届き者が出てくるかもしれない。さらに幕府の火薬に火を点けることにもなる。
「よし、ならば慶次。そなたが決めろ」
景虎の丸投げに颯馬も含めた全員が驚きの表情を向ける。
「え! あ、あたしが!? いやいやいやいやぁ、こういうのはぁ、やっぱり自分で決めるのがぁ……」
「何を言うか、名前を変えた方がいいと最初に言ったのはそなただぞ」
逃げ場の無くなった慶次は颯馬に救いの目を向けるが、華麗に無視をして目を見事に逸らしている。
「そういえば、お主が前田慶次か……話に聞いた通りの人じゃな」
「え! ご存知なのですか?」
景家が驚愕の声を上げるが、慶次の方は、きっかけが分からないようで、首を傾げる。だが、何か掴んだのか、すぐに手を叩いた。
「あーもしかしてぇ、藤っちから聞いたぁ?」
「うむ。お主が京にいた頃、藤孝とはよく手合わせや連歌をやっていたそうではないか。藤孝は良い相手が出来て喜んでおったぞ」
「え!? 慶次って連歌とか出来んの!?」
全員の気持ちを景家が代弁してくれた。全員が慶次に驚愕の表情と好奇の視線を送っている。
「失礼ねーあたしを誰だと思ってんのよぉ」
慶次が胸を張ると露出度の高い服のせいか大きい胸が揺れる。
その姿はどう見ても、ただの露出度の高い怪しい傾奇者にしか見えない。
「待てよ。藤孝ってまさか、細川家の細川藤孝殿では!?」
「そ! あったり~」と問いた颯馬に言う慶次だが、知っている人物もまた大物過ぎる。
何でそのような人と知り合いなのか颯馬は思ってしまったが、慶次だからと自分で妙に納得してしまった。
「話が逸れたな。で、どうするんだ。慶次?」
珍しく真剣に慶次が考えているという貴重な光景を長尾家の面々は目の当たりにすることが出来た。しばらくして「よし!」と言うと思いついた名前を言った。
義輝もしばらくはそれで良いと気に入ったため、今後はその名前で呼ぶこと。決して義輝の存在を外には漏らさず厳密にすることを確認した。
颯馬が一通り話終えたところで弥太郎が口を開く。
「それで、名前はどうなった?」
「北山義藤になりました」
「なるほど、花の御所と細川殿から取ったか」
由来を察した龍兵衛は直ぐに頷いた。
「だが、いずれは長尾家の家臣としてどこかに入るつもりです」
「ならば、どうしてこんなに騒いでいるんだ? もう部屋とかは手配したのだろう」
兼続の疑問に颯馬は首肯したが、さらに声を潜めてかなり重大な問題だと前置きして口を開く。
「実は今、他に問題が起きました」
一揆でも起きたのかと五人はそう思ったが、颯馬の神妙過ぎる表情を見るとそうではないようだと悟る。
「関東の北条が本格的に動いたそうだ」
「何!?」
軍師達の見立てではもう少し後の予定だった筈なのに早過ぎると龍兵衛は目を見開いて続けて颯馬に尋ねる。
「里見はどうなった?」
軍師達は一つの理由に背後に里見がいるため直ぐには動けないと思っていたが、何故北条が動けたのか分からない。
「領内で一揆が起きたみたいで動くに動けないらしい」
龍兵衛の舌打ちが廊下に響く。颯馬もかなり重い表情になっているが、聞いていただけに龍兵衛よりも冷静だ。
「景虎様も万が一に備えて出迎えの準備をしています。とりあえず弥太郎殿たちは報告をしておいて下さい」
颯馬の言葉に頷いて弥太郎達は直ぐに景虎の部屋へと向かった。
「すまないな、出迎えも無く。だが、ご苦労だった。報告は聞いた。佐渡の事はそなた達の案で行く。とりあえず義藤殿のところへ行きそのままはゆっくり休め。何、心配はいらん。北条とは戦う気は無いぞ。憲政殿を出迎えるだけだ」
戦うのならば我々もという五人の意図を察したのか景虎は手を振って大丈夫だと落ち着かせた。
結局、景虎がそこまで言うのであればと納得し、五人はすぐに義輝もとい、義藤のところへと挨拶に行った。
既に五人の事は景虎から伝えてあるらしく、会談はすぐに終わった。
また、五人ともその場で義藤に堅いと言われたのは言うまでもない。
元将軍だけあって、身に纏う覇気がこの部屋の彼女が辛うじて御殿から持って来た名刀のように鋭く、恐ろしいものなのでどうしようもない。ただただ圧倒されてしまったのだ。
それでも義藤は気さくな方だということは五人ともわかったので少しは気が今後は楽になるだろう。
「(義藤殿の胸大きかったなぁ)」
「ど・こ・を・見・て・い・る? 私のと義藤殿とのを比べるなぁ!」
「へぶっ!!? みぞおちがぁ……」
「颯馬、少しは懲りろ。慶次の時もそうだったじゃないか」
「龍兵衛、少しは助けを……」
「断る」
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