上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第七十三話改 急がば廻れ

 龍兵衛は開城した飯野平城の一室で謙信と対談していた。雰囲気は晴れる訳が無く、口を開くのも憚られる。

 

「安東愛季が降伏したとか」

「さすがに耳が早いな。龍兵衛、お前なら愛季をどうする?」

「首をはねて見せしめにするべきかと。さすれば東北の諸将は今後、上杉を裏切る危険は薄まるかと」

 

 言われるまでもないと即答する。

 愛季は一度降伏した後に反旗を翻すという許し難い行為を平然と行い。一旦、敗れたにもかかわらず懲りずにさらに反抗を強めんと葛西・大崎ら東北の諸将を誘って上杉に刃向かった。

 結局は伊達が離反したという官兵衛が流した誤報を真に受けた愛季は夜襲を仕掛けるも全てを読み切っていた上杉軍に葛西・大崎の援軍諸共、大半の兵力を失い、謙信に命じられた長重が再三の降伏勧告を行い、三日三晩考えて折れた結果になった。

 ここは一度は許しても二度は許さないという上杉の態度を見せるのが賢明であり、甘いと思われないようにするのが良いと龍兵衛は考えた。

 だが、その考えを謙信は首を横に振って否定する。

 

「愛季は、許す」

「一度離反した安東を許せば上杉は甘いと言われます」

「甘いのではない。寛大なのだ」

 

 仮に甘いと侮られるのならそれは謙信の人となりを知らない者が考えること。それに上杉という勢力は多少の甘さに付け込まれる程弱い勢力ではなくなった。

 謙信という人物が甘かったら上杉がここまでに勢力を拡大することはない。

 

「(ここで寛大な心を見せることで周りに徳を見せるという訳か・・・・・・史実で何度も謀反を行った将の帰参を許した性格は変わらずか)謙信様のあまりにも広いお心に感服致しました」

「・・・・・・龍兵衛、何時までも美濃の一件を引きずっているのもお前が己を知れない要因なのやもしれんぞ」

 

 腹の底で考えていたことが見抜かれていた。そして、謙信は龍兵衛に二つの戒めをした。

 己にある強い猜疑心をいい加減に少し抑えるようにすること。そして、いつまでも龍兵衛の心から消えることはなく根付いている美濃の一件を忘れること。

 年少から裏切りを受けた人数は数知れず、信用してみようとした人は殆どが日和見で自身から離れていった。

 美濃の一件でさらに増したその心は上杉に来てから段々と癒されたが安東愛季の謀反を聞いた時には非常に憤りを覚えた。

 定満の止めがなければ隠密を無視した行動を行っただろう。

 誰にも言わなかったが、政景の離反が確実と分かった時には人知れずに心で轟々と何かが燃えていた。もはや裏切ることを許さないと。

 そういった意味では増しに増した猜疑心を癒やした景勝には龍兵衛は感謝してもしきれない。

 定満を止められなかった自身を許した謙信にも多大な恩を感じていた。だが、今はたった一言で人の考えや性格を見抜くことが出来る謙信の人を見る目に恐ろしさをも感じ始めていた。

 しかし、龍兵衛にその恐怖は何故か定満よりも弱く見えていた。

 

「(分からない。謙信様と定満殿が何故に・・・・・・)」

「如何した?」

「いえ、何でもありません」

 

 まじまじと謙信を見ていたことに気付いた彼は慌てて謙信の前から引き下がろうと向きを変える。だが、「まだ話は終わっていない」と謙信が慌てて龍兵衛を呼び止めて結城の本城である白河小峰城攻略の為の戦略を立てるように命じた。

 白河結城の兵力は決して多いものではない。当主の晴綱はかつての天文の乱の際に晴宗派に属しながらも稙宗派にも通じていたという立ち回りの良い人物。

 だが、人間誰もが年老いて行く者で年老いていて、病で大分弱ってきているそうだ。

 一度、降伏勧告を出してからでも討伐は遅くはない。悠長なことだと思われるかもしれないが、血を多く流してまでも勝利を得ようとは龍兵衛自身も考えていなかった。

 一瞬で考えた大体の策を謙信に言うと了承を得ることが出来て、さらに細かい方針が出来次第再び来るようにと言われた。その前に龍兵衛はもう一つ気になっていたことを謙信に尋ねる。

 

「それよりも先に考えるべきは車城のことです」

「既に義清が向かった。一週間以内には報告が来るだろうから心配するな。龍兵衛は結城に集中しろ」

「・・・・・・御意」

 

 手回しの良さには龍兵衛は感心してしまうが、今の彼はそれよりも本人の中で重大な事が背中から身体中にまで重石となってのしかかっていた。

『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』という孫子の兵法で有名なこの言葉。

 軍師として当たり前のように知らなくてはいけないのに龍兵衛は『彼』を知りながら、肝心の『己』を知らないでいたのだ。

 謙信によって気付かされた時に悟った。自身は薫陶を受けた二兵衛の背中ばかりを追い掛けて、軍師としての本質ばかりを求めていたのだと。それ故に、人として『己』の本質を見抜けないままであったことを。

 出て行くつもりで向けた足が今度は底なし沼に嵌まって地中に埋まって行くように動かなくなった。

 今思えば謙信が何故にそのような自身を何時までも仕えさせているのかが分からない。

 おそらくあの時の物言いでは既に彼の『己』の無さを知っていたと考えて良い。本来なら定満の死の際に彼を追放することもあったかもしれない。

 では何故、ここまで自身を残しているのだろうか。

    

「何時までそこにいるつもりだ?」

「はっ・・・・・・!? あ、申し訳ありません」

「龍兵衛らしくないな、人前でぼーっとするとは」

 

 笑っている謙信に誰のせいだと言いたいのをぐっと堪えるように唇を噛みながら龍兵衛は今度こそそこから逃げ出した。 

 

「(寒い・・・・・・)」

 

 春を迎え、新緑の季節を過ぎたという東北でも暖かな気候となるこの時期に、彼の心の中だけは風が未だに吹き荒び、冬の寒さのように冷え切っていた。

 

 

「たった一言であそこまで変わるとは・・・・・・」

 

 謙信は誰もいなくなった陣幕でぽつりと呟いた。

 少しは動揺すると思っていたが、普段から狼狽など見せずに決して感情をさらけ出さない龍兵衛があそこまで分かり易くなってしまうとは考えてもいなかった。

 別に謙信は彼を必要としていない訳ではない。龍兵衛の立てる戦略や政策は確実で堅実なものである。

 その堅実さを謙信は高く評価していたが、ある時それに疑問を持つようになった。

 定満亡き後に龍兵衛が春日山に戻ってきた時のことである。

 精神的衝撃を受けたのは謙信よりも目の前で定満の死を見届けた龍兵衛の方が強かったに違いない。しかし、普段からどんなことにでも表向きは動じずに切り替えが早いことに定評がある彼があそこまでの時間を立ち直りに掛けたことがどうしても気になったのだ。

 時間が掛かりすぎではないかと何度もそれとなく聞いていたのだが、龍兵衛は決して口を滑らせることはせずにただ苦笑いをするだけである。

 とうとう謙信はその間に何が起きたのかを知ることが出来ずにいた。

 だが、龍兵衛は謙信自身に何か言いたげな態度をずっと続けていた。気になった謙信は一度だけ単刀直入に彼に何があったのか聞いた。

 それが仇となったらしく、龍兵衛はその後、一切そのことに関して口を開かなくなった。そして、謙信もそのことについて忘れようとしていた一ヶ月後であった。

 龍兵衛が景勝と共に視察に行った時のことである。その時一日だけ二人は遅れて帰ってきた。原因について龍兵衛は自身の我が儘によって少し時間を要してしまったと謝罪した。

 だが、謙信はどうも龍兵衛がそわそわと落ち着きがないのに疑問を抱いて景勝にもその仔細を聞くことにした。

 すると景勝は龍兵衛が自身が籠もった寺の和尚に礼を申し上げるべく一日だけ龍兵衛一人でその寺に立ち寄ったという。

 今まで何回かあったが、すぐに収まったふわついた態度と普段と恩を仇で返すようなことも辞さない彼が時間を置いて礼をしに行ったということが謙信の人物眼に止まった。

 掴み所の無い性格ではあったが、それは彼が自分が持つべき『己』としての信念を確立していないからではないのかと思った。

 颯馬にしろ、兼続にしろ、あの慶次にしろ確固たる『己』の意志があるからこそ軍師や将という立場の他にも自身を保つことが出来ている。

 だが、改めて龍兵衛を見ると軍師としての信念はあれど人としての信念はまるで感じられない。

 今まで苦難の連続であったことは分かっている。超えるべき信念が心に無いのならばそれはそれで問題である。

 突き放して考えさせれば良い結果が生まれるかもしれないが、龍兵衛は意外とそういう人ではない。

 時より見せる純粋に何かをしようとする目がまだある限りは人の手助けも必要であると謙信は思っていた。

 

「まったく、上杉の殿方軍師は厄介者だ」

 

 謙信が身も心も捧げた颯馬は相も変わらず女性との噂が絶えない。時折面白がるように龍兵衛と兼続がさらっと噂を零すこともあるが、颯馬は断じて噂は噂であるとして否定している。

 彼もまた元をたどれば外様であって最初から上杉家に仕えている訳ではない。肩身の狭い思いをしたこともあるだろう。

 だが、颯馬には確固たる意志がある。だからこそその心意気を支えにして今までを乗り越えてきた。

 それに対して普段から生真面目であったり、ふざける時には悪のりして兼続に追い掛けられたりして掴み所が無い性格を持っている。その実、自分を後回しにしてふわついた心を直そうとしないで過去に振り回されている龍兵衛。

 何度も聞き出そうとして失敗した真の過去を今更掘り出そうとは今は思っていないが、未だに乗り越えられずにその時に空しくも取り残されていることがある。

 謙信も彼の本質を出す為に手助けをすることにしているが、最終的には己の中で出さなければならない問題である。

 

「(それがいつになるかは分からないが、首を長くして待つことにしよう)」

 

 

 

 

 岩城重隆を降伏させた上杉軍は飯野平に入った後、消息不明になった車斬忠の遺志を思い、最後まで抵抗した彼女の居城である車城を義清が二日で落としたことで完全に岩城領を掌握した。

 ここからもう一つの部隊と合流してから一気に物量で結城を抑える予定であったが、景勝率いる大内討伐隊が小手森の一件の後の大内の頑強な抵抗とその後の領内統制に時間が掛かった為に上杉軍には時間差が生じることになった。

 そこで謙信は景勝らとの合流を諦めて飯野平の兵を三芦城に戻して自身達だけで白河結城と決着を付けることを決断した。

 白河の領地さえ取ってしまえば常陸の佐竹と領地が隣り合わせになり今後の関東への足掛かりを作ることが出来る。

 幸いにも白河は離反した国人衆との戦で消耗した後であり、それに付け込む為にも謙信は兵の休息を交代で取らせて三芦城に戻り、弥太郎と合流した後に僅か一週間で白河の領内に迫った。

 うららかな春が最も心地良いと感じられる日の下でいい加減戦に疲れ気味になっていた上杉軍の兵全員がこれで次の戦で春日山へ帰れると聞くと士気はぐっと上がった。

 だが、ここまで不気味な沈黙を保っていた佐竹が遂に動いた。

 佐竹義重は義清が落とした車城に軍を差し向けると国境に入る入らないの所で行ったり来たりの動きを見せ、上杉軍を牽制してきている。

 報告を受けた謙信は一旦進軍を止めて兵を駐屯させると段蔵に探りを入れさせ、龍兵衛と弥太郎を呼び善後策を練ることにした。

 

「ひとまずはここで待機して佐竹の腹を探るのがよろしいのでは?」

「やはり、弥太郎もそう思うか。龍兵衛も同意見か?」

 

 一応聞いてみるが、謙信も弥太郎も龍兵衛が否定しない訳がないと思っていた。

 彼は石橋を叩いても渡らない程に慎重で常に最悪を考えて行動する人間であるのを知っている。この状況では動くにしても無理が生じる危険性もあるし、佐竹と対抗する兵力を車城の義清が持っていない。

 

「いえ、自分はこのまま白河を一気に討つことが上杉の勝利に繋がるかと」

 

 故にこの龍兵衛の発言に二人は驚きを隠せなかった。二人の表情を見てやはりと思いながら口を止めずに龍兵衛は続ける。

 

「佐竹がなかなか動かなかったのが今になって動いたのは関東における状勢が徐々に北条に傾いているからです」

 

 北条が里見を徐々に圧迫し始めて織田に対する準備を進めている。佐竹も下野や房総半島北部への出征を繰り返してきたが、北条幻庵の巧みな外交政略によって小山や結城を誘い込まれてしまい南進が出来なくなってきている。

 そうなれば後は北上するしかないのだが、今、上杉が奥州一帯を着々と所有している為に迂闊には動けない。

 上杉と北条の動きに介入せずに傍観の構えを取り、油断したところを取る考えであったのだろうが、上杉の予想以上の進軍の速さに本当に動けなくなっていたのだ。

 だが、ここで白河を後回しにしておいた上杉の戦略が裏目に、佐竹には僥倖となった。

 白河を落とすには小峰城を落とさなければならない。そうなると白河東の石川にある車城の守りが薄くなり、佐竹が付け込む隙が出来てしまう。

 

「だったらいっそう車城に兵を送り込んでおいた方が良いのでないか?」

「それは違います。今回の佐竹は今までと違い、鬼真壁が戦場に出ていません」

 

 安易過ぎると弥太郎の考えをきっぱり否定する。不自然なのは普段の佐竹軍であれば鬼真壁と恐れられる真壁氏幹が参陣する筈であるが、今回は戦場にさえ出ていない。

 

「今回佐竹を率いているのは岡本禅哲。かの者は佐竹の外交を任されている人物で、おそらく、北条との戦いが迫っているのを感じ取り、尚且つ、上杉軍の進撃を止める為にわざわざ兵までもを率いさせたのでしょう。そう考えれば佐竹義重という人物もなかなか強かに見えてきます」

 

 もう少し人選をしっかりとするべきであった。せめて真壁氏幹を参陣させていれば龍兵衛も兵を返したに違いない。

 一方、内心ではあの佐竹義重が見え見えの様子見をすることに不信感も持っていた。しかし、それを調べる術は禅哲に会わなければ分からない。

 

「今はこの好機を逃しては佐竹の思う壺。どこまでいけるかは分かりませぬが、すぐに兵を動かして最悪でも関和久城を落とせば十分です」

「結城自体を落とさなければ撤退した後に取り返されてしまう。しかし、奪うことで上杉軍の力を見せ、交渉を有利にさせる訳か?」

「はい、謙信様との会談を望む頃には佐竹の度肝を抜いておくという訳です。義清殿には決して佐竹軍を挑発してはならないと伝えておきます」

 

 そう結び、久々に長々と話したので息を一つ吐いた。

 今思えば石川との戦の際に謙信が取った石川の心を攻める策で要した時間がもう少し短ければ確実に白河を仕留めることが出来た筈である。

 

「(今更悔やんでも致し方ない。それよりも、どうやって関和久城と小峰城を迅速に落とすか・・・・・・)」

 

 関和久城はともかくも、小峰城はなかなかに堅固な城として有名である。

 力攻めが一番であるが、犠牲は少ないのが好ましい。

 

「謙信様、二階堂様がお目通り願いたいと」

「相分かった。通せ」

 

 すぐに盛義がやってきて一礼すると以前のあれは何だったのだろうかという程、戦前のきりりとした表情を覗かせる。

 

「何かあったか?」

「此度の戦で我々は疲れが見えてきております。故に白河との戦は策を用いるべきかと」

「ほう、どのような?」

「白河には我が娘、蘆名盛隆の養父、蘆名盛氏との縁者がおります。今はそれほど表に出ることはありませんが、実はこれがなかなかの野心家でして・・・・・・・・・・・・」

 

 弥太郎はつらつらと策を謙信に申し上げる盛義には確信があるように見えた。

 彼が言い終えると謙信は考え込むように目を瞑り、龍兵衛を見る。

 

「・・・・・・ふむ、龍兵衛は如何だ?」

「良い策です。そういった者はそれなりの餌を与えればすぐに動くでしょう」 

 

 盛義のおかげで策は思ったよりも簡単に出来上がった。頭の中の理想的な運びをその通りに出来れば白河の本拠、小峰城を落とさずとも勝つことが出来る。

 その時、龍兵衛の口元には策士の歪んだ笑みがこぼれていた。謙信はそれを見て、さすがに軍師だなと安堵する。

 公私混同は避け、龍兵衛はきちんと真剣な表情で考えている。良い顔だ。

 

「(それでも颯馬には適わないが・・・・・・)龍兵衛は盛義と策を進めよ。弥太郎、先鋒は任せる。何かあれば逐一知らせるようにな」

「「「御意」」」 

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