白河結城家は元々鎌倉時代から続く下総の結城家の庶流で鎌倉時代に結城氏の祖小山朝光が得た白河庄に、孫の結城祐広が移り住んだのが、白河結城氏のはじまりとされる。
だが、白河家も戦国時代の激動の波に乗ることが出来ずに飲み込まれていった。
家臣との再三にわたる対立。さらに佐竹や那須の侵攻を受けたため、衰退の一途をたどり、佐竹義重によって赤館城を攻め落とされて、南郷一帯はことごとく佐竹氏の支配下に落ちてしまった。
その結果、長年本拠としていた白川城を廃棄せざるを得ない状況にまで追い込まれた。
「上杉軍が国境を突破致しました!」
そして、今は上杉軍という佐竹や那須とも比べものにならないような怪物がやってくる。
だが、現当主である結城晴綱は病に伏せっている。しかも、日を追うごとに目眩が絶えなくなり、薬師からはそう遠くない日に目が見えなくなるかもしれないとまで言われている。
だが、ここは病を押してでも自分が立ち上がらなければならない。
そう思った晴綱は根性で立ち上がると杖を突いて歩き出した。
案の定、軍議の間では朝がまだ早いというのに家臣一同が集ってあれこれと議論を展開させている。しかし、その中でなかなか良案は浮かばずにただ無駄な話をしているようにしか晴綱には見えなかった。
「こ、これは晴綱様!」
彼の登場に気付いた一人が慌てて頭を下げる。それに続けて家臣全員が一斉に頭を下げた。
「未だに、何も出ていないようだな・・・・・・」
「晴綱様、何か妙案がおありで?」
「仲介を頼み、一旦脅威を無くした後にさらに強固な地盤を築く」
「お言葉ですが晴綱様、我らに協力して頂ける勢力がありますでしょうか?」
そう言ってきたのは清廉な若人といった言い方がよく似合う男性で老年の家臣達を差し置いてその有能さを評価され家臣の筆頭の地位にある小峰義親。
内乱により断絶していた白河結城氏の庶流である小峰氏を継いでいて、宗家の結城晴綱が元気な間はあまり政治の場に表れることはなかったが、晴綱が病により当主としての活動が困難になると、晴綱の嫡子である義顕の代わりに家中の実権を握り、白河結城家を動かしている。
無表情で己の感情を全く出さないが、無欲無心で晴綱からの信頼も篤い将来性の高い将である。
「北条殿とはかつて同盟を結んでいた間柄、上杉が徐々に関東に近付いているのは北条殿とて面白い筈がない」
本来なら長年の付き合いがある岩城に頼みたいが、上杉に降伏してしまった為、残念ながらそれは不可能となった。
北条とは今も同盟を結んでいるままではあるのだが、形骸化していて全く使い物にならないと晴綱も思っていたが、このような時になって忘れていた宝物を引っ張り出すことが出来るとは思わなかった。
「なるほど、たしかにそれは妙案」
義親が二度三度合点がいったように頷く。しかし、その反対意見があるが故に議論が纏まらない訳である。
「殿、某はそのような弱腰なお考えには賛同出来ませぬ!」
勇み立って反対意見を述べるのは家老の和知美濃守である。
武勇一辺倒の彼は身体に生傷を多く作ってきた。その為か、今回は相手が上杉であることもあって気張っているようだ。
「今、北条を頼ればますます北条をつけあがらせるだけですぞ! 何故に由緒正しき白河家がそのような恥辱を受けなければなりませぬ!?」
「世は乱世、儂が言えたものではないが、白河家もじきに波に飲まれるやもしれん。儂とてそれは避けたい。故に、このような事も必要なのだ」
「解せませぬ! 最期まで意地を貫くのが、武人としての意地ではありませぬか!?」
息を巻く彼の発言を聞くだけでも時間の無駄だ。
もうよいと手を挙げ、晴綱は彼を無視すると義親に視線を向ける。
「義親、その仔細について話し合いたい。後で儂の部屋に来てくれ」
おそらくこれが最期の大仕事になるだろう。ならば白河結城家を守る為に何としてもこの仕事が終わるまでは生き長らえなくてはならない。
そう思った途端、晴綱の視界はぐらりと揺れて意識が遠のいていった。
「むぅ・・・・・・ここは?」
「お目覚めですか?」
「おお、義親か・・・・・・・・・・・・な・・・・・・」
晴綱の目に光が無い。目一杯開こうとも開こうとも真っ暗な闇が視線の先には続くだけである。
「軍議の間にてお倒れになりその後、薬師に見せたところ、御無理をした為にお身体が付いていかなかったそうで御座います。どうか今後は自重してくださいませ」
「見えぬ・・・・・・」
「はっ?」
「もう一度薬師を呼べ! 目が、目が見えぬ!」
すぐさま義親が薬師を呼んだ。
診てもらうとどうやらとうとう病によって目も蝕まれてしまったらしい。
失明した目はもう光を取り戻すことは無くなり、身体は思ったよりもますます弱ってきているようだ。
このような時にどうしてと己で己で恨めしく思う晴綱を義親はゆっくりと諭すような口調で慰める。
「ご案じ召されるな、後の事はこの義親が進めます。晴綱様は御自身のお身体に気をお遣い下され」
「迷惑をかけるな・・・・・・このことは誰かが気付くまで内密にしてくれ」
このまま死ねば、白河結城家の命運は地に落ちる。年少の義顕では快く思わない連中がまたどこかで動き出すかも分からない。
残った命を灯火は弱っているが、まだ消させてはならない。
「ところで晴綱様、和知美濃守を如何が致します?」
「あやつか・・・・・・あれはなんだかんだいっても白河の武の柱ぞ。今までも忠誠を誓ってくれたではないか」
目の光を失えども自分に向けられている忠誠心は見える。そして、この状況下でもし最悪の場合になった時には和知美濃守の力は必要不可欠である。
義親は失礼と言うと晴綱でも分かるように音を立てて近付いた。
「ここだけの話ですが・・・・・・和知は近頃何やら将達を集めて宴をよくやっているとか・・・・・・実は某もそれに以前参加致しましてな」
「何!?」
感情の入っていない声で耳元で囁かれた内容に晴綱は立ち上がろうとしたが、衰弱した身体がそれを許さない。
「どうしてそれを早く言わなかった!?」
「その際は、和知は特になにも言わなかったが故に・・・・・・」
呻き声を上げ、何かを言おうとしているが、晴綱のかすれた喉はがらがらの声しか出せない状態になっていた。
咳払いをすると少しばかり声が出せるようになり、かすれた声で必死に義親に命じる。
「早よう、和知を呼べ・・・・・・あれを問い質さねば・・・・・・」
「・・・・・・」
「義親、早よう・・・・・・」
じっとその光景を眺めるだけで義親は動かない。表情を全く変えることもなく、ただ「早よう、早よう」と言う主君のかすれた声がまるで聞こえていないように晴綱の肩を揉んでいる。
それが続いて二、三分程経っただろうか。
精一杯の力で晴綱が叫んでいるつもりの声を出しても義親は決して動かない。
先程から変わらずに優しく肩を揉んでいるだけである。
「お主が行かぬのなら・・・・・・儂が・・・・・・」
「おそらく・・・・・・」
痺れを切らし、自ら動き出そうとした晴綱の肩をそこにいるようにと言わんばかりに強く押し込み、突如として固く閉ざしていた口を開いた。
「おそらく、義顕様にも手が・・・・・・」
「な・・・・・・!? まさか・・・・・・」
ならば尚更行かねばならない。
そう身体に言い聞かせて動かそうとするが、義親は肩を離さない。「離せ!」と晴綱が叫んでも義親は聞かない。声も出なくなったのかと晴綱が渾身の力で振り解こうとしても病身の老人と若い青年では結果は言うまでもない。
「早く止めねば・・・・・・白河家がどうなっても・・・・・・良いのか・・・・・・?」
「ご案示召されるな。後は・・・・・・この義親が上手くやりますので・・・・・・」
義親は変わらない声で耳元で囁く。しかし、長年白河結城家を守り抜いてきた晴綱の強かな性格はその声の中に白河結城家への忠義の他の感情が入っているのを感じた。
「離せ! 貴様・・・・・・義顕をどうするつもりだ・・・・・・」
「ご案示召されるな・・・・・・この義親にお任せ下さい・・・・・・」
「ぐ、があぁ・・・・・・」
力を込めれば込める程に晴綱の命の灯火を灯す蝋燭の蝋はぽたりぽたりと滴り落ちる。
晴綱には蝋燭を持っている真っ白な人らしいなにかが幻覚の中でしっかりと見て取れた。
「(寿命が消えるよ。ほら、消えてしまうよ・・・・・・急がないと・・・・・・ほら、ほら)」
「(まだだ・・・・・・消えるな。急げ・・・・・・消えるな! 消え・・・・・・)・・・・・・る・・・・・・な・・・・・・」
「・・・・・・と、これで蝋燭に火は点いた。しかし、家に帰ると子供がつい遊び心で火を息を吹いて消してしまった・・・・・・以上『死神』でした」
龍兵衛が一礼すると慶次達は拍手と呆気なさすぎる展開に驚いている。
戦の合間での余興で披露した落語が受けてほっと一息して龍兵衛は安心していた。
一方、義親は邪気を孕んだ笑みを一人だけになった部屋で浮かべていた。
「さすがは晴綱様、あれだけの会話で事を察するとは・・・・・・」
晴綱の脈を取り、事切れていることを確認すると義親は今まで他人に見せたことの無い、冬が終わり、農家の人々が春が到来した時のような嬉しいという感情を爆発させたようなとびきりに良い笑顔になった。
「ふふふ、これは報いだ。俺を己の種で産み落としておきながらも凶日に産まれたということを理由に遠ざけ、俺を世継ぎとせずに小峰に送ったな・・・・・・」
長年、内面に押し込んでいた御家転覆の野心という悪を全面に出しているというのに全くそのような気配を出さずに実に良い顔をしている。
「言い忘れていたな・・・・・・ご案示召されるな、義顕様は生かしておきます。されど・・・・・・その後は保障しませんよ」
晴綱が暴れて乱れた布団を整えて光を失っていながらも見開いている指で目を閉じさせる。
合掌すると義親は部屋を出ようと歩き出すが、何かを忘れているのを思い出し、身体を反転させる。そして、部屋に置いてあった名刀、備州長船盛景を密かに自分の腰に差すとその笑みはますます深いものになった。
今度こそ廊下に飛び出し、溜め込んでいた始まりの始まりが上手くいったことへの喜びを吐き出すように義親は叫び続けた。
「誰かおらぬか!? 晴綱様の容態が!」
大内定綱を降伏させた景勝率いる部隊はその定綱を配下に入れ、相馬を倒すべく、手始めに権現堂城と泉田城、さらに請戸城を纏めて一日で落とした。
その三日後には小高城の支城である岡田城を落とし、規模がさほど大きくない為に小高城に築かれている出城を制圧して丸裸にすると、いよいよ相馬氏の本拠地である小高城を包囲した。
この戦が始まって早くも二ヶ月以上は経っている。
しかし、景勝にはどうしてもそれ以上に時間が掛かっているように思えた。
夢見が悪くなったのである。
内容としては景勝は誰かに聞かれたとしても絶対に語りたくないものであった。
小手森城の撫で斬りにあった人々が首なしの状態で自分に向かってくるのである。毎回誰か一人に袖を掴まれたというところで目が覚めるのだが、これが毎夜のごとく振り返っているのだ。
政宗からも直々に伊達家の重臣が揃って本当に浅慮であった、申し訳ないと何度も頭を下げられた。景勝はその度に気にしていないと口では言ったが、実際に自分に非難の目が向けられるのを見るとさすがに参ってしまう。
「(分からない・・・・・・)」
政宗達が尽力したおかげで早々と非難の火は徐々に消えてはいるが、今の景勝はどうしてもそれを引きずってしまう。
腹を割って話せる謙信と龍兵衛は別の方面にいて何も相談が出来ない。兼続では相談したところで気にしないのが一番であるとしか返ってこないだろう。
景資に聞いてみるのもありだが、どうしても畏れ多くて腹を割って話せる雰囲気に持っていく自信が無い。
だが、そう考えている間にも小高城は徐々に落城への道歩きを続けている。
兼続から実質上の指揮を親憲に任せてはどうかと打診されたのは一週間程前であったが、その時は頑なに首を横に振り続けた。
それは意地である。
この程度で指揮を家臣も委託するなど信頼してくれた謙信の顔に泥を塗るようなもの。
援軍を率いる大将として自分が向かうとは思っていなかったが、任された以上は最後までやるのが当然である。
決して意地の張り合いで戦をやっていける訳がないと分かっていても、景勝にも譲れないものがあるのだ。
だが、邪念に支配されている頭はなかなか働いてくれない。
先程などは大手門を攻めている景家からの救援要請が来た際に、どこの部隊が援軍を欲しいのか改めて聞き返すという戦ではやってはいけないことをやってしまった。
周囲は兼続が警戒している為に大丈夫ではあるが、集中していなければ戦はどこでひっくり返るか分からない。
「(早く、謙信様と龍兵衛に会いたい。お話したい・・・・・・)」
何度気合いを入れ直してもこの感情だけはどうしても景勝から離れることを許さなかった。
深緑の季節が近付き、ますます生い茂る木々がもっともっとと太陽の光を浴びたいと成長を続けている中で小高城を囲む木々は人間の流した血によって木の幹の色を赤く染めていっている。
そして、木々はそれが汚らわしいと人々の戦いを軽蔑するように徐々に人の住む場所へと戦場を移し出すようにと風に頼む。風もそれに呼応して吹き荒れる。
人は天地の怒りを聞いたかのように争いの場を徐々に小さくしていった。
しかし、そのせいで流れる血は数が少ない方が断然多くなっている。
「大手門を突破され、最早、これまでかと・・・・・・」
怒れる天を仰ぐ以外に何か選択肢があったのだろうか。
笑いながら迎える死?
そのようなものなどありはしない。
相馬家の発展に力を注いできた。成功もあれば失敗もあった。しかし、その成功は越後の竜の軍隊によって全てがおじゃんになろうとしている。
だが、腕組みをして城の窓から外を眺めている相馬家当主相馬盛胤に、死に対する悲壮感は無かった。
たぎっている血潮の流れが留まることなく流れている間、他家の者に命乞いをすることなど、出来る筈がない。
「(俺にも、武人の血が流れていたということなのか・・・・・・)」
嬉しいのやら悲しいのやら分からない。
第一にそれを表すような表情がどのようなものなのか、盛胤は知らない。故に、今ここで出来るのはふっと鼻で笑うだけである。
上杉は既に主郭を包囲し、もう盛胤は逃げることは出来ない。
「申し上げます。上杉の使番が盛胤様にお目通りを願っております」
「追い返せ、何度来たところで俺の気持ちは変わらない」
振り向きもせずに手をひらひらとさせて伝えに来た兵に言うが、その兵は何故だか困ったようにして動こうとしない。
家臣達は自らの持ち場から離れずにいるので今ここには盛胤しかいない。故に誰かがいることは盛胤にはよく分かる。
「実は、もし盛胤様がそのような返答をされてもこれをお見せすれば、気が変わるであろうと・・・・・・」
そう言うと兵は盛胤に近付いて手に持っていた物を盛胤に差し出す。
それは一本の刀だった。一介の兵にはその価値が分からないようで目を見開いて刀を見つめる盛胤を見ている。
盛胤は真剣な表情で周りをじっくりと鑑定している。しかし、鞘から刀を抜いてそれを見た途端、余程の名刀なのだろうか。盛胤はその刀を差し出した相手の思惑通り、驚きの表情を浮かべた。
「・・・・・・通せ」
盛胤が兵に命じた時に、風はそれを称賛するかのように強風を弱くした。
腕を組んで待っているとしばらくして件の人物はやって来た。
このことを聞いた何人かの将兵がこの場に来ようとしたが、盛胤自身がそれを許さず、皆持ち場に戻っていった。
兵が使番が入るという声を出したのを聞くと盛胤はすぐさま通すように伝える。
そして、自身は上座でどっかりと座るのではなく、目上の者を出迎えるように部屋の隅で控えているとその使番が入ってきた。
使番の姿を確認すると盛胤は深く頭を垂れ、先程兵から渡された刀をその使番に返す。
「そう畏まらなくても良いのじゃが・・・・・・」
「そうは申されど、この相馬盛胤、あなた様からは多大な恩がある故に。義て・・・・・・」
「吉江景資じゃ」
毅然として、有無を言わせない物言いに変わりはない。そして、その少々頑固なところも。半信半疑であったが、確信した。
長い沈黙が続き、食い下がっても意味がないと悟った盛胤は聞こえないように溜め息を吐くと今一度、頭を垂れる。
「・・・・・・分かり申した。吉江・・・・・・景資殿・・・・・・」
景資はそれで良いと実に晴れ晴れとした笑みを浮かべた。