上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第七十五話 意地

「(これは現か・・・・・・それとも夢か・・・・・・)」

 

 盛胤は内心の喜びの感情を抑えるのに必死だった。

 足利義輝殺害事件、永禄の変は東北の辺境の地にまで聞こえていた。

 夢と盛胤が思ったとしても城内にまで伝わる血の匂いは全てが現であることを伝える。

 今から何年も前に東北全土を巻き込んだ天文の乱が勃発すると相馬盛胤の父、顕胤は稙宗派として晴宗と戦った為、彼も稙宗派と目された。

 その後、盛胤はこの内乱に乗じて独立した蘆名と未だに力を持っていた伊達の二大勢力に板挟みされる状態となり、どちらに付くか決断を迫られることになった。

 盛胤は伊達と丸森城と伊具郡周辺領域をめぐって抗争を続け、風前の灯火となった現在に至るまでその状態が終わることはなかった。

 結局、天文の乱は征夷大将軍、足利義輝の仲裁を承けて、稙宗が晴宗と阿武隈川を挟んで相馬・懸田・亘理拠りに位置する丸森城に隠居して晴宗に家督を譲るという形で和睦し終結した。

  

「その節は誠にお世話になり申した」

 

 乱の間、盛胤は危機に瀕していた。

 祖母が田村家出身であった岩城重隆は晴宗派と蘆名の勢いに乗り、また白河結城家の結城晴綱の権勢を後ろ盾にして相馬領へ侵攻した。このため盛胤は父と共に岩城を警戒する事態となった。

 その対応に追われていた時の義輝の仲裁であった為に盛胤は義輝に対して多大な恩を感じていた。

 そして、その時に盛胤は義輝と面識を持った。厳密に言えば、盛胤が義輝の持つ名刀達に目が行ってそれに気付いた義輝は盛胤に興味を持ったと言った方が正しい。

 その時の義輝の一日だけとはいえ、名刀についての講義は盛胤の数寄者の心を大きくくすぐった。

 

「やはり、それは『童子切安綱』でしたか、あの時義輝様が始めにお見せしてくれたのでよく覚えていました」

「ほう、そのような事があったのか?」

 

 覚えていないし、そもそも知りもしないと惚ける景資に盛胤は溜め息しか出てこない。目の前の元将軍様は最早ここまで己の信念を曲げてしまった。

 

『妾は、何としてでも乱世の火種を摘む。たとえその中でどのような妨害があってもじゃ』

 

 輝いていた。力強いその目は誰もを凌駕する絶対的な風格とその台詞を口八丁にしない威厳を持っていた。

 だが、今はその風格も衰え、上に立つ者としての威厳は他の者よりも強く感じられるが、以前のものと比べると月とすっぽんである。

 すっかり上杉の家臣に成り下がってしまった。

 盛胤は愕然とするしかない。あれほど全てに通じる力は影を潜めている。

 

「時代は・・・・・・」

 

 それに気付いたのかは分からないが、景資は遠い目をして語り出す。

 その姿は上杉家家臣吉江景資ではなく、第十三代将軍足利義輝であった。

 

「時代は、止まってはくれぬ。古より滅びという闇が見えた途端に全てはあっという間にひっくり返る。強引に事を進めすぎた妾にいずれ快く思わない者が現れるのはうすうす感づいていた。それでもどうにかなると思っていたのじゃ」

 

 しかし、その心に生じた気の緩みが義輝の足元を掬った。

 あの夜は自身でも生涯の中で最も壮絶に戦ったと自負できる。だが、そのような状態に追い込まれるまで気付かなかった。

 悟ったのは襲撃に遭った時。そして、上杉に拾われるまで正体を明かしても信じられず、力を付けた三好に媚びを売る為に襲われることもあった。

 やむなく身をやつして民に施しを貰いながらただ京から離れた。その時に義輝は民がいかなる者かを学んだ。

 それから、どうにか春日山の山中で景勝をお互いに迷子と勘違いし合い、城に連れて行ってもらったことでようやく心休まる時を得ることが出来た。

 そこで義輝は衝撃を受けた。

 自身が民と接することでようやく分かった事を謙信を含む上杉家の面々は最初からよく知っていた。

 民と分け隔てなく接し、共に歩むようにして進んでいるあの者達を見て義輝は上杉家に身を寄せて本当に良かったと思った。

 そして、上杉家こそが変わり始めている天下の時代の風に乗ることが出来ると確信した。

 ただの勘であったが、その後の様々な妨害を乗り越え風に流されずに躍進する上杉家は彼女にとっていつしか人生の生きがいになっていた。

 

「逃げた。どれほど綺麗に言い繕うと某にはそうとしか聞こえませんが?」

「手厳しいのう。それもそうかもしれん。しかし、最早潰れて行くであろうものにしがみついて何になる?」

「足利を捨てると? 生まれ育った家、慣れ親しんだ者達がどうなってもよいと?」

 

 盛胤は我を忘れる程に怒りで頭を真っ白にしていた。

 無責任な発言だ。これがかつては剣豪将軍と謳われた義輝なのか。弱くなった足利幕府を復権させることに燃えていたあの強過ぎず覇気を纏っていたその人なのか。

 分からない。何故に目の前の義輝もとい景資はそのような物言いが平然と出来るのか。

 

「意地など誰にでも張れる。しかし、その後に残るものを誰が片付けるというのじゃ? 武人たる妾達がするのではない。最後に露払いをするのは結局は民。妾はそう悟ったまでじゃ」

 

 たしかに戦というのは己の意地を最後まで貫き通し合うもの。しかし、戦後に戦地となった場所を最後に元の田畑に稲穂をたわわに実らせる光景に戻すのは結局は民であり、武士はその為のささやかな手助けをするのみである。

 別に景資は弱い者達が強者に対する負け戦をするなとは思っていない。しかし、その中で無駄なものがいくつもある筈である。

 

「妾は意地を張って多くの民を犠牲にした。そう気付いたのじゃ。上杉の者達によってな。気付かされた時は残酷であったが、今は随分と感謝している。いずれ妾の正体を公に明かさねばならない日が来るであろう。しかしそれでも、妾は上杉から離れとうない」

「それほどまでに、上杉に愛着を・・・・・・」

「何も言うでない。妾は、弱い妾が意地を張っても無駄と知ることが出来た。それで満足じゃ・・・・・・後は、強い謙信達に任せる」

 

 そう結んだ景資を見る盛胤の目からは憤慨が消えていた。

 あの時、語ってくれた思いは景資本人にはもう無くなってしまった。しかし、盛胤はその景資の眼に新たな光があるのを見た。

 その苛烈さは変わらないが、そこにはかつて会った時には無かった穏やかさがあった。

 

「温故知新。景資様はどうやらさらに今を学んだのですな」

「盛胤、単刀直入に言おう。降れ。妾の言いたいことが分からぬお主ではなかろう」

「ええ・・・・・・ですが、岩城重隆と某は奴が某の隙を突いて攻めて来た時からの犬猿の仲。おそらく、あれは某を快く思ってはいますまい。某が降ったとしても、上杉の為にはならぬかと」

「ならば、如何するというのじゃ?」

 

 今度は盛胤が遠い目をしてど記憶を戻しだした。

 忘れもしない天文の乱。岩城重隆の急襲に憤慨し、いずれ仕返しをすると誓いそれが成せなかった日々。

 思い返すとそれはただ意地っ張りな己が蒔いた災いに思えてきた。

 馬鹿馬鹿しい。しかし、当時から既に波に乗れなかった自分を今の自分が責めても意味がない。

 思考と意識を現在に戻し、一つ息を吐くと外から見える美しい東北の山々に目を移す。

 外には景資も惚れ惚れする程に素晴らしい手付かずの自然が遠くに見えた。

 盛胤同様に景色を眺めていると、ふと景資は山々を眺める彼の表情から盛胤が本当は自然のままに生きてみたかったという願望があったのではないかと思った。

 外を見ている盛胤の顔はとても敗北寸前の将の浮かべる表情ではない。武人としての泥臭さは無くなり、清々しさに満ち溢れている。

 お互いに無言で数十分ぐらい経っただろうか。盛胤は外の景色から目を外し、再び景資に視線を向ける。

 表情から穏やかさは消えた。武人の顔に一瞬で戻った盛胤を見て何を言おうとしているのか景資も容易に察することが出来た。

 

「某は景資様と違い、たとえ弱くてもその意地を捨てきることは出来ませぬ。武人たる某は最期まで武人として生きとう御座います。逃げも隠れも致しませぬ。しかし、何卒遺される将兵と我が家族のことは宜しくお願い申し上げる」

「妾が何を言おうと最早無駄なようじゃな・・・・・・よかろう、他に何か望みはあるか?」

 

 目を瞑り、腕を組み、少しばかり考えると盛胤ははっきりと口を開いた。

 

「景資様の名刀のどれかで介錯をして頂ければ某の生涯に何も後悔はありませぬ」

 

 景資は表情を変えること無く、一度だけ頷いた。

 

 

 

「吉江様がお戻りになりました」

 

 一番驚いてその報告を聞いたのは景勝であった。

 もうここまで来たら徹底抗戦を向こうが選べば後は親憲達が上手くやってくれるだろうから自身は城を落とせと命を一つ下すだけである。

 景勝は景資が帰って来るまでずっと謙信や今まで戦で学んできたことをほけーっと考えながら小手森の事へと結び付けていた。

 結局分からずじまいで終わってしまったが、何となく糸口は見つけられた気がしていた。

 景勝が景資の出て来た小高城を眺めていると景資の後ろから相馬の将兵達が出て来た。相馬家の家宝「放駒の陣螺」を携えて。

 景勝は親憲からあれを譲り受けることを条件に無血開城をするべきという進言をされていたのだが、おそらく小手森の事が未だに尾を引いている現状で、その可能性は低いと思っていたが、戦になるという可能性は無くなったということは集中力が欠けている景勝にとっては幸いであった。

 戻って来た景資に景勝はとててと近付いて使番の役目を果たした労をねぎらおうとしたが、景資が片手に持っていた盛胤の首を見て目を見開いた。

 

「吉江景資、只今戻りました。これは相馬盛胤めの首に御座います。子細は、陣幕にて」

 

 景資は公としての振る舞いをすると景勝・親憲・景家の上杉家重臣と共に陣幕の奥に入り、景資はすぐさま人払いを済ませて口を開く。

 

「やはり駄目じゃった。盛胤にはもう少し柔軟さがあればこんな事にならずに済んだのじゃが・・・・・・」

 

 自らが降伏勧告の使者としての役目を買って出た景資は残念そうにその首を見る。

 そこには面識がある故に必ず無血開城を盛胤に承諾させると自信を持って言った己の責任も感じているのだろう。

 盛胤との間であった先程までの遣り取りを皆に景資は語る。

 天を仰ぐ者。目にかすかな涙を浮かべる者と反応は様々である。

 最後まで家族、家臣一同、そして周辺に広がる美しい自然の為に散っていった盛胤は敵ながら天晴れであった。

 軍議の間に皆を集め、死装束を身にまとい、自分は腹を切り、皆を巻き込んだ詫びをいれたいと言うと当たり前のように家臣一同が皆泣いて反発した。

 必死に止める者もいれば自分もお供仕ると声高に叫ぶ者と様々。

 しかし、盛胤は全く耳を貸さずに家臣を一喝して黙らせると最後にゆっくりと立ち上がった。

 

「皆は生きよ、今後は上杉に忠誠を尽くせ、これが俺からの最期の命だ」

 

 そう言いきると家臣の返事も待たずに景資と自身の部屋に姿を消した。

 その数分後、盛胤は景資の介錯で見事に果てた。

 最後に血の付いた景資の『鬼丸国綱』を景勝達に見せる。

 これを使ったのは成り行きだった。

 此度の戦で最も出番が少なかったこの刀に最後の血を吸わせてやろうという考えに他ならない。

 

「まぁ、今後上杉に害するであろう『鬼』を退治したと思えば何とも思わぬ」

 

 知人を殺めた冷徹で強かな人間とは思えない穏やかな表情。

 親兄弟さえも殺し合う。それが乱世の慣わしなのだからこれは仕方がない。

 ならば何も面識のない小手森の面々を皆殺しにした政宗達は鬼畜と言えるのだろうか。人を殺めた時点でもう人は既に鬼畜と化しているのではなかろうか。

 糧にすればそれで良い。

 流れていく人の血を、憎しみを持った人々の目を、これから先にそのようなことが起こるか分からないが、その中で生きればまた一つ成長出来る。

 景勝は『鬼丸国綱』に目を移す。まだ斬って間もないということで鮮やかな赤い血が付着し、古では初夏に入った五月の太陽に反射して眩しい光を放ちながら刀は輝いている。

 生々しさもあるが、これはこれで美しい。

 

「まぁ良い。これ以外に謙信やお主への手土産も出来た」

「・・・・・・?」

 

 小首を傾げる景勝に景資は「この戦が終わって、謙信達と合流してからじゃ」と手をひらひらさせる。

 

『岩城重隆は切れ者で名が通っておりますが、所詮は知者気取りのただの日和見です。それをお忘れなきよう』

 

 最期に腹を切る寸前に残した盛胤の言葉。

 景資には分かっていた。盛胤がその事をただの私怨ではなく、公人としての警告であると彼の目が語っていた。

 

「(必死に戦い、降伏させた謙信達には悪いが、それがふいにならないことを祈るしかあるまい)さて、後は城に入り、処理をしなければのう・・・・・・景勝、如何した?」

「(ふるふる)何でもない」    

 

 少しばかり気が緩んだとは口が裂けても言えない。

 戦の後は一息付きたくてもつけないもの。死傷者の把握に軍の再編、さらに取った領地の民への慰安活動。それらを全て統括する役目は景勝にある。

 景勝自身、重々承知していたが、何故か緩んでしまった。

 自身の中で万事が解決した。しかし、とにかく緩んだことは自分を戒めなくてはならない。

 自分の中で自分の頭を叩きながら景勝は親憲に助けられながら総大将としての仕事を始めることとした。

 結局、相馬家の所領は上杉家が全土を支配することになった。

 大内は一部を伊達と蘆名に分け与え、戦前から龍兵衛が絶対に欲しいと言っていた郡山一帯は全て上杉家の直轄地になった。

 一週間が経ち、明日にはここを発って先に白河結城を攻めている謙信達に合流する。

 その準備に明け暮れていた景勝の下に親憲が珍しく慌てて走りながらやってきた。

 その様子からただ事ではないとすぐに分かった景勝だが、親憲から言われた事に驚愕を隠せなかった。

 此度の戦はこれで終いとする。戦後処理を終えた後に春日山に撤退するように。

 当然のごとく景勝は誤報ではないかと疑ったが「加藤殿直々にやって来られた」と親憲が言うと本当であると思わざるをえない。

 今度は親憲が持っている書状に目が行く。

 景勝は嫌な予感を抱いて書状を受け取り、中を改めると奥歯を噛み締めた。

 それは一週間前のこと。

 丁度、景勝達が戦を終えた時に事は起きた。戦後処理を終えた謙信達は二階堂義盛の手引きによって小峰城を占拠し、義顕を追放した小峰義親に対して降伏すれば所領を安堵するという使者を出した。

 これに義親は二つ返事で承諾し、謙信達を出迎える為に小峰城を出立した。

 だが、この隙を見逃さなかった人物がいた。中畠晴常である。彼は晴綱の長男だが庶出だったため母方の中畠氏を相続し、国神城に入っていた。

 つまり嫡男の義顕の行方が分からない今、彼にも白河結城を継ぐ権利はあったのである。晴常が声を上げると義親によって出世の道を閉ざされていた家臣達が晴常に走った。

 それは義親の油断以外に他ならなかった。元々彼は白河結城の当主として君臨することだけが目的であった。それが達成された後は内の権力掌握に目が向いて他の事には疎い一面が出てきたのである。

 国神城が小峰城と三芦城の間にある以上はそこを通らずに行く為に義親は進路を一旦北に変更して迂回することにした。

 それは全て晴常の目論見であった。すかさず晴常はかねてより誼を通じていた佐竹と正式に手を組み、小峰城を佐竹に奪わせた。

 報告を聞いて慌てた謙信が義親を待たずに白河結城を攻め込んだ時には後の祭り。

 既に最低限は取っておきたいと考えていた関和久城さえも取れずに田村領との国境にある僅かな小城のみを取るに終わった。

 それが終わるのを待っていたかのように義清から佐竹軍が和睦を結びたいと言ってきたという使いがやって来た為、進むことが出来なくなった上杉軍は撤退せざるをえなくなった。

 その際に撤退する上杉軍はそこだけが冬に戻ったようにめっきりと雰囲気は寒くなり、妙な緊張感が走っていた。あのひょうきんな慶次でさえめったに口を聞かない有様であったという。

 景勝は一通り読み終えると親憲にも中身を見せる。内容を読み進める内にさすがの親憲もこの呆気ない幕切れには溜め息を吐くしかない。

 

「佐竹と今の我らではたとえ某達が援軍に向かったところで勝てる見込みは低いでしょう。ここはこの書状に書かれている通り、撤退すべきかと・・・・・・」

 

 このところ連戦続きの上杉軍が鬼義重や鬼真壁を擁する佐竹軍に対抗できる力がある筈がない。

 今回の強引な遠征で途中で限界が来るかもしれないことは景勝も分かっていたが、まさかこのように思わぬところで足を掬われるとは想定外だった。

 やり切れない怒りを抱えて景勝は親憲に将達を集めるように指示する。

 誰の過失でもない。

 ただこちらに靡こうとした愚か者の不手際によって二ヶ月弱に渡るこの遠征は終わりを迎えた。  

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