上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第七十六話 口は災いの元

 やむなく謙信率いる上杉軍は車城で佐竹との交渉を終え、一旦三芦城に撤退して春日山へ戻ることになった。

 怒りをぶつける場所も無く、代わりに速くなった行軍速度はかなりのもので行きにかかった時間よりも二日早いお帰りである。

 一息つきたいところであるが、龍兵衛はそうはいかない。謙信が最後に了承するとはいえ、龍兵衛が実質上がってきた報告書を検分してそれから謙信に持って行くのだから最終的責任は彼にあると言って良い。

 今回降伏した石川・岩城は領地の一部を上杉に譲渡する形になり、大内に対しては田村の領有していた領地と旧領である現在の熱海町にあたる土地を没収した。

 反抗した以上は致し方ないという判断ではあるが、景勝は小手森の事も考えて少しばかり温情をかけ、定綱自身に身の振り方を考えさせ、小手森で出した損害を立て直す為の資金を提供するという約束をした。

 この景勝の慈悲深い心に生真面目な武人である定綱は感激し、上杉が出した降伏条件を全て受け入れた。

 景資の手引きで助かった相馬盛胤の嫡子である義胤が未だに幼い相馬に関しては本拠の小高とその付近のいくつかの郡を残して田村の領地を新たに上杉が直轄地とした代わりに一部を伊達に分け与え、残りは上杉の直轄地にした。 

 一見かなりの戦績だと思われるが、三芦城に着いた上杉軍の雰囲気は重苦しい。

 

「ふぅ・・・・・・」

「・・・・・・」

 

 報告書の全てに目を通し、謙信に提出した龍兵衛はそのままの流れで共に城内の様子を見ながら歩く。

 上機嫌さを振り撒いていたが、誰もいなくなったところで謙信は疲れたような溜め息を吐き、その斜め後ろを歩く龍兵衛は何も言わずに不機嫌なことを隠しきれない仏頂面で歩いている。

 原因は佐竹軍との交渉だった。

 佐竹の使者、岡本禅哲は、我々は元から白河結城と手を組んでいただの上杉も白河結城の領地を取れたから良かったではないかとあれやこれやと重箱の隅をつついて関和久城以北の領有を主張する上杉を退け続けて最終的に謙信が妥協する形で今領有している土地を境界とすることで一致した。

 面白くないと思う龍兵衛をよそに謙信は佐竹とのいざこざを防ぐ為に自身の所持する名刀『備前三郎国宗』を愛刀家である義重に送ることを約束した。

 佐竹が実質上は白河結城を牛耳ることが出来るようになってほくほく顔の禅哲と違い、龍兵衛は何かに八つ当たりしたくなる感情を抑えるのに必死だった。

 上杉にとっては関東への進出路を越後から上野に南下する進路と蘆名の領地から下野に入るしかなくなってしまった。

 関東管領という役職上は北条以外の勢力と波風を立てたくない。そのためには白河結城の領地は必要である。

 下野の大名で日光から鬼怒川一帯を支配する宇都宮は北条与党だけでなく佐竹とも同盟を結んでいる為に駄目。

 同じく下野の那須郡を支配し、宇都宮・北条と対立する那須と結び付きを深める必要がある。

 利害が一致する那須の領内を通ることが出来るようになれば越後・東北から北条を挟撃出来るようになるのだ。

 だが、那須の治める地域と隣接する白河結城の領地を取ることが出来なくなった以上、その計画は頓挫してしまった。

 

「この一連の動き、北条が絡んでいると見るのは考え過ぎか?」

「いえ、十中八九間違いないと見ていいでしょう。結果として北条は時間を得、我々の進軍を越後から上野へ下る道のみにしたのですから。さらに佐竹との関係をぎくしゃくさせたのも全て計算済みと見て宜しいかと」

 

 北条は上杉が南東北に出ている隙に里見に圧力をかけて房総半島に押し込め、小山を支援して結城の領地を削り始めているという。

 全ては北条早雲が考えた筋書き通りになっている。

 連戦続きで上杉が動けない間に領地を拡大版させて上杉と対等に渡り合える地盤を築く為に他ならない。

 侮れない人物と分かっていたが、仮にもまだ同盟を組んでいる為にしばらくは安心出来る。

 もう少し早く攻めれれば良かったという思いもあるが、後悔しても先々の役には立たない。

 龍兵衛は話題を変えることにした。

 

「謙信様、小峰義親とお会いになられましたか?」

 

 謙信の頭の中であまり表情を変えない理知的な表情をした小峰義親が浮かぶ。

 先ずは取り敢えず自身の浅慮な行いを義親は口先だけの謝罪した後に言った。

 

『ご案じ召されるな、必ず謙信様のお役に立ってみせましょう』

 

 義親の自信ありげな発言の中にかつて颯馬や龍兵衛と初めて出会った時のような力強い眼は無かった。

 それだけで謙信は目の前にいる男はただの物欲者で富樫晴貞と同類の人間だと分かった。

 そういう人を改めて見ると忌々しく思える。謙信はあの時の時間はすぐにでも忘れたかった。

 

「ああ、彼がやってきたその日にな。しかし、あれは盛義の言う通り餌を与えればどこにも飛んでいくような野心家だ。白河があれの手中にあればどうにかなるのだが・・・・・・」

 

 謙信の鋭い視線が龍兵衛に突き刺さる。何度も経験している軍師達や重鎮の武将達だから良いが、初見の者では籠められた威圧感に耐えきれないだろう。

 

「・・・・・・分かりました。ですがもう少しばかりお時間を・・・・・・」

「何故だ。別にすぐとは言っていないだろう」

 

 強欲な野心家を放っておいたところでたとえ才能があったとしても情勢が不利になって寝返られては何も意味をなさない。だが、今回はそうすることで大きなデメリットが生じる。

 

「小峰義親は結城晴綱の実子という噂もありますので彼を慕う者もいます。故にしばらくは彼の人望を利用させておき、恩賞を与えて春日山に縛らせるのが良策かと」

「佐竹が牛耳る白河結城を面白くないと思う者を我らに靡かせるのか」

「さすがのご慧眼で御座います」

「仔細は任せる」

「御意・・・・・・」 

 

 重苦しい雰囲気が話の内容が内容なだけにますます暗くなった。

 謙信からはそれが出ているように感じて龍兵衛はその気に白刃を突き付けられた気分で背中に冷や汗がたらりと流れる。

 その雰囲気を少し和らげたのは他でもない謙信自身の言葉であった。内容は仕事だが、先程が暗すぎたのでそれよりもずっと明るい話題である。

 

「ところで、獲得した領地の経営の準備は上手くいっているのか?」

「実は・・・・・・そのことでご相談が」

 

 獲得した領地には石川鉱山などの未だに開かれていない多くの鉱山がある。山師を使ってそれを発見し、上杉家の財政をさらに潤わせることも龍兵衛は考えていた。

 

「此度はおそらく獲得したかなりの領地に鉱山が眠っていると思われます。その発見の為に必要な資金を少しばかり多くして頂きたいのです」

 

 鉱山の大小があるとはいえ龍兵衛の知識では少なくとも十近くはある。

 それ全てを発掘する為にかかる資金は馬鹿にならないが、今後のために必ず必要になる鉱山は何としても見つけなければならない。 

 

「善処しておこう」

 

 色よい返事を貰えたので内心ほっとしながらも謙信が訝しげに自身を見ていることに気付いた。

 

「龍兵衛は何故そこまで金には鋭いのだ?」

「さぁ、昔から金があるに越したことはないという考えはありますので、それが助長したのでは?」

 

 こういった誤魔化しが良いのか悪いのか最近は堂には入っている。

 清貧を好む謙信がいるからということに関係なく、彼の鉱山の目利きは別に知識を役に立てているだけであって資金も必要な金しか使っていない。

 こういった財政に携わることが多い彼だからこそ疑問もあった。

 何故、颯馬ではなく自分が今回の遠征に同行することになったのか。龍兵衛はどちらかというと戦術ではなく、政策や戦略を得手とする。

 ずっと考え込んでいた疑問でとうとう謙信に面と向かって言うことはなかったが、戦が終わった今、ようやく分かってきた。

 

「(おそらく俺が『己』を確立していないからだろう。相馬盛胤殿のことを聞いて自身の本質が『生』ではないことは分かっていたが、最も重きを置くべき領内経営をこのような者に任せるなど思えん)」

 

 盛胤の事は既に謙信達にも届いていた。その時、龍兵衛は自分の本質がそれではないかと思ったが、それに気付いた謙信に鼻で笑われ一刀両断にされた。

 それよりも前から龍兵衛は生きることこそ、最も人として重きを置くべきという考えを持っていると知っている者が殆どで上杉家の中で知らない人の方が稀である。

 もし仮に謙信が龍兵衛の本質を『生きる』であるとしたのならあのようなことを言い出したりはしない。間違いなく春日山には颯馬ではなく彼を残らせた筈である。

 

「(どっちにしても早くしなければ・・・・・・)」

 

 深刻に考え込む心境が表情に出ていたらしく、謙信は龍兵衛を訝しげに見ている。それに気付いた龍兵衛はすぐに「何でもありません」と苦笑いを浮かべながら首を横に振ると謙信は何かに納得したように頷いてとんでもないことを言い出した。

 

「なるほど、やはり龍兵衛は欲が金に行っているのか」

「ちょっと待って下さい。何で今の自分を見てそうなるんです? それからその・・・・・・『やはり』って何ですか?」

「颯馬が言っていたのだが、違うのか?」

「いや、無いと言えば嘘になりますけど、普通ぐらいですよ」

 

 内心で謙信と一緒にいれなかったという理不尽な恨みを持っているであろう颯馬が龍兵衛のいない間に謙信に言っていたのだろう。

 彼へその八つ当たりの仕返しを考えながらも平静を崩さずに謙信に応える。

 

「ふむ・・・・・・その受け答えから察するに慶次が言っていたことは嘘のようだな」

「慶次のことですから、またろくでもないことでしょう?」

「うむ」

 

 龍兵衛の言葉に謙信が迷いなく頷くのを見て、慶次を哀れに思いながらも、龍兵衛は続いて謙信から出てきた発言に一瞬時間が止まった気がした。

 

「慶次が龍兵衛は変態だと言っていたのでな、まさかと思ったが、やはり嘘だったか」

「・・・・・・・・・・・・はい?」

 

 素が出たことぐらい不敬に価しないだろう。

 何せ自分の黒歴史が謙信に耳に入っていてなおかつ、あの謙信からあっさり『変態』という言葉が出てきたのだから。

 経緯を聞くと慶次と飲んでいた時に彼女が言ったが、かなり飲んでいて慶次自体も酔っていた為にあまり謙信も信じていなかった。

 

「(あの野郎・・・・・・颯馬よりもあいつの方が先だな・・・・・・)断じて嘘です」

 

 復讐を決意した心に怒りを収めて先程よりも平静を装って謙信にはっきりと口以外に目でも伝える。

 

「そうだよな。あの慶次が真面目な顔をして言うものだから、龍兵衛に限ってそれはないと思っていたんだ」

 

 酔って真面目な顔を浮かべる慶次も見てみたいが、それは今は割愛する。それよりも自身に限ってということは颯馬や親憲はどうなのだろうかと少し気になった。しかし、今は自身に被せられた疑念を晴らすのが先決である。

 

「ええ、慶次が真面目な顔をして本当らしく言うのはたいてい嘘です」

 

 便乗するところは便乗して必要無い事実は闇に葬る。それが龍兵衛の仕事の一つでもある。

 しかし、龍兵衛は以前にも調子に乗って定満の前でうっかり暴言を吐いてしまった人物でもある。

 

「はぁ、颯馬との件はいざ知らず。まさか慶次も自分に矛先を立てるとは・・・・・・・・・・・・」

 

 思いっ切り素が出ていたことに気付き、慌てて口を噤んだ時には既に遅かった。

 今度は謙信の時間が止まったように身体が硬直している。

 龍兵衛同様、すぐにそれは終わったが、終わった途端に謙信が物凄い怒気を出して龍兵衛に「どういうことだ?」と問い詰める。

 背後に赤い炎がぼわっと出ているように感じたのは龍兵衛の気のせいだ。外が夕暮れになってきて、烏が鳴いているような時間になっていたからに違いない。

 

「えーと・・・・・・そのー・・・・・・」

 

 そう言い聞かせなければ龍兵衛は生きた心地がしない。

 

「それは由々しき事だぞ。上杉の軍師が将と夜な夜な密会しているとは・・・・・・」

「・・・・・・自分はそこまで申してはおりませんが」

「言っていた内容で分かる」

 

 龍兵衛が一歩下がれば謙信は二歩詰め寄る。龍兵衛が二歩下がれば謙信は四歩詰め寄る。龍兵衛が三歩下がれば謙信は六歩詰め寄る。いよいよ龍兵衛は後ろの壁に捕まった。

 

「大事な事だ。言え・・・・・・」

「あ、はは、ははははは・・・・・・」

 

 全速力で逃げたいが謙信は龍兵衛が逃げた途端に追い掛ける準備は万端である。そして、龍兵衛の足は決して速くない。

 謙信と颯馬が恋仲であることは本人達は隠しているつもりらしいが、もはや上杉家の公然の秘密と化している。

 時期的にそうなった時とはずれているが、指摘するのは二人の意思を尊重して黙っておくべきだろう。そうなると彼が残された道はただ一つ。

 

「えー・・・・・・これはあくまでも噂で聞いた話ですが・・・・・・」

 

 取り敢えず自分の事は棚に上げて、密告することだけであった。

 なるべく当たり障りないように上手く言葉を誤魔化しながら大体の事を言い終える。

 見ると謙信は何故か嬉しそうな顔をしているが、出ていた怒気はさらに膨れ上がっていると龍兵衛は感じた。

 油断すると圧されて膝を着きたくなりそうである。

 

「・・・・・・分かった。実に良いことを聞かせてもらえた。用事を思い出した故、先程の報告書は後でも良いか?」

 

 彼としては本当はすぐに出してもらいたい。

 しかし、今反抗すれば怒りの矛先が自分に向きかねない。

 

「ええ、どーぞ、どーぞ」

 

 下手くそな作り笑いを浮かべ、大袈裟に頭を下げて謙信を見送り、背中が見えなくなると溜まっていた空気を一気に吐き出す。

 これだけのことで身も凍るような恐怖を味わいそれから解放されたことと自分に類が及ばなかったことを喜ぶように両手を挙げて思いっきり伸びをして腰を鳴らす。

 ゆっくりしようとも思ったが、慶次がどうなるのかも気になったので密かに着いて行き、誰もいないことを確認してそっと襖の隙間から覗くと見るも無惨な光景が広がっていた。

 

「(恐ろしい・・・・・・)」

 

 例える言葉は全く見つからず、表現方法がそれしか無いほど恐ろしいものである。慶次は叫び声も上げられない程に身体を寒がりな動物のように小刻みに震わせている。

 龍兵衛を恐怖でがくがくする膝に鞭を打って音を立てないよう立ち去るが、龍兵衛の頭の中は謙信と慶次のやり取りで一杯である。

 

「(明日、果たして慶次は生きているのだろうか・・・・・・そして、あの縛られた縄の跡は無くなるのだろうか・・・・・・)」

 

 おそらく春日山に帰った時には颯馬はもっと恐ろしい仕打ちが待っていることだろう。

 どうなるのか想像するだけで龍兵衛は先程謙信に鋭い視線を向けられた時よりもさらに背中の冷や汗が増して今度は服が濡れている。

 部屋に戻って気持ちを落ち着かせながら彼が春日山で謙信の帰りを待っているであろう颯馬に送る言葉はただ一つ。 

 

「(アディオス、アミーゴ!)」

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