上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第七十八話 波乱の後の苦悩

 一波乱も二波乱もあった春日山の夜は流れ星が流れて消えていくようにあっという間に過ぎて行き、いつも通りの朝を向かえる。

 慶次との鬼ごっこを上手く撒いて逃げ切った龍兵衛は戦の疲れが重なって自分の部屋に辿り着いた瞬間に力尽き、やろうと思っていた部屋の整理をすることは出来なかった。

 早朝に布団も敷かずに寝ていたことに気付いた彼だが、初心を思い出して部屋の所持品を整理していると一通の手紙を見つけた。

 処分しておくように言っておいた物は既に処分されていたが、この手紙だけは必要である為に隠しておいたのだ。

 取り出して中身を改める。文章が変わる訳がないが、飽き足らずに何度も読んでしまう。

 あれこれと適当に読み進めていくが、どうしても最後に書かれている事は食い入るように見つめてしまう。そして、あまりにも無惨な終わりに怒りを感じる。

 今やその感情は無意味なものとなっているのだが、忘れ去ることは決して無いだろう。

 整理を終えて部屋を出ると梅雨の時期には珍しく汗ばむ陽気になってきた。

 

「(そろそろ梅雨の終わりかな)」

 

 庭に植えてある梅雨が取り持つ七色の紫陽花もそろそろ色が褪せてきているようにも感じる。

 散歩に出る気にもならないので座ってぼけーっととしていると飼っている三毛猫がやってきた。

 春日山城内に野放しで飼っていたが、室内飼いの方が良いと聞いて出陣前にこちらに引っ越しさせた。

 初めてこの部屋に来た時は怯えていてずっと使ってない押し入れに入り込んでいたが、すっかり慣れて、腹を上に出して寝ている。

 抱きかかえて膝に乗せるとごろごろと喉を鳴らしているのが分かる。

 戦が続いた近頃に謙信達によって浮き彫りにされたことを忘れてしまいそうなぐらいに和やかでゆったりとした時間が流れる。

 時折吹く涼しいそよ風が整理をしていた時に流れた汗に触れ自身の体温が下がっていくのがよく分かる。

 木々の枝が微かに揺れ、鳥が鳴き始めた。草木は既に新緑から深緑へと移り変わり、青々としている。

 風が続いている間はこうしていよう。

 胡座をかいたまま猫を膝に乗せて龍兵衛は朝の気分転換を満喫した。

 とはいえ、部屋に居ても整理と使用人の様子を確認するだけで他にやることが見つけられなかったので朝餉を簡単に済ませるとすぐ城内の散歩に出掛けた。

 日射しが時間を追う毎に強くなり、徐々に気温も高くなっている。

 

「(眩しい・・・・・・)」

 

 素晴らしい天気であるというのに何故だか龍兵衛の心は晴れる気配が一向にない。

 謙信に指摘され、それまでずっと気付かなかった空虚な『己』にはただ純粋に人を照らし続ける太陽が羨ましいからだ。

 照らす太陽の眩しさが強くなる程に反比例して彼の心は暗くなる。

 

「はぁ・・・・・・」

 

 溜め息を吐けど幸せが逃げるだけ。分かっているが、やらなくても幸せが逃げていく気がしてならない。

 城内を簡単に歩き回ってひとまず自分の部屋に戻ると置いてある資料をかき集めて今後の長い領内経営について個人的な考えを纏める。 

 戦には勝利したが、北秋田郡を安東家残党に取られ、第一の目的でもあった阿仁鉱山を取れなかった為にあまり喜べない。

 その代わりに取ることが出来たのが土崎湊である。

 土崎は雄物川の河口、現在の秋田運河に位置する港町である。もともとは平安時代の蝦夷討伐軍が拠点として築いた秋田城への物資の補給などに利用された港であった。これが元で昔から海運で栄え、室町時代には安東氏が湊城を築き三津七湊の一つに数えられた。

 ちなみに越後にある直江津もこの三津七湊の一つに数えられている。

 さしあたり、土崎湊から直江津へ鉱山で取れた鉱物資源を運び、南部に備えて直江津から土崎湊に兵糧を送ることも可能である。

 前々から進めていた直江津の拡張も上手く行き、西の国々から商品が行き交うようになってきたそうだ。

 ますます発展しそうな商業と違い、越後という国は農業が決して盛んではない。

 一応、龍兵衛には盛んにする方法があるにはある。

 越後の田畑は湿田が主流で、足が嵌まったら自力で出られないことも稀にある。治水もきちんと行われていない為、氾濫が多く農耕不能な土地もある程である。

 さらに越後東では阿賀野川と信濃川。西側は関川と姫川が雨期になると土砂を巻き込んで被害を出している。治水を行い、湿田を乾田に移行させれば必ず上手く行く。

 分かっていたことではあるが、四つの川の全てが急流の為、抑えるのはかなり難しい。

 それに、長年湿田を使っていた農家に対していきなり乾田に変えると言ったら今までの苦労は何だったんだと言われ、不満が出るのは目に見えて明らかである。

 結局、今後も鉱脈の発展や青苧座の保護という重商主義に徹するしかなくなる。

 重農主義者の龍兵衛にとって苛々する状況だが、今回は好機である。

 おそらく次の戦は少なくとも二年程先である。

 今後の別の政策に行う予算を差し引いて、纏めて行うのは不可能だとしても一つや二つの川に堤防を築くことは可能である。

 

「(とはいえ人数と金は随分使うぞこれ)」

 

 龍兵衛が東北に勢力拡大を主張した最もな理由は眠る鉱山を発掘し、それを政策に活かすという考えを可能にする為である。

 潤沢な資金があるとはいえ、確実に成功するか分からないものへの多大な出費は金に厳しい彼にとってあまり嬉しいものではない。

 だが、いずれはやらなくてはならないものである以上はやらないといつまで経っても後回しになるだけである。

 面倒事を後回しにするような性格ではないが、金に厳しい性格故に、鬱憤が溜まる。しかし、それは抑えないといけない。面倒だと思いながらも彼は意見書を纏めることにした。

 もう一度部屋を出て今度は厠に向かっていると謙信が前からやってきた。

 

「おはようございます。謙信様」

「うむ、何か変わったことはないか?」

「いえ・・・・・・ああ、近々今後の政策について纏めた意見書を出しますので宜しくお願いします」

 

「分かった」と謙信は頷いてすれ違って行った。実に空に広がる晴天に似合う清々しい上機嫌な顔をしている。

 

「(間違いない。颯馬は死んでいる)」

 

 このところ何度走ったか分からない悪寒が背中を走る。五分五分の恐怖と好奇心を持って龍兵衛は厠を済ませるとそのまま颯馬の部屋に向かってみた。

 

「颯馬、いるか?」

 

 何度かけても返事が無いので一言断って部屋に入るが、どこにもいない。「はて?」と思いながら部屋を出て周りを探すが全く見当たらない。ますます分からないままに城を回っていると会いたくない人物に出会った。

 

「や、慶次」

 

 向こうもちゃんと「おはよー」と返してきた。怖かったがどうやら今は素面らしい。

 

「(さすがに朝っぱらから誘うような魔物ではないか)颯馬を見なかったか?」

「部屋じゃないの?」

「いなかったから探しているところ」

 

 慶次も颯馬のことは気になっていたので一緒に探すが、どこにもいない。

 自分の部屋の周りにいないということはもっと他の所にいるのだろうと思い、二人は場所を移動する。

 移動した先で出会ったのは景勝だった。 

 普段通りに挨拶するが、景勝は無言で立ち去ってしまった。

 

「かっつんご機嫌斜めみたいねぇ」

「まだあの事を引き摺ってるのかな?」

「でもぉ、そうは見えなかったわよぉ」

 

 小手森の事で衝撃を受けていると思っていた二人だったが、合流した時には無邪気に謙信に飛び付いていたので安心していた。今、何故不機嫌なのかが分からない。

 

「後で聞いてみるか」

 

 それが良いと慶次は頷くと二人は再び颯馬を探し始める。心当たりのある場所は全て探したが、見つからない。

 時間的に城内にいない筈が無いので必ず城のどこかにいる筈である。残された場所は後一つだけ。

 

「謙信様の部屋辺りだな」

「知って下さいって言ってるようなものね」

 

 溜め息が出てくる。呆れてしまうが、もうそこしか無いのだ。間違っても部屋に取り残されているということはないだろうと思うが、可能性は否定出来ない。

 あの恐怖を見ている龍兵衛と体験した慶次は戦々恐々とした心持ちで謙信の部屋に通じる廊下に入った。

 そして、二人は見た。廊下の隅にうつ伏せで倒れている濃い青の着物を着た男性の姿。

 

「精魂尽きたか・・・・・・」

「生きてる?」

「脈は・・・・・・ある」

「大分弱ってるわねぇ」

「見ろ、手首に縄で縛られた跡がある。呼吸も弱いな」

「無惨ね、後少しで腹上死していたかもしれないわよぉ」

「お前もあの縄跡から察するに随分とやられたんだろ?」

「あたしは、手足を縛られて、口も封じられたんだけどぉ。けんけんったらそれで颯馬っちと何があったか話せって言うのよぉ」

「理不尽極まりないな」

「結局あたしは喋れないからずーっと説教を受けたけど・・・・・・これを見たらまだましだわぁ」

「あ、説教で済んだの?」

「・・・・・・その先があると思ってた?」

「・・・・・・止めよう。俺の柄に合わねぇ」

「あたしはぁ、龍ちんも男だしぃ、別に良いと思うけどね」

「まぁ、そのことは脇に置いておいて、取り敢えず運ぼう。人にばらす訳にはいかん」

 

 颯馬をおぶると龍兵衛は彼を部屋に運んで慶次に布団を敷かせてそこに落とした。

 内々の事は颯馬の代わりに朝信が評定で発表し、颯馬は疲れが溜まって体調を崩したということになった。

 ちなみに龍兵衛と慶次が颯馬を運んでいるのを見られていない筈がなく、数人から状態を聞かれたが、二人は首を捻った。

 

「疲れで少し体調が崩れただけでそこまで大袈裟ではないな」

「ちょっと疲れたのかしらねぇ、すぐに治ると思うわよぉ」

 

 最後までしらばっくれて真実を闇へと葬ってしまった。

 こうして昨晩起きた事件は真犯人が分からないまま迷宮入りとなった。

 だが、意識が回復した颯馬にはまだ面倒事が残っていた。

 

「ねぇ、ちょっとだけでいいから何があったのかあたしに教えてくれない?」

「断る! 思い出すだけでも背筋が凍るんだ! 第一、人に言えるかよ!」

 

 哀れにも興味津々の慶次からの詰問は一週間続いたそうだ。

 

 

 戦の間に溜まっていた仕事をどうにか終わらせる為に色々と頑張ってきた師弟は合間を見つけてここぞとばかりに楽をする。

 

「北条は里見攻めを中止して織田に備えてるみたいだね」

「という情報を流して我々の油断した隙を窺う。なかなかにあざといですね」

 

 二人は気ままな城内散歩をしながらあまりよろしくない会話を続けている。

 面白くないのは二人も一緒であった。しかし、この策には二人のよく知る策士が関係しているという確信があった。

 半兵衛は織田の為に必死になっている。太原雪斎と協力して北条早雲と話を付けたと見るのが妥当だろう。

 

「やっぱり半兵衛ちゃんは半兵衛ちゃんだね」

 

 友は老獪な動きにぼやいて弟子は見事な策だと無言で頷く。

 三人の中で一番奇策を得意とするだけに半兵衛は抜かりなく次の策も考えていることだろう。

 

「織田はどう動くと思います?」

「まぁ、いきなり将軍家ってことはないと思うけど何するか分からないのが織田の怖いところだからね」

「さすがに将軍家をいきなり襲っては世間体が悪くなります。手始めに浅井・六角・比叡山辺りですかね」

「本願寺も門徒を動かすと見て間違いないね。そして、ちょっかいを出した将軍家を一気に叩くと」

 

 次々と織田が討つであろう相手が留まることなく出てくる。

 名前を上げるだけで急進的な信長を快く思わない畿内の保守派の諸将は数多いることがよく分かるが、正直なところ二人は将軍家や畿内への思い入れがある訳ではないので別にどうなろうと知ったことではない。望んでいるのは織田の進軍が滞ることである。

 

「戦続きの我々が出来るのは密かにかれらを支援することですか」

「いや、やらなくていいよ」

「また随分きっぱりと・・・・・・」

 

 少し凹んでしまうような発言だが、容赦ない物言いをする官兵衛の目は智者の輝きが光っている。

 

「支援するってことは中央に出るという期待を持たせることになる。そうなるとこちらの都合なんか向こうはお構い無しに出兵を頼んでくるよ」

 

 失念だった。

 支援とは味方が行うもの。しかし、将軍家も畿内の諸将もいずれは対立する。

 敵の敵は味方ではない。利用し合い、それとなく潰すもの。

 今の上杉と北条のように、それは織田と北条にも当てはまる。

 織田も戦続きで疲れが溜まっている筈。畿内は寄せ集めの軍勢といえども簡単に勝利すると官兵衛は考えていなかった。

 所詮は利益を失うのが嫌になっている者が起こすものである。そうでない者が仮にいても官兵衛と龍兵衛には同類にしか過ぎない。

 

「古人曰わく、利をもって合する者は窮禍患害に迫られて相棄つ。ですか?」

「そ、結局あたし達も見捨てるし、見捨てられる」

 

 己の未熟さが師匠の前だと浮き彫りになると痛感する。追い付くことが果たして自分に出来るのだろうか。

 無理ではないと官兵衛は言うかもしれないが『己』を知らない自分は知ってからこそ追い付くことが出来るのだろう。

 

「京及び畿内にいる間者を増やしておきます」

「そうしといて」

 

 今、目の前にいる師匠に謙信から言われたことを言うべきか。それとも言わずに自身の力だけでやっていくべきだろうか。

 言えば官兵衛は必ず相談に乗ってくれる。しかし、龍兵衛が最も恐れているのは「大丈夫、いずれ分かる」と笑顔で励まされるように言われることだった。

 今はそんなものよりもただひたすらに助言が欲しい。何も参考にならないことを言われるのが彼にとって一番の苦痛であった。

 欲望が喉から出掛かっては引っ込んでいく。期待と恐怖が交互に襲いかかってさらに彼を悩ましている。

 歩きながら一人で考え込み、足音が聞こえるだけの廊下で迷いに迷った末、最後まで龍兵衛は官兵衛に何も言えずに別れた。

 その日の夜、仕事を再開した龍兵衛は新たな政策の立案書をなるべく早く提出するように謙信に言われ、嫌々筆を走らせていた。

 外にはまだ若干暑さがあるが、部屋の中は対照的に部屋の主の心を表すように涼しさを感じさせる。

 実際には涼しいというよりは寂しいと言った方が正しい。

 その感情をコントロール出来るような強い精神力を彼は今持っていない。

 何故なら今の今まで龍兵衛は複雑な思いを抱いて自身が一途に思っていた筈の女性の下にある告白をしてきたばかりなのだから。 

 厳密に言えば別件で用事があった彼女の下に向かい、話している内にそういった話題になったというところだろうが、内心の吐露がその時はありありと滴り落ちていた。

 久々に心の内を語ったにもかかわらず、彼の心はまるで庭石がのしかかったように重く、糸がほどけていた筈の心はどこかで失敗したのかさらに絡まってきた。

 一旦終わりを見せた心の長旅は無情の音が聞こえる風の中をただ一人で何もない草村へと新たな旅路に付いていく。

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