何か変なあったら言って下さい
夏が近付き徐々に暑くなっている中で城下町では相変わらずの賑わいを見せていた。
子供達も暑さなどそれがどうしたと言わんばかりに、駆け回って大人達を呆れさせては、それでも足りないとさらに駆け回る。
そして、先程までその中心にいた人物は今小休止ということで茶屋で一息付いていた。
「やはり城下で子供達と遊ぶのは楽しいものだな」
「謙信様、これは見回りであることを忘れてはいけませんよ」
颯馬が苦言を呈するが、謙信の表情は楽しさに満ち溢れて全く気にしない。
上洛に次ぐ外征でなかなか国内に集中出来ずにいたのと諸大名の間者の動きも各国から入ってきている為に見回りを強化している訳であるのだが、謙信は城下の子供達と遊ぶことに興味が移っているようにしか見えない。
おかげで巻き込まれた颯馬は子供達に追い掛け回されて肩で息をしていて茶屋で喉を潤して、やっと口が聞けるようになったところである。ただでさえ暑くなっているのにこれでは身体がもたない。
「兼続に来てもらえば良かった・・・・・・」
心の嘆息が口に出てしまう。
以前兼続は城下で子供と遊んで帰ってきて不満を口にしながらも嬉しそうにしていた。それをからかった弥太郎が理不尽にも兼続に説教されたのは別の話である。
何はともあれ案外子供好きであるのでこういったことには彼女の方が適任であると颯馬は本気で思っていた。
「ほう、颯馬は私と共にいるのが嫌だと」
寂しげな顔を作って拗ねる謙信。わざとだと分かっていても今の颯馬は謙信に頭が上がらない。
「いえ、そんなことはありません。某は謙信様の家臣に御座います」
「ふふっ、冗談だ。分かっているから私に付き合ってくれているのだからな」
「お人が悪いですよ」
「お前に言われたくないな」
「うぐっ・・・・・・」
語弊があるが、そう言われると言い返す言葉が見つからないのは颯馬の方である。
「人が悪いのではなく、質が悪いんです」
兼続か龍兵衛がいればそのような突っ込みが入ったところだろう。
本気で凹んでしまったのを見ると謙信もさすがに手を挙げて「もういいのだよ」と颯馬を宥め、仕事の顔になった。
「実際、昼ということもあって草も動き始めてはいない。夜になれば分かることだ」
「気付いておられたのですか?」
「なんだ。私はただ遊んでいた訳ではないぞ。それから颯馬、龍兵衛と共に夜の警備を強化して、もし何かあれば逐一報告してくれ」
「承知しました」
てっきり遊ぶことに頭が行っていたとばかり思っていた颯馬にとって謙信の発言は驚きを隠して聞くことが精一杯であった。そんな颯馬を見て謙信は悪戯が成功したように手元に手を当てて笑っている。
「驚いているのはばればれだぞ。心にそう書いてある」
「隠せませんか?」
「無理だな」
参りましたと頭を下げるのを見て、ますます面白そうに笑いながら謙信はぬるくなった茶を口に含んだ。
夏の風だというのに涼しく感じるのは汗をかいているからだろう。隣でまだ完全に呼吸が整っていない颯馬程ではないが少し自分も疲れた。
しかし、これは嬉しい疲れとでも言おうか。戦とは違って子供と遊ぶのは変に気を使わずに楽しむことが出来る。その為に謀や血にまみれていない純粋な自分のままでいることが出来るのだ。
外に出て戦になると純粋さはしまわなければならないが、帰ってきた時に楽しみがあると早く乱世を終わらせようと頑張れる気がする。
「随分と嬉しそうですね」
いきなり耳に入ってきた颯馬の言葉が謙信の思考を遮らせた。
「そんなに出ていたか?」
「俺だから分かったんです」
「まったく、口の減らない奴だ」
にやりと笑う颯馬に口でそうは言っても謙信の心は嬉しさで踊っていた。
まだ子供達は駆け回っている。その様子を楽しそうに眺め、汗が軽く流れる謙信の横顔に颯馬は見とれていた。
あちこちで兵や民達の木材を運ぶ声が聞こえる。
その中心でかれらに声を掛けながら現場を見回っている二人の師弟軍師。
端から見れば逆に見えそうなものだが、実際は予想と逆である。気付いた人々が目を点にして驚く声も忘れる。
そんなことは気にせずに二人は当然だという顔で堂々としている。
それは約一ヶ月半前のこと。
颯馬が留守を預かっている間に城壁に空洞が出来ていることが判明。これを良いきっかけに改めて春日山城を普請してはどうかという声が上がったのだ。
謙信は普請によってかかる資金を民の為に使うべきではないかと考えたが、颯馬や龍兵衛の上杉という家名の建前としても民を安心させる為にも必要だという主張に弥太郎や親憲といった者達が賛成した為、これを認めた。
龍兵衛の後押しで普請奉行となった官兵衛の下で春日山城の大規模な改築が行われることになり、今に到る。
汗ばむ陽気となってきている為に働いている者も当然ながら現場を歩い続けている二人の着物にもじとっと汗が付いている。
「とは言っても、あんたも随分首を突っ込んできてるよね」
「自分がやっているのは助言ですよ、助言」
汗ばかりではなく目もじとっとしたもので見る官兵衛を気にせずに自分の言い分はしっかりと用意しておいた龍兵衛。
官兵衛の目には弟子に「やれ」と強引に背中を押された恨みもあるのだが、もちろん恨みだけではない。弟子に褒められて満更な気持ちでもないのも事実だったりする。
「ま、理に適っているからこっちは感謝してるんだけどね」
「そりゃどうも」
素っ気ない返事をしているが、師匠に褒められて満更な気持ちでもない龍兵衛は内心嬉しかったりする。
築城の名手として名を馳せている官兵衛はこの世界でもそれは同じことであって、彼女がいる以上はあまり口出しする所はない。
だが、どうしても彼が理想として考えていたことだけはやりたいのだ。
北条・武田・富樫の間者がどこにいるのか分からない現状では侵入を避ける為には城下町の警備以外にも城の中の通路を変える必要がある。
他にも万が一敵が来た時に備えてを必要だと考え折り曲げた通路を広く取り、弓矢で敵を射やすくするという加藤清正が名護屋城や熊本城で用いたような設計法を取り入れたいと龍兵衛は官兵衛に相談し、予算の工面を謙信に頼み、どちらからも是の言葉をもらい、官兵衛と相談した上で普請案を完成させた。
「実際、自分は通路の作りに口出ししただけです。それ以外は全て孝さんが考えた設計法でしょう?」
「まぁ、そうなんだけどね。あたしはやりやすくて結構なことだけど」
謙信は官兵衛に龍兵衛を補助につけ普請の一切を一任させ、自身は城下町の警備体制の見直しに力を入れている。
民のことを第一に考える謙信が最も自らが先頭に立ってやりたいと思っていることだけにそのことに反論する者は一人もいなかった。
段蔵によれば今のところはどこの間者も活発には動いていないようで越後が狙われる危機はまだ来ないと見て良い。
きな臭い北条も織田に対する警戒を強めているという噂もある。完全に信用していないのか、はたまた策略かは分からない。
だが、言えることはただ一つ。
「結局はどこも信用出来ないのがこの戦乱の世の中ということですか・・・・・・」
「どした? 藪から棒に」
「別に何でも」
口に出ていたかと龍兵衛は手で口を軽く覆うと首を振って否定し、官兵衛は訝しげに見ながらもよくあることだとあまり気にせず、二人は見回りを再開した。
「そういえば、ここのところ畑に出てないよね?」
「ええ、なんか行く気にならなくて・・・・・・それがなにか?」
「なーんか最近のあんた、元気がないよ。何かあった?」
「いや、別に・・・・・・」
適わない。師匠は鋭い。とはいえ彼も軍師である以上は誤魔化すこともする。
だが、官兵衛も長く見てきた弟子の仕草をよく知っている。故に龍兵衛が何かを隠しているのは手に取るように分かっていた。
そして官兵衛はもう一つ知っていた。弟子はあまり人に自分のことを相談したりするのは嫌いであると。よほどのことではない限り、相談することを龍兵衛はしないことを彼女は一番よく知っていた。
故に、おどけてみせる龍兵衛を見て官兵衛はさらに突っ込む必要はないと思い、そのまま普請の様子を二人で無言のまま見回っていた。
官兵衛とは別れて龍兵衛は今度は景綱や弥太郎と歩いている。
景綱は仕事終わりに合流して、弥太郎は遊んで猫に手を出そうとして逃げられたのを二人で慰めたのを理由にしてである。そのまま城内を歩いているとふいに弥太郎が声する部屋を覗くと驚いて二人にも声を掛けた。
「おい見ろ、兼続が景勝様に説教をしているぞ」
二人も部屋を覗いてみる。中では兼続が腕を組んで正座している景勝を見下ろすようにして言葉を繋げている。
さらに景勝の頭には猿が乗っていて景勝同様に頷きながら神妙にして話を聞いている。
「すごいな、いくら何でも次期当主である景勝様に説教はちょっと自分もしようとは思いません」
龍兵衛の感心するところが少しおかしい気もするが、兼続はあの性格で、誰でも説教をするのは知っているので弥太郎も景綱も気にせず、むしろ同調して二人に声を掛け、兼続に事情を聞く。
「前田殿は厨から持ち出したものを景勝様と食べていたのです」
原因は慶次が厨から持ち出した菓子類を景勝とつまみ食いをしていたという苦情を兼続が聞いて、問い質そうとしたところ、奇跡的に慶次だけが逃げ切って景勝だけが説教をくらう羽目になったそうだ。
「直江殿、それは前田殿が主犯で、景勝様は関係ないのでは?」
景綱はもっともな意見を言うが兼続は全く動じず、むしろそれが彼女の意見を強調する機会だと言わんばかりに言い返す。
「いいえ、景勝様は前田殿が厨からこっそり持ち出したのを知っていたにもかかわらずそれを食していたのですよ。そこはきちんと止めてしかるべきではありませんか?」
まったくの正論で言い返す言葉がない。結局、それ以上誰も何も言わずに景綱は兼続に「大変そうだな」と同情の視線を向け、龍兵衛と弥太郎は「やっぱりか」と巻き込まれないように肩をすくめて立ち去ろうとする。しかし、猿が呼び止めた。
「ウキッ、キッキキ? キッキ」
「鉄砲の製造? ええ、順調に進んでますよ。今のところは特に変わったところはありません」
さらに猿が何か言うと龍兵衛が平然と答えた。
城の普請や街道の整備と民の為の政策を行っているとはいえ、戦の為の準備も怠ってはならない。
堺で橘屋又三郎から貰った鉄砲製造書を信頼出来る鍛冶師の下に送り、鉄砲製造に力を入れさせている。
万が一上杉以外に売り込まないように大量の前渡し金を渡しておいた上である。
大丈夫であると答えた龍兵衛に猿が続けて「ウキッ、キッキ!」と鳴くと「任せて下さい」と龍兵衛は頭を下げた。
「・・・・・・え?」
しかし、景綱はそのやり取りにたいそう驚いて目を見開いている。対してその景綱に兼続と弥太郎は驚いている。
「どうかしました?」
「いや、河田殿は、猿の言うことが分かるのか?」
「え、逆に分からないのですか?」
ぴたりと時間が止まってしまった。
沈黙を破り、兼続が恐る恐る聞いてみる。
「・・・・・・片倉殿は分からなかったのですか?」
「直江殿、上杉家の直家臣ではない私にそれは無理です」
「たしかに・・・・・・」
「(しょぼーん)」
龍兵衛が腕を組んで嘆息し、景勝は猿を知らない人がいると改めて知らされて気を落としてしまった。
しかし、喋るのが苦手な景勝に代わって能弁な猿が話すことはいつものことである。そろそろ他家の面々にも分かってもらわなければ国が大きくなって景勝が指揮を執ることも増えるだろうからいいかげん慣れてほしいと願っておかなればならない。
「だが、景勝様はあまり言葉を発さないが心では様々なことを思っているのだろう? そうでなければあそこまで猿が懐く筈がない」
それには全員が頷く。景綱は長く囚われの身だった。とはいえ自由に監視付きながらも城内は動けただけに上杉家の公の生真面目な雰囲気から一変として逆に生真面目な者が振り回されるような私としての表情を一番よく知っている。
景綱自身も最初は面を喰らったが、段々慣れて、同じような性格で気苦労の多い兼続とは同僚の愚痴を言い合う仲になって、不満が解消されているのは余談である。
「ウッキ! キキッ!」
「片倉殿も猿のことを知るようにと猿が言っています」
「・・・・・・分かった。努力しよう」
兼続の通訳でどうにか会話が出来たが、今後に不安が残り、はたして話せる時が来るのだろうかと不安に思いながら景綱は本当に頑張ろうと思った。
景勝への説教に巻き込まれるのを嫌った三人はそそくさと撤退して再び廊下を歩き始めた。
「はぁ~」
出た部屋が見えなくなった所で弥太郎の溜め息が突然入ってきた。
「急にどうしたのです? 弥太郎殿」
景勝、兼続と別れた三人はそこから景綱がいなくなって龍兵衛は二人で雑談をしながら歩いていた。そして、ねたが切れてきたという時に弥太郎が盛大な溜め息を吐いたのだ。
「いや、最近の景勝様のことだが・・・・・・」
また動物のことかなと龍兵衛が思いながらも聞いてみるとかなり真剣な話題であったのでかなり驚いた。
「どうも口数が減って猿に会話を頼っている。元々あまり話さないが、最近は異常になっている気がするんだ」
「そうでしょうか?」
龍兵衛自身もなんとなく感じてはいたが、弥太郎に言われるまで確信がなかった。
「ふさぎ込んでいるというか・・・・・・落ち込んでいる時がある。何か知らないか?」
「さぁ、自分に言われても・・・・・・」
あっさりと言い切れた自分がすごいと思ってしまう。原因の大半は自分のせいだと言うのに何故いとも簡単に知らないと言い切れるのか、自分でも全く分からなかった。
「そうか、何か分かったら教えてくれ。力になろう」
「ありがとうございます。弥太郎殿も何か分かったら教えて下さい」
共に頷き合うと弥太郎と別れ、彼女の姿が見えなくなった途端に龍兵衛は近くにあった柱に八つ当たりの蹴りをいれた。
罪悪感が無い訳がない。だが、こうしている今の方が楽なのだ。原因が分かっていても言えないもどかしさはあるが、あまり言えるものではない。
困ったことがあれば一番頼りになるのは弥太郎だが、こういったことを相談すると真摯に聞いてくれる定満と違って広めて面白がる弥太郎の姿しか思い浮かばないのだ。
「(止めよう。自分の惨めさが浮き彫りになるだけだ)」
景勝がどのように思っているのか以前の手拭いと先程の、他の三人は気付いていなかったが、龍兵衛には分かっていた。
景勝が、彼が部屋を辞する際に浮かべていた悲しそうな表情で分かっている。
だが、今考えるべきは鉄砲製造と春日山城の普請に、城下に潜んでいる間者の動きを把握すること。そして、畿内と京の動きもだ。
やることは多いが、いつもと変わることはない。師匠ほど器用でない彼は一つ一つ目の前のことをこなしていくしかない。
「まだ分からないか・・・・・・いつ分かるか分からないけど信じて待つしかないよな・・・・・・」
その意味深な言葉を解する人物はこの場では今のところ彼だけである。