上杉の章 新たな兵衛   作:北極星

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第八十五話 黒幕はどちらに?

 越中の突然の襲来を聞いた龍兵衛と景資達はその日の内に準備を整えて新発田城を飛び出した。昼も夜も休まずに走り、四日後に一度報告なども兼ねて春日山城で休息を取った。

 その間、龍兵衛と景資は謙信と対談し、事の大きさを語った。無論、謙信にも加賀の情報は入っている為に状況確認だけになった。

 魚津城には斎藤朝信率いる一千の兵がいる。今、一向一揆は三万に兵が膨れ上がり、富山城を既に進発した。

 魚津城は元々松倉城の支城であるのを本城並みに朝信が改築したもので、決して強固なものとは言い難く、明らかに戦える状態ではない。

 

「考えたのだが、やはり朝信と頼久を一旦、不動山城に戻して魚津城と天神山城を放棄させるべきだと思うのだが」

「しかしながら、ここで退いては春日山城も危うくなります」

 

 退くと春日山城は不動山城を残すのみで越中に対する備えが無くなる。越後に通じる親不知を突破すればもう春日山城を守る城は一つしか無くなる。

 

「兼続もそう言っていたが、ならばどう対応する?」

 

 和睦はあの富樫晴貞が結ぶとは考えられない。東北の諸大名は東北の統一を目指して進軍させたばかりで呼び戻す訳にはいかない。

 春日山城で準備していた一万二千の本隊も万全ではなく、まだ時間が掛かると謙信も苦い表情を浮かべた。

 

「敵は三万と言っていますが、見かけ倒しで本当は一万数千です。残りの一万程度は経験の無い農民、主力である正規の兵を討てば、富樫晴貞も退かざるを得ません」

「戦とはいえ、民を討つのか?」

 

 民の為に力を尽くしている謙信にとって泰平の為に民を討つのはかなり複雑な心境である。

 しかし、龍兵衛はかれらを民と思っていなかった。意志を奪われたもの達は人にあらず、ただ命令のみでしか動けない人形にすぎない。

 かれらがもし晴貞の呪縛から解放されたとしても果たして自分の足で動けるのか、謙信に対して加賀が貼っている風評を見事に剥がして主君に忠誠を誓わせることが出来るのだろうか。

 謙信ならば誠心誠意接していけば自然と心は開かれるだろうと言うかもしれないが、口では言えても謙信を直接知ることが出来ない他国の民が本当に信じていけることが出来るのだろうか。

 疑問は尽きないが、なるべくなら謙信の心を摘み取らなければ主家の方針にも背くことになりかねない。

 極力速い進軍をするようにすると謙信は伝え、二人には急いで魚津城に入るように命じ、龍兵衛の方から取り敢えず、他に手の空いている将を貸して欲しいと頼むと謙信は快く承諾して太田資正を連れて行くように命じた。

 外に出ると二人は資正に子細を伝えてすぐに準備するように伝えると景資に将兵への指揮を任せて龍兵衛は軍師達に会いに行った。

 

「どう思う?」

「同感だ」

「俺もそう思う」

 

 ひとまず東北に行っている官兵衛以外に先程考えた自身の意見をふまえて聞いてみると二人共頷いて肯定してくれた。

 やはり、北陸に蔓延る悪しき空気を浄化する為にはそれに必要な血を流して大地より空へと運び上げなければならない。

 言うなれば一向一揆は北陸の戦乱という火種そのものである。

 

「だが、謙信様が民に対する殺生を渋く思われている以上はあまりむやみに策の為に民を殺めることは出来んぞ」

「分かっているよ。俺だって出来れば行きたくないとも思っているんだ」

 

 民が敵軍にいるという理由で制限されると策に支障を来す。言った兼続も気持ちはよく分かるようで何度も頷いてくれている。一方で颯馬は心配そうにして龍兵衛を見ている。

 

「大丈夫なのか? 三万の軍に対してこちらは一万と数千だぞ。援軍を派遣するまでに時間はそれほどかからないと思うが・・・・・・」

「大丈夫だ。籠城していれば二週間もしない内に援軍が来るだろ?」

 

 二人がどこか申し訳なさそうな顔をしているのを見て、龍兵衛の心に嫌な予感がよぎった。

 

「とにかく魚津城に早く援軍は行けるようにするから。頑張ってくれ」

 

 取り繕うような颯馬の物言いに違和感を抱かずにいられない。「どういうことだ?」と二人をじっと見て、誤魔化すなと交互に二人の目を見る。

 取り調べで決して黙秘を許さない彼のことをよく知っている二人は龍兵衛には誤魔化せないと悟り、「「すまん!」」と言って揃って頭を下げると内実を語り出した。それは落胆することも出来ない、かえって清々する程に大当たりだった。  

 二人と別れた後、溜め息しか出てこなくなっていた。一難去ってまた一難、これまでも色々とあったが、今回は最悪の状況の一つと言って良いだろう。

 投げ出して良いのなら喜んで投げ出したい。やけくそになってはいけないのは重々承知しているが、それでもだ。

 だが、軍師たる者、焦りが生じる時ほど冷静にならなければならない。

 今回は越後の命運がかかった戦。負けることは許されない。負ければ富樫晴貞の魔の手が越後にまで蔓延する。

 切実に避けたい現象を食い止める為にはやはり行かなければならない。

 

「ああ、景勝様ですか」

 

 手を伸ばせば届くぐらいの距離に景勝がいたが、思考の海に漂っていた為に景勝の存在を近くに来るまで気付かなかった。

 

「明日、出る?」

 

 しばらく、猿に頼りっきり会話が続いていたが、最近になってようやく治ってきた。長いと思うが、引きずりすぎた結果だなと龍兵衛は思っている。

 

「ええ、そのつもりです」

「勝てる?」

「防衛戦なので絶対に勝たねばならない訳ではありません。負けなければ良いのです」

 

 数の差がある以上、勝てる見込みなどありはしない。しかし、幸いにも今回は籠城戦。富樫軍が撤退すればそれで良いのだ。

 だが、景勝は不安そうに龍兵衛を見上げている。景勝も知っているのだろう。むしろ景勝が知らなければならない問題がおきている。

 

「先程、颯馬達から聞きました」

 

 その言葉に景勝はたいそう驚いた。何故ならそのことは決して他言無用、とりわけこれから戦に出ようとしている龍兵衛と景資には何があっても口にしないように謙信が直々に命じたものであるからだ。

 

「罪人を裁くようなものです。それに、軍師がこれより望む戦に対して知らない情報があっては困るでしょう?」

 

 道理であるが、知ったところで何か利する訳でもない。本当に大丈夫なのだろうかと心配そうにしている景勝だが、彼は特に気にしていないようなので大丈夫なのだろうと思った矢先だった。

 

「本当は大丈夫な訳ないんですけどね」

 

 急に表情を暗くして溜め息混じりに言い出した。悔しそうに唇を噛んで手を額に当てている。

 その様子を見ていると景勝は自然と頭を下げて自分達の不注意を詫びようとしていたが、慌てて龍兵衛がそれを止める。

 景勝が頭を下げるような問題ではない。管理していた者達、つまり軍師達も含めた将達の責任だ。しかし、景勝は自分もその一人であると言って聞かない。

 とはいえ、ここで責任が誰にあるかなど言っている暇はないことは二人共重々承知している。

「その話題はこの辺で」と龍兵衛は手で示すが、それでも溜め息が出てくる。

  

「それにしても兵糧の三分の一がやられるとは・・・・・・」

 

 正直言って大き過ぎる失態である。間者によって謙信が率いる筈であった一万ニ千人分の兵糧が焼き払われてしまったのだ。

 さらにその中には龍兵衛達が持って行く筈だった補給もあり、それをかれらに渡すと自然的に六千人分の兵糧しか残らないことになる。

 警戒が嫌でも弱まる深夜に起こった為に警備兵の隙を突かれてのことであった。

 このおかげで謙信達は六千人分の兵糧を手配する為、出兵にさらに時間が掛かることになった。

 龍兵衛達が率いる三千、魚津城にいる一千の兵、対するは富樫晴貞率いる三万の兵。

 元々奇襲する為に兵力は必要最低限程度に抑えていたのがここにきて弱味と言いますなってしまった。

 数を見れば明らかにたとえ上杉が籠城戦を選択しても、保って数週間程度、勝てる見込みどころか間違いなく負ける。

 

「魚津城、諦める?」

「それは危険過ぎます」

 

 そもそも魚津城は椎名康胤が神保に攻められた際に上杉を頼り、その後はほぼ暗黙の了解で上杉が実行支配していた。

 魚津城は越中に侵攻する際に富山に行くにしろ松倉に行くにしろ必ず通らなければならない重要な城。魚津城を失うのは西に侵攻する基盤そのものを失うに等しい。

 

「勝てる見込み、無い」

「先程申したように負けなければ良いのです」

「負ける?」

「皆様次第です」

 

 兵糧を集めるのに全力を尽くすと颯馬達は言っていたが、今は夏。年貢が入ってくる時期ではない。

 選択肢としては買い占めるか春日山の貯蔵庫から出すか。両方行ったとしても八千人分の兵糧を集めるのは手間がかかる。

 

「龍兵衛、行きたくない?」

「いいえ、行かなければ。今後の上杉が天下に上り詰めることが出来るか出来ないかを決める重要な防衛戦になります。敵に民がいようとも迷いはしません」

 

 はっきりと言い切った。颯馬達の前では二人のことを考えてあのように言ったが、彼の心はもう既に新発田城に進軍した時から戦へと向いている。

 越後から西へ行く為に、負けない可能性が無くても魚津城は守らなければならない要地。たとえ相手に民がいようともかれらは己の意志を持ってして上杉の支配を受け付けようとしていないと考えればそれを取り除くことに躊躇いはない。

 謙信に民にはなるべくと言われたが、おそらく晴貞から解放された後にかれらに待っているのは絶望のみ、ならば手始めに越中の民を見せしめにすることもやむなきこと。

 幸いにも織田の比叡山焼き討ちの印象が強過ぎた為に越中という辺境の地での行いはそれほど強い印象は残さないだろう。たとえ誰かが声高に叫んでもその者が生きている限り戦で気が滅入った狂人の妄言で片が付く。

  

「まぁ、戦に出る以上はむざむざとこの首をくれてやる訳には行きませんから」

 

 音を立てられと首を打っておどけると景勝も少し表情が緩んだ。しかし、またすぐに心配そうな顔に戻る。

 

「死んじゃ、駄目」

「心配性ですね。まぁ、死ぬ気はありませんよ」

「・・・・・・」

「はは、そう睨まないで下さい。可愛い顔が台無しですよ」

 

 誤魔化すようにそう言うと龍兵衛は景勝の前から辞して自分の部屋に戻って行った。

 景勝にはあれで意外と負けず嫌いの龍兵衛の本心は勝利したい方向に向かっていると分かった。そして、今まで生きようとしてきた心持ちから死ぬ気が芽生えていることも感じられた。

 何があったかは知らないが、まだ死なせる訳にはいかない。景勝にとって彼がどう変わろうと彼に対する景勝の愛は変わることはないのだ。

 その為にも自分に出来ることを精一杯やらなければ、今生の別れとなるかもしれない。そう考えると景勝の足は自然と兵糧庫に向かって行った。

 

「はぁ、鋭いなぁ」

 

 景勝が何も言わずにただじーっと何かを見つめる時、それは何かに興味を持った時か、違和感を感じた時に行われる。

 おそらく生きるか死ぬかの選択を迫られた時に生きる選択を捨てる可能性も出ていることを感じ取られたのだろう。

 なんとなくだが、察することが出来た。もちろん簡単に負けてやるつもりはさらさら無い。やることをやってあわよくば勝利を収めることが出来れば尚良い。

 一方でそう決意を固めながらもう一方で別のことを彼は考えていた。

 それは先程、颯馬達に兵糧を焼かれたことを聞き出した後のことである。どう考えても疑問に残ることがあった。  

 

「しかし、妙だな」

「ああ、妙だ」

「まったく、妙だな」

 

 三人は口を揃えて肯定し合った。兵糧が軍の命であることに変わりはない。しかし、命故に警備もかなり厳重である。

 狙われたのが夜であったとはいえどうやってそこまで入り込めたのか。

 加賀には段蔵が選び抜いた精鋭達が間者として潜り込んでいる。ちなみに景資が訝しんでいたが、その次に実力のある者達は殆どが京にいる。

 しかし、京からは定期的に情報は入って来ずに一方で加賀からは定期的にちゃんと段蔵や軍師達の下に情報が入ってくる。

 さらに春日山や越後の主要地域でも影で捕まえられる間者は圧倒的に加賀の手の者が多い。

 要は加賀にはそれほど間者を見抜く実力者と間者として、軒猿や越後の面々を欺ける者がいない。

 にもかかわらず、上杉の警備の合間を縫って兵糧を焼くなど常識的に考えても有り得ない。

 そうなれば考えられる道筋は一つしかない。

 

「本願寺は本当に上杉を潰す気だ」

 

 兼続の言葉に二人も頷いて間違いないと断定する。本願寺は北陸から東北を浄土真宗色に染め上げて織田を滅ぼし、己達が天下を牛耳ることにしたのだ。

 織田との直接の戦いで旗色が悪くても最後に勝とうとしている。

 

「なかなかに強かだな・・・・・・」

 

 颯馬の溜め息が部屋を支配したように静まり返る。

 だが、晴貞は本願寺とは表向きは忠誠を誓っているように見えるが、その内実は己の欲望を満たすことにしか興味がない強欲者。

 上杉が負ければ間違いなく本願寺から独立して自分の思うがままの国家を形成するだろう。

 そのような危険性があるにもかかわらず、何故に本願寺は晴貞を飼い続けているのかが分からない。

 

「まさか、本願寺の後ろに大きな影があるのか?」

「龍兵衛もそう思うか。俺もそう考えていた」

「だが、たかが寺院に積極的に力を貸すようなところがあるのか?」

 

 たしかに本願寺は元を辿れば所詮は宗教を広める為の団体である。

 武家にとってかれらの力が侮り難いとはいえ、その力が台頭し過ぎることは決して面白いと言えることではない。

 だが、現実に本願寺は今は状況が不利とはいえ織田と渡り合える実力を持っている。その力を利用する者が現れてもおかしくない。

 

「なぁ、ふと思ったんだが、伊賀や甲賀の忍を本願寺が雇って富樫晴貞の下に送り込んだとしたらどうよ?」

「危険なことだが、段蔵からは報告は無いんだろ?」

 

 首を縦に振って龍兵衛が肯定するが、颯馬は彼が言うことも一理あると考えた。もしかしたら本願寺以外に上杉の台頭を快く思わない輩がいるのかもしれない。

 水面下で優秀な忍を持っている北条や武田が工作している可能性も考えられる。

 

「だが、今はそういう訳にもいかない筈だ」

 

 兼続も調べているが、武田が大きな工作をしている報告は今のところ無い。

 今、上杉がいなくなれば北条や武田は逆に危険な状況になると三人は考えていた。

 上杉がいなくなれば織田は混乱する東を間違いなく攻める。そうなれば織田と戦は回避出来ず滅びの道を歩むしかない。

 逆に上杉の領地を掠め取ることも可能だが、背後に今川や徳川の脅威があり、勢いに乗った富樫と特に武田は戦いをしなければならない。

 逆転を狙うなら今は上杉に困難を押し付けて程良く弱まってから攻める方が良い。

 

「もっとも、北条はともかく武田はそう思っているんだろう」

 

 颯馬の言うことは正しい。北条は天下よりも関東の安寧に心を砕いている。

 武田信玄の場合は天下統一を最終目標にしていて、上杉を敵視しているだけにその可能性が高い。

 そうなるとやはり黒幕は京にいるとしか考えられない。実際に以前も同じようなことがあったのだから。

 

「一つ、この戦が鍵になるな」

「頼む。何としてでも魚津城は守ってくれ」

「分かっている。お前達も早く、な?」

 

 颯馬と兼続が頷いて返す。

 全ては越後の空に暗雲をもたらさない為に、力を尽くして謙信と景勝、そして越後の民を守る為に。

 立ち上がって出て行こうとする龍兵衛を二人が呼び止めた。

 

「今回の戦、負けるなよ・・・・・・」

「・・・・・・兵糧を二度も焼かれるようなことしたらただじゃおかないからな」

 

 背後の颯馬の声に振り返らず、抑揚のない口調で返すと龍兵衛は出て行く。

 二人から何も反応はなかった。

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